第3話

「ラモンは何を考えているのか。こんな得体の知れない若者を領主代理とは…」

ネモは恰幅のよい体格をものともせず、アビとテムルの間に入ってきた。少し酒が入っているようで、目元が赤い。テムルは向けられた敵意を感じたが、ぐっとこらえた。このようなことは、よくあることだと自分に言い聞かせる。

「チゴ領のネモ様でございますね。初めてお目にかかります。テムルでございます。父ラモンより大変お世話になっていると伺っています」

ネモは少し眉をあげたが、攻撃の手を緩めなかった。

「言葉だけは巧みなようだが、腹の中は何を考えているのやら。マヤの者は肌だけでなく腹も黒いからの」

思わずネモを見る。チゴという強大な領地を治める者がこのような言葉を吐くとは、テムルには信じ難かった。

「ラモンも黒い女の何が良かったのやら…」

かっと頭に血がのぼる。母のことを言われるのは我慢ならなかった。

「テムル!!」

驚くほど大きな声でアビがテムルを呼んだ。周りの者も何事かとこっちを見る。

「皇子の私が話しているというのに放ったらかしとは何事だ!ネモ、お前もだ!」

ネモが即座に、大袈裟にお辞儀をする。

「申し訳ございません!」

「テムル、このような場が初めてとはいえ礼儀知らずが過ぎるぞ!」

「も、申し訳ございません…!」

先ほど上った血が全て足下まで全て下がるような気分だった。このような場で皇子を怒らせてしまうなど、テムルにはどう解決すればよいか見当もつかない。

「ならぬ!こちらへ来い!」

アビ皇子に強引に手を引かれ、宴の輪から外れる。どんどん進む皇子に連れられ、着いた先は城内の庭園だった。父ラモンにどう詫びればよいのか。いや、帰れるのだろうか。テムルは絶望的な気分で立ち尽くした。


「…ここまで来ればよいだろう」

手が離される。アビが振り返り、にこっと笑った。

「大丈夫か?ネモはネチネチしつこいからな」

輝く笑顔を見て、テムルはこの美しい皇子が自分を救ってくれたのだと知った。

「あ、ありがとうございます…!」

「お前、母上のことを言われた時、人を殺しそうな目をしていたぞ」

テムルは恥ずかしさで顔が熱くなった。あんなにも父に迷惑をかけてはいけないと思っていたのに。皇子に助けてもらうのは今日だけで二度目である。

「あ、あの」

「ん?」

「なぜ、こんなに良くしてくださるんですか?」

アビ皇子は不思議そうな顔をした。

「なぜって…別によくなどしていないだろう。昼もお前は正しい招待状を持っていたし、今も悪いのはネモだろう」

「で、でも、俺は混血で、こんな肌の色なのに」

これまでそんな事を言ったことはなかったのに、初めて口をついて出た。言ってみて、テムルはこの事実に自分が強くとらわれている事に気がついた。

「肌の色が何なのだ?美しいと思うがそれがどうかしたか?」

思いもかけない事を言われ、テムルは驚きを通りこして呆然とした。

「美しいからと贔屓しているつもりはないのだが…いや、贔屓だったか?」

アビに真面目な顔で問われ、テムルは吹き出した。

「う、美しいって…!何言ってるんですか、アビ皇子。美しいっていうのはあんたみたいな人の事だよ。俺が言ってるのは、浅黒い肌で嫌われることも多いのによくしてくれるなって」

アビはまた心底不思議そうな顔をする。

「お前が美しいのは事実だし、肌の色で嫌われるいわれは何もない。心の狭い人間が異質なものを受け入れないだけのことだ」

テムルは笑うのをやめた。アビの言葉はテムルの心にまっすぐに届く。

「アビ様」

「ん?」

庭園をゆったりと歩き出したアビ皇子にテムルは声をかけた。

「俺は…、俺は、領主になれるでしょうか」

「…?…なれない理由があるか?お前はよくナミの様子を把握していたし、言っていることも要点を得ていた。お前がナミを愛するならよい領主になれるだろう」

なぜだか、テムルは泣きそうになった。涙をこらえて立ち止まったので、隣を歩いていたアビ皇子が不思議そうにのぞき込んだ。たまらない気持ちになって、テムルはアビを抱きしめた。

「おい…!」

アビの肩に顔を埋めて、テムルは少し泣いた。誰かに言ってほしかったその言葉を、この国の皇子がくれるとは思っていなかった。テムルはこれまでに何度か聞いた、年寄り達の言葉を思い出していた。皇帝が見ていてくださるから、俺たちはやっていけるんだ。皇帝は、きっと見ていてくださる。だからズルはしちゃいけない。ああ、その通りだ。


アビは突然の抱擁に、驚きのあまり固まっていた。アビは早くに母を亡くしているので、あまり抱きしめられた記憶がない。温かく、弾力のある筋肉に抱かれるのは心地よかった。少し甘く、爽やかな香りがする。柑橘のようなその香りも好ましかった。

「す、すいません」

ややあって、テムルが抱擁をといて向き直った。

「俺、気持ちが高ぶっちゃって…母さんがいつもこうしてくれてたんで、癖で」

テムルの頬は紅潮し、目元は涙で潤んでいた。アビは何故だか心臓がすごい早さで動き出した事を感じていた。テムルがへへ、と照れ笑いして、それにまた胸が締めつけられる感覚を感じた。

「本当だったんだな、じいちゃん達が言ってたの」

「何がだ?」

「皇帝は見てて下さるって。俺、アビ様が見てて下さるなら領主、頑張れるかもしれません」

いよいよ止まらない動悸に、アビは重病を疑い始めていた。しかし、まだテムルと話していたい。

「そうか。それではネモごときに負けていられぬな。宴に戻って顔を売るとするか」

「はい!」

少し心臓がおさまって来たことに安心して、アビはテムルと宴に戻った。先ほどの件はあまり騒ぎにはなっておらず、ネモはテムルが絞られたのだと思って満足そうにしている。父皇が遠くでにやにやとこちらを見ている。後で詳しく聞かれることだろう。テムルは気を取り直し、他の領主に挨拶に回っている。やはり、浅黒い肌も逞しい体躯もアビにはここにいる誰よりも美しく見える。また少し心臓が動き出した。早めに退出して医師に見てもらった方がよいかもしれない。


アビ14才、テムル17才の出会いであった。

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