08:弟の良い匂い

 ある平日。学校が終わって、家に帰った。

 

 「ふぅ……今日は、練習疲れたなぁ」

 

 タオルで拭いても、なんとなく汗がとれないような気がする。

 

 なにしろ、五月でけっこう暑いのだ。

 

 「うぅん、シャワーでも浴びるか……」

 

 脱衣所の扉を開けると、

 

 「あ、お兄ちゃん」

 

 全裸のユウがいた。

 

 タオルで、体を拭っている。

 

 「うっ……!?」

 

 こうかはばつぐんだ!

 

 俺はたおれた!

 

 「ちょっ……お兄ちゃん! どうしたのっ!?」

  

 と、パニック気味なユウの声と共に、俺は逝った。

 


 ――って、まだ死ねるか。


 一瞬気を失いかけたものの、気合で目を覚ます。

  

 

 「……へ~っ、そんなにいっぱい練習したんだ。お兄ちゃん、すごいねっ♡」

 「あ、あぁ。たぶん熱射病だな。ははは……」

 

 俺は乾いた笑いを発した。

 

 が、目はユウの体に釘付けになっている。

 

 何しろ、ユウは下着(シャツとトランクス)を身に着けているだけだ。

 

 腰やお腹のなまめかしい曲線が、ほっそりした腕や脚の輪郭が、思い切り見えてしまっている。

 

 「うぅっ……!」

 

 俺は激しく首を振った。また気絶しそうだったのだ。

 

 「お、お兄ちゃん、やっぱりどうしたの? 熱射病つらいの……?!」

 「さっきから、胸がうずくんだ……!」

 「? と、とにかく、お水持ってくるねっ」

 

 ユウが、コップ一杯の水を持ってくる。俺は、ゴクゴクと飲み干した。 

 

 「ふぅ……」

 「ほんとに大丈夫、お兄ちゃん?」 

 

 ユウはしゃがんで、俺の顔の高さに頭を持ってきた。

 

 しかも、小首をかしげて、うつむき気味な俺と目を合わせようとする。

 

 うっ……か、可愛すぎる!


 「いいんだ! 大丈夫だから!」

 「そう?」

 「あぁ、とにかく、俺もシャワー入らせてくれ」

 

 このままだと、何か色々とガマンならなくなりそうだ。

 

 俺はさっさと服を脱いだ。

 

 「うわぁ、お兄ちゃん……」

 「どうかしたのか?」

 「いやっ、体すごいなぁって」

 

 俺が裸になったら、なぜかユウが赤面する。

 

 「すごく、部活で鍛えてるんだねっ」

 

 どうやら、筋肉のことを言っているらしい。

 

 「こないだも見ただろ? まぁ、筋トレとかもやるし」

 「へぇー……。なんか憧れちゃうなぁ。ボク、こんな貧相だし……」

 「そこがエロくていいんじゃないか」

 「え?」

 

 ユウは、目をぱちくりさせた。

 

 「……いや、なんでもない。でも、憧れてるって言う割には、文化部入ってるじゃん」

 

 ユウは、美術部に入っている。いかにも、運動が苦手な女子が入っていそうな部活だ。

 

 「……だって」

 

 ユウはちょっと目をそらした。

 そんな悲しそうな顔をされると、俺がメチャクチャ悪いことをしているような気になる。

 

 「ボクどん臭いから……運動部はちょっと」

 

 あはは、と寂しく笑った。

 

 「……まぁ、お前がサッカーなんかやったら、地面を蹴っ飛ばしてすっころびそうだよな」

 「も、もう、お兄ちゃんったら……❤」

 

 と、ユウは苦笑いする。

 

 「でも、すごいね。腹筋とか割れてるよ、お兄ちゃん。ちょっと見せてもらっていい?」

 「いいよ」

 

 俺はユウのほうを向いた。

 

 「わ~、かっこいい♡」

 

 ユウがしげしげと俺の腹筋を観察する。

 

 「あ、でも……ちょっと汗臭いね」

 

 ユウはくすっと笑った。

 

 「これから洗うところだしな。でも、匂いといえば――」

 

 俺は鼻をひくひくさせた。

 

 先ほどから、妙に甘ったるい香りが脱衣所に漂っている。俺の汗臭さを打ち消すほどだ。

 

 「ユウ、ちょっといいか」

 「え、おにいちゃ――ひゃっ!?」

 

 ユウの濡れた髪の毛に、鼻先を突っ込んでみる。

 すぅ~~~……っと、息を吸い込んだ。

 

 「なっ……!?」

 

 その瞬間、やたら芳醇な香りが鼻腔を刺激してきた。

 

 なんとも形容しがたいけど、とにかく甘い匂い……頭が真っ白になりそうだ。

 

 「ど、どうしたの……?」

 「いや、なんか……お前、髪からすげー良い匂いするんだけど」

 「えええっ!?」

 

 ユウはびっくりして口を開けた。

 

 「そ、そうかな……? ボク、別に何もつけてないけど……」

 「え、シャンプーも?」

 「うん。水で流しただけだよ」

 

 ええ……。

 

 じゃあ、一体何なんだろう。


 ユウの肌や髪が、ちょくせつ匂ってる? これがフェロモンというやつなのか……。

 

 「あぁもうっ、なんでもいいや。はぁ~~~~~っ……すんすん、すん……すんすんすん……っ!」

  

 良い匂い過ぎて、犬みたいにかいでしまう。

 

 「ひゃっ♡ おにいちゃっ、ちょっとぉ……くすぐったいってばぁ……❤」

 「ご、ごめん……いや、でも、ほんと良い匂いで……っ!」

 

 髪をくんくん嗅いでいると、さらに好奇心が湧いてくる。

 

 これって、体のほかの部位はどんな感じだろう……?


 「ユウ」

 「な、なにぃ? お兄ちゃん……」

 

 ユウは、ちょっと顔をひきつらせていた。


 「ちょっと、匂い確かめさせてくれ」

 「ええっ……!?」

 

 ずっ! と一歩あとずさるユウ。


 「大丈夫、優しくするから!」

 「そ、そう言う問題じゃなくってぇ……っ!」

 「ほら、あご上げろって」

 「やぁぁぁっ……!?」

 

 ユウの首筋を、くんくんと嗅いでみる。

 

 「うぉ……っ。やっぱり良い匂いが!」

 「えぇっ!? に、匂いなんてしないよぉ」

 「いやいや、するする! 思いっきりしてるって!」


 ユウの肩をぽんぽん、と叩きつつ、鼻先をひくひくさせた。

 

 「ほ、ほんとに……?」

 

 おっ?

 

 ちょっと、態度が柔らかくなったぞ。

 

 俺は、畳み掛ける。

 

 「あぁ、ほんとほんと。チョー良い匂いだよ。これは、誰でもメロメロになるな」

 「そ、そぉかなぁ……❤」

 「だから、もうちょっと確かめさせてくれ」

 

 今度は、ユウの股を「がばっ!」と開く俺。

 

 滑らかな太ももからも、良い匂いがむわっと漂っている。

 

 「おいおい、脚からも良い匂いするじゃん! ユウ、お前どうなってんだよ……歩く芳香剤か?! くんくん、くんくん……!」

 「えええっ!? ひっ……ひぃぃぃ~~~っ!」

 

 

 そして。 

 

 およそ十分くらいも嗅ぎ続けていただろうか。

 

 「はぁ……はぁっ……あぁ~、良い匂いだった……!」

 

 俺は、ユウの成分を鼻からたっぷり吸い込み、すっかり満足した。

 

 ところが、

 

 「うぅ……。お兄ちゃん、ボク……もう、行くからっ……!」

 

 半泣きになって、ユウは脱衣所から消えてしまった。

 

 ……う~ん、またやり過ぎたかな?

 

 まったく、学習というものがない俺だった。

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