第8話:クトゥルフ神群


 翌日。明らかなホラーが漂う大きな扉を通り抜けた先には、国の土地の都合なのか分からないが空が夜そのものであり、建物や車も今とは全くことがよく分かる。唯吹も今はあり得ない風景に興味津々のようだ。


「わぁ~……。ここがクトゥルフ神群の聖地……」

「はい。ここがアーカムです。アメリカ合衆国マサチューセッツ州の某所に存在していましたが20世紀初頭に絶界化された場所です。100年近く経った今でも風景は変わらず、人々も止まった時代の中で生活しています」

「へぇ~。ところで、弥音さんは誰か待っているの?」


 歩道にある建物の壁にもたれ、時計で時刻を確認しながら待ち続ける。


「今日は流石に平日なので私は長居できませんし、それに……。いいえ、なんでもありません。もうそろそろ来る頃です」


 少し時間が経った頃、1台のタクシーから明らかに日本人であろう濃青のジャンパーを着た黒髪短髪の男が降りてきた。その男は何かを確認するために左右見渡している。


「弥音さん。もしかしてこの人?」

「いいえ、違います。でもどうしてだろう」

「……ん?」

「あ、近づいてきたよ」


 男は徐々に唯吹と弥音に距離をつめていく。じーっと見つめてジト目をした後に頭を上げた。


「……誰かと思ったら河辺か。ヤマト神群の貴様がどうしてここにいる」

「私たちはクトゥルフ神群での親神探しに出向いているだけです。賀区さんもこういう所で何用ですか?」

「俺はクトゥルフ神群の子だぞ? アーカム来ないわけないじゃないか。何か用がない限り来ないのは確かだがな」

「えっと……知り合いだった……のね」


 口を開くまでは変な人と運悪く絡んでしまい、下手でもしたら騒動になりえたかもしれないという不安もいつの間にかすっ飛んでいた。賀区という男性は面倒そうに唯吹を見つめるが、見つめられた側は思わず緊張が走る。


「なるほど。見るに新人か。俺の名前は原又はらまた 賀区がく。クトゥルフ神群の夢と水と星を司る神、クトゥルフの子だ。今日は用があってこの時間とこの場所で待つようにある人に言われて此処に来た」

「それは奇遇ですね。私もこの時間とこの場所に来るように言われているのです」

「お、おい。それは……」

「ま、まさか……」


 お互いが察する中でよく分かっていない唯吹はただ頭を傾げるしかない。どこから来るのか警戒していると、遠くからもう一人の高めな男性の声が聞こえてきた。


「おーまたっせ~。銀の鍵を取りに行くのに手間取っちゃってさ~」

「おっせーぞ! 情報屋め!」

「悪い悪い。人数揃っているわけだし、ナイスタイミングさ」


 賀区と弥音が目線を向けた先には全面黒のスーツを身に纏った長身金髪の男性がにこやかな表情で歩み寄ってきた。


「えーっと……。賀区君に、弥音ちゃんに……唯吹ちゃんだね」

「どうしてボクの名前を……?」

「そりゃ親神探しと言えば君のことだからね、天笠木唯吹ちゃん。僕の名前はハルクリス・ハーレン。クリスと呼んでくれ。狂気と陰謀と変化の這い寄る神ナイアーラトテップの子、巷で有名な情報屋でもあるのさ」

「クトゥルフ様の子にナイアーラトテップ様の子でしたか……よろしくお願いします!」


 クトゥルフ神群に関する知識はそこまで持っていなかったことに複雑な心境を浮かべる弥音だったが、ここで本題に入る。


「さて、弥音ちゃんからの依頼は……唯吹ちゃんの親神探しとその周辺の調査だね。でもいいのかい? アザトース様に会いに行かなくても」

「申し訳ありません。私が行くべきなのは確か……ですが……」


 顔を下げ、右手で自分の左二の腕の袖を握っている弥音の様子を見る唯吹も心の中で不安を立ち込み始める。その雰囲気も長くはなかったようだ。


「今日はこれから学校ですからね。はい。依頼料と調査資料です」

「弥音さん、大丈夫? ……色々な意味で」

「私なら大丈夫です。ハルクリスさんも胡散臭く見えますが、情報収集力はピカイチと言われていますし、色々とお世話になっていますから」


 そう言って弥音は依頼料と調査資料が封入されている封筒をハルクリスに手渡す。封を開け、中身を確認したハルクリスの表情は尚にこやかになった。


「確かに受け取った。暫く不在になると思って、賀区君を呼んだわけだよ」

「そのために呼んだのかよ」

「人手が欲しそうだと思って」

「俺の状況を読みやがったな! まぁ、複数居て損は無いけど……さ……」


 腕を組みながら態勢は崩さす、視線だけを唯吹を見る。弥音の付き添いで来た少女。見た目から戦闘とは程遠い容姿をしている彼女は果たしてやってくれるのだろうか。多少ながらの不安を抱えつつ目線をハルクリスに戻した。


「……分かった。夕方まで面倒見る」

「物分りが良くて助かるよ。よろしく頼む」

「というわけだ。河辺は安心して勉学に励みな」

「いいのですか?」

「あぁ、クトゥルフ様に認められた俺だ。今日一日、よろしくな」

「はい。よろしくお願いします。賀区さん」


 賀区と唯吹の会話を見てそこまで心配する必要は無さそうだ。弥音の口にもやっと笑みを浮かべる。


「今日の方針は決まったところで、僕はここで失礼しよう。結果は唯吹ちゃんに伝えるから、楽しみに待っていてよ!」

「はい。弥音さん、ボク頑張ってくるからね!」

「あんまり無茶はし過ぎないようにしてくださいね。いい結果になるよう祈ります」


 こうしてハルクリスはこの場を去るように歩いていき、弥音も出てきた扉を括り抜けて姿を消した。一見普通の町並みの中、賀区は背伸びをして気分を切り替える。


「いよーし。俺たちもそろそろ行くか!」

「えっと……。どこへ行くのです?」

「聖地の一つであるルルイエ。ちょっと俺の戯れに付き合ってくれ」





 賀区の誘いを引き受け、ルルイエの場所や詳細も分からずただ町の中で後を追っていく。知らずについていくのも不安が膨れ上がるだけ。気になったことを何点か、歩きながら聞いてみることにした。


「……賀区さん!」

「おう、何だ。確か名前は……名字では呼びづらいから唯吹でいいか?」

「うん。気になったことがあって、クトゥルフ神群なのにクトゥルフ様が主神じゃないのと……ルルイエについても!」

「面白そうな質問をするじゃないか。そうだなぁ……」


 とまとめた回答を少し考えつつ、そこまで時間かかることなく返す。


「クトゥルフ神群というのは、地球外に存在する宇宙起源の神々のことを言うのだ。クトゥルフ様を初め、宇宙と混沌を司る神群の主神アザトース様の力は絶大で、本気出してしまえば地球を破壊してしまうほど。まぁ、個々の都合もあってそれはしないけどな。現在はどこかの異空間に潜んでいるか……別の聖地に潜んでいるのが大抵。クトゥルフ様も、ルルイエという水中都市で深い眠りについているのさ」


 話している間にもいくつもの特殊な扉を括りぬけ、回答を終えた頃には最後の扉は開かれ、眩しい光が目に染みる。広大に広がる青い空……と思いきや薄暗い青空が広がっており、土地の先には半分澄み切った海も水平線まで見える。


「なるほど。ここがルルイエなのね……それにしては小さい島に見えるのだけど」

「そりゃそうだ。ここは単なる入り口で地図上にも存在しない。ここのルートは俺などの同じクトゥルフ様の子かごく一部の人間にしか知らない極秘ルート。決して他の人には伝えるなよ。絶対だぞ!」

「う、うん。勿論言わないよ。というかルート忘れた」

「ならば良し!」


 小島規模の無人島にある小屋の扉を閉め、一際目立つ大きな門まで歩いたところで、賀区は門にもたれながら胡座をかいて座った。


「あれ、ルルイエの中に入らないの?」

「入らない。あの中に入る時は俺が人間を捨てる時って決めているのだ」

「へぇ~。人間の日常が最優先ってわけね。では今日は何のために?」

「門番。クトゥルフ様から『魔術的儀式でまた余の眠りを妨げようとする者がいる』と夢を通じて告げられ、第一関門の門番として頼まれたってわけだ。まぁ、最近は俺ばかり頼まれるがな。戯れに付き合ってくれと言ったのは、ソイツらが来るまでの間話し相手になってくれってことだ」

「なるほど……大変ですね……。お付き合いします」

「おぉ、ありがたい。まぁ、座ってゆっくりしなよ」


 賀区のお言葉に甘え、唯吹も彼の横に地べたで座る。長い間歩いていたこともあり、大きく深呼吸をして肩の力を抜く様子も見られる。


「話し相手といっても、俺からは何の話題がいいかよく分からん。唯吹から気になったものがあったらなんでも答えよう。今一番気がかりなものも含めて」

「…………」


 的確な言葉を聞いて深く考える。ここで言ってもいいのだろうか、と。でも今話せなかったらいつ知ることができるのかと思った時、これ以上引き止める理由は無くなった。


「それじゃ……。弥音さんがアザトース様を避ける理由……賀区さんは分かる?」

「あー……それかぁ。俺も万神殿の情報でしか知らないが、その範囲で話すなら……

 あれは今から半年前かな。ある小国の原子力発電所で引き起こした絶界での任務の時に事件が起きた。運命共同体の一人であるアザトース様の子が怪物側についてしまって、勝てるはずの状況を壊滅まで追い込まれたことがあるのだ。河辺もアザトース様の子のギフトの被害を受けたと聞く。結果的に魔界化。後に魔界偵察がきっかけで解放はされて戻ってくることは出来たが、今でも身体的な傷は残っているみたいだな」

「話を聞く限り、アザトース様の子一人がやったことだよね。それじゃアザトース様や他の子に罪は無いのでは?」


 疑問点を浮かべる唯吹に対し、賀区が思わず吹いてしまう。言ったことを何がおかしいと言わんばかりに睨みつけられている中、その理由を明かす。


「いやぁ、悪い。分かってないなぁ、って思っただけさ。……例えで言うなら

 殺意むき出しの大型犬に噛みつかれて致命傷を負ったようなものだからな。それ以後おとなしく殺意の無い犬でも避けるのは身体が拒絶するから。精神面はどうにかなっても身体面の修復に時間がかかるというのはそういうことだ」

「分かりやすい……」

「まぁ、このままその状態を抱えるのも本人は快く思ってはいないだろうからな。フォローするなり優しく見守ってやってくれ。話によれば、アザトース様の子であることを隠している状態ならいけるみたいだし」

「分かったよ。弥音さんのことは少し気を遣う」

「気を遣い過ぎると逆に不機嫌になっちまうかもな!」


 話しているうちに微笑みも浮かべるようになり、この流れに乗って他のクトゥルフ神群の神々や他の聖地等、賀区から語られる内容に聞くだけでも話題がはずんだ。

 会話の合間での昼食を終えた頃。賀区が何か感知したのか、ゆっくりと立ち上がって目線を門の向かい側に変える様子を見て唯吹もつられて立ち上がる。


「賀区さん。どうしたの?」

「やっと来やがったか。食後の運動には丁度いいってやつか?」


 賀区の目の前に現れたのは黒を中心とした赤と青ローブを身に纏った長身の男性二人。顔から見てもまだ青さが拭えていない彼らは自信満々なのか笑みを浮かべている。


「なんだまたお前らか。不完全な魔術でクトゥルフ様を叩き起こそうってか?」

「ちっちっち。今回は一味違う」


 と黒と赤のローブの男性が右手の人差し指を立てて横に振る。見た目から一般人に見える彼らは何者だろうかと賀区に聞いてみた。


「あの、この人達は一体誰なの?」

「俺も名前はさっぱり。分かることは、あいつらはクトゥルフ様の狂信者。毎度儀式で水中都市を浮上させようとしている輩だ」

「酷い言われようだ。噂で聞いているぜ。タイタン神群の勢力が強まっているって話をさ。だからこそ、クトゥルフ様の目覚めが必要不可欠」

「そこまで必要じゃないだろう!」


 青と黒のローブの男性の発言に対して鋭いツッコミを入れ、警戒の眼差しをしながら右手から呪文が刻み込まれた刀を魔術で取り出して構える。追い出す気満々な賀区に対し、青と黒のローブの男は引く気ないようだ。


「まぁ、警戒するなって。そういやお前さん。クトゥルフ様を目覚めさせる魔術を持っているか?」

「それを聞いてどうする。あっても俺は一切言う気ない」

「ならば……無理やり掘り起こすまでだ」


 そう言って青と黒のローブの男性は呪文の詠唱とともに身体が黒いオーラに纏い、変形していく。脳みそのような頭に、背にコウモリのような羽と両手に鎌。全体的に見れば蜂のような姿をした怪物が黒いオーラから解き放たれたと同時に姿を現す。変身中不安な様子だった赤と黒のローブの男性も上出来な結果に高笑いを上げる。


「あっはっはっは! 見ろよ、ユゴスよりの菌類を呼び出すことができたぞ。人間でも不可能は無い!」

「ミ=ゴかよ! 随分と面倒なやつを出してきやがったな」

「これもクトゥルフ様を目覚めさせるため。さぁ、いけぇ!」


 男性の指示でミ=ゴは賀区たちを襲い掛かってきた。


「唯吹は武器でも持って身を守りながら見ておきな。こいつ相手なら俺一人で十分だ」

「わ、わかりました!」


 赤い勾玉を光らせて短剣を取り出して両手で握るのを確認し、賀区は全力でミ=ゴを迎え撃つように走り出す。近づいたところで刀を振り下ろすがミ=ゴは華麗に避け、そのまま唯吹へ。


「ちょ。目的は俺じゃないのか」

「勿論そのつもり。だが、力を試すならその弱々しい女の子が丁度いいだろう」

「男のくせに弱い者いじめとかだらしねぇ!!」


 猛スピードで向かってくるミ=ゴを相手に唯吹は思考を巡らす。しかしながら脳裏に光景が見えず、ただ振り回すしかないのかと短剣を構えるしかない。直前になったその刹那


深きものどもディープワン!」


 賀区の叫び声と同時に唯吹の目の前に人間ではない何かがミ=ゴの手を抑えた。視界を正した時に見えた姿は魚人のような姿をした怪物。これを呼び出したのは賀区のようだ。


「……たくっ、僅かでも遅れていたら傷一つつけてしまうところだった。こっちへ引きずり戻せ」


 魚人のような怪物の数は増え、押し出されたミ=ゴは唯吹から離れていく。そして賀区との距離が詰まったところで魚人の集団は唯吹を近づけさせない陣形を形成させた。


「さぁこいミ=ゴ。クトゥルフを目覚めさせる魔術が欲しいならな!」


 力強い口調と逃げることができない気迫感に飲まれたミ=ゴは標的を賀区に変え、猛スピードで襲いかかり、両手の鎌で切り裂こうとするところを刀で防御。普通ならすぐに振りほどけるが人間の強い意志によって変貌したためかそう簡単に解けない。


「怪物になってまで目覚めさせたいか。愚かな」


 強引に振りほどき、細かい隙を見てもう一歩前に進み、刀の刃を持ってミ=ゴの右翼を切り落として落下させる。地に落とされたミ=ゴだったが、右手で賀区の頬に切り傷を与え、さらには足を使い突進して仰向けに倒れさせる。


「地上で動けたのかよ。だが、ここで……」


 仰向けに倒れているうちに二つの鎌で無理やり賀区の脳を摘出しようとするミ=ゴだったが、一振りによる一閃で動きが止まる。動かないことを確認した賀区は手早く起き上がり、右足で蹴り飛ばして赤と黒のローブの男性と激突させる。ここまでの戦いの様子に見ていた唯吹も見入っていたようだ。


「す、すごい……」

「最後の最後で弱点を見せるからこうなる」


 舞い上がった砂煙が晴れた先にはミ=ゴから青と黒のローブの男性に戻っていた。ところどころに傷が出来ており、起き上がった瞬間に口から血が吐くぐらいに衰弱。ここまでボロボロの姿を見た赤と黒のローブの男は立ち上がって詠唱しようとしている。


「ミ=ゴがだめならティンダロスだ。時間の力を使って魔術を聞き出してやる」

「それは楽しみだな。……でも次は無い」

「なんだと!?」

「今クトゥルフ様から『人間の意地というものを見せてもらった。こちらからも良いものを見せてやろう』って夢を通じて言ってきてな。近くに唯吹も居るし、やってやるよ」


 とんでもないサプライズに驚きの表情をする男性たちだが、徐々に全面が暗くなっていく。何が起きるのかと唯吹は無言で様子を見るしかできない。


「クトゥルフ神話の旧支配者にして邪神の一柱、クトゥルフよ。分け御霊である我が魂と肉体を依代とし、その姿を一時的に顕現せよ!」


 大きな揺れとともに賀区の身体に青いオーラが全身に包まれていく。そして彼の背後には大きなタコに似た頭部が明確に分かるだけでそれ以外は分かりづらい、オーラで形成された巨大物体が姿を現す。姿が現れるだけでも男性たちは恐怖に怯える。


『余を目覚めさせたいといったのはお前たちか? にしては根性無しと見える』

「ぎ……ぎえええええええええ!!」


 先程までティンダロスを召喚する気満々だった男性も魔導書を落としてただ叫ぶ。流石の様子にクトゥルフからもため息の声が漏れる。


『せめて今までの出来事を夢の中だけで済ませよう。賀区よ、よろしいかな?』

「あぁ。騒ぎを起こそうとする狂信者どもよ。SAN値チェックの時間だ!」


 タコに似た頭部の眼が光り、男性たちはその肉体は消えることはないが、魂に重大なダメージを受けるほどの痛みとその断末魔が島中に響き渡り、崩れるように倒れた。夢から現実へ全面が明るくなる頃、クトゥルフは思わず膝を地につけて呆然としている唯吹の姿を見てあることを呟く。


『ふぅ……。これでまた心置きなくぐっすりと眠れる。そういや、賀区が守っていたあの女の子』

「唯吹のことか?」

『ふむ。夢の中に潜り込もうとしたけど何者かに邪魔されてしまった。ただそれだけ。変な混乱は避けたいから内緒にしておくれ』

「分かった。そうしておこう」


 そしてクトゥルフの気配が消えると同時に賀区の姿が元に戻り、守りの陣形を行っていた魚人の姿も消えて平穏な門の前の風景になった。


「おーい。唯吹、大丈夫か?」

「……あ、ボク、一体どうしていた?」

「どうしていたも何も、ずっとこっちを見えていただろ」


 賀区の呼びかけで我に返ったがまだ整理はついていないようだ。だがどこも外傷が無いことに安堵を浮かべるが、問題は倒れている二人だ。


「さて、あの狂信者は……」

「どうするか決まっているの?」

「強い精神的ショックで今までの記憶は失っていると思う。アーカムの病院に入院させるさ。その後は彼ら次第だがな」


 ただ運ぶのは面倒だよなぁ……と運搬手段を考えていたところを突然ドアが出現し、パカっと扉が開かれた。


「よーっ! 随分と派手にやったじゃないか」

「クリスさん!」

「情報屋! ナイスタイミングだ。こいつらと俺たちを入れろ!」

「待って待って待って。ことの順序というものがあるだろう」


 びくとも動かない男性を強引に扉に入れようとするところをハルクリスが止めつつ、彼の言うことの順序を先に済ませようとする。


「賀区君は任務を終えるとあんな感じだから……全く。唯吹ちゃんに手早く調査の結果を伝えるよ」

「どうなりました?」

「クトゥルフ神群の中に親神の該当は無し。裏情報なども調べたけど君に関する情報は何一つもなかった」

「えっ……」


 本来ならあるはずなのに、全く無い事実に唖然としてしまう。


「一応確認だけど、君の年はいくつかな?」

「えっと……いつ生まれたのか覚えていないの。弥音さんからは、見た目では14か15ぐらいと言っていました」

「なるほどね。僕の推測だけど、情報は最初から存在しないか、または他の要因によって完全に消去されたか。そのどちらかだと思う」

「そのどちらか……」


 ますます自分のことがよく分からなくなり、うつむく様子を見せる。親神どころか、己の正体まで自分からも怪しく見えるぐらいに疑問点が増えてしまった。


「調査の結果はこれで以上かな」

「よし! この島の存在がバレる前にさっさと移動しよう! あとこいつらを病院まで運ばないとだし!」


 無理やりにでも男性たちを入れようとする賀区と戸惑いながらも整理しようとするハルクリスの光景を見ながら唯吹は今後のことを考える。クトゥルフ神群聖地を終えたら、次は最後の中華・ケルト神群の聖地と絶界。手がかりがあまりにもバラバラで本当は存在しないのかと思ってしまうぐらいに。だが、進むしかない。


「唯吹ちゃんもそろそろ入りなよ。扉締めるよ」

「……うん!」


 ハルクリスからの呼びかけで我に返り、そのまま銀の鍵で開かれた扉をくくり抜けた。

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