第7話 人類最古の殺人者

「カイン?」


 男が告げた名前にお嬢様は首をかしげる。


「そう、君には人類最古の殺人者といった方が分かりやすいかな?」


 男――カインのそのセリフにお嬢様だけでなく僕も一瞬息を呑む。


「……まさかアンタ、あのカインなの? 聖書に出てくるあのカイン?」


「ピンポーン。有名なのでやっぱ『カインとアベル』かな? あとは人類最初の嘘つきとも言われているな」


「…………」


 その発言には呆気に取られるしかない。

 『カインとアベル』。

 聖書でも有名な話の一つだ。

 始まりの人間として伝えられるアダムとイブ。その二人の男女から生まれた初めての子供、兄弟がカインとアベルである。

 カインとアベルは神への捧げ物として収穫物を備えていた。

 しかし、この時、神が目に留めたのは弟アベルの収穫物であり、兄であるカインは神からの恩恵を受けられなかった。

 神の愛を受けた弟アベルを兄であるカインが嫉妬し、殺してしまう。

 これが人類最初の殺人と呼ばれている。


 その後、神は兄であるカインに「弟のアベルはどうした?」と問いかけたが、カインは「知りません」と嘘をついた。

 これによりカインは神の呪いを受け、追放されたとされている。


 これが聖書における『カインとアベル』の話。

 無論、遥か昔の神話であり、誰もがそのようなものは空想のおとぎばなしとしか思っていなかっただろう。

 だが、目の前の男はそのカインを名乗っている。

 普通ならば信じられないことだが、しかし先ほどの男の奇妙な能力。

 更に正体を明かした後の宣言。

 悪魔である僕にも僅かに感じることではあるが、『人間』である紅刃お嬢様にはそれ以上であろう。

 目の前の男が『本物』かもしれないという威圧感は。


「まあ、オレが本物のカインかどうかはお嬢さんの判断に任せるよ。それよりも言ったように今は君の力を貸して欲しい」


「……人類最古の殺人者がアタシの力が欲しいなんて思えないんだけど」


「まあ、そう言わないでくれよ。これを聞けば君も興味が湧くはずだ」


 わざと持って回った言い方をカインはする。

 この人、言動がいちいち役者のようだな。


「実はもうじき地獄でとあるゲームが開催される。それは地獄に堕ちた魂達が自分達の復活をかけて行われる悪魔主催のゲームだ」


「…………」


 カインの宣言にしかし紅刃お嬢様は興味なさげな目を向ける。

 一体それがなんだというのか?


「その地獄に堕ちた連中ってのが、まあ悪魔が厳選した曲者……いわゆる異常者ばかりなんだが、その中にアンタが殺した人物達が混じってるわけよ」


「……へぇ」


 それがどうした、とばかりに紅刃お嬢様はカインを睨む。

 一方のカインは軽く肩をすくめ話を続ける。


「参加者は千人。その中から勝ち残った一人があらゆる願いを叶えられるようになる。まあ、この場合はまず現世への復活だろう。で、ここで質問なんだが、もし、その優勝者がアンタに殺された人物だったら、現世に戻ったらまず何をするだろうな?」


「アタシへの復讐でしょうね」


 間髪入れずお嬢様は答える。

 それはそうであろう。自分を殺した相手に対し、復讐を望むのは当然。

 まさか、それを理由にお嬢様をその地獄で行われるゲームに参加させるつもりか? 僕がそう思った瞬間、それより早く紅刃お嬢様もそれを口にする。


「まさかそんなのを理由にアタシがそのゲームに参加するとでも思っているの? なら、お断りよ。仮にアタシが殺した奴がそのゲームに優勝し、蘇ってアタシを殺しに来たとしても、アタシとしてはむしろ嬉しい出来事よ。なんだったら、そいつに殺されるのもいいわね」


 そう言って紅刃お嬢様は微笑む。

 それは冗談でも見栄でもなく本気であった。

 むしろ、紅刃お嬢様はそれを望んでいるように微笑んでいる。


「まあ、待ちなよ。このゲームは君が思っているような単純なものじゃない。そもそも君は自分が殺した相手に殺されるなら本望って思ってるようだけど、果たして本当にそうかな? この中には君が決して許せない存在も混じってるはずだよ?」


「どういう意味よ?」


 カインが告げるセリフに眉をひそめるお嬢様。

 それを見たカインはまるで悪魔のような笑みを浮かべ答える。


「それはね――」



◇  ◇  ◇



「というわけだ。分かってもらえたかな? このゲームの趣旨が」


「…………」


 カインの説明を聞き、お嬢様は黙り込む。

 それを隣で聞いていた僕もさすがに沈黙するしかない。

 まさか、地獄で行われるゲームがそのような目的があるとは……。

 しかし“あの方”が絡んでいるのなら当然か。

 この僕ですら“あの方達”の姿は一度や二度しか見たことがない。

 増して、このような大規模な悪魔ゲームともなれば、僕のような下っ端の悪魔が知る由もない。


 そして、この男カイン――。こいつは、本気なのだろうか。

 そんなゲームと知っていてなお、そのような『計画』を口にするなど、正気の沙汰ではない。

 いや、ハッキリ言って異常だ。狂っている。

 人類最古の殺人者という名乗りも道理かもしれない。


「で、どうかな。紅刃嬢。ぜひ、君にはオレの目的のために協力して欲しいのだが」


 そう言って手を伸ばすカイン。

 それを前に紅刃お嬢様は別のことを口にする。


「さっきの話……あれは本当なの?」


「ん? ああ、まあな。だからこそその目的を達成させないためにもオレと君とでそのゲームを優勝し……」


「そうじゃない」


 静かに、これまでに見せたことのない冷たい――氷のような瞳を持ってお嬢様は告げる。


「本当に“あいつ”がその中にいるのね?」


「……ああ」


「そう」


 カインの答えにお嬢様は静かに顔を伏せる。

 その雰囲気は今まで僕が彼女のお仕えして初めて見るものであった。


「それでどうするんだい。紅刃嬢。ゲームに参加するか、それともやめるか。まあ、君の力が借りられない場合は残念だがオレ達でやるしかないが……」


「そんなの答えは一つよ」


 手に持ったナイフをまるで突き刺すようにカインの方へと向ける。


「参加するわ。そして、そいつは私が殺す。それが条件よ」


「……わかった」


 そう言って静かにカインは紅刃お嬢様が突き出したナイフの刃を掴み、赤い血を滴らせながら握手をする。

 今ここに人類最古の殺人者と、“自称”シリアルキラーのサイコパスを名乗るお嬢様とが手を組んだ。

 二人が向かう先は罪を犯した人の魂が向かう地の底――地獄。


 そこで開催される地獄のゲームである。

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