第四話

 週を明けて学校に登校しながら悩んだ。

 血迷ったことをしているような気がする。あれから次の夜も、ついさっき起きるまで抱き枕にされていた。それどころか昨日に関しては昼寝にも付き合わされている。

 宇宙人は随分顔色が良くなって、寝不足はすっかり改善されたとわかった。こちらの睡眠時間をいくらか引き換えにしてはいるものの少しは遣り甲斐を感じなくはない。

 健康を取り戻すに連れて気持ちも明るくなっているようで、今朝料理を作っている時には鼻歌が聞けて、献立には好物の甘いスクランブルエッグが出てきた。

 関係は良くなっている。しかし逆にヒーローを辞退するという話は言い出しにくくなった。行きたい方向へは少しも前進せずにただ深みに嵌っている。

 それに、ずっと寝顔を眺めていたら妙な気分になってきた。その正体については確認を避けたい。

(いやー、マズイだろ……これはマズイだろ)

「おはよー、ナオ」

 考えこんでいると突然目の前に凛華が現れた。

「ああっ、これは浮気とかとは違くてだな。お前の……オハヨウ」

 どうにか平常心を取り戻すと、教室に着いていることに気がつく。こうして無意識に体が道を選ぶほど順応するだけの時間が過ぎたというのに、何一つ進展していない。

「ねえ、靴どしたの?」

 指差された足元を見てみれば運動靴だった。上履きに履き替えていない。順応のほうも思っているほどうまくいってはいないようだ。

「もしかして誰かにイタズラされた? ヒーローになりたいとかイタイことばっかり言ってるせいでイジメられてる?」

「うわあ、やっぱりそんな風に思われてるのか。微妙に他人事ながらやっぱりちょっとショックだな。うわー」

「いーから、誰にやられたの? 学級会で問題にしてやるんだから」

「落ち着いて、ただ履き替え忘れただけだだから」

 そう言っても信じてはもらえず、結局昇降口までついて来られてしまった。

「ほら、なんにもされてないだろ。嫌なこと聞かされたから不安だったけど」

「うーん……でも大丈夫? ホントはイジメられてるの言えなくて苦しくて辛いのを我慢して明るく振る舞ってたりしない?」

 苦しくて辛いことを黙っているという点では見事に言い当てられている。だが、イジメられているわけではない。

「やあ、どうした君たち。早く教室に入りなさい。もうホームルームが始まるぞ」

 白衣も着て完璧に校医に扮した宇宙人が消毒液の匂いを伴って通りかかった。

「あれ、ヤシ子先生。なんかいつもより元気? っていうかいつもよりキレー」

 なにせ二日続けて快眠できているので顔つきからして明るい。先週まで学校で見てきた印象とはかなり違っている。

「何か良いことあった? カレシできたとかー」

 凛華の発言でピンと来た。これ以上の名案は無い。

 誰かヒーローに相応しい成人男性を見つけたらこの宇宙人の恋人にも仕立て上げてしまえばいい。この星を去る時に寂しくなるから誰とも親しくならないつもりでいるのなら、一緒に宇宙へ旅立たせてしまえばいい。公私共に一蓮托生のバージンロードだ。

(つまり俺のすべきことは――ヒーロー勧誘、更に勝手に婚活だ!)

 思いつきに従って早速凛華に耳打ちする。

「あのな――ごにょごにょ」

「え? それを私が聞くの? なんで?」

 返事はせず背中をぐいぐい押して催促した。ブーと不満の音が鳴る。

「なんなのもー、私も興味あるからいいけどー。

……ねえヤシ子先生、ヤシ子先生の好きな男性のタイプってどんな人?」

 聞かれるなりすぐこっちを見て「ははあ」と意地の悪い笑みが出る。目論見は早速見抜かれたようだ。

 けれどこれはお互いにとって良い結果を得られる案のはずだ。痛がり恐がりの子供を鍛え直すよりも他に見込みのある大人の男をヒーローにするほうが効率的で、更にその人物が恋人になれば子供にしがみ付いて眠らなくてもよくなる。そしてこちらはヒーローと抱き枕という役目から同時に開放される。まさにWⅰn‐Wⅰnだ。

「そうだなあ。先生は今恋愛を楽しむ余裕が無いんだ。仕事で手一杯でな」

 返答としては凛華の相手はしているものの顔はこっちを向いている。反抗を知られている立場なので笑顔がかえって恐ろしい。返答の内容もこちらの望みに沿わない、スムーズとは呼べない展開だ。

「えー? そんなこと言わずに教えてよー」

 優秀な情報部員振りを発揮した凛華が喰らいついた。無表情を装いながら心の中で声援を送る。いけ、畳みかけろ。

「好きなタイプか……そうだな」

 この質問は避けて通れない。どういう男をヒーローに勧誘して、また恋人として推薦すればいいか今の段階ではわからないからだ。それを判断するための大きな材料になる。直接自分で質問しても答えてもらえないのはわかり切っている。だが、凛華を間に挟んだならどうか。

「実を言うと、こういう『コイバナ』には憧れていた。今までそんな話をする機会が無かった」

 友達が多そうなタイプには見えないので話を聞きながら勝手に納得した。凛華がその唯一の相手になれるなら情報を引き出す上でこれ以上都合の良いことはない。

(これは、意外に簡単に――)

 うまくいく。そう思えたのも束の間、宇宙人の目には涙が浮かんだ。

「ええっ、どうしたの先生。何か辛いこと思い出した? いいよ、ごめんね。話さなくていいよ」

 凛華に先に反応されて出遅れた。一昨日の夜のように何かトラウマに触れたかといったら、どうもそういう反応とは違う。涙を拭いながら寂しそうに笑っている。

「いやあ……思い出そうとすればするほど、私の人生に恋だの愛だのは見当たらないと確定していくものでな」

「そりゃコイバナをする機会も無いわけだ」

 つい口を挟んでしまった。凛華にキッと視線で咎められて、宇宙人のほうは今度はにんまり意味ありげに笑った。

「恋だの愛だのではないが、今一緒に暮らしている男ならいる」

「お父さんお兄ちゃんとかいうオチじゃないよね?」

「ちゃんと他人の男だ」

(オイオイ、待て待て待て)

 この女は何を話すつもりなのか。笑みからは狙いを窺い知れない。普段からロクなことをされていないのでどうしても嫌な予感しかしない。

「凛華、もう……なっ? ホームルーム始まるし」

「ナオは黙ってて」

「痛いっ」

 肩を掴んで引き剥がそうとしたらぴしゃりと手を払われた。聞き出し役として優秀過ぎて手に負えない。瞳が輝きまくっている。

「ねっ、先生とその男の人はどういう関係なの?」

「それは説明が難しいな……私は彼にちゃんと働いてほしいんだが、本人にどうもやる気が見られなくて困っているんだ」

 ヒーローとして活動するという期待に応えていない。そのことを言っているらしい。

「働いてないって……それってヒモってやつじゃん。再放送の昼ドラでやってたよ、そういう男は女を不幸にするゴミ野郎の穀潰しだって。来週事件起こすってお母さん言ってた」

 実体を知らないから散々に言っているだけとわかってはいるものの、興奮する凛華に反論したくて堪らない。が、学校の校医と一緒に生活していることを知られたらややこしいことになるので言えない。

「事件は困るが、私はその彼が頑張るところを見たいんだ。そうなるまで手伝うのが自分の仕事だと考えているんだよ」

「でもそんなのと付き合ってたら先生まで不幸になっちゃうんだよ。疫病神だよゴミ野郎だよ」

(どっちかというとあっちが疫病神なのに)

 どうにかして都合の悪い部分については知られず真実を訴える方法はないだろうか。そんな裏技を思いついたとしても凛華は話に夢中になっていて目も合わせてくれない。

「そうだな、ゴミ野郎だな」

(今日の夜寝てる時顔にラクガキしてやる)

「でも優しいところもあるんだよ」

「あ、ソレってズルズル泥沼にハマっちゃうやつだよ」

「最近は毎晩抱き締めてくれるし」

「キャー!」

 突然凛華が絶叫したので思わず靴棚に隠れた。見れば顔を真っ赤にして大興奮している。

「ナオ聞いた? オトナ! オトナの恋愛だよオトナの。お兄ちゃんが部屋に隠してる本にモザイクで隠れてるやつだよ」

 我を失った凛華に肩をバシバシ叩かれる。今は注射も目薬もしていないので変身する心配はしなくていいにしても痛さだけで辛い。

「イタイイタイイッターイ! やめて! 

っていうか先生、今朝は何か保健委員の仕事があるって言ってましたよね。俺やりますから、さあすぐに行きましょう!」

 宇宙人に飛びついて後ろを向かせ、背中を押して廊下を進む。もちろんそんな予定は無い。しかしこれ以上悪趣味な冗談に付き合っていられない。

 少し進んでから後ろを振り返り、凛華に呼びかけた。

「ちょっと保健室寄ってくから、先に教室行って伝えといて!」

「うんわかった。でももっと聞きたかったのにー。先生、あとでねー」

 危険な申し出に宇宙人が手を振って応えている。暢気に見せる様が憎々しい。

「あのねえ、余計なこと喋られたら俺が暮らしにくくなるって、わかるでしょ。あんたは俺をヒーローにしたら仕事はオシマイでまた別の現場に行ったらここのことなんかどうでもいいのかもしれないけど、俺は記憶が戻っても戻らないでもずっとこの町で暮らして行くんだ。だからそういうことされると困るんです」

「軽薄に見えたかな。心配は無用だ。少なくとも君のいない所で勝手に彼女と話すようなことはしないよ。とてもとても惜しいことだが」

 背中を押すのをやめて前へ回り込んでみれば宇宙人は本当に楽しそうに微笑んでいた。心底面白がっているようだ。

「大体さっきの……抱き締めるとかなんなんですか、抱きしめてるのは先生のほうだし、俺そんなこと言われたらもう抱き枕やりたくないんですけど」

「それは困る。また眠れなくなるからな。君のおかげで体調が良いんだ」

「だったら変なこと言わないでください」

「嘘を言ったつもりはないんだがな。私が眠っているのをいいことに、君が私のことを好きに触っているのは知っているぞ」

 言われて途端に体温が上がった。手に汗が浮く。

「バッババカを言いなさいよ! 寝返りとかでちょっと当たったとかそういうのでしょ」

「おや? カマをかけたつもりだったんだが、その様子だと私の身に危険が及んでいたようだな。まあ、乳を触るくらいならこの際好きにしてくれて構わないが」

 ぐっと顔を近づけられ汗が増えた。

「えっ! マジで? ヤッタ! じゃなくてそんな、またからかって」

「からかいじゃないさ。君をヒーローとして立ち上がらせることが私の仕事だ。その為に自分を犠牲にする覚悟はとうにできている。君が必要と言うなら私を自由にしてくれて構わない」

 絡ませられた指は細く、掌は柔らかい。

「自由にって――」

 瞬間、凛華の顔が思い浮かんだ。手を振り払う。

「手助けなんか要らない。俺は一人でヒーローになって見せる」

 言ってから、ハッと気がつくまで何秒かかかった。今何を口走ったのか。宇宙人は笑っている。

「なるほど」

「いや、ちょっと待った! 今の無し! ヤダ! ヒーローは嫌だ! 痛いは嫌な俺だ!」

「声は震えているし、情けないくらい頼りない。だが、その心意気は必要だよ。

しかしよかった。自分が慰み者になるのは覚悟の上だが、そんな動機でヒーローになられてはたまらないからな。ヒーローはやはり、痛みを乗り越え守るものを背負ってこそだ。

期待しているぞ、ケガ人マン」

 頬にキスをされ、一度下がった体温がまた上がった。

「だから俺には凛華が……」

 動揺から無意味な挙動を抑えきれない。宇宙人はまだ笑っている。その笑顔はどこか寂しそうに見えた。


 もうダメだ。完全に深みに嵌っている。自立宣言までしてしまって、これではヒーローを目指して走り回っているバカな以前とほとんど変わらない。宇宙を目指して一直線だ。

(うぉぉ、俺は一体どこで何を間違えてしまったんだ? 何もかも間違っているのか?)

 過ちというほど自主的な行動を取れていない気がする。流されに流されてこの状況だ。

(何か、何かをして変えなければ! 状況を一変させる決定的な何かを!)

 教室の自分の席でうんうん唸っていると、またしても気がつけば目の前に凛華の顔があった。

「またムツカしい顔してるね」

 返事に困っている間に頭を撫でられた。

「え……なに?」

「なんでもなーい」

 そう答えつつも手を止めない。最初はリボンをつけていないことが不満なのかと思ったがそうではないらしく優しげに微笑んでいる。

「なんなんだよ……あ」

 そのうちに文字通り見守られているとわかった。悩んでいるのを気遣って自分が味方でいることを伝えようとしてくれている。

「イヤならやめるけど」

「ううん、続けてほしい」

 こうして示されるまでもなくわかっているべきだった。凛華は記憶を失った今でも味方でいてくれる。変わらない存在に対して、自分がいつまでもこうしてウジウジしていていいのだろうか。

「あ、俺……わかっちゃったかも」

「んー、何が?」

「凛華、今度の休みどこか出かけよう。遊園地とか」

 頭から手が離れて、凛華はぴょんぴょんとその場で跳んで喜び始めた。

「わぁっ、それは楽しみ! でも何がわかって遊園地に行こうってことになったの?」

「人生は楽しまなきゃ損ってことだ」

 このままモヤモヤに付き合って頭を悩ませていてもそれで記憶が戻るという保証は無い。が、この際そんなことはどうでもいい。まるで親近感を覚えない過去にこだわるよりも、いっそそれさえ塗り潰してしまうような濃密な現在を過ごしたほうが幸せだ。上手く記憶を戻せても手に入るのはつまり思い出だけで、そのせいでこの時間を空虚なものにしてしまうのは意味が無い。凛華の笑顔を見ていればくだらないとすら今は思えた。

「昔の傷をいつまでも引きずってちゃダメなんだよな。うん、そうだそうだ」

「何言ってるかわかんないけど、遊園地楽しみだからいーや」

 まるで生まれ変わったように気分が良い。何も解決していないけれど、このままでいい。

 どういう方法かはわからない。それでも一度はヒーローになって夢を叶えた。だったら、もう一度できるはずだ。今度はヒーロー以外の道を手に入れて幸せになる。


「まったく、あれだけはホントどうにかしないとなあ」

 休み時間、また凛華にトイレに誘われたのを振り切って理科室へ移動する。その途中で何かにぶつかった。大人の大きな背中。

「あ、ごめんなさい」

 よけて進もうとすると鼻先に何かがつきつけられる。

「ひ――ひぇあああ」

 銃口だった。黒尽くめの軍服を来た男が肩から下げた機関銃。それを向けられている。思わず尻もちをついて、そのまま尻を擦って壁にぶつかるまで下がる。

「はぁっ? ひっ、なんで? なんで?」

 すぐそばで誰かの悲鳴が聴こえた。逃げていく足音に加わりたいけれど腰が抜けて動けない。

『外に避難してください! 校内に不審者が――』

 遅すぎる放送は途中で途切れて、別の男の声に切り替わった。

『この学校は占拠した。全生徒を人質に取るつもりはない。今あった指示の通り逃げてくれて構わない。以上だ』

 目の前にいる男が足元に一発撃った。廊下に銃声が響き、リノリウムが抉れて深く穴が出来上がっている。本物だ。思考は乱れてもう何も考えられなかった。

 騒がしいと今までは思っていた昼休みの比ではなく、そこら中から声が溢れて学校が揺れる。

「なにしてるんだ、早く走って!」

 通りかかった教師に抱えられ校外へ出た。そこからは自力でヨロヨロ走り、教師たちの誘導に従い近くの公園に他の生徒と一緒に集められた。靴も履き替えない上履きのままだ。動揺も騒々しさもまだ続いている。

「点呼! 各クラス生徒の確認して!」

 そんな号令が掛かる前から首を回して辺りを探していた。腰に力が戻る前から人の波の間をぶつかりながら這い回った。

「凛華! どこだ凛華!」

 姿が見えない。ここにいなければ――。

(考えるな! そんなわけがあるか、そんなわけが――)

 膝が言うことを利かず足がもつれて地面を転がった。熱を持った顔をこすると涙に濡れていた。

 もう充分に全体を探した。どこにも凛華は見当たらない。呼びかけに応える返事も無い。

「君が想像している最悪の状況、そっくりそのままだ」

 次に探そうと思った人物の顔は既にそこにあった。宇宙人は見下ろし、涙に滲む目を凝らすと冷徹な表情をしていた。

「連中は政治思想を持った集団で、現体制では自分たちの理想には近づかないと見切りをつけて暴力的な手段に出てきた――テロリストだ。

生徒の一人、鹿児凛華を人質に取って立てこもり政府と交渉をする予定、ということらしい」

 起き上がって縋り付く。

「先生ならなんとかできるでしょ? 頼む、凛華を助けてやってくれよ!」

 宇宙人の技術さえあればテロリストなどどうにでもなるはずだ。しかし、懇願にも冷徹は崩れない。

「君は勘違いをしている。

私が持つ最大の手段は君だ。トラブルの全てに対抗する唯一の方法が君だ。今後の命運や自分という存在の何もかもをとうに託している。君以外の何にも何かを任せるつもりは無い」

「俺に、あいつらをなんとかしろって言うんですか?」

 無茶な要求に怒りが湧くよりも震えが先立つ。怖い。

「そうだ。解決を期待して私を頼るのは筋違いだ。君は希望を叶える力を自らに抱えている。他の誰にも同じことはできはしない」

 心臓が抜け駆けで自分だけ逃げ出そうとしている。そう思えるくらい、何もしていないのに耳で感じるほど鼓動が強くなっていく。

「君の世界がどうなるかは君が決める。君だけがそれを左右する力だ」

 あのテロリストたちと戦え、そう言われている。

「そんな……うわぁぁぁ!」

 喉から声が溢れ出た。それでも冷静に徹底して、宇宙人は厳しかった。

「錯乱したフリで逃避するのはよせ。それは『辛ければ誰かに助けてもらえる』と周囲に期待する甘えた振る舞いだ。年頃が子供らしさを許しても、君はヒーローらしさを選ぶべきだ」

「でも、でもそんなこと言われたってダメなんです。俺少しもヒーローらしくなんかないですよ。先生だって知ってるでしょ? その辺の不良にだって勝てるわけじゃないのに、銃を持ったテロリスト相手なんてムリです」

「そうか。であれば、誰かに代わってもらうか?」

 宇宙人の言葉にドキリとした。それこそ密かに企んでいたことだ。見抜いているのか偶然か、宇宙人はため息をつく。

「君が自分の代わりと見込んだその誰かは君の願い通り、君に代わって人々を守るだろう。しかしいつかは失敗する。その時君は自分がやっておけばよかったと悔やむことになる」

「そんなの自分でやったって失敗するかもしれないじゃないですか」

「その通り。いつかどういう形にせよ失敗は必ず訪れる。だが自分が原因なら他人を恨まずにいられる」

「じゃあ、自分を恨めって言うんですか?」

「後悔は事情が複雑になるほどまっすぐに立ち直るのは難しい。なんにせよ心に負った傷はずっと残るのだから、少しでも自分で納得のいく行動を選択するべきだ。頑張らなくてもいい理由を探すな。そんなもの、この宇宙には無い」

「だって俺、痛いのも恐いのも本当に嫌いなんです。

ケガなんて変身すれば治るってわかってるのに、いつも、こんなに恐いんです。これって俺が弱いからですか? 臆病だからですか?」

「その答えは自分で確かめるしかない。君に自信を与える者は君自身に他ならないからだ。

そうだな。答えの代わりにひとつヒーローについての講義をしようか。ヒーローとは、勝者のことを呼ぶのではない。そうする甲斐に気付いて立ち上がる者のことをヒーローと呼ぶんだ。

まずはそれを知りなさい。君には、立ち上がる理由は無いのかを」

「理由……俺が、テロリストと戦う理由」

 人質に取られている凛華の顔が思い浮かぶはずだった。それなのにうまくいかない。あれだけ何度も見たはずの笑顔が出てこない。

「そうだよ――そうだろ!」

 地面を蹴って駆け出す。生徒をまとめていた教師から呼び止める声がかかったが、無視して全速力で走った。公園を出て学校とは逆方向へ向かって、目指すはこの町で一番の存在感を持つ銭湯の煙突。

「どうして立ち向かうかなんて、決まってるだろ!」

 もしテロリスト退治を誰かに頼って、その結果凛華がケガをしたとしたら。そう考えると胸がざわついた。

 息が切れても唇を噛んで走り続け、たどり着いた銭湯の入り口から横手へ入ってボイラー室の脇にそびえ立つ煙突を仰ぐ。真下から見ると空を支える柱のようで目眩がした。

 怯みそうになる。ここで呼吸が落ち着くまで待っていたら確実にそうなる。

「理由だ、理由があるだろ!」

 自分を叱りつけて煙突の梯子を掴んで地面を蹴る。一段一段と地上から離れながら、すぐに下を見れば動けなくなりそうな恐怖心に襲われた。それでも止まれない。それでも登らなければならない。

「凛華のことが、好きだからだろうが! 俺が行かなきゃいけない理由なんてそれしかないだろ!」

 手も足も震えて、歯はぶつかってカチカチ鳴る。覚悟なんて何一つ固まっていない。しかし、今この時も凛華はこれ以上の恐怖に晒されている。人質を助けたいと、誰よりも凛華を大切に思っているのは自分だ。助けられるのは自分だ。

 梯子を登る動作でそれほど体力に負担がかかるはずもないのに息が乱れる。横から風が吹き付けて体が冷える。それでも燃え立つほどの度胸は無い。どこまで言っても自分が情けない。目の前が涙でぼやけ、手探りで梯子を登り続けた。

 やっとの思いで頂上にたどり着くと先回りされていた。更に空中に浮いているのを見ても今更驚くこともない。宇宙人が相手では。

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