アビ皇子の執着と戦略

宮原にこ

第1話

「皇子!皇子〜。アビ様〜!」

遠くで従者の呼ぶ声が聞こえる。アビはげんなりして身を隠す。今日は天気がいい。外で昼寝でもしたい。


ザナ皇国は北に海、南に山を持つ非常に豊かな国である。大きく五つの領地に分かれ、各地を領主が治めている。


皇家が直接管轄しているのは首都のみだが、国を開いた血筋として各領地から畏敬され、租税が納められているため、国庫も潤っている。アビはこのザナ皇国の皇子。そしてここは、首都ナガルの城である。


ザナは平和だが、懸念があるとすれば国外で、南のマヤ国がここ数年飢饉と悪政で荒れており、ザナの領地を狙う可能性があることくらいである。


今日は年に一度の謁見式、皇帝と領主達のコミュニケーションの場となる。各領地から領主が訪れて名産品と租税を納め、近況を報告した上で夜は懇親の宴が催される。アビは皇子としてもちろん出席せねばならないのだが、用意周到すぎる従者たちが会の5時間も前から礼服を着せようとするので逃げ出したところであった。


サボろうというわけではないが、5時間も前にあのような息苦しい服を着込むことはなかろう。

爺やに言わせると「詭弁」らしいが、アビは言いなりの皇帝にはなりたくなかった。父皇帝も次期皇帝となるアビの事を「己の判断軸を持て」と育てていた。結果として、賢く鋭いが生意気な今のアビが出来上がったのである。


アビは確かに生意気な14の子供であったが、十分に自覚していた。自分が次の皇帝であることを。


少し前まで、アビは得意な数学や幾何はやっても、歴史や国語の勉強は怠けてばかりだった。城の中に同年代の友がいない事を嘆き、暇を見ては城を抜け出して遊びに出かけていた。

そんなアビを、父は領地に連れ出した。身分を明かすこともあれば旅の父子として振る舞うこともあった。そこでアビは人々の穀物の出来や川の氾濫、領主の横暴、若者の鬱憤を聞かされた。

しかし誰もが言った。

皇帝が見ていて下さる、だから何とかなる。父は言った。この信頼を積み上げたのはこれまでの歴史なのだ。それを知らずして何がお前にできよう。


アビは理解した。何のために学ぶのかを。民の信頼を失ってはならない。民の平穏を守らなければならない。今のザナ皇国の繁栄は今皇帝及び先帝達の努力の結果なのだ。かくして、家庭教師も驚くほど勉学に励むようになり、生意気だが出来のいい皇子としてアビは日々を送っているのだ。


城門の方から争う声が聞こえてくる。謁見式の日に物騒な、とアビは声の方に向かう。

「だから、違うと言っているだろう!」

大きな声を上げているのは逞しい若者だった。年の頃は16、7であろうか。ナミ領の衣装を着ている。礼服だが質素な身なりで、この地区には珍しい浅黒い肌をしている。ザナの人々は白い肌であることがほとんどで、特に首都では有色の肌は珍しかった。


「私はナミ領の領主代理だ、間違いない!」

「そんな肌の色の領主さまがいるものか!嘘をつくな!」

やりとりを聞いてアビは気づく。昨年父とナミ領に行った際に聞いた。ナミの領主には正妻との子がおらず、マヤ国から逃げてきて保護した女性との間に男の子がいると。


ナミ領は山を挟んでマヤ国と隣接しており、飢饉で逃げて来る難民がいる。ザナで暮らしたいと望む難民は受け入れる方針なので、ナミ領にはマヤからの難民が増え続けている。

マヤの人々は肌が浅黒く髪も黒い。見た目の違いから差別されたり、閉鎖的な考えの人々とぶつかることもある。父皇の頭を悩ませている問題である。門番は初めて見るであろう容貌だ。それだけで領主であるなどあり得ないと思ってしまうのも無理はない。


「招待状を持っているか?」

突然現れた少年に、全員が動きを止める。門番が驚きのあまり固まったのをいいことに目で黙れと制する。「これ」

不機嫌な様子でしぶしぶ出した招待状は間違いなく皇室からのものだ。領主代理というのは嘘ではないだろう。

「領主はラモンだったかと思うが…」

「父が急に体調を崩してしまって…それでも行くつもりだったんですが、昨日動けなくなってしまって。早馬を飛ばすよりも俺が着くほうが早いかと」

「なるほど、そうか。」

浅黒い肌に汗を浮かべて、つやつやと頬が輝いている。大急ぎで来たのだろう、式の開始にはかなり早い。混血の若者をこんなに近くで見たのは初めてだが、随分と美しいなとアビは思った。

アビは白い肌にまっすぐな金の髪で、首都では美しい皇子だと騒がれているが、あまり自分の見た目をいいと思ったことはない。同じ金髪でも父のようにわさわさとカールして、体中毛が生えている方が逞しいと思う。幼い頃に亡くなった母に似ているらしいが、母よりも父に似たかった。若者の黒髪はくせが強くあちこちを向いていて、濃い眉や大づくりの目鼻だちはくっきりとしていて、健康的な美しさがあった。まじまじと見過ぎている自分に気づき、状況を思い出す。


「式にはまだ早いな。控えの間に案内しよう」

慌てふためく門番を制し、アビは若者と従者の先に立つ。

「ちょっ…」

慌てて二人が着いてくる。

「あのっ、ありがたいけど随分とえらそうだな、あんた。父上のことも呼び捨てだし」

追いついた青年がアビに言った。アビがちらりと見ると、憤慨しながらついてきている顔が目に入る。怒ると何だか可愛らしい。

「名はなんという」

「ちょっ、聞いてる?俺の話。引き続きえらそうだし…」

「名は」

「テムル!おい、あんたの名前は?ていうか、俺の方が年上じゃねえの」

もう一度振り返ると、アビの早足にテムルだけがついてきていた。従者ははるか後にいる。

「アビだ。あの従者の疲れ具合を見ると、夜眠らずに来たのか」

「あ、うん。万が一遅れでもしたら父上や母上が何て言われるか…」

アビの記憶によると、昨年の謁見式ではテムルが領主の跡継ぎであるとは報告を受けていない。

「テムル、お前がナミ領を継ぐのか」

「…わかんねえ。奥様や領民たちが何て言うか…」

マヤの血を引く若者を、快く思わない者もナミ領には少なくないだろう。しかし、率直な物言いは不思議とアビをいやな気分にさせなかった。領主のラモンは実直な男だ。ここに来させたということは、ラモンはこのテムルを跡継ぎにしたいと思っているのだろう。

やっと従者が追いついた。


「控えの間はすぐそこだ。今夜は宴もある。式までゆっくり休むと良い」

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