第8話

「…お前もそう思うか」

「は、はい」

なぜかどぎまぎして答える。

「なぜ私が求婚すれば誰もがなびくのだ」

「だってアビ様は、かっこよくて賢い皇子様じゃないですか。断る理由がありますか」

「…?なぜ断らない理由が『かっこよくて賢い皇子』なのだ?」

「どんな娘も憧れるでしょう?あなたのような皇子に選ばれることを」

アビはしばし黙った。テムルは変なことを言ってしまったのかなと思った。リドに与えられた部屋に着き、すやすや眠るリドをベッドに横たえた。

二人になり、アビが言った。

「かっこよくて賢い皇子に選ばれたいというのは、私に愛されたいというのとは違うだろう」

「アビ様…」

「お前がマヤの血を引いているからと疎まれることと、私が皇子だからもてはやされるというのは、全く違うが、ある意味同じなのだ。私たち自身を評価されていないという意味において」

静かに言ったアビに、テムルは胸がしめつけられるような気持ちになった。アビの言うとおりだった。なぜ、自分の痛みには敏感なのに、人の痛みにはこんなに鈍感になれるのだろう。アビもまた一人の青年で、悩みや辛い事がないはずかなかった。自分が恥ずかしかった。立ち尽くしていると、アビが部屋を出ていった。


アビは、自分が思い違いをしていたのだと思った。テムルはなぜか自分のことを理解してくれていると思っていた。一度しか会ったことがないのに。テムルが言っていることは一般的な事で、テムルに悪気はない。わかっているのに、傷ついたような気持ちになった。

やはり、恋とは妄想なのだ。テムルは普通の青年なのだ。アビは宴席に戻る足を早めた。

「アビ様」

テムルが後ろから呼び止めた。アビは迷いながらも足を止めた。

「アビ様、すいませんでした。俺は自分の事ばっかりで、無神経で、バカです…。でも」

そう言ってテムルはうつむき、決意したように顔をあげて、大きな声で言った。

「アビ様がかっこよくて賢いのは事実だし、皇子だから魅力的なんじゃありません。みんなアビ様の事をどんな人か知らなくたって、すぐに好きになります!」

あまりもの勢いにアビは何も返せず聞いていた。

「今日だってすごくいい話ができたのはアビ様のおかげだし、俺が領主になろうって思ったのもアビ様のおかげだし、今日はずっとアビ様といつ話せるかって楽しみにしてたのに…!」

テムルは興奮のあまり、自分が言っていることもよくわからなくなってきた。でも、アビ皇子が素晴らしい存在だっていう事を何とか伝えたかったし、せっかく話せる機会がこんな風になってしまった事が悔しかった。

「アビ様みたいに賢くいるには、努力してるって俺だってわかります。皇子だからだけじゃなくて国のことを考えてるアビ様だからかっこいいんです。リドがヨナを取られるって思うのも無理ないって思うし、俺が頑張れるのもアビ様のおかげだし、アビ様は、アビ様は…!」

ふわりとテムルの鼻先が何かをかすめた。アビの指先が唇の上に触れた。

「…わかったから、もういい」

アビの頬に赤みがさしていて、テムルの方が何故かうろたえてしまった。

「行くぞ」

照れたように背を向けたアビにテムルは駆け寄った。


先程までの冷静さが嘘のように、アビの心の中は再び乱れていた。アビは確かにテムルの事を知らず、恋など妄想なのではないかと思った。しかし、テムルの一生懸命な姿を見て、また動揺し、嬉しく、可愛らしく感じた。テムルがアビに向けているのは、尊敬と友情だとはわかっているが、顔を真っ赤にしてアビがいかに素晴らしいかを語られると猛烈に恥ずかしかった。テムルといると、普段気づかない自分に気づく。普段思わないことを思う。

「アビ様」

隣を歩くテムルがアビの名を呼んだ。

「…何だ?」

「俺、本当は今回、アビ様に励まして欲しかった。甘えてました。自分が至らないのは自分のせいなのに」

テムルを見ると、真剣な顔をしていた。

「ここに来てわかりました。大変なのは俺だけじゃないって。だから俺、自分で頑張ります」

「…そうか」

アビは少し残念に思う。なぜだか頼りにされるのはいやではない。しかし、テムルが何かを得たのならよかったとしよう。

「…アビ様は、自分が辛い時はどうしてるんですか?」

思わぬことを聞かれて、アビはしばし考えた。

「…解決できる案件なら、あらゆる方法を考える」

テムルは驚いた顔をした。

「辛い時もですか?さすが、アビ様だなあ」

「しかし、できない時はじっと耐えるしかない」

「アビ様にも解決できないことが?」

「…母が死んだことはそうだったな」

母はアビが3つの時に亡くなったので、アビにその時の記憶はない。しかしたびたび、なぜ母がいないのだろうと悲しい気持ちになった。父や周囲の人間は確かな愛情を注いでくれたが、埋められない穴のようなものがある気がした。しかしそのことは言えなかった。言っても、誰も解決できない。


「アビ様」

テムルがそっとアビの手を握った。

「アビ様は気づいてないかもしれませんが、アビ様の言葉で救われたり元気になったりする人はたくさんいます」

テムルの手のひらは大きく、温かかった。

「俺もそうです。アビ様が辛い時、何もできないけど、心配してる人がいっぱいいます。次にそんな事があったら教えて下さい。俺、側で心配しますから」

アビはじんわり温かい気持ちになると同時に、ふふ、と笑った。

「嬉しいが…心配するだけか。何かしてくれるわけではないんだな」

「えっ」

テムルが赤くなる。

「だってアビ様が解決できないような辛いこと、俺ができることはないかなって」

「いや、あるぞ」

テムルが不思議そうにアビを見る。アビはにっこり笑った。

「ぎゅっと抱きしめてくれればいい」

テムルが納得した表情になる。

「なるほど…!俺も辛い時は母さんが抱きしめてくれます!」

促されてぎゅっと抱きしめると、テムルは去年もこんなことがあったことを思い出した。アビは去年よりも大きくなって、テムルを抱き返す。何だかいい匂いがして、テムルはどきっとした。つやつやした髪が視界に入る。頬にアビの耳があたっていて、少し熱い。ややあって、テムルが体を話そうとすると、アビにもう一度抱きしめられる。

「もう少し」

アビが小さな声で言ったので、テムルは驚いた。これまで聞いた中で一番弱々しい声だったからだ。もう一度、テムルもアビを抱きしめて、二人はしばらくそのままでいた。

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