第六話

「さあ、時間は無いぞ」

 先生は腕組みで満足そうにしている。既に何かやり遂げたかのような表情だ。

「ああくそっ! めっちゃ文句あるけど、今言ってることだけは間違ってない。文句言ってる時間は無い! 

あれ、これ……」

 砕かれた左肘を見ればると腕が分厚いギプスで覆われていた。こんな変身は見たことがない。おまけに顔にバンソーコーも無い。鼻からも無くなっている。

「なんだこれ、見たこと無い……ケガ人マン?」

「教えたはずだ。そのスーツはケガの種類に応じて変化する。戦闘用としては三級品だが、柔軟な発想に従ってくれる優秀な道具だ。骨が折れても問題なく動けるようスーツが補助してくれる。自在にイメージして使いこなすがいい。町の不良程度ではその必要もなかったことだが」

 痛みは残っているが砕けたはずの腕が動く。理由があって、力があるなら。体の中に燃え上がるものを感じた。

「行きます!」

 ひとっ飛びに貯水槽の上に飛び移る。旅行カバンを掴んだ時、表示された残り時間は10秒にまで迫っていた。

「充分だ!」

 旅行カバンを抱え、全力で真上へ跳ぶ。風切り音が止まった時、視界は空と雲で埋まった。

『言ったはずだ。それだけでは距離が足りない。自分を盾にするか? 自爆を覚悟する勇気もダメージを軽く抑えられるとわかったうえでは余計に賞賛するわけにはいかないな』

 骨折は「軽いダメージ」というのが宇宙の見解らしい。普段なら聞いただけで卒倒しそうだが、今はアドレナリンの高揚が守ってくれる。

「だから、もう一つ!」

 体を捻って更に上へ、旅行カバンを投げ放つ。これでも足りないかもしれない。届いていたとしても、残り時間が余って落ちてきてしまうかもしれない。だが、ここまで来たらもう残り時間は関係無い。

「ついて来い、宇宙の不思議な技術!」

 左腕を包むギブスを構え、旅行カバンに狙いをつける。すると、ギブスの先が開いて砲身のようなものが現れた。

「ケガ人マン、ファイヤぁああ!」

 視界が光で埋まったかと思うと強烈な圧力を感じて体が地上へ引き戻される。背中が何かに衝突して左腕に激痛が走った。

「なんだ! 何が起こった?」

 あっという間の出来事で混乱する。周りを見れば屋上へ戻って来ていた。落下地点が窪んでいる以外には何も起きていない。

 そこへ何かの破片が落ちてきた。壊れた旅行カバンだ。

「お見事。砲撃で爆発に指向性を持たせることで被害を抑えた」

 隣で宇宙人が拍手をしている。顔は少しも笑っていない。妙な不安を覚えた。辺りが静かで胸騒ぎがする。

「君は立派にヒーローとしての自分を示した。これ以上の証明は一切必要無い」

 ハッと気づいて血の気が引ける。アドレナリンの高揚も冷めた。マズイ。非常にマズイ。ヒーローとして完成したから、宇宙に連れて行かれる。

「いや待ってちょっと待って! だって俺まだ記憶戻ってないですし! この世にまだ思い残すことがですね!」

「君はもう何も話さなくていい」

 宇宙は問答無用らしい。元々記憶にはこだわられていなかったとはいえ、納得できない。

「ええっとでも、また宇宙ヒーローになってもここにまた戻って来られるんですよね? 前はそうしてたわけだし」

 それならまだ望みはある。誰か代わりの、もっと相応しいヒーローを仕立てあげる案はまだ生きている。絶対に諦めないぞ。

「いいや、君はこの星とはもうこれっきりだ。これからすぐ別の星へ移動してもらう」

「そんな! 雇用条件前より悪くなってるじゃないですか! 実家から通える距離で赴任先を探してくださいよ!」

「断る」

 宇宙人は聞く耳を持たない姿勢を崩さない。表情すら変わらない。

「コマンドコントロール、退院」

 何を言ったのか不思議に思っていると、気がつけば左腕のギブスが無くなっていた。痛みも完全に治まって鼻にバンソーコーが戻っている。

「えっ、何? 今の」

 驚いている間に宇宙人が近づいてきて鼻のバンソーコーを引き剥がされた。信じられないことに、引き剥がされた。皮膚を引っ張られる痛みに反射するのも忘れて愕然とする。

「ええっ? あんだけ何やっても取れなかったのに」

「このスーツが君よりも私に従うのは当然のことだ。何しろ本来の持ち主は私だからな」

 宇宙人が指を弾くと辺りに煙が立ち込めた、かに見えたが、違う。周囲に現れた灰色は変貌した景色だった。瓦礫だらけの壊れた町並み。見渡す限りが荒れた廃墟に変わっている。

「はぁ……これ、一体なんの冗談なんですか?」

「これが本来のこの星の姿だ。君が今まで見ていたものは装置で投影された虚像に過ぎない。君が言う宇宙の不思議な技術というもので、現実ではない」

 数秒固まる。

「意味がわかりません」

「この星は敵対する勢力の攻撃を受け、2週間前に壊滅した」

 2週間前。記憶を失って目覚めた時と一致する。

「私は君を騙していた」

 膝が落ちた。校舎の屋上も散々暴れた結果よりもずっと朽ち果てていて、ところどころ鉄骨がむき出しになっている。

「それじゃあ……何もかも嘘だったって言うんですか?」

 否定してほしい。こんなタチの悪い冗談でもいくらでも許す。だから、否定してほしかった。

「町も物も人もすべて私が作った、具象虚影のバーチャルだ」

 予想以上にショックな回答だった。

「だってみんな生きてて……テロリストとだって戦ったのに?」

「まだそれほど普及してはいないが、最新の立体虚像は擬似的に具象体を持つ。触れることもできれば、壊すこともできる」

「食べ物は? よそで食べましたよ、フードコートとか、凛華の家でおかしとか!」

「それらも私が用意した。壊滅したとは言っても、掘り起こせば食品などはまだ食べられるものがいくらでも出てくるからな」

「じゃあ本当に……全部?」

「何もかも壊されている。例外は君だけだ」

 絶望する。

(凛華が……いない)

 支えにして、心を奪われた笑顔が、もう亡い。

「君が自分のことを調べ、バーチャルから聞かされた過去の自分というものは君の失った記憶とはまったく結びつかないものだ」

「全部無駄だったんですか。どうしてそんなことを」

「全てはヒーローが立ち直る為だ。その一点だけは嘘ではない。ヒーローとして守るものを自覚し、再び立ち上がる為だ」

「なんでこんな回りくどいことを? 俺をヒーローに戻したいなら――」

「君ではない。ヒーローに戻らなければならなかったのは私だ」

 もう、何もかもがひっくり返った。

「それってどういう――」

 問い詰めて洗いざらい吐かせようと宇宙人を振り返った、けれど、言葉が詰まってできなくなった。宇宙人は白衣を着ていない。ピッタリとしたボディスーツで、顔以外ほとんどを包帯で覆っていて至る所に血が滲んでいる。無表情は、その痛みを堪えてのやせ我慢にしか見えなくなった。

「先生、それ……なんで?」

 虚像は町だけじゃあなかった。

「君は私のことを宇宙人と思っていたようだが、私は間違いなくこの星の出身だ。もう随分帰っていなかったがな。君と同郷だよ。

だから私はこの星を守りたかったのだが、手遅れだった。そうしたことはこの宇宙のあらゆる場所で起きていて、宇宙政府はこの星を守りきれなかった。

私はこの星中を回って生存者を探したが、発見できたのは君一人だけだったというわけだ」

「そんな……そんなことって」

 この星唯一の生き残り。記憶は無いといっても家族を失ったと知って胸が傷んで涙がこぼれた。震えている腕が他人の体のようだ。

「敵は無人兵器を残していて、それと戦った結果がこのザマだ。持っていた本来のヒーロースーツもその時に壊れてしまった」

「そんなケガ、ケガ人マンスーツを使ってれば治るはずじゃないですか! なんで――」

 言いながら、すぐにわかった。

(ああ、俺を守る為に使ったのか)

 ケガ人マン変身の理屈を考えれば当人が失神していても使うことができる。それともただその時のことを憶えていないだけかもしれない。

「でも、そんなの……俺を助けたあとに傷を治せばいいじゃないですか。

なんで俺をヒーローになんてしようとしたんですか? もしかして俺を身代わりにして自分は降りようとしてたんですか?」

 自分でも違うとわかっていた。そんな利己的な願望を抱く人間が、こうしてじっと痛みに耐えているわけがない。そんな卑怯なことを考えるのは自分だけだ。

 現実をとにかく否定したくて、無意味な反論を繰り返している。

「このスーツを使わなかった理由は、私が罪人だからだよ。その資格が無いからだ。

君を痛がり恐がりとバカにしたが、実を言うと私は君のことを責められる立場ではないんだ。……戦うことが恐くなってしまった。故郷がこうなってしまったのを見て、これ以上戦う理由がわからなくなった。そのような者はヒーローとは呼べない」

 言う通り、ここには守るものが何も無い。

「君が何度も言った通り、痛いことは恐いことだ。それは体ばかりのことではない。心も然りだ。だからこそ私は戦えなくなって、君は記憶を失くした。

しかし私の罪は戦えなくなったことではない。

君を助けて記憶喪失になっていると知った時、ろくでもないことを思いついた。それこそが私の罪だ」

 唾を飲み込む。自分が陥っている状況の原因が、やっと聞ける。

「もしも何もかもを失った君がヒーローとして立つことがあるのなら、私ももう一度ヒーローになれるかもしれないと、君に個人的な希望を託した。それで非常用のスーツを与え、虚像の町を作った。学校も不良もテロリストもすべてが私の仕込みだ」

 呆然と聞く。怒ってもいいところかもしれないが、喪失感のほうが勝っている。

 今目の前にいる人物をなんと呼んでいいのかもうわからない。宇宙人、主治医、先生、同郷人、命の恩人。ただ一つ言えることは。

「ウソツキ……ウソツキ!」

「ああ、その通りだ。身勝手な理由で君を巻き込んで申し訳ないと思っている。

だがその嘘もようやく終わらせられる。君は立派に私の期待に応えてくれた。一方的な約束だが、今度は私が務めを果たす番だと思っている」

 ウソツキは満足そうに笑っている。意味がわからない。

「なんで……なんで?」

 突然空が少し暗くなった。日暮れにはまだ早い。見上げば明らかに雲とは違う黒い何かがいくつも頭上に浮かんでいた。

「なんですか、これもバーチャルですか?」

「違う。この星を壊滅させた敵の船団、その極一部だな」

 憎むべき敵。何もかも、記憶まで奪い去った敵の再来。

「なんでそんな奴らがまた――ここにはもう何も無いだろ! 来るなよこんな所!」

 影に向かって吠える。そうしたことで思い出した。さっき自分で派手な狼煙を打ち上げたことを。爆弾は虚像でも、ケガ人マンの砲撃は実体だ。

「君の責任ではないよ。2週間前に私が倒した兵器とリンクしていたのだろう。きっとそうだ。だから今から起こることも私の責任で、自業自得と言える」

 不穏な空を見上げるウソツキは強い眼差しをしている。あれは戦意だ。

「今からって……何するつもりですか? 逃げましょうよ!」

「君はそうしなさい。私たちの暮らしたあの場所へ行けば緊急避難用のポッドがある。乗り込めば自動的に発進して安全な星まで運んでくれるようセットしてあるから、君は何も心配しなくていい。

それからこれは余計なことだが……自分のわがままとわかってはいても、君との暮らしは私にとって楽しいものだったよ」

 そう言って笑う顔はどこか悲壮で、これが今生の別れだと告げている。

「いや、ダメだって! アンタも逃げろよ! そのスーツは戦闘用じゃないって、三級品だって言ってたじゃないか! そんなことする責任無いだろ!」

「逃げないさ。責任ではなく、今の私には戦う理由がある。君が無事この星を脱出するまでの間敵の目を引き付けておかなくてはならない。虚像ではない囮が必要だ」

 バンソーコーがウソツキの鼻に張られた。そしてどこからか取り出した手術用のメスを手首に突き刺す。思わず目を閉じた。

「っツぅ――。さあ、早く逃げなさい」

 辺りに血飛沫が散り、周囲に出現した包帯が眼の前にいるウソツキを中心にしてぐるぐると渦巻く。眼帯、包帯。見たこともないケガ人マンが出来上がった。元から満身創痍だったせいでどこからが変身かも判別できない。

「最後に教えておく。おそらく君は家庭に恵まれたお坊ちゃんだったのだろうと思うよ。十才と教えた君の年齢は私の推測に過ぎないが、君は私が君くらいだった頃よりもずっと優秀だ。勉強もできるし言葉もよく知っている。

それにとても両親に愛されていた。個人用のシェルターで君だけが無事に助かったのはそういう理屈があるのだろう」

 すぐには理解の難しいことばかりが続いてどう反応していいかわからない。

「あ……ウソツキ。アンタ、今だって恐いんだろ」

 やっと絞り出せた言葉がそれだった。ウソツキは驚いて、それから意地悪な顔で、よく見た顔で笑った。

「それでは君が、代わってくれるのかな」

 全身が硬直する。震えが増した。

「いや、すまない。この期に及んでいじめるつもりはないんだが、臆病な君を見ているとどうにも落ち着かないんだ。君が本当はそうではないと知っていても、自分の嫌な部分を魅せつけられているようで、どうにもな。

ああその通り、恐いけれど私は戦うよ。宇宙の平和はそうやってできていて、たまたま私の番が回ってきた、そういうことだ。

君にもヒーローの素質が備わっているからいつか君が選ばれる日が来るかもしれない。その時はどうか私のようにはならないでほしい。

それじゃあ、これからの君の人生に幸多からんことを祈っているよ。お大事に」

 広げた包帯で羽ばたくようにしてウソツキは飛び立った。見上げても点も見えない。

 別れは唐突に、ぷっつりと途絶えた。これだけたくさん話したのは今までに無かった。ヒーローが敵に向かっていくことが、とても理不尽なことに思える。納得できない。

 たくさん新しいことを聞いて、何もわからないままで、何も得られないままで。一体何を言えば、何をすれば、満足することができたんだろう。

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