第5話:ギリシア神群


 翌日の朝。再び万神殿エントランスにある噴水下の地下道に訪れた。いつも通りの表情で歩く弥音だったが、唯吹はカバンを持ちながらどこか眠たそうにしている。時折あくびをし、足取りも遅いように思えたのかギリシア神群聖地の扉の前で足を止めた弥音がこちらに視線向けられた。


「どうしたのですか? そんなに寝不足になるような睡眠時間では無さそうですが……」

「あ、ご、ごめん。ちょっと考え事をしていて」

「考え事?」

「うん。昨日弥音さんから聞いた『自分で戦える力』で考えていてね。他の人とは違ってボクは忘却の子。どうやって戦えばいいのかと考えたら考えるほど……」

「あぁ……。話し忘れていましたね。こればかりは私の失態です」

「弥音さんのせいじゃないよ……」

「話さないと分からないことも多々あるのです。知人から聞いた話になってしまいますが、忘却の子ならではのワンポイントアドバイスがあります」


 ワンポイント? と頭を傾げながらもしっかりと聞いてみる。


「確かに忘却の子に関して持つギフトは不明確なものばかりです。でもその不明確なギフトには大きな特徴があります。コツとして言うなら、その時に聞こえてくる声や思い浮かんでくる光景に従い、イメージすることです」

「イメージ?」

「はい。相応のリスクはあるのですが一番手っ取り早い手段とも言われています。これは他の神子とは違う大きな特徴です」

「へぇ~……イメージかぁ。うん、ボク使いこなせるように頑張るよ!」


 自分の中で糸口を見つけることができたようだ。ちょっとしたうつむき加減で濁っていた紅色の眼がきらめいているようにも見える。これで眠気がすっ飛んで安心感が沸いたところで、改めて二人はギリシア神群聖地の扉を見る。和の風景が描かれたヤマト神群とは違い、大きくそびえ立つ山に空は雷雲という、見るからに危険そうな風景だ。


「大丈夫、なの?」

「大丈夫、だと思います。では行きます!」


 弥音は前に出て、右手で扉に触れた後大きな振動とともに開かれた。その先に見えたのは……空だ。足元を確認するとその先崖であることを確認して落ちないようにゆっくりと歩いていく。


「か、風が強い。こ、ここが……」

「ギリシア神群聖地オリュンポス山です。しかも頂上のゼウス様の神殿入り口とは……」


 誰がここを設定したのだろうと考えていた弥音だったが、その張本人が判明するのはそこまで時間かかることではなかった。


「そりゃ、ここを設定したのは親父の子である俺のおかげだからだな!」


 空間を通じて笑い声とともに耳に通ってくる高々な男性の声。いかにも『王者』の風格を現すような威圧感は唯吹にも感じてきて足がすくんでしまいそうだった。


「な、なに? 何か危険な場所に来ちゃった?」

「……他の神殿と比べて下手なことをしなければ安全な場所です。新人が居るというのに恐怖の印象を与えてどうするのですか、剛志さん」

「あ、バレたか。本当、弥音は鈍感か冷静すぎるか全く分からん!」


 この威圧感は弥音には通じなかったようだ。通路の柱から一人の長身の男が姿現し腕を組んだ状態で近づく。いかにも戦士のような服装を身にまとい、橙色の髪色と茶色の眼をしている。


「だ、誰でしょうか……?」

「紹介しますね。彼がゼウスの子の鎌田かまだ 剛志ごうし。『白銀の獅子シルバーヘラクレスの称号を持つヘラクレスさんに近い英雄的存在です」

「弥音と同じく、執行人の一人だぜ。一応、覚えておきな」

「ということはすごい人!?」

「おう! すごい人だ~! てかそうやって覚えたのか!?」

「私もそんな感じでした」


 改めて考えてみると、いい年で恥ずかしい振る舞いだと気づき目をそらす。一回深呼吸をして振り向き直し、やっとのことで本題に入る。


「さて……お前や新人に関する用件はすべて知っている。親神探しと新人に関しては俺が引き受けよう」

「話が早いですね。それじゃ唯吹をよろしくお願いします」

「え、ちょっと待って。弥音さんも一緒じゃない……?」

「ごめんなさい。私はこれから学校がありましてね。朝早く案内したのはその理由でもあります」

「本当、学徒はそこが面倒なんだよなぁ。高校進学とかやめたらいいのに」

「まぁ、そうは行きませんよ。その代わりというのも……ですが」


 軽く平謝りしつつ、右手で左袖から一枚のお札を出し、唯吹に向けて投げ込む。唯吹に近づいたところでそのお札はポンッと小さな爆破音とともに黒い鳥が出てきた。


「よしきたー!!」

「わっ! あ、八咫烏!」

「よっー! お札から八咫烏の参上だぜ!」


 絶界内のためか今度は三本足の八咫烏が唯吹の右肩に乗って毛づくろいする。緊張はまだ残るが左手人差し指で頭をなでてみると、心地よさそうにすり寄せている様子を見てやっと唯吹もはじめ、弥音も安心感が湧いてきた。


「私の代わりとして八咫烏におまかせします。何かあれば念話で伝えてください」

「おう! 唯吹の守護は任せておけ!」

「それじゃ私は現世に戻ります。剛志さんも変なことはしないでくださいね?」

「親父と一緒だと思うなよ? ほら、行きなよ」


 二つ返事のあと、弥音は来たばかりの扉へと戻っていった。通路に残った唯吹と八咫烏、剛志はゼウスに会うために奥の部屋へと歩き、大きな扉を開く。大広間の中心に大きな玉座があり、そこには稲妻のイメージが強い上半身裸の男性が姿勢を崩して座っていた。真面目にしなければいけないという威厳さが放たれていないのが幸いか。


「おう剛志。……ともう一人があの新人か。名前は……天笠木唯吹ちゃん、かな」

「ボクの名前。ゼウス様知っていたんだ……」

「ま、全知全能だからな。んで、オレに唯吹ちゃんの我が神群の親神探しの要請だな」

「あぁ。親父、お願いできるか?」

「分かったぜ。丁度、ここに居座るのも退屈だったし。赤い勾玉を持っているからヤマト神群の子かと思ったが、そうはないのだな」

「ヤマト神群の調査では該当無しだと、主神アマテラス様はそう告げていたぜ」


 八咫烏の報告でゼウスの口から「残念」と落ち込みながら、剛志から唯吹の顔が写った写真を受け取る。写真を眺めていくと、ニヤケ顔になってきて呟く。


「近い距離で写真を見ると、なお可愛いなぁ。もしも親神見つからなかったらオレの子にならねぇか?」

「親父……」

「おっと。ヘラに睨みつけられそうだ。オレは今から回るから、後は剛志に任せたぜ。そんじゃまた後で」


 とても面倒な展開になる前に、指パッチン一つで雷の光と共にゼウスの姿を消した。静まり返り、誰にも座っていないゼウスの玉座をかわりに剛志が座る。その光景を不思議に思ったのか唯吹の口が開く。


「……玉座に座ってもいいの?」

「あぁ。親父が不在の間は俺か別の子がこの神殿のお留守番をしないといけないのでな。その時だけ玉座に座ることを許されるわけさ」

「なるほど。ということは、ボクはどうしたら……?」

「ちょっと待ってくれ。今から面白いものを用意してやる」


 そう言って剛志は足を組み、玉座にもたれながら右手でスマホを取り出していじり始めた。ちょっとだるそうな表情をしていじる様子は何しているのか気になる所。小声で八咫烏に話しかけて、協力を試みてみる。


「あのー、八咫烏。剛志さんが何やっているから調べてきてくれない?」

「えー、嫌だぜ? ここはゼウスの管轄内。今私がアイツに近づいてみろ。上空から雷が落ちてきて一発で焼き鳥だぜ?」

「そっかぁ……」


 と頬を膨れつつも剛志が次に動くのを待って小一時間。やっとスマホを持っている右手が下がった。


「さて、そろそろ来るかな」

「誰が……?」


 と思っているうちに、瞬間移動で誰かが現れた。全面的に和装服を身に纏っているまではわかるが、腰につけてあるウエストポーチ、いかに大きそうな白と文様のついた青ラインの羽織。そして両手には刺繍の入った指ぬき手袋や頭に付けている文様付きのバンダナ、右肩に弓矢一式を抱えているなど……まさに今から雪国へ狩りに行くようなスタイルの女性だ。


舞前まいぜん 濃紅こべに。只今ゼウス様の神殿に参上した! 用件通り、今から狩りへ……」

「俺が言ったのは探索であって狩りじゃねー!!」


 一人の女性の登場と同タイミングで剛志は激しく突っ込んだ。気を取り直すべく、濃紅という女性は服装を改めて登場した。今度は分厚そうな服装ではないが、やはり狩猟ワンセット(青と白の羽織や刺繍のついた手袋と文様付きのバンダナ、ウエストポーチと弓一式)は手放さないようだ。


「申し訳ございません。改めて自己紹介。名は舞前 濃紅。アルテミス様の子として以後お見知りおきを」

「よ、よろしく……」

「全く。狩りの話をするといつもああなる……。まぁいい。本題に入ろう」


 普段はいたって真面目であり、正義感の強い彼女だが、狩りのために生きた性分が玉に瑕であると思いながら、剛志の口からため息を漏らすぐらいだ。本題に切り替えるため、玉座に持たれかけて乱れきった姿勢を正しくするよう背筋を伸ばし、一度咳払いをして場を緊迫とした雰囲気に変える。


「しばしの間だ。これから唯吹、八咫烏、濃紅で現在出現している『ダイダロス迷宮』へ向かい、その迷宮に住み着くミノタウロスを撃破してきてほしい。俺からのちょっとした試練と受け取っても良い」

「ミノタウロス……って結局狩りじゃないか!」

「奥の部屋に行くためには多少の知恵は必要だろ!」


 剛志と濃紅によるボケとツッコミのやり取りに、唯吹と八咫烏はただ呆然として見ているしか無かった。


「こういうのはギリシア的なコントだ。あんまり気にしなくてもいいぞ?」

「うん。そうしておく」

「色々言い合っても仕方ねぇ。お前たち、生きて帰ってこいよ」


 そう告げられたかと思いきや唯吹の足元に穴が開かれ、そのまま吸い込まれるように地の底へと落とされていった。


「まただぁあああああああああ!!」




 目を開けるとあたり一面が石で天井から壁まで覆われているのが見え、自分が仰向けに倒れていることに気づく。その横には睨みつけられている八咫烏の様子も。


「お、気がついたか。どうやら、ここが『ダイダロス迷宮』みたいだぜ」

「こ、ここが……?」


 ゆっくりと起き上がって立ち上がり(その間に八咫烏は再び唯吹の右肩に乗り)、改めてあたりを見回す。天井や側面の壁は石。前後見舞わせば分岐点らしき階段と先の見えない通路。八咫烏の言っている通り、『ダイダロス迷宮』に落とされていたようだ。


「確か、濃紅さんもここに……。でもどこへ?」


 もう一人同行者がいることを思い出して落下地点周辺で探ってみる。そこまで時間かかることもなく、階段前でセッティングをしている濃紅の姿を見つけた。彼女の手元には毛糸があり、固定位置に固く結びつけているようだ。


「濃紅さん、何やっているの?」

「あぁ、よかった。このダイダロス迷宮は来る度にルートが変わるものでな。迷わないように起点の場所に毛糸を結びつけておくのだ。これでよしっと」


 固く締め上げて、何度引っ張っても解けないことを確認し終えた濃紅は立ち上がった。ちゃんと毛糸がウエストポーチの中にある毛玉とつながっている。


「あ、名前確認するのを忘れていた。あなたが天笠木唯吹だっけ」

「はい。天笠木唯吹です。どうしてボクの名前を?」

「剛志先輩からだよ。連絡ツールを使ってね。あ、八咫烏は以前から知っているから別にいい」

「ひっどいなぁ~。動物に優しくないぞ! 使い魔に優しくないぞ!」

「狩りの対象として見られてないだけ幸いだ。さて、さっさと最深部まで向かおう」


 この後八咫烏が色々と言っていたが濃紅は受け流すように目をそらして歩き始める。廊下をまっすぐ歩いては階段を降り、そして階段を登っていく。振り出しに戻っている様子も無いため順調に進んでいるかに見えていた。

 しかしながら、いくら進んでも最深部までたどり着く気配が全く無く、気がつけば二時間経過していた。最初は早かった足取りも遅くなり、迷宮の知識を持つ濃紅の表情も厳しそうな面持ち。


「これは一番厄介なものを引いてしまった……」

「大丈夫……ですか?」

「むっ……。情報整理のために少し休憩をしよう」


 目の前の階段を見つけ、疲労しきった足を休めるべく座り込む。ホッと一息ついている間に濃紅は水筒を取り出しがてら自分のウエストポーチの中身を確認。元々入っていた4個の大きな毛玉も既に半分切っていた。このままゆったりしてられないと思いつめる濃紅に唯吹が呼びかける声が聞こえる。


「あのー……濃紅さん」

「ん? 何だ……ってサンドイッチ?」

「うん。うちの近くのカカオのマスターさんから貰ってね」


 これは万神殿訪れる前の時間帯に遡る。弥音と唯吹がいつも通りに神明神社前のカカオに入り、神の飲み物を頼む時のこと。マスターである玄氏から唯吹にリュックサックが手渡される。そのリュックの中身に水筒とサンドイッチが入ったバスケットがあり、「何も食わなければ戦は出来ぬ。お昼に食べておくことだな」といつも通り笑顔を見せなかったが、唯吹はその優しさを受け取って向かったのだ。


「なるほど。とてもいいマスターさんじゃないか。有難くいただこう」


 唯吹から受け取ったサンドイッチはハムときゅうりとマヨネーズで彩ったハムサンド。口に運んでみると、思わず笑みが溢れてしまう。


「獣の狩猟ばかりしていた私としては、とても懐かしい味だ……」

「うん! 玄氏さんの作るサンドイッチやカレーライスが美味しくて好きなの。あ、弥音さんの作るご飯も好きだよ!」

「後で主本人に言っておきなよー?」

「あっはっはっは……」


 唯吹の横に座っていた八咫烏もサンドイッチのパンをかじりつくぐらいには先程までたどり着くかどうか分からない状況で行き詰まっていた空気も、玄氏から貰ったサンドイッチで和やかな雰囲気に包み込まれていた。数十分経過し、サンドイッチもすべて食べきったところで二人は再び立ち上がり、八咫烏も唯吹の右肩に乗る。


「よし、迷宮探索再開だ。気合い入れていくぞ」

「はい!」

「引き続きフォローするぜー!」


 探索は再開し、再び廊下や階段を通じて最深部へ向かう。最初こそゴールは見えなかったが、歩いて行くにつれて手応えが獣のにおいや八咫烏の霊力探知で感じ取れてきた。そして奥の大きな木でできた扉にたどり着く頃には再開から1時間半経過していた。


「やっとたどり着いた。おそらくここが……ミノタウロスの部屋だ」

「ミノタウロス……あくまでイメージになるのだけど……怖いよね」

「実際、怖い」

「えぇっ!? つ、詰んだらどうしよ……」

「考えて立ち止まるよりかは突き進むのみだぜ! そのために私とアルテミスの子の濃紅がいるのだからな! そこは安心してもよい」

「う、うん。それじゃ、開くよ!」


 どんな敵か想像するだけでも恐怖で怯える中八咫烏が気合を入れてもらい、勇気振り絞って大きな扉を開けた。扉の先に広がっていたのは大広間。その中心にいるのが……


「これが、ミノタウロス……」


 牛の顔をした人形の怪物ミノタウロスが足に膝をついて眠りについている。濃紅はミノタウロスの眠りを妨げないよう観察をし、あることを気づかせてしまう。


「やっぱり迷宮の時点で薄々と気づいていたが……恐ろしいものを引いてしまったようだ」


 濃紅曰く、通常のミノタウロスは体長が180センチと、平均的な男性より一回り大きい。だが今回のミノタウロスは体長が200センチ超え、一本しか持っていない斧も両腕の筋肉量が通常(万神殿調べ)よりも数倍に増しているためか二本を其々の手で持っているのが特徴。そろそろ目覚めの時と見極めた濃紅の手には既に弓と矢が準備していた。


「私はミノタウロスの動きを止めて急所を狙う。唯吹と八咫烏は腕を切るなりしてなんとかして!」

「え、ボクが!?」

「私も突進か槍を突き刺すしかできないってのに無茶な要求をしてくるものだ」


 そうしているうちにミノタウロスの目が開き、迷宮全体に響き渡るぐらいの叫び声とともに立ち上がった。今でも食い殺されそうな恐怖感が唯吹に襲いかかり、振るえそうなところを八咫烏が気合付けに飛び立つ。


「怯むな! これぐらいで怯えては自分を守れないぜ。私もこれから戦闘態勢に入るからせめて短剣持ちな!」

「わ、分かったよ、八咫烏!」


 唯吹も首に掛けている赤い勾玉の光とともに出てきた短剣を手に持ち、ミノタウロスの行動に備える。


「生贄……人……餌……モオオオオオオオ!!!」


 先にミノタウロスが駆け出して向かった先は……唯吹だ。八咫烏が対処する前に唯吹が放った数本の矢がミノタウロスの左足に突き刺してうつ伏せに倒れさせる。


「さぁ。今だ、唯吹!」

「てい、や!」


濃紅の掛け声とともに両手を使い、力振り絞って短剣をミノタウロスに振り下ろす。しかし、切りつけた場所が傷一つもついていない。


「あ、あれ、全然切れてない」

「モオオオオウ!」

「わぁ! に、にげろー!」


 再び動き出すミノタウロスから駆け足で逃げて距離を作る。だがそのミノタウロスは逃げること許されず、左手に持つ斧を唯吹に向けて投げ込んだ。大きな音に気づいて振り返る唯吹だったが、ここで回避する暇もなく受け流すしかないと短剣を盾に受け止めようとして上手く受け流して斧は明後日の方向に。

 その時、唯吹の脳裏からある光景が目に映る。ミノタウロスにとって致命的な位置が、一瞬ではあるが見えた気がした。

 受け流したとはいえ、ミノタウロスの筋力とパワーは計り知れず、数メートル飛ばされて背中が地上に引きずる結果になって仰向けに倒れる。八咫烏は思わず声を上げた。


「おい! 唯吹大丈夫か?」

「大丈夫だよ、八咫烏……あれ、いつの間に」


 ゆっくり起き上がろうとする唯吹の前には、既にミノタウロスが右手に持つ斧を振り下ろそうとしていた。八咫烏と濃紅もミノタウロスを止めるべく次の行動を移そうとしているが到底間に合わない。大きな脅威を前に唯吹はあることに気づく。しかも頭上には冠らしきものが浮かべて、ピカッと点灯して


「……あそこか! こ、今度こそ!」


 早急に立ち上がり、両手で短剣を下から上に向けて振り回した。長さを見ても切断するには難しいほどの短さだが、振る時だけ切り込みを入れたミノタウロスの右肩を完全切断するぐらいの長さまで伸びていた。


「よし、今だ! くらいやがれ!」


 右手を失って混乱している隙に八咫烏がミノタウロスの目に飛びつき、振り落とされないよう足で堪えながらくちばしでついばんで両目を潰していく。これでミノタウロスも視界をすべて失い、尚更暴れるが攻撃することはなくなった。


「後は頼んだぜ! 狩人!」

「勿論、そのつもりだ。唯吹、八咫烏、ここから離れな!」


 次の攻撃は濃紅が備えており、手には数本の矢が備えていた。攻撃に巻き込まれないよう、すぐに唯吹と八咫烏はミノタウロスから離れる。


「ギリシア神群の狩猟と純潔の神、アルテミスよ。月光の力によって猛牛怪物の物語に終止符を!」


 擬似的ながら月の光によって照らされ、完全に逃げ道を失った。そんなミノタウロスに1本、2本と矢が胴体に突き刺し、次々と雨のように降ってきた矢によってついには動かなくなった後、しばらくして消滅していった。


「ミノタウロス、消滅完了。……唯吹大丈夫?」


 消滅確認を終え、弓を仕舞った濃紅が目にしたのは、疲労のあまり立ち上がらず息が上がっている唯吹の姿だった。心配に想いながらも彼女に歩み寄る。その時には八咫烏も唯吹の横に立っていた。


「ご、ごめんなさい。なんだか急に身体が……」

「初めての本格戦闘だろうからな。帰りは私や八咫烏がどうにかしよう。だからゆっくり休め」

「ありがとうございます……」


 少しして、唯吹の身体が完全に倒れそうなところを濃紅が支える。顔を見てみると、目を閉じて完全に寝入っている状態になっていた。顔色からしてそこまで悪くないと一匹と一人は安堵の表情を浮かべる。


「なぁ、狩人。これってもしかして」

「あぁ。ギフト使用によるものだろう。相当持って行かれたようだな」

「異質とはいえ、初めてギフトを使うにしては上々の結果だぜ。あ、そろそろ戻るっぽいな」


 今居る空間に歪みが生じ、一瞬にして元のゼウスの神殿に移送された。玉座には待ちくたびれていた剛志の姿も。


「お、無事に戻ってきたか。……って唯吹大丈夫なのか!?」

「唯吹に関しては疲れて眠っているだけだ。安心してくれ」

「そ、そうか。いい収穫ができたなら何よりだ」


 濃紅からの報告を受けて安堵の表情を浮かべる。その同時タイミングで降ってきた雷とともにゼウスも帰ってきたようだ。


「よう! 今調査終えたところだぜ……おや、唯吹ちゃんはお眠の状態か。後でアスクレピオスの診療所に連れていきな。万神殿の医務室よりかはとても静かだろう」

「うむ。了解した、親父」

「一応、アマテラスの子の使い魔のカラスには伝えておかないとな。唯吹の親神調査」

「おう! 結果どうだった?」


 結果を言い伝えるため咳を一つ。真面目な表情をしたゼウスは口を開く。


「ギリシア神群の中に該当する親神は…………居なかったぜ」

「……そうか。主や唯吹には後ほどそう伝えよう」

「頼む。さぁ、唯吹ちゃんをアスクレピオスのところに行こうぜ。あ、濃紅ちゃんも来る?」

「ゼウス様がそういうなら……」


 後々一柱と三人と一匹はアスクレピオスの診療所へ向かい、唯吹の回復後も雑談して日も暮れたが、それはまた別の話である。

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