第23話
「許さぬ」
「えっ?」
テムルは聞き返した。許さぬと言われたような気がした。アビはいつになく真剣な顔をしている。
「許さぬって、何をですか?」
「…誰とも結婚するな」
「えっ?」
もう一度聞き返した。
「誰とも結婚するな。許さぬ」
「…一体、なぜ…?」
アビはこんな理不尽を言う人ではない。いつも、フラットに物事を見て、テムルのために言葉をかけてくれる。普通に考えると領主の妻はいないよりいた方がいい気がするし、母も喜ぶと思う。
「私も誰とも結婚しない」
ふい、とテムルから顔をそむけて、美しい横顔でアビが宣言した。
「なぜ、ですか…?」
テムルには訳がわからなかった。結婚?何の話だ。なぜこんな話になった?
「アビ様は次の皇帝ですよね?後継者はどうするんですか」
「なんとかする」
「アビ様と結婚したい娘は国中にいるでしょうに」
「私はしたくない」
少し怒っているアビを見て、テムルは訳が分からないながらも少し嬉しかった。ヨナと似合いの姿にちくちくした胸を思い出す。アビが誰のものにもならないことは何だか嬉しい。
ふふ、とテムルは笑った。アビがこちらを見る。
「アビ様が誰のものにもならないのは少し嬉しいな」
「なぜだ」
「なぜって…」
なぜだろう。テムルは思った。なぜ、自分は恐れ多くも皇子を特別に思うのだろう。
「私はお前を誰にも渡すつもりはない」
テムルが体を起こす。
「私はお前のことが好きだ。他の誰とも結婚したくないと思うほどに」
テムルが言葉を理解したと同時くらいに、アビの顔が近づき、唇が触れた。
唇が離れ、アビが立ち上がる。
「お前に言いたかったのはこの事だ」
そう言って、歩いて行ってしまった。
テムルはあまりもの出来事に、身動きができなかった。アビ様が、俺のことを、好き。他の人とは結婚したくないと思うほどに。
じわじわと嬉しさと恐れ多さと驚きが体に広がる。特別扱いされていた気はしていたが、まさか、このような事があるとは。
あまりもの出来事に何も考えられない。
アビの唇は柔らかく、甘かった。
そういえば、再会のときにも口づけられた気がする。頭に血が上る。
これから、どうすればいいんだ。とテムルは呟いた。
翌朝、早くにアビは発った。テムルには口づけの思い出と困惑だけが残された。
アビ様が、俺を、好き。
油断するとそのことを考えてしまうが、駐留軍の後始末や新領主としてのミネアの裁き、ナミ領にも届いたジェマの麦の配布など、忙しくしている間は忘れられた。
しかしひと息つくと、必ずアビのことを考えた。黄金の髪色。聡明なまなざし。
なぜあの美しい人が自分に心を寄せてくれるのだろう。誰もがアビ様に惹かれるだろうに。
ひと月経ち、少し涼しくなった頃、やっと雨が振り始めた。テムルは農作物を見回った帰り道、これで作物も安心だと考えながら歩いていた。いくつもの心配ごとがやっと解決しつつある。
アビに好きだと言われたことは、もしかしたら夢なのかもしれないと思った。
いずれにせよ、もう忘れられているのではないか。テムルの胸がズキリと痛む。
忘れられたくはない。
アビ様が好きだと言ってくれた、その訳を聞きたい。
アビ様に、会いたい。
心の中の気持ちが、奔流のようにあふれ出した。
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