第2話

二人を見送ったアビは、控えの間を後にして父の私室に向かった。

「父上、失礼いたします」


父は礼服の準備をしているところだった。上着を着ながら、

「お前がいないと従者は困っているし、門番はアビ様が変な若者を城に入れたと言ってきたぞ」

にやにやと父がからかうように言う。

「…もう戻ります。父上、その変な若者はナミ領のラモンの代理で来たそうです。ナミに行った時に噂に聞いた、混血の息子です」

「ああ…ラモンにはまだ跡継ぎがおらぬのだったな。マヤの娘にできた男の子はもうそんな年か」

「はい。美しい若者です」

父皇がお、と驚いたように目を細める。

「お前が他人の事をそのように言うのは珍しいな…しかし、混血の青年が跡を継ぐとなればもめるであろうな。これまでも苦労しているだろう」

「はい、…しかしとても率直な物言いをする青年です。いやな気はしませんでした」

「そうか、それはきっと親の育て方がよいのだろう。マヤの民に対する世間の目は厳しい。その中でまっすぐ育つのは、愛情深く賢い親があっての事だろう。アビ、お前は苦労知らずのところがあるから学ぶことも多いだろう。ぜひ話させてもらいなさい」

父皇の言う事はもっともであった。


「はい。…すでにえらそうだと二度言われてしまいましたが」

父皇は目を丸くしてアビを見て、吹き出した。笑いながら、お前はたしかにえらそうだ、見る目のある若者だとずっと言っている。自分で言ったものの、あまりにしつこく言われるとカチンとくる。

笑い続ける父を置いてアビは自室に戻り、半泣きの従者から礼服を着せてもらいながら、そういえば父と爺や以外にあんなことを言われたのは初めてだなと気がついた。


謁見式が始まった。

ザナ皇国はチゴ、カヤ、ナミ、キリの4つの領地と首都ガルドの5つの地域から成る。旗印は5つの地域を示す五芒星、その中心にさらに輝く星が記される。この星は皇家を指す。道は首都ガルドから各領地に放射線状に伸びている。


各地域の領主は順に挨拶と報告を述べるのだが、付け焼き刃にしてはテムルの口上は立派なもので、アビは感心した。父の方を見ると何故だか嬉しそうにしていた。今年は大雨もなく、概ね豊作の地区が多くほっとする。しかし、神官の占いでは数年のうちに日照りが訪れるという。蓄えと備えが必要であると父が領主たちに伝える。


領地のうち、最も大きな面積を持つのはチゴ領である。領主のネモは悪い人間ではないが考えが古く、傲慢であった。皇帝アグリや皇子アビに対して敬意ある振る舞いを忘れることはなかったが、領民や他の領主に対しては居丈高に振る舞った。テムルを見る目にも蔑みが見られたので、アビは夜の宴が心配になった。テムルが絡まれなければいいが…。


アビは不思議だった。なぜ会ったばかりの見知らぬ若者をこんなに気にしているのだろう。


つつがなく式は終わり、宴が始まる。

美しい笛の音はカヤの楽団だ。このために領地から連れてきたのだ。皇帝アグリがカヤを称え、皆が賞賛の声をあげている。賑わいの中、アビはテムルの側へ近寄った。


「ご苦労だったな」

「あっ、あんた…!いや、アビ皇子。先程は大変失礼いたしました…!」

「かまわぬ。身分を明かさなかったのは私だ。急な代理とは思えぬ口上だったぞ。ラモンも喜ぶだろう」

緊張ではりつめていた表情が緩む。

「あ、ありがとうございます。父上の名前に泥をぬっちゃいけないと、必死だっただけですけど…」

「立派なものだった。ラモンの体は大丈夫なのか」

「はい、お医者さまが言うには体の中に石があって、それで今動けないほどの痛みなんですが出てしまえばどうということもないと…」 

「そうか」


テムルはどぎまぎしながらも、作り物のように美しい少年の質問に必死に答えていた。自分が首都にいて領主代理を務めていることも含めて、何だか夢の中にいるようだった。


テムルが物心ついた時には、自分は人と違うのだと思い知らされていた。ザナの人々はみんな肌が白く、テムルは浅黒い。違うものを人は嫌う。小さな頃、汚いといじめられ、家でずっと体を洗っていたことがあった。擦れば色が落ちると思ったのだ。泣きながら体が赤くなるまで擦っていると母が飛んできて、抱きしめて言った。あなたに汚いところなんてどこにもない。汚いというのは、そんなことを言う人の心のことなの。


愛情深く育てられたテムルの心がねじ曲がることはなかった。でも、差別はなくならない。自分と母を守るためには強くならなければと思った。幸いテムルは大柄で力も強かったので、ますます鍛錬に励むようになった。今や、同じ年頃でテムルに勝てるものは誰もいない。


父ラモンは優しく実直な人だった。母とテムルが住む別宅にしょっちゅう顔を出してくれたし、テムルを可愛がった。しかし、父はフェアな人であるがゆえに正妻をないがしろにはしなかった。正妻に非はない。子がいないだけだ。正妻に対し礼儀と優しさを忘れなかった。ゆえに、テムルが後継となることはないのではないかと思われた。


しかし、テムルが15になったあたりからラモンは体調を崩しがちになった。命に関わるようなものではなかったが、弱気になったラモンはテムルを連れて歩くようになった。少しずつ仕事を教え、領主の仕事を学ばせようとしている様子が伺えた。しかしまだ、正式に何か言われた訳ではない。そんな中、今回の事件が起こった。


痛みにうめくラモンに医師は、命に関わる病ではないが、石が出るまでは動けまいと言った。テムルは当初より同行予定だったため、何をしにいくのかは理解していた。しかし、お前が代理として行ってほしいと言われた時には本当に驚いた。どこかで、父は自分を可愛がってくれているが後継にはしないだろうと思っていた。ナミ領にはマヤから逃げてきた人が多い。みな努力して暮らしているが、差別のため職を得られず罪を犯す者もいる。それゆえマヤの人々が治安を乱していると思われている。

テムルの肌を見ればマヤの血が入っていることは一目瞭然だ。領主としてやっていくのは苦難の道だろう。

「テムル、大変なことを頼んでいることはわかっている。しかし、お前ほど弱き者たちの気持ちをわかってやれる領主になれるものはいないだろう」

父の言葉の重さにテムルは動揺した。と、後ろで水差しを落とす音が響いた。ラモンの正妻、ミネアがよろめいていた。ミネアはテムルの目から見ても美しく、完璧な正妻だった。領民に優しく、領主の妻を正しく努めようとしていた。テムルにすら表面上は厳しく当たることはしなかった。それは「妾子にも心優しい正妻」という役割を演じているかのようだった。

よろめいたミネアを支えようとテムルは駆け寄った。テムルにしか聞こえない声でミネアは言った。

「この汚い子が次の領主などと、おぞましい…!」


「テムル!」

はっと気づくと、アビ皇子が心配そうにこちらを見つめていた。

「申し訳ございません、ぼんやりして」

「皇子さまにお話頂いているというのにいい気なものだな」

話に割り込んで来たのはチゴの領主、ネモだった。

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