第五話

「さあどうするヒーロー、どこへ行こうと宇宙からは逃げられないぞ」

「逃げませんよ。けど先生の言う、ヒーローとかはどうでもいいんです。好きな女を助けに行く、それだけ決めました。ヒーローだろうとなんだろうと、俺はあいつに応援してもらわないと何にもなれない!」

 煙突の上に立ち、宇宙人に背中を向けて曲げた膝に力を溜める。

「素晴らしい。素晴らしい動機だ」

 尻に何か刺さって痛むと同時に前へ跳躍した。薄く開いた目に巨大な注射器を持った宇宙人の姿が逆さに映る。先に目の当たりにしていたらあんなものに刺されるなんてきっと拒否していた。

 痛いことは苦手だ。変身の為だろうと自分から進んでケガなんてできない。けれど、宇宙人に頭突きを食らわさる程度では不良にだって敵わない。テロリストを撃退するにはもっと強烈な痛みが必要だった。自分でケガをするなんてできないから、どこか高い所から思い切って落ちることしか考えつかなかった。

「でもこえぇぇ! あぁぁ!」

 叫びながら銭湯の屋根に落下する。一瞬意識を失って、目覚めた時には温かい水中にいた。銭湯の湯船だ。

「ケガ人はいるか! 落下地点のことはまったく考えていなかった!」

 叫びながら湯船を飛び出す。見回せば男風呂で、昼間だけあって数人が洗い場にいるだけだった。屋根の瓦礫が浮かぶ湯船が真っ赤にそまっているのは自前の血のせいらしい。

「よし、犠牲者なーし! 俺以外!」

 ズキズキ痛む顔面に触れて確認するといつものバンソーコーで覆われている。どうやら器物損壊犯として追われる心配はしなくていいらしい。

「色々とすまない! 終わったら宇宙の不思議な科学力で元通りにさせる! それではどちら様もお大事に!」

 己の浅はかさを悔いるのはあとだ。今は片付けなければならない問題がある。痛さも怖さも今は無視する。自分のものよりも、凛華の分を先に消し去ってやりたい。

(ここまで何分かかった? 急いで――)

 銭湯から出て走ろうとするとおかしなことが起こった。地面が遥か下にある。体が空を切っていて突風は向かい風だ。脚力が人間離れしたところまで強化されている。

「これが――本来のスーツの力か」

 ケガ人マンはケガの重症度で発揮する力が変動する。煙突からの落下は間違いなく今までで最も大きな痛みだった。

『そう、それがケガ人マンだ。それだけの力があればここにいる誰も君を邪魔はできない』

 宇宙人の声が聞こえる。通信だろう。いちいち驚いたり構っている暇は無い。

「走りにくい。だったら!」

 電信柱を掴まえて一回転して反動をつけ、一気に飛ぶ。学校目掛けて一直線、途中避難した公園が下に見え、生徒や教師の上空を通過した。ぽかんと見上げる顔の誰にも、今だけはこの立場を譲れない。

「凛華を救うのは俺だけだ!」

『学校に到着するぞ、残り2秒』

 視力も強化されているようで遠くがハッキリ見える。校庭に軍服が5人。着地より先に蹴りで一人、飛んできた慣性を乱暴に譲り渡すと猛スピードで校舎に激突して動かなくなった。

 硬直する残り4人を見回し、腰に手を当てて胸を張りポーズを取る。

「宇宙ヒーロー・ケガ人マン! この俺が来たからにはもう貴様らの好きにはさせん! 俺と同じ患者になりたくなければ人質を解放して安静にするんだ!」

 悪党どもは呼びかけで正気に戻ったようで同じ数だけの銃口が一斉にこちらを向いた。

「処方に従わないならば、強制的に処置するまでだ!」

 近づこうと地面を蹴ると目標を飛び越してしまった。まだ力の配分に慣れない。

 着地した先で反転し今度は低く跳んで一人に体当たりを食らわせる。そしてすかさず体勢を直すと手近にいた一人を掴んで投げ飛ばした。悪党どもはこちらの動きにまるで対応できず目を白黒させている。不良にやられれていたこれまでと一転して、てんで相手にならない。

『油断をするな。今の君は敵を遥かに超越した存在だが、ケガ人マンの特性上攻撃がかすりでもすれば煙突から墜落した時と同じダメージを受ける。銃撃には特に注意が必要だ。連続で受ければ戦闘不能になる。君もそんな痛い思いはしたくないだろう』

 残った二人が引き金を引くと同時に横へ飛ぶと校庭を大きく横切り敷地を分ける塀まで到達した。当然、弾丸はついて来れない。

「痛みがなんだ」

 塀に踵を当て、全力で跳ぶ。

「凛華が恐い思いをしているんだぞ!」

 両腕を広げて二人同時に刈り取る。これで校庭は全滅だ。起き上がる気配はない。

『忠告は不要だったかな』

 通信を聞き流しながら校舎に入る。昇降口に騒ぎを聞きつけたテロリストたちが集まってきていた。十人ほどいる。

「人質はどこだ!」

 目的達成の為に鉄血の意思があるのか単に怯えているだけなのか、テロリストたちはどうにか標的を捉えようと銃を振ることに熱心で答えない。しかしこちらは運動性能にも慣れてきて、床も天井も関係なく飛び回っている。複数集まってきていたのが幸いして下手に撃たれる心配も無い。弾幕を張られていたら危なかった。

 全員気を失わせるとまた通信が入った。

『鹿児凛華は屋上に捕らえられている。しかし先に各階の非常階段を抑えている番兵を潰すんだ。救出したあとに攻められると厄介だ』

「そんなもの――」

 非常階段口に移動し、しゃがんで目一杯力む。

「一網打尽だ!」

 真上に跳び、非常階段を砕きながら上昇する。あっけなく屋上を飛び越した時、砕いた床の数だけテロリストが宙を舞っていた。それを空中へ掴んで屋上へ投げ落とす。無事だとは思わないが、そのまま落下して地面に激突するよりはマシなはずだ。

『お見事、それで全員撃破だ』

 着地して今度は加減して跳び屋上に降り立つ。テロリストが倒れているだけで、肝心の凛華が見当たらない。

「どこだ、凛華!」

 テロリストの腰から引き抜いたベルトで縛り上げながら叫ぶ。

「ナオ? ここ、ここだよー」

 声だけが聞こえる。どこからかと思えば貯水槽の上からだった。うっかり呼びかけてしまったが、見えない位置にいてくれて助かった。密かなヒーロー活動が知られてしまう。

「凛華っ! 無事か?」

「うん。なにもされてないよー」

 バンソーコーを脱ぎ、貯水槽の梯子を登る。煙突ほど高さはなく短いのに、凛華の声を聞いてホッとした今はこれだけでも充分恐かった。

 登り切ると凛華はロープで縛られて大人しく座っていた。もっと悲劇的に苦しんでいると想像していたのに、あっけらかんとしている。

「助かったー。手が使えないから降りられなくってさー。でもどうしてナオが来たの? なんかさっき凄い音したけど」

「えーと……俺もよくわかんないけど、悪い奴らはみんな気絶しててさ。仲間割れでもしたのかな?」

 とぼけながらロープを解く。その時、嫌な物を見た。凛華の後ろに置かれた旅行カバンと、そこに括りつけられた四角い箱、箱に浮かぶデジタル表示の数字が一秒ごとに減っていく。残り10分。

(これ……)

 唾を飲み込む。カウントダウンだ。爆弾の。

「あーっ! 腕痛かった。ナオ、どうしたの? 早く逃げようよ」

「お、おう……」

 伸びをしてリラックスする凛華を横に脂汗がダラダラと流す。

「どうしたの?」

 覗き込んできた凛華の前に体を挟み、視界を遮って旅行カバンを隠す。

「いやっ! 勢いで登ってきたけど高い所怖くて。

みんな公園に集まってるみたいだから、俺もあとからそこ行くから、凛華は早く行ったほうがいいぞ。怒られるぞ!」

 校内で倒れているテロリストが目を覚ます心配はあるものの、今はとにかくここから遠ざけなくてはいけない。

「えー、怒られるのー? だって私捕まってたのに……」

 凛華はブツブツ言いながら貯水槽を降りていった。足音が聞こえなくなるまで待ってから旅行カバンに向き直る。

「どうすりゃ……いいんだこれ」

「決まっている。君が解決するんだ」

 背後に宇宙人が現れた。突然の登場もすっかり慣れてしまった。というより動揺していて驚く余裕すら無い。

「でも、ケガ人マンでどうにかできるんですかこれ」

 校舎から飛び降りてケガをすることで変身してこれを上に放り上げる。それでどうにかなるだろうか。

「そうだ、先生なら――」

「君がやるんだ」

「そりゃあ、そう言いますよねえ……」

 宇宙人にとってこの町はヒーロー復活の舞台に過ぎないらしい。少しも焦っている様子が無い。

「これ、爆発したらどうなるんです?」

「比較的小型だがかなり強力だ。周囲200メートルに及んで被害が出る。学校は無事では済まないな。貯水槽の中に足されたガソリンにも引火してかなり酷いことになる。自爆目的だったのかもしれないな」

 200メートル。それなら公園は無事だろうか。まっすぐ逃げられるわけではないから、遅れた凛華は間に合わないかもしれない。

「爆発が生む衝撃波はもっと遠く、広範囲に及ぶ。民家では窓ガラスが割れるなどの被害が出る。飛んだガラスによる二次被害も起こる」

 それなら確実にアウトだ。逃げる途中ガラスの破片を浴びる凛華を想像して寒気がした。

「迷ってる暇は……無いですね。先生、俺もう一回変身できますか?」

「ココロゲンはまだ活きている。必要なのは痛みだけだ」

 返事を聞いてすぐに校舎の端へ向かった。屋上は普段閉鎖されているので落下防止のフェンスは無い。まっすぐ行ってそのまま落ちるだけだ。が、端の所で足はピタリと止まった。

「どうした」

「あ、えーと……さっきの銭湯の煙突よりは低いし、この高さで足りるかなーって。

変身しても力が足りなかったら痛がり損ですし」

 怖気づいてしまっていた。今日一日分の勇気は使い果たしたとでもいうように、体が意思に従わず前へ動かない。銭湯の煙突と違ってここは学校で、よく見知った場所だ。ここで負うケガはよく知らない銭湯の煙突から落ちるよりも痛いような気がする。

「変身しないことには始まらないだろう。ほら、時間も無いことだしそのくらいは手伝ってあげるから、こっちへ来なさい」

 振り返ると宇宙人は巨大なハンマーを肩に担いでいた。

 大きさに気圧されることなく冷静に考えてみれば女の体格で支えていられるのだからそれなりの重さのはずだ。と推測している間に宇宙人はハンマーを振りかぶって近づいてきた。

「さぁ、行くぞ!」

「ひぃっ」

 大上段から振り下ろされたハンマーを、横へ身を翻し思わず避けてしまった。

 足元へ落ちたハンマーは重い音と共に易々と屋上の角を砕いてコンクリートに埋没する。それを見て目玉が飛び出そうなショックを受けて冷静は消し飛び、衝撃で足元が揺れたのか自分の体が震えたのかさえ判別ができなかった。

「なんですかコレ! こんなの当たったら大ケガするでしょ!」

「大ケガをさせるつもりだ。なんだ、この状況で説明を一からやり直させるつもりか。

のんびりしている間に時間がくれば君は爆発のダメージで変身し、負傷の度合い次第ではそのまま絶命するかもしれない。私のほうは絶望的だな。君は私を見殺しにするのか?」

 ちょっとだけ、『それもいいかも』と思った。そうなれば宇宙に連れて行かれることなくこの町での暮らしを続けられる。危険や痛みに苛まれることなく。

「ほほう……浅はかな考えに取り付かれたと見える。楽を選ぶ理由は宇宙に無いと教えたばかりだというのに。困った教え子だ」

 顔に出たらしく発想したことを宇宙人に見抜かれてしまった。片眉が持ち上がってハンマーが高く掲げられる。

「歪んだ考えは叩き直さなくてはならないな」

「待って! 言う通り浅はかでした! 先生に死なれたらこのスーツ剥がれないままだし、このまま歳とって三十・四十のオッサンになっても鼻にバンソーコーってビジュアル的に相当キツイから! 謝るから殺さないで!」

「何を言っている、私は君を変身させたいだけだ。他意は無い」

 繰り返し振り回される度にスピードを増していくハンマーにはハッキリと怒りが感じられた。そのせいでますます腰が引ける。

「そうだ! ケガ人マンって変身した時のケガと同じダメージしかくらわないんですよね。だったらちょっと転んで変身して、それで爆弾を食べちゃったらどうかな。それなら体の中で爆発しても平気でしょ。転んだ痛みで済むから」

「君は凄いことを考えるな。だが爆弾を解体する時間も技術も君には無く、うまく胃に入れることができたとしてもそのあと腹痛で死ぬぞ。スーツもそこまでは面倒を見ない」

「名案だと思ったのに」

「そら、もう5分も無いぞ!」

 そうだった。こんなことをしている場合じゃあない。早く変身しなければ。そう思って踏み止まった時、ハンマーは風を残して鼻先を通過し股の下にめり込んだ。

「フフン、ようやく覚悟が決まったか」

 違う。動かないのは腰が抜けたからだ。そう反論することさえできないほど力が抜けてしまっている。

「まったく、どうにか立ち上がったと思ったのに。君は本当に手間のかかるヒーローだな……おや?」

 あとはへたり込んで無抵抗な頭上にハンマーが振り下ろされるだけ、そう諦めて目を閉じ痛みに怯えていたら、どうも様子がおかしい。

「大変だ。抜けない」

 宇宙人はハンマーの柄を引っ張り上げようとしているが、屋上に深々めり込んだハンマーはびくともしない。

「ええっ、ヤバいじゃないですか! なにやってんですか、もう時間が無いんですよ!」

「君が言うな。こんなことになったのは誰のせいだと思っている。

ああ、しかし弱ったな。構造を作り替えて取り出すには少し時間がかかる。折角君がその気になったというのに、私が足を引っ張ったのでは本末転倒だ」

「もう一本、それもう一本持ってないんですか?」

「こんな物何本も用意しているわけがないだろう」

「注射器だってなんだってどっからともなく出してくるでしょうが!」

「そうだ、注射器で刺すか」

「それはちょっと恐いです」

「いい加減にしたまえ」

「だって、それで変身したってパワーが足りなさそうじゃないですか」

「言っておくが、上空200メートルなど君では投げても跳んでもそう届きはしないぞ。このハンマーで重症を負わない限りはな。校舎から飛び降りたとしても不足だ。第一間に合わない。なにしろ残り時間は2分もない」

「じゃあどうしたらいいんって言うんです!」

「それを君が考えるんだ。宇宙を守るには柔軟性と適応力が必要だ。君が、今すぐ、この場を切り抜ける方法を発想しろ」

 宇宙人は憎らしいほどの落ち着きでハンマーに腰かけ薄く笑っている。自分だけは安全にやり過ごす手段を持っているのだろう。きっと爆弾をどうにかすることもできる。そのくせやらない。そうする理由が無いからだ。ヒーローの復活を待っているだけの宇宙人にはこの町を守る動機が無い。

「宇宙っていうのは……」

 気がつけば立ち上がっていて宇宙人を見下ろして睨んでいた。握った拳を叩きつけたい衝動が腹の底から湧いてくる。

「宇宙っていうのはこの町を犠牲にして、それでも平気で守られるものなのかよ!」

「ああ……そうだとも。かかっている人の命の数が違う。

平気とまでは言わないがな。容赦の無い敵に対しては、犠牲よりも多くの敵を飲み込むことでしか失われたものに報いることができない」

 一瞬、辛そうな表情が垣間見えたことがこの宇宙人の良心だと信じたい。

「だったら俺がやります。俺がヒーローをやるからにはこの宇宙にかすり傷ひとつ許さない!」

 息を吸い込み、手足を広げて胸を張る。

「さあ、今度は逃げません。俺をヒーローにしてください! それがあんたの仕事でしょ? 俺はなんだって耐えるから!」

 大きく叫ぶと宇宙人はにんまり笑った。心から嬉しそうに。

「なんだって、耐えるんだな」

「いやちょっと待って。なんでもってわけじゃ――」

「宇宙は待たない」

 まさか飛びつき腕十字をかけられるとは思わなかった。

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