第2話「漂流者」

 箱の中には、デバイス本体と手首に固定するためのベルト、充電器が入っていた。それらの入ったビニールを取り出すと同時に、ほんのりと甘い香りが鼻をくすぐる。新品の機械の匂いだ。袋から本体を出して、画面保護シートを剥がす。


 ヒーローデバイスは年度によってモデルが変わる。今年のは比較的シンプルなデザインで、一回り小さいスマホのような見た目だ。僕が「ヒーローデバイス」と聞いてイメージするのはもう少し大きくてゴツいものなので、技術の進歩を感じさせる反面、どこか物足りなさも覚える。とはいえ、これが僕のヒーローデバイス。僕がヒーローである証となるわけだ。


「まず、使用者登録を行います。画面横の丸い部分を押してください」


 深山さんに言われるまま、机の上に置いたデバイスに触れる。フォン、という小気味いい起動音が鳴って、画面に「Hello, hero.」という文字が表示された。

 言語と利き手の選択を済ませ、名前と遺伝子情報を記録する。これで僕のデータが一般ヒーロー管理委員会に送られ、このデバイスの使用者は正真正銘僕になったわけだ。


「では、スーツを着用します。メニュー画面から『スーツ展開』を選んで、準備ができたら『はい』を押してください」


“ヒーロースーツを展開します。よろしいですか?”

“はい” “いいえ”


 僕の指が、「はい」というボタンに触れる。ポン、という軽やかな決定音が響く。ブラウン管テレビに手を近付けた時のような感覚が全身を駆け抜けた後、青い光が僕の体を覆い、一瞬目の前が真っ白になる。やがて、自分の体が丈夫でしなやかな赤色のスーツに包まれていることに気付いた。


「スーツのサイズが合っているかどうか、きちんと手足が動かせるかどうかなど確認してください。問題はありませんか?」


 周囲を見回すと、僕以外の人も変身している。浜地さんが青、伊倉さんが緑、多摩さんが黄色で、左門さんが桃色のスーツだ。


「それが、あなたたちのヒーロースーツです。今はデフォルトの状態ですが、使っていくうちに体に馴染み、それぞれの能力に合った形に変化していきます」


 これが、ヒーローとしての僕……。あらためて自分の体を見回す。動きやすさを重視した無駄のないフォルムで、このままでも十分戦えそうだ。全身に力がみなぎるのを感じる。


「ヒーロースーツには皆さんが戦闘で負傷しないよう保護する機能が付いていますが、絶対ではありません。無理な戦闘は避け、必要最低限の行動に留めてください」


 ヒーロースーツは、簡単に言えば「ネイティブの肉体をプロテゴに近付ける強化被膜」だ。人にもよるが、プロテゴは多かれ少なかれ「補正力」というものを持つとされている。この補正力がある限り、彼らはそう簡単に怪我を負うことはないし、多少の負傷で生命の危険に冒されることもない。また、本人が心の底から望めば、極めて成功率の低い事象も実現させられると言われる。この補正力を薄い膜状に実体化させてネイティブの人間が纏えるようにしたものがヒーロースーツ、というわけだ。


 ヒーロースーツやヒーローデバイスは、科学者の根本ねもと博士という人物が生み出した。彼はプロテゴの持つ補正力に着目してヒーロースーツを完成させ、一般ヒーロー制度の実施に大きく貢献している。僕がこんな風に詳しいのも、中学時代、一般ヒーローに憧れて関連する書籍や資料を読み漁っていた際に彼の著書を読んだためだ。そして、根本博士は現在、瓦落科学研究所――左門さんの職場の所長をしている。


「それでは、さっそくスーツを着ての訓練を開始しますので、別室に移動します。一度変身を解除してください」


◆◆◆


 ――同時刻、瓦落市郊外・鎮守の森。


「ねえブレブ、前から思ってたんだけど、なんでいつも仕事の後に神社に来るの?」


「あー……今日も死なずに仕事ができたってことに対する感謝の気持ち……かな。ここには俺の世界の神はいないみたいだから、神社で代用してる。『郷に入っては郷に従え』が俺のルールだからな」


「ふーん……見かけによらず信心深いんだね」


「よく言われるよ」


 私の前を歩く少年は、いかにも「ファンタジー世界の剣士」といった風貌だ。民族衣装のような模様が刻まれた薄茶色の布を纏い、その上から太くてごつい革のベルトを巻いている。腕や脚には申し訳程度に青い防具を着けていて、その背に一振りの剣を担いでいる。年齢は10代半ば辺りに見えるが、実際の年齢はそれよりも遥かに上だと聞いた。彼の名はブレブ・コラッジョ。プロテゴの剣士であり、この街を守るヒーローの一人だ。


 対する私の名は友綱ともつな 真代まよ。34歳の主婦で、瓦落市の2016年度一般ヒーローだ。今日は朝から市内にドラゴンが現れたとの通報を受けて急行したのだが、私自身は足止め程度しかできず、後から来たブレブによってドラゴンは退治された。彼は竜の血を引く亜人とのことで、ドラゴンを倒すのは得意らしい。


「で、こっちには何の用があるわけ?」


「なんとなく剣を清めたくなってさ。この先の泉の水を使おうかと思って」


 確かに、この森の奥には小さな泉がある。とはいえ、観光地図でそう読んだことがある程度で、行ったこともなければ、具体的にどこにあるのかも知らない。足取りを見る感じ、彼にとってはよく訪れる場所なのだろうけど……それにしたって唐突すぎやしないだろうか。


「……ん?」


 ブレブが歩みを止めた。


「何?」


「あそこ……人が倒れてないか?」


 ブレブの指し示す先を見てみるが、草木が生い茂るばかりでそんなものは見えない。彼は人間よりも五感が優れているようなので、私にはわからないのかもしれない。


「行ってみよう」


「……後で報告書、書いてよね」


 そもそも、なぜ私がこんな森の中まで彼についてきているかといえば、件のドラゴンを退治した報告書を書かせるためだ。一般ヒーローにしろプロテゴヒーローにしろ、ヒーロー活動を行った後はそれを届け出る義務がある。本当は終わった後ですぐに連れて行こうと思っていたのに、彼が「ちょっと用がある」と言ってどこかに行こうとしたため、こうして追いかけてきたわけだ。


 ――ブレブの言う通り、その先には男の子が倒れていた。本来なら倒れている人の心配をするべきところなのかもしれない。でも私の頭の中に最初に浮かんできたのは、「また報告書が増える」という心配だった。彼は困っている人を放っておけない人間……もとい亜人で、こういう時は率先して助けようとする。そのおかげでプロテゴヒーローとしての仕事がこなせていることは間違いないのだが、無駄に強い補正力と相まって、付き合わされる側としてはたまったもんじゃない。


「大丈夫か?」


 ブレブが駆け寄る。


「……まだ息はあるな」


 そう言うと、ブレブは背中の鞘から剣を抜いた。何やら文字のようなものが無数に刻まれた、独特の意匠を持つ白銀の刀身があらわになる。それを倒れている少年の上にかざすと、刀身から穏やかな橙色の光が放たれ、少年の体へと吸い込まれ始めた。名前は忘れたが、彼の持つ剣は太陽の力を宿しているそうで、このように他人にエネルギーを分け与えることもできるらしい。まさに人助けが好きな彼のための剣だ。


 この辺りで私は冷静になり、倒れている少年の観察を始めた。麦わら帽子に白いタンクトップ、ベージュのハーフパンツにビーチサンダル……こんがりと日焼けした肌も含め、これでもかというほど「夏」という主張をしてくる服装だ。もちろん今は1月なので、見ているだけで寒い。まるで夏休みの小学生のような格好だが、顔立ちや体格を見た感じでは小5のうちの息子よりもかなり年上――中学生か高校生くらいに見える。いずれにしても、十中八九プロテゴかオスティスの漂流者だろう。


「よし、じゃあ病院に運ぼう」


 ブレブは剣を鞘にしまうと少年を軽々と持ち上げ、私を置いて歩き始めた。


「もう、どうにでもなれ……」


 ヒーローにあるまじき発言と自覚しながらも、そう言わずにいられなかった。


◆◆◆


 目が覚めると、があった。こういう時は「見知らぬ、天井」とでも表現するべきなのかもしれないけど、オレはそのは見覚えがある。白い板にぐにゃぐにゃした虫食いみたいな穴があいていて、一見不規則に見えるが実際には全部の板が同じ模様になっている、あの天井だ。この模様を見ていると、小学生の頃から保健室で授業をサボっていた記憶が蘇る。


 ――ここは、病院だろうか?オレの体は白く無機質なベッドに横たえられていて、枕元にはナースコールの機械がぶら下がっている。


「お、目が覚めたか」


 視界の外から声を掛けられ、とっさにその方向を振り向く……が、声の主の姿はオレの予想とは大きく異なっていて、一瞬だけ脳が認識を拒絶した。ベッドから1mほど離れたところに、剣と魔法のファンタジーRPGの世界から飛び出してきたかのような風貌の男が座っている。「斬新なファッション」を通り越して、もはやコスプレだ。一体何が悲しくて見知らぬコスプレイヤーに見守られながら目覚めなければならないのか。いや、ひょっとするとオレはまだ目覚めていないのかもしれない。


「お前は森の中で倒れてたんだけど、覚えてるか?」


「森の、中……」


 それを聞いて、おぼろげな記憶を辿ってみる。どんな経緯があったかは思い出せないが、確かにオレは森の中をさまよっていた。この夏休みに何度も歩いた森のはずなのに、何もかも勝手が違う。何よりおかしいのが、とてつもなく寒いところだ。オレは真っ暗な森の中、寒さに震えながら出口を求めて歩き回り、そのうちに意識を失ってしまったのだと思う。


「そうだ……オレ、この寒さで気を失って……」


「そりゃあ、この時期にそんな格好で歩いてりゃ寒いに決まってるだろ」


「え、『この時期』……?」


 妙だ。会話が噛み合わない。オレはてっきり、突然の異常気象か何かに見舞われて寒くなったのだと思っていた。だが、この男の言葉……。


「今は……何年何月何日……ですか?」


「2017年1月8日だ」


 2017年……オレが過ごしていたのは2016年の8月だったはず。いつの間にか5ヶ月も経っていたというのか?いつ?どこで?


「なるほど、お前のいた世界では夏だったってことか」


「え……?」


 今、「お前のいた世界」って言ったか?それはどういう――。


「ふぃー、ただいまー」


 不意に病室のドアが開き、一人の女性が入ってきた。こちらは先ほどから話している男と違い、ごくごく一般的な見た目をしている。


「マヨ、こいつ目を覚ましたよ」


「あ、ホント?」


 ほかに人がいないからコスプレ野郎と話さざるを得なかったが、この人は常識が通じそうだ。頼む、何かの間違いであってくれ……。


「で、この人の名前は?」


「まだ聞いてない」


「最初にそれを聞きなさいよ」


「あ、葉月はづき 蛍介けいすけです」


「蛍介君ね。私は友綱 真代」


「俺はブレブ・コラッジョ。亜人の剣士だ」


 亜人?剣士?もしかしてこいつはただの厨二病患者なのか?ならばさっきの「お前のいた世界」というのもそういう“設定”だと考えられるが……。


「ブレブ、その説明じゃ混乱するでしょ」


「じゃあマヨに任せる」


「はいはい」


 友綱さんがこちらに向き直る。


「君、その感じだとこの世界に来たばかりだよね」


 まただ。また「この世界」なんていう言葉が出てきた。この人も話が通じないのか?それとも壮大なドッキリなのか?とりあえず、事実であるとは思いたくない。


 ――だが、どうやら事実として受け入れなければならないらしい。彼女の話によると、この世界には「プロテゴ」「オスティス」と呼ばれる“漂流者”が流れ着くそうだ。つまりオレは、そのどちらかに属する漂流者であるということ……。真っ暗な絶望感が、オレの心を飲み込んでいく。


 オレはこれまで、「夏休み」というものをまともに味わうことができなかった。いつもいつも宿題に追われていて、ゆっくりと休みを楽しめたことなど一度もない。だから今年こそは、高1の夏こそは思う存分休みを満喫してやろうと考えて、かなり無理のあるスケジュールで宿題を片付けた。そして念願の「夏休み」を手に入れ、近所の森で虫捕りをしていたのだ。……まさか、それがこんなことになるなんて。


「……とりあえず、今はゆっくりと休んで。君の今後については、退院してから考えよう」


 友綱さんはそう告げると帰ってしまった。ブレブの方はオレの保護者としてここに残るようだ。


「戸惑うよな。俺も最初はそうだったよ」


 この男もオレと同じ境遇にあるわけか……。さっきまではいけ好かないコスプレ野郎だと思っていたけど、途端に親近感が湧いてきた。


「まあ、その感じなら明日にでも退院できるだろうし、まずはお前がどういう人間なのかってのを調べてもらおう。……じゃ、おやすみ」


 ブレブはそう言うと、椅子に座ったまま眠り始めた。彼は見た目の通りファンタジックな世界観で生きていたらしいので、こんな環境でもすぐに眠れるのだろう。彼が眠ったことで、オレは病室に一人になってしまった。


 気のせいだろうか、この部屋は明かりがついているのに妙に暗く感じる。オレは今、この世界で天涯孤独の身、というわけだ。誰もオレのことを知らないし、オレもこの世界について何も知らない。オレはしばらくこれから先の未来について考えを巡らせていたが、やがて意識が遠のいていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一般ヒーロー制度 平沼 優 @hiranuma_yuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ