第15話
「ナミ領では山津波があったそうです」
領地の報告書を読んでいる時に、爺やが言った言葉に、アビは思わず立ち上がった。
「ナミのどこだ?被害は?」
「いくつか家が埋まったそうですが、被害者は幸い、なかったそうです。アイゼンのふもとチカタ村です。ちょうどアビ様が戻られた日くらいのようですね」
「…そうか…。人が助かってよかった」
アビはほっとして再び腰を下ろす。
「領主の息子、テムル様が大活躍だったとか」
「本当か!」
再び立ち上がったアビの剣幕に、ダリは驚きを顔に出さずに「ええ」と言った。
「どう活躍したんだ。テムルに怪我はないのか」
「はい。山津波を予測して知らせに走られたそうで」
「そうか…」
一週間前に会った際、どうすべきかと悩んでいたテムルがそのように有事に動いた事が誇らしい。テムルはいつも自分が領主にふさわしいか悩んでいるが、天災やトラブルがあったときにそうして動けるのは領主の資質だと思う。
「しかし今年は天候がおかしいな」
「はい、その通りでございます。ナミでは大雨か日照りで、作物がひどい有様で」
「…神官の言っていた日照りは今年やもしれぬな」
アビは少し考え、再び立ち上がった。
「爺、出かける」
「アビ様、どちらへ…!」
「キリに行ってくる」
アビは共も連れず、馬に乗り東の領地へと向かった。
ナミでは日照りが続いていた。山津波からひと月がたち、やっとアイゼンのふもとが片づき、落ち着きを取り戻したところだったが、今度は日照りが領地を苦しめた。
「先の大雨があったので、まだため池は枯れてはおりませぬが、このまま雨がふらなければ半月かと」
ため池を視察に行った補佐役の話を聞き、テムルはため息をついた。
「一月も降らないとは…」
「はい。マヤも同じように降っていません」
「あそこは我が国より備蓄が乏しいから、民が飢えているだろうな」
ますます逃げてくる民が多くなる。ナミの備蓄もそこまで多いわけではない。補佐役を下がらせて、テムルは父の部屋に向かった。
この一月、父の具合はますます悪く、テムルが実質領主代行を担っている。先般の山津波以来、補佐役達と少しずつ話せるようになっていたが、父ラモンがテムルの指示を仰ぐようにと説明したらしい。今ではきちんと報告が上がってくるので、領地全体の動きがわかるようになった。
「父上、テムルです」
「入りなさい」
体を起こそうとする父を支える。
父はここ数日で更に痩せた気がする。あまり食事がとれておらず、もはやベッドから起きることも難しい。
母が砂糖につけた甘い棗を小さくちぎって渡す。
「おお、棗か…あれの作るものは、いつも甘すぎる」
小さく笑って父は夏目を口にした。
「ふ、相変わらず甘い。自分の好みだな」
文句を言いながら父は最後まで食べた。テムルは少しほっとした。
「テムル」
「はい、父上」
「残念だが、私はもう長くない」
ずしりと重みを持って父の言葉が響く。テムルも薄々は気づいている。しかし、認めたくない。
「…父上…!」
「私の跡継ぎはお前だ。色々と苦労すると思うが、マヤとの国境のこの領地はこれからますます難しくなるだろう。お前にしか頼めぬ」
父がいなくなることがうまく受け止められず、ただ歯を食いしばって下を向くテムルの肩に手が置かれた。
父が労るように肩を撫でる。
「補佐達の話を聞けばわかる。お前がどれだけ苦労し、どれだけ努力してきたか」
「…父、上…!」
「大変なことも多いが、お前がまず民を愛しなさい。そうすれば民もお前を愛すだろう」
「…うっ…」
耐えられずテムルは涙をこぼした。
「私はもう一月は持たないだろう。お前を跡継ぎだと正式に発表するが、私が死んだあと何かあるかもしれぬ」
「…何か、とは」
涙を拭いながらテムルが聞く。
「お前をどうしても領主にしたくないものもいる。悲しいことだが」
テムルの背中がすっと冷える。ラモンの正妻、ミネアの美しく冷たい横顔が浮かんだ。
「何かあれば必ず皇室にお伺いを立てなさい。いいな。皇帝と皇太子が必ずお前を助けてくださる」
ラモンがぎゅっとテムルの手を握った。
「はい、必ず…!」
握り返したテムルをラモンは優しく見つめた。
「お前とお前の母さんの温かさが私を救ってくれた。苦労させて、すまなかった…」
「…いいえ、いいえ、父上!十分です。十分、幸せでした…!」
握った手に涙が落ちるのもいとわずにテムルは言った。たしかにそう思った。色々なことがあったけれど、自分はこの父と母の子でよかったと心から思った。
一週間後にテムルが後継者だと領内に発表された。正式な後継者は皇室に届けを出して決まるため、同時に届けが出された。
しかし、その結果を待つことなくラモンが亡くなった。悲しみに暮れるテムルのところに2つの知らせがほぼ同時に入った。
ラモンの妻、ミネアが自分の弟を正式な後継者だと主張し皇室に訴えたという知らせ。
そしてもう一つは、日照りが続く隣国マヤが水を求めて侵攻してきたという知らせだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます