第十話

 椅子に座り胸に化膿止めのクリームを塗られる。胸の傷はそれほど深くはなく皮一枚がめくれている程度で、大人しくしていたらほとんど血は止まった。とはいえ直視したくは無いので治療の間ずっと天井を見上げ続ける。

「先生、アンタやっぱり性格悪いですよイぃッ! 自動で安全に着陸してくれる機能がイテッ――あるなんて俺にわかるわけないじゃないですかイタイイタイ!」

「うるさいな君は。少し染みるだけだろう。まったく、成り切れないな、君は。

それに騙したわけではない。本当に駄目だと思ったさ。レーザーに焼かれて何もかも終わりだと思った。君の往生際が悪いだけだ」

「だって死にたくないですもん」

「ほら、終わったぞ。あとは包帯巻くからバンザイして、バンザーイ」

 腕を上げると椅子をくるくる回され、そうして巻きつけられた包帯でガーゼが固定される。

 回る景色で見えるのは馴染みのある保健室だ。まだ自分を外家ナオと思い込んでいた時に、今治療をしてくれている本物が「ヤシ子先生」と名乗って潜入していた校舎の一室。ただし具象虚影と違って、今回はこれも本物だ。ここだけでなく町並みの何もかも復元している。窓の外には銭湯の煙突も見える。風景だけは元通りだ。

「なんか、全部夢だった……みたいだなあ」

 光に飲まれたあと、飛行機が不時着したのは学校のグラウンドだった。一帯が廃墟と化した町で一目見てグラウンドと判ったのはそこが開けた場所だったからというだけでなく、隣に校舎が建っているからだった。建物の外観だけでなく各教室の椅子や机、廊下に張り出された書道の展示、それからここ保健室の包帯や薬といった備品までが完璧に復元されている。先生が今着ている白衣も包帯や薬と同様ここにあった本物だ。おかげで応急処置をしてもらうことができた。

 ただ、この町に暮らしていた人々まで元通り、とはなっていない。それ以外の何が戻ろうと、結局バーチャルとほとんど違わない見せかけだけのカラッポの町だ。

「正確なところはわからないが……町がスーツで〝変身〟をしたのならば、変身が解けて町の傷が回復したという理屈なのだろう。ただし回復とは言っても破壊前に戻ったわけではない。これは君に具象虚影で見せた、私が十才の頃の町だ」

 この風景が本当に過去の一時代と一致するのか、マボロシしか見たことがない立場では計ることができない。できないけれど、先生の緩んだ表情を見れば真偽は明らかだった。

「その……散歩でもしてきたらどうです? 見て回りたいでしょ」

「いや、折角だがよしておこう。思い出に浸れる分、現実との隔絶を思い知らされて辛いからな。一人でそんなことになれば泣いてしまうかもしれない」

「じゃあ俺が付き添いますよ」

「ム……頼もうかな。君になら泣いているのを見られても今更困らないし」

 腕組みで赤面しながら悩んでいる。謎の宇宙人ぶりが別人だったかのように素直な気持ちを表してくれていることが、くすぐったくて照れくさい。でも嬉しい。

「なんだったら早速行きましょうよ。よいしょ――イテテダダダダ! なんだこれ、痛い! 痛くて死ぬかもしれない!」

 少し動こうとすると体のあちこちが引きつって痛んだ。擦り傷にヤケドとあちこちにできているのでどう動いてもどこかの皮膚が引っ張られて傷が開く。

「ほら、無理をするな。横になって休んでいろ」

 肩を借りて移動して、ベッドに寝転ぶ。ほんのそれだけの移動で脂汗が出た。

「これじゃあ散歩の付き添いは無理だな。どちらかというと君のリハビリに見えてしまうだろう」

「面目ない」

「気にするな。その辺りを見て回るだけなら、救援の到着を待ってから乗り物を借りたらいい」

 窓の外からそよそよと風が流れ込み、ベッドの仕切りのカーテンが揺れた。のんびりした時間だ。記憶の限り初めてのことかもしれない。

 今は何のプレッシャーもなく、することもない。随分前に出したらしい救援信号のリアクションを待っているところだ。

「あのー……これ言うと本当にそうなりそうだからあんまり言いたくないんですけど、これもしかして敵の増援のほうが先に着いたりすることってあります?」

「さすが、心配性だな。案ずるな。こちらの味方がもう近くまで来ているはずだ。なにしろ機器はすべて壊れてしまったから通信もロクにできないが、今到着したとしても遅いくらいだ」

「でも今すぐ敵が現われた場合は間に合いませんよね」

 更に聞くと、少し間を置いて先生は声を出して笑った。

「そういうこともあるだろう。宇宙はそういうものだ」

 疲れのせいか、先生は諦観の悟りに辿り着きつつあるようだ。ケガ人マンビームの光に飲まれた時の心境に逆戻りしている。

「いや待って、俺それイヤなんですってば。やっぱりケガ人マンスーツ探しましょうよ!」

 ケガ人マンスーツはビーム以降も失っている。もしかしたらと期待はしたもののいくら待っても鼻に戻ってはこなかった。

「きっとまだ町のどこかに落ちてるんですって! あれさえあれば敵が来てもとりあえず戦えるじゃないですか。ケガだって治せる!」

「奇妙なことが起こりはしたが、あれはもう壊れていると教えたはずだ。戦いはもちろんケガを治すことも不可能だ。

それに家に設置してあったすべての装置は流れ弾で壊れている。所在地を探知することはできない。もう乗り物も無いから自力で町中を這い回ってバンソーコー一枚を探すつもりか? 少なくともそのケガでは無理だな。君の主治医としてさせるわけにはいかない。絶対安静だ」

「だったら先生探して来て下さいよ!」

「君、さっき話したばかりのことを忘れたか。私をこの町に放ったら泣いてしまうぞ」

「なんですかそのバランスの悪い板挟み。死ぬか泣くかって、命と比べたら片方の板薄すぎるでしょ」

 冷静に反論すると先生は両拳を握って顔に当てた。

「うぇーん、うぇーん」

 泣きマネのつもりらしい。けれど棒読みと真顔のせいでファイティングポーズを取っているように見えてしまう。

「どうした、急に黙るな。何かしでかしたかと不安になるじゃないか」

「いやなんというか……先生って結構子供っぽいところあるんですね。いい年して泣きマネって、充分しでかしてますよ」

 心から素直に指摘すると先生の顔が一気に真っ赤になった。

「君、そういうことは思っても口に出さないことだ。恥をかかせて楽しむ趣味があるわけでもないだろう。女の涙を軽んじられるし、まったく君には散々だ」

 肩をすぼめ白衣の袖を伸ばして顔を覆っている。少しかわいいと思っても、今はそんな風に和んではいられない。

「いや、だから落ち着いてる場合じゃないですって! 今すぐスーツ探しに行って下さいよ! 泣いたってまた夜に慰めてあげますから!」

「君、くれぐれもそれを言いふらしてくれるなよ。そんなおかしな言い方ではあらぬ誤解を生む」

 袖を少しずらしてまだ赤い顔を見せる先生が何を言っているのか、思春期の頭脳はすぐに導き出した。

「言っ――言わないですよ。将来の責任を取らないといけなくなりそうですし」

「君が困らないと言うなら……私は構わないぞ」

「先生との既成事実なんて要らないですよ。困ります。俺には凛華がいるんだから」

 すり合わせていた袖を離して、その隙間から睨まれる。

「君の知る鹿児凛華は現実には存在しない――私のイメージを基にした産物だと教えただろう」

「そんなことわかってます。でも落ち着いたらもう一回、今度は俺用に凛華を作ってもらいますからね。バーチャルな恋人だって俺の時代ならフツーですよフツー。憶えてないですけど」

「君はなかなか気持ち悪いな。そんな気色の悪い試みに参加したくはない」

 先生はまだ不満そうにしている。自分の思い出を他人に拠り所にされるというのはあまり気持ちの良いことじゃあないかもしれない。それでも協力してもらわなければ困る。これからの人生には例え具象虚影であろうと凛華がいなければつまらない。

「そもそも先生が凛華に逢わせたんじゃないですか」

「君がそんな性癖に目覚めるとわかってさえいれば他の方法を試したさ」

「こういうの性癖って言います? 次元の果てまで行って折り返してきてもまだプラトニックですよ」

「君に性癖の講釈など聞かされたくない。

それから、私と君の時代がかけ離れているような物言いはよしてもらえないか。この星は宇宙からの技術提供を受け入れて以来急速に文明が進歩しただけで、君と私はほんのひと回りくらいしか違わないのだからな」

 なんとなくまったく別の時代と思い込んでいたけれど、考えてみればこうして同じ時間を生きていて、それほど老けてはいない。

「あれ、じゃあ先生って何歳なんですか? 凛華と同級生ですよね。二十歳くらい?」

 もし凛華が今も生きていたら先生と同じく大人に成長している。この際なのでバーチャルという点を最大限に活用して色んな年代の凛華を拵えるのもいいかもしれない。少しヤケクソだ。

「君……さっきからなんだ、凛華凛華と。君を助けたのは私だろう?」

 先生が急に憮然とした態度になった。まだ若く気にするような歳でもないとはいえ女性に直接年齢を聞くのはまずかったか。

「そりゃまあ、先生が恩人なのは変わらないですけど。だからって凛華に救われてないってコトにはならないですよ。好きな人を気にして何が悪いんですか」

 相手がもうこの世にいなくても想いは消せない。そして皮肉なことに凛華のことを話せる相手は先生しかいなかった。

「先生に否定されたら、ホントに凛華はいないことになっちゃうじゃないですか」

 辛くなって涙が溢れた。今は投影装置が壊れているから、凛華を呼ぶことができない。機械がなければ存在できない仮初で、機械さえあれば存在できる軽薄。儚く、同時に他愛も無い。

「否定したいわけではないんだ。ただ彼女のことで苦しく思う必要は無いというか……」

「苦しくならないわけないじゃないですか……凛華ぁ!」

 感情が昂ぶって抑えきれなくなった。呼び声は自分でも情けなくなるほど震えている。

「あ、ハーイ」

 突然近くで声が聞こえてきてぎょっとした。見ればいつからそこにいたのか窓枠に腰掛けて女が微笑んでいた。先生のものと同じピッタリとしたボディスーツは宇宙関係者であることを示していて、カラッポの町に生存者がいたわけではないとわかる。

 なにより驚きが優先してしまう理由は、その女に見覚えがあったからだ。というよりも面影を残している。ふんわりとした癖のある髪。ぼんやりした眼差し。凛華に、似ている。

「え……凛華?」

「ハーイ」

 間違いなく、その女が返事をしている。少し落ち着いて入るが声まで凛華と同じだ。先生と同じくらいの歳で、限りなく凛華に見える宇宙関係者。投影装置が実は復活していてさっき妄想した〝凛華が生きていたらバージョン〟の設定を無意識に構築してしまった、というわけでもなさそうだ。

「凛華」

「だから『ハイ』だってば。ここにいますよー。記憶喪失クン?」

 近づいてきてグリグリ頭を撫でられる。

「えーと……とりあえず」

 視線を転じ先生を見ると壁を向いていた。気まずそうにする空気が背中滲み出ている。

「どういうことか、説明を」

「その……なんだ、本人だよ。そこにいるのは実在する本物の鹿児凛華だ」

「えぇっ? だってアンタ、俺の知ってる凛華は存在しないって言ったじゃないか!」

「嘘は教えていない。君が知っているのは私のイメージを基にした、十才当時の凛華だ。いくらか美化されているから多少なり現実とはズレている。具象虚影の町を守りたいと君に思ってもらう為にもそのほうが都合がよかった。それに、私にも自分の半生が良い思い出であってほしいという願望はある」

 この言い分に大人凛華(?)が反応した。目を細めて口を尖らせている。

(あっ、見たことある顔だ)

「なーんか引っかかる言い方だなー。それじゃまるで私が悪い思い出みたいじゃん」

「助手になると言っておきながら抜け駆けしてひとりだけ合格したくせに、よく言う」

「私だって一緒に受かりたかったのにナオが勝手にヒーロー試験落ちたのがそもそもの問題なんじゃん。ていうかまだ言ってるのー? 予備合格したから一緒の同期ってことでいーじゃん。違うって言うなら先輩にその態度はどうなのー?」

 凛華らしき女は窓枠を降りて先生に軽く肩をぶつけ始めた。完全に置いてきぼりにされている。

「ええとー? あー……ゴメンナサイ。全然理解できない迷える子羊がここにひとり」

 空いた手で頭をかきながら手を挙げると、何か答えかけた先生を制して凛華のような女が笑顔でこっちを見て指を立てた。

「私は鹿児凛華。この町の出身で高3の進路希望で『ヒーローになる』って答えたちょっとどうかしてる友だちがいて、この星が宇宙連盟の傘下に加わってから始まったヒーロー公募に付き添い感覚で応募したらその友だちより先に採用されて、今は宇宙ヒーローやってまーす」

「あっ、わざわざ余計なこと言った。絶対鼻にかけてるんだコイツ。今の聞いたろ。なっ? 美化したくもなるだろ?」

「大事な友だちと思ってるくせに黙っててください。なんですかそのリボン紛らわしい。そんなにボロボロになるまで使ってたら形見の品だって誰だって勘違いするんじゃないですか」

 突然のことで喜んでいいのかわからない。それに知っているのは十才の美化されたバーチャルで、この当人とは別人と言える。

「これは、何かで飾ってないと凛華がウルサイから……。君は、もっとちゃんとしたのをつけたほうがいいと思うか?」

 しょんぼりして人差し指を突っつき合わせている間にリボンが新しい大きな蝶々リボンに付け替えられている。まったく気がついていない。

「じゃあ話を戻すね」

 友人を勝手にイメチェンして、満足そうにコホンと咳払いをする。

「ここに到着するのは時間がかかっちゃったけど、君の話は聞いてたよ記憶喪失クン。ナオがごめんね、変なことに巻き込んじゃって。私は止めたんだけど考えがすぐ偏っちゃうからすぐ思いつめて変な暴走するんだー、ナオってば」

 具象虚影が自分を呼んだ時とまったく同じ発音で先生を呼んだ。それでようやく受け止められたと同時にひどく寂しい気持ちになった。いきなり部外者にされた気分だ。

「その……落ち着いたらきちんと教えるつもりでいた。君は凛華が死んでいると思っていたがこの通りそれは間違いだ。星は滅びたが、私はもちろん凛華もその前に宇宙へ出ていたからこうして無事だったというわけだ」

 先生の捕捉に相槌を打つ気力も湧かない。反対に凛華のほうが大きな声を出した。

「えぇー? やっぱりこの星滅びてるの? ちょっと見て回ったけど、どうしてこの町だけなんともなってない――っていうか、必要以上に懐かしい気がするんだけど。どっちかっていうと私が説明してほしいくらい」

「間違いなく滅びているさ。 だから誰かを探しにいくのはよしておけ。私が充分探し回ったし、墓を用意するだけで嫌になるほど泣いた」

 そんなことをしていたとは知らなかった。寝不足になるはずだ。

「あの……使いますか?」

 両手を上げて見せて固まる。

「なにそれ、ヨガ? こんな時になにふざけてるの」

 凛華のほうはわかっていないが、先生には伝わった。抱き枕と化していると。

「私はいいから、そっちに貸してやってくれ」

 見れば凛華がボロボロと泣いている。

「えっ、おわっ? そっちはちょっと……やっぱり凛華だし緊張するというか」

「私が相手だと緊張せずに乳を揉めるということか。あとで指導が必要だな」

 先生が刺々しい視線を送ってくるので他所を向いてかわした。

「本当に? 本当にみんな助からなかったの?」

 凛華は先生の胸へ飛び込んでしゃくりあげ始めた。この星は彼女にとっても故郷だ。

「ああ、見つかったのは彼一人だった」

 自分も状況は変わらないはずなのに、記憶が無いせいでその悲しみに参加できないでいる。なんだか申し訳ない気持ちになる。

「ひぐっ、もう仕事するのヤだ。これ……ナオ自分で読んで」

 凛華は掌を広げ、その上に虚影を呼び出した。文字が並んだテキストデータだ。こちらからは裏側で反転しているので文面はわからない。

「はぁ……なんだこれは?」

「そこの記憶喪失クンのデータ。調べといた」

 自分に関わりのあることと聞こえてベッドから転げ落ちて詰め寄って痛みを堪えながら横から画面を覗く。

「心圧強化実験……なんだこれ、難しそうな内容ですね」

「これがどうした? 彼のデータなら私もまだ生きていた端末を洗ったが、何も出てこなかったぞ。一度でも宇宙に出ていれば検疫の記録があるはずだから、その辺りまで入念に調べた。それでも何も成果は無かった」

「そりゃ……人を探したって見つからないよ。この子、違法実験の素体だもん。モルモットだよ」

 腰から力が抜けてぺたんと尻もちをつく。悲しみが追い付いてきた。いや、これはもう二人を追い抜いているんじゃないだろうか。

「えっ……じゃあ俺の失くした記憶って?」

「少なくとも普通に生活してた記憶は無いはずだよ。秘密の施設で隔離されてたはずだから。

ヒーロースーツの原動力になる心の力を増幅して伝導させる為に人間のほうを強化することが目的の超情熱家計画の被験者、それがキミ。もちろんそんな実験違法だけどね」

「なら私が見つけたのは個人用のシェルターではなく……彼の保管庫だったわけか」

「そんな物みたいな言い方やめてください!」

 つい声を荒らげてしまった。先生が萎縮する。

「す、すまん」

「登録上は物なんだけどね。実験の備品。そういうコトにしとかないと、人間だってバレたらマズイし。

あ、あとナオはクビだって」

「はぁ?」

 言い方の軽さの割に先生の反応は凄まじかった。あんぐりと口を開けている。

「正規スーツの破損はまあいいけど、帰投の指示無視してこの星に留まったでしょ? 命令違反で懲戒解雇」

「そんな、実家も無くなったのに来月からどうやって暮らしていけば」

「退職金は出るみたいよ」

 それぞれ想像もしなかったことを告げられて、先生と一度顔を見合わせてから、それから二人揃ってぼんやり天井を眺めた。


 学校の屋上に三人体育座りで並び、呆然と町の景色を眺める。

「町の形はそのままなのに……静かだなあ。本当に誰もいないんだね」

 凛華は故郷を失った悲しみ。

「家は復活しているはずだからとりあえずそのまま住めるか……食べ物はまだ発掘できるからしばらくは食いつなげるとして、その後は……」

 先生は故郷と職を失った悲しみ。

「高校の近くにさ、もんじゃ焼きあったじゃん。店があならあれ食べれる? ナオがバイトのまかないで食材食べ尽くして潰した店」

「あー……無理じゃないかな、少し遠いし。あったなあ、そんなこと」

「うん、懐かしいね」

 二人は淡々と話している。声に抑揚がなく呟くようで、注意していなければ聞き逃してしまいそうだ。その気力が無いから実際聞き逃しているかもしれない。

「俺は……どうすればいいんでしょうか」

 記憶を取り戻して自分のことがわかれば希望は見えると期待していたのに備品だった悲しみ。二人の辛さに共感することは、とうとうできなかった。

「当てが無いなら二人で農業をしないか?」

 先生からの誘いが悪い冗談にしか聞こえない。

「そうですねえ……町の復興はしたいと思ってたんですけど。ここ、また攻めて来られるんじゃないですかね。とりあえず別の安全な星に移住したほうがいいような」

「難しいよソレ。だってキミ、戸籍無いもん。キミの人権を保証する団体が無いってコト。ナオもヒーロー除籍されてるし母星はこの有り様だから状況は同じだけど、パスポートはあるから亡命手続きさえちゃんと踏めば時間はかかってもなんとかなるでしょ。

でもキミは違法実験の証拠品だもん。もし関係者が他の星にいたら、キミ抹殺されるよ。ていうかいるよ、絶対。だってこんな宇宙連盟に加わって数年しか経ってない星が単独でそんな実験するはずないもん。きっと他の星の有力者がたぶらかして場所だけ借りたんだよ。宇宙政府に見捨てられちゃうくらいの田舎だから見つかりっこないって」

「そうっスか……」

 備品なだけでなく関係各位に処分を検討されている。ますます気持ちが落ち込んだ。何かを知ればそれが前進になると思っていたのに、地獄への一歩を積み重ねている。

「どうにかならないか? 彼を助けたい」

「私初対面だしそんなに思い入れ無い」

 別人でも一応は同じ凛華に冷たくされて悲しくなる。

「頼む。彼は備品は備品でも私の大切な抱きマクラなんだ。連れていけないと困る」

「なにソレ? でもそうねえ……方法が無いわけじゃないよ。当然素性は吟味するけど、基本的に実力偏重主義で色々と切羽詰まってる組織に心当たりがあるんだけど」

 少しずつ、声に力が戻っていた。

「そうか……! 全天平和維持機構に所属すればヒーローとして権利を保証される」

「え、なんて言いました?」

「すべてのヒーローを統括する組織だ。君には非常用スーツで敵を撃退した実績もある。採用は充分見込めるぞ」

 新しいことが次から次で飲み込めない。

「わからないのか? ずっと私が求めてきたことだろう。君はヒーローになるんだ」

「丁度いーじゃん。元々ヒーロー向けの実験をされてて、そういう意味ではサラブレッドってワケだし。人員もひとり減ってるから歓迎されるんじゃない?」

「あ、私のことだな。それはいかん。君、その枠を私に譲りなさい。君はヒーローよりも私の抱きマクラが相応しい」

「ねえ、さっきからその抱きマクラって言うの気になってるんだけど。もしかしてナオ、この子を慰み者にしたの?」

「それはある意味で間違ってはいないが……。少し乳を揉まれただけだ」

「うわぁ……呆れた。こんな小さな子たぶらかすなんて女としてどうなの」

「ウルサイ! 揉まれるほども無いくせに! 十才で止まって結局ほとんどブラジャー要らなかったくせに!」

「あっ! あっ! それを言っちゃうんだ!」

 立ち上がって取っ組み合いの大騒ぎをする二人を冷めた気持ちで眺める。

(だから揉んでないって)

 謎の組織に命を狙われながら今後も抱きマクラとして過ごすか、それとも、ヒーローになって宇宙の悪と戦うか。なにやら凄い選択肢を突きつけられた。

「人の外見的特徴を馬鹿にするのって良くないと思いますー!

折角ここで起きたこと報告して戦果もあったわけだから解雇を取り下げるよう嘆願してあげようと思ってたのにな!」

「え……嘘です! そんなわけないじゃないですか先輩! 先輩ボイン! ボインです先輩! ボインでぇーす!」

「無理があることを繰り返すさないでよ! ムカつく! ……それで」

 急に凛華がこちらを向いた。

「本人の希望はどうなの? 覚悟があるんなら、私がキミを寸前尺魔の宇宙へ連れて行ってあげる。宇宙の為に戦って、傷ついてそれで切り捨てられる覚悟はある?」

 きっと痛いことや辛いことがたくさんあるだろう。それでもそのことに何か意味を感じることができるのなら、苦しむ甲斐はあるかもしれない。そう思って差し出された手を取った。

「よろしくお願いします。でもやっぱりそのー……あんまり痛くない方向で」

「その甘い考えを捨てられないなら私に採用枠を譲って君は抱きマクラでいなさい」

「部外者は黙ってろ」

「そんな先輩」

 癒せる傷もそうでない心も、どうか無理はせずお大事に。


 完


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