第九話

「起きなさい! 目を覚ませヒーロー!」

 頬を叩かれて気がついた。声は先生だ。通信ではなく耳元で叫んでいる。

「あ……敵は……?」

 自分がどれだけの間眠っていたかもわからない。体も相変わらずで言うことを聞かない。

「生きていたか、良かった。敵母艦は健在、今も逃走しているところだ」

 小さな飛行機に乗っているようで、風を感じる。建物の間を低く飛んでいて景色が凄まじいスピードで流れていく。そしてそれ以上に速い光線に追い越されている。ついて来る轟音に巨大飛行物体の存在を感じられた。町並みが破壊されている。

(凛華と約束したのに、守れなかった……)

 おかしな話だ。生きているのなら、あの光る攻撃を受け切ったのなら、その分強力に変身して敵を倒す。そういうプランだった。命を賭けた一か八か。失敗すれば死んでいて、いっそ心配はなくなるはずだったのに現実は酷いほうにばかり予想を裏切った。

「ガラにもないことしたからかな……」

 風になびく先生の髪がリボンと共にたなびくのを見て凛華を思う。

 同じ場所で同じ相手に死ねば、それが凛華との繋がりになるような気がしたのは本心だ。そうなれたらいいと。それでも死ぬのは嫌だった。そうやって心が逃げたから今こうして最悪の状況に陥っている。ギリギリのところで凛華を突き放した。裏切ったのはまず自分だった。

「俺、もう一回戦います」

「無茶を言うな。今の君を戦わせられるものか。なんだ? さっきの戦いぶりは。まるで命知らずの勇者じゃないか。君はそんな人間ではないはずだ。アドレナリンに唆されて何を血迷ったか知らないが、むざむざ死ににいく人間を見送るなど私にはできない」

 勇気だけでそうしたわけでもないけれど、耳が痛い。

 どうにか動く首を持ち上げて確認すると妙なことになっていた。シャツが破けていて、その下に赤黒い塊が見える。胸にべったりと張り付いた、まるでカサブタだ。

「これは……」

「スーツは既に限界を超えた。抑え切れなかったダメージを回復させることもできず、今は全機能が治療に集中している。この状態を実際に見るのは私も初めてだ。君はもう戦えない」

 この状態で変身中ということらしい。言われてみれば鼻が涼しい。

「それじゃあダメでしょ。戦わないと」

 轟音一向に遠ざからず、逃走がうまくいっているとは思えない。きっといつかは撃ち落とされる。

(俺が、戦わないと)

 呼吸をするだけであちこち痛む。針で串刺しにされ固定されているように身動きできない。集中するとどうにか手だけは動かせた。急げと念じて胸のカサブタに向かって少しずつ言うことを利かせる。

「なにをするつもりだ。動けるなら具象虚影の展開を手伝いなさい」

「そういう地味なのは助手の仕事でしょ」

「私を助手と呼ぶなら、君は私に避難誘導を任せただろう? 君はマボロシに過ぎないあの場所を〝学校〟と認識した。だからみんなの避難を頼んだ。ならばそこで過ごした君も誘導対象だ。教えたはずだぞ、君はあの学校の生徒で、私の教え子だ! 一人前に育つその時まで導く義務がある!」

 必死に操縦桿を操作している先生。他人のことは言えた口じゃない死にたがりだったこの人がこうも懸命に生きようとしている。その理由はひとりじゃないからだ。

「私が戦う理由は君だ。だが君には理由が無いはずだ。肉親を失った悲しみを感じる記憶も無く、仇を打つ力も無い。だからもう大人しくしていろ! 

……いや言い過ぎた。悲しくないはずは、無いよな」

 自分の発言を呪うように唇を噛んでいる。こんな時でもそんなところに気が回るらしい。この人はきっと強いヒーローだった、そんな気がした。ならこの人だけでも生かしたい。一度は挫けたけれど、宇宙にはこういうヒーローが必要なはずだ。

「俺も先生を生かしたいっていう理由じゃダメですか? 助けてもらったし、凛華凛華に会わせてもらった。恨んでなんかいません。感謝してます」

 好きになった相手が過去の幻影で、しかも既に死んでいる。それを知って失恋の痛みが無かったとは言わない。けれど、それでも戦おうと思ってここに残った。

「俺はこの痛みを傷だなんて思ってない。追い詰められて他人をマボロシに放り込むほどウジウジ悩むぐらいなら開き直ったほうが良さそうだって、先生から学んだだけです」

 そろそろとしか動かなかった手がようやく胸のカサブタに届いた。スーツが変形したというこれをまずはどうにかしなくてはならない。変身を解除して完全回復からもう一度変身。無理とは言われたが、その無理を通さなければここから先は無い。

「痛いから怖いからって隠れてたって良いことは起きないんだ。バーチャルでごまかしてないで、『痛い、辛い』って正直に言えばよかったんだよ。日や風に当てたほうが早く治ることもあるって、それを見せてやる」

 ぐっと指に力を込め掴むと血が吹き出るのが寝た姿勢からも見えた。弱気が顔を出しそうになるのを、大声を出して抑えた。

「傷口ぃぃ――晒せぇぇっ!」

 自分で自分を引き裂く、そんな痛みで気が遠くなる。楽になりたくて消えようとする意識をギリギリのところで額の締め付けが留めているような気がした。

「凛華ぁーっ!」

 剥がしきった手応えと同時に光が溢れて、すぐに止んだ。敵のレーザーに飲まれたかと思ったけれどケガもなければ飛行機も損傷していない。

「どうした、今何が起こった! 無事か?」

 先生さえ混乱している。

「無事――とは言いがたいな」

 カサブタを剥がした胸から出血している。忠告された通り完全治癒とはいかなったようだ。

「それでもいい! また変身さえできれば戦える」

 横へ転がって体を起こすとボトボトと血が垂れ落ちた。手足はこのままのたうって苦しんでいたいのかガクガク震える。脈打つ度に強い痛みを起こす心臓はどんどん活動を早くしていく。傷口から飛び出しそうだ。

「いいぜ、飛び出ろ」

 手すりにもたれかかりながら立ち上がる。失血のせいか足に力が入らない。

「心臓ぶっつけて倒してやる。まるごと体当たりだ!」

「何を言っている? 妙なことは考えずにしっかり捕まっていろ! 上空へ飛ぶぞ!」

 周囲に遮蔽物はすっかり無くなっていた。見渡す限り虚影と現実が混じった瓦礫の海で身を隠す場所もなく町の面影もない。守りたかったものの壊れたあとを、その残骸さえも無くなってしまった。

(関係無い、俺は始めから何も持ってないから……なんて思わないけど)

 額のハチマキリボンを意識する。凛華がこの光景を見ればきっと悲しむと思うことが、諦められない大きな理由だ。

「有効とは思えないが雲に紛れて逃げられるところまで逃げる! 全開で飛ばすから、振り落とされないようしっかり掴まっていろ!」

 機体はほとんど垂直に角度を上げて空へ向かう。加速と風圧で手すりに押し付けられる。

「いや俺はまだ――」

 まだ戦う。飛び降りて変身するつもりで、異常に気がついた。バンソーコーが無い。変身を解除しているにも関わらず、何度鼻をさすっても触れる物が無かった。

「落とした……? ダメだ、先生! 来た道戻って!」

「無理を言うな! 壊れたスーツを回収する意味は無い! 変身できたとしても勝ち目は無い。見ろ! ここには君が戦う理由など――」

 振り返った先生が声を途切れさせて硬直した。地上を見下ろして愕然としている。

「なんだ……あれは」

 どちらが発した言葉かもわからないくらい同じものに見入る。上昇して追いかけてくる巨大飛行物体の向こうに見える壊れた町。その表面に更に大きく大きく広がっているものがあった。バンソーコー。町にバンソーコーが張り付いている。

「あれって……ケガ人マンスーツ?」

「スーツが町を……君の痛みと認識したとでも言うのか」

「だったら――」

 確信めいたものが自分の中に生まれた。思い切り吸い込んだ空気を一気に吐き出す。

「ケガ人マン・ビぃイイイーム!」

 地表から伸びた光の柱が目の前に現れた。巨大飛行物体は貫かれ、爆発し粉々に砕け散っていく。思わず手すりを掴む手に力が篭った。

「よっしゃあ! って、熱っ! 熱ぅ!」

 光線の熱風がここまで届いている。

「先生熱い! すぐ離れて!」

「わかっている! それより君はあれを止めろ!」

 敵を粉砕しても光の柱は消えることなく天に伸び、更にその太さを増して貪欲に空間を飲み込もうとしていた。

「そんなこと言ったって止め方なんてわからないですよ! え、もしかしてバンソーコー剥がしにいかないといけないの?」

「それは無理だ! もう近づけない!」

「持ち上がらないよあんなデッカイの! ってうわぁぁー!」

 風に煽られて飛行機がきりもみ落下を始めた。血で滑って手すりから指が剥がれ、体が浮く。

(ヤバい!)

 先生が上から覆い被さって押さえ込んでくれた。

「これではまた抱きまくらだな」

 胸に押し付けているせいで血が移った顔で笑う。

「最後にとんでもないものを見せてもらった。私はもう満足だよ」

「えっ、なに、諦め? いやちょっと待って! 俺死にたくないんですけど? っていうか操縦! ヤダー! 死ぬのコワーイ!」

 足元まで迫っていた光が更に伸びてきて飲まれる瞬間、壊れる前の町並みが見えたような気がした。

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