第13話
居間に通されたアビは、暖炉の前の椅子を勧められてテムルを振り向く。
「濡れているお前がここに座ればよい」
「いや、そういう訳には…!」
テムルは恐縮するが、結局そこに座らされる。春とはいえ、まだ肌寒いので暖炉に火を入れる夜もある。テムルの体は確かに冷え切っていた。モリーから温かい茶を受け取る。
「アビ様はどうしてナミにいらしたんですか?」
「ラモンの見舞いだ。あまり具合がよくないだろう」
確かに父は謁見式後、すっかり具合が悪くなり寝込む日々が続く。医者の見立てもあまり良くない。
「お前が言っていた水源も見たい」
「ああ…。仰っていましたね」
テムルはアビが話すのを落ち着かない気分で聞いていた。家という日常の中にアビという非日常のかたまりがいることが信じられない。暖炉の火がアビの顔を照らす。その顔がこちらを見つめてどきりとする。
「迷惑だったか?」
「いえ、そんな…!」
ふ、とアビが笑う。
「お前は母上にそっくりだな」
「そうですか?」
どうしてもテムルには髪や肌の色が気になってしまう。確かに母に似た髪、肌の色。
「すぐに考えていることが顔に出る。お前が戻ってくるまで、テムルは何をしたんですかって心配して青ざめていたぞ。」
思っていたのとは違った指摘で、テムルは赤くなって、母ほどではないです!と否定する。
笑い合う二人に安心したのか、母がやってきた。「夕食はいかがですか。皇子様にお出しできるようなものではないのですが…それに、ひどい雨です。よろしければ泊まって行かれては」
「私はありがたいが、迷惑ではないか」
アビは恐縮して尋ねた。
「皇子様、こんなに元気なテムルを見るのは久しぶりです。どうかよければお泊りください」
母がちらりとテムルを見ながら答えた。
「テムル、かまわないか」
テムルは少し照れた顔で
「アビ様がいて下さると、俺も嬉しいです。…まだ嘘みたいですけど」
と笑った。
食事をしながら、テムルは最近のナミの様子をアビに報告した。難民は引き続き増えていること、ラモンは最近ますます体調が悪いこと、雨がなかなか振らずに、降ったら今回のように急に土砂降りになること…。母の前であまり心配をかけたくなかったので、補佐役たちにいびられていることは言わなかった。
「仕事は大変か?…少し元気がないな」
テムルとアビは話が終わらず、食事後に二人で暖炉前に移動した。母が酒と軽食を用意してくれていた。アビがここに来るまでに見てきた街の様子を聞いていると、ふと問われた。
「…そうですか?雨に濡れたからかな」
もう母はいないのに、なぜが素直になれなかった。これ以上アビに醜態をさらすのも恥ずかしかった。いつもテムルはアビに助けられている。アビが助けねばならないのはテムルだけではないのに。
「…話したくないか」
「そういうわけでは…」
アビが杯をあけた。
「別に私に相談しなくとも、お前には沢山友人がいるものな」
「アビ様?」
先日リドと友になれたことはとても嬉しい事だったが、テムルには他にはあまり友と呼べる人間はいなかった。ナミの民には肌の色で蔑まれ、マヤ難民にはナミとの混血であることを誹られた。
「私には、そんな事を話す友は…」
「リドとも仲良くしていたし、あの娘も同郷なのだから仲良くすればよいだろう」
「…モリーのことですか?」
「美しい娘だしな」
なぜか拗ねたようなアビの態度にテムルは不思議になる。
「…私にはあまり友はいません。だから、この間の会はとても嬉しかった。友がどういうものなのかわかっていないかもしれませんが、アビ様にお会いできてとても嬉しいです」
アビがテムルをじっと見た。
「アビ様を友というのは僭越ですが、私にとってはお会いできて、話せればとても嬉しい、大事な存在です」
「…そうか」
アビは柔らかく微笑んだ。
「私もお前に会えると嬉しい。…だから会いに来たのだ。ラモンの見舞いは口実ではないがな」
テムルはとても嬉しくなって、アビと自分に酒をついだ。
「元気がないのは、なかなか仕事がうまくいかないからです」
「仕事?」
「なかなか領主補佐たちが対応してくれず…。あの人たちは混血の私が後継者になるのが気に入らないのです」
テムルはやっと素直に自分の不安を口に出した。謁見式から帰って以後、ずっと気持ちを張りつめていたのがアビの笑顔でほぐれた気がした。
「…なるほど」
アビは少し考え、再び口を開いた。
「お前が混血であることも関係していない訳ではないが、それだけではないと思うぞ」
テムルは顔をあげた。
「私が次期皇帝であることを面白く思わない者もたくさんいるのだ。若すぎる、生意気すぎる、礼がない…探せば粗はいくらでもある」
テムルはじっとアビの言葉を聞いた。
「言葉を尽くして心を開いてもらうが、それも通じない者には結果を出すしかない」
「…結果」
「お前が信頼に足る人間だということを示すしかない」
信頼に足る人間かどうか。テムルは自問した。自分は補佐たちにとって信頼に足る人間だろうか。気がつくとアビがすぐ側にいた。アビは笑みを浮かべてテムルの手を握った。
「大丈夫だ。お前にはできる」
アビの声はいつもテムルの心の真ん中に届く。アビが言うのなら、できる。そう思った。
「…はい!」
アビの手を握り返し、テムルは必ずできる、ともう一度心の中で唱えた。
次の日も雨で、水源の散策をあきらめたアビはテムルと共にラモンを見舞った。ラモンの体調はさほど悪くなく、アビの訪問を驚きながらも喜んでいた。ラモンが人払いを命じたため、テムルも部屋の外で二人が話し終わるのを待った。父は日一日と悪くなっているように見える。これからどうなるのだろうとテムルは不安になった。
話し終わったアビが部屋から出て、テムルを呼んだ。
「アビ様、父が面倒をかけたならすいません」
「いや、面倒など一つもない。ラモンはよくやってくれている」
「そうですか…」
「テムル」
呼ばれて顔を上げると、すぐ近くにアビがいた。ぎゅっと抱きしめられる。
「何かあればすぐに城に連絡してこい。いいな」
小さな声で言われ、テムルは慌てて答える。
「は、はい」
すぐに体を離すと、アビはてきぱきと帰り支度を始めた。従者が迎えに来て、ミネアが用意した茶を飲むこともなく一行は旅立った。
テムルは昨夜を思うと、現実ではないような気がしたが、先ほど抱きしめられた温もりがまだ残っている。アビは確かにさっきまでここにいた。ぎゅっと目を瞑って何度かまばたきをする。自分のやるべきことをしなければ。
ラモンに最近の報告をし、雨が続いているので川の見回りを強化することを打ち合わせた。
「…大丈夫。できるはずだ」
困難が待つのは変わらぬのだが、不思議と前向きになれた。結果を出す。信頼される。アビの言葉を反芻する。
出来るだけのことはやってみようと思った。
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