第26話 飛行少女?

「うわぁ……」


 重力から解き放たれた心細さと爽快感。心までが鳥肌が立つように騒いだ。

 冷たく澄んだ風を切って、飛ぶ。

 力強い翼の羽ばたきが、ドラゴン自身と背に乗る私たちを夜空の高みへとぐんぐん押し上げる。

 炎上するヘリ、ハイウェイに連なるヘッドライトと照明灯。地上の灯りは見る間に小さく遠ざかり、代わって壮大な夜景のパノラマが眼下の視界に広がった。


 時刻はとうに真夜中ながら、聖都は未だ眠ってはいない。

 高層ビルや幹線道路が織りなす街という名の海には無数の光が瞬いている。それら一つ一つの下に、この世界の人々が暮らしているのだ。


 何という光景だろうか。圧倒的という言葉すら足りない。

 ただの仔犬が、こんなところにまで――!


 夢を見ているような気分で、私は自分の実感を疑う。

 丘の上にそびえるあの巨大な中央神殿でさえも、今はまるでミニチュアみたいに遥か下界にうずくまるばかりだった。


「シロ、大丈夫ですか?」

「……ああ。しかし、凄いものだな。勇者殿も見事なお手並みだ」

「それほどでもないです。騎竜は召喚主に忠実ですから。それよりも、方向はこれであってますか?」

「待ってくれ……ええと、もう少し左に……そうだ。そのまま、まっすぐ。それほど遠くはない」


 私の指示で勇者が進路を微修正、ドラゴンは両翼を大きく広げて気流にその巨体を乗せる。

 こうして、私たち二人は空を――


「ぐぁう?」


 いや、二人じゃなかったな。ドラゴンがうなり声を上げ、私が勇者に呼びかけた。


「勇者殿。右脚のコイツ、振り落としていいか――とフェクシィが訊いてる」

「フェクシィ?」

「イクゼルテにもらった名だから、そう呼んで欲しい――と本人が」

「わかるんですか」

「……うむ。なぜかわからんが、わかる」


 私が、元々犬だからか? まぁそれを言いだせば、そもそもこの世界の人間たちと言葉が通じている時点でおかしいけど。


「どうする、勇者殿? 気がとがめるなら、私が叩き落としてやってもいいのだが」


 私は右手に盗賊のナイフを呼び出して、足下の招かざる三人目を見下ろした。


「……えっと。冗談よね?」


 おめめをぱちぱちさせながら、アクリーが笑みを引きつらせる。両手でドラゴンにしがみつく彼女には、こちらの攻撃に抗するすべがない。

 残念だったな、アクリー。余計な根性を見せなければ長生きもできたろうに。


「すまんが、今の私には冗談を言う余裕はない。これ以上、邪魔者につきあう時間もない」

「うわっ、ちょっ、ナイフやめて! いつも裸の付き合いしてる仲じゃないのよ!」

「ガタガタ言うな。邪魔しないと誓うなら、そのままぶら下げておいてやってもいいが」

「……わかった、けど。事情くらい聞かせなさいよ。魔族なんかとつるんだりして、あんたたち何やってるわけ?」

「む……」


 面倒だが、ここは説明しておくか。

 こいつだって事情を知ればあえて邪魔はしてこないだろうし、ひょっとしたら協力してくれるかもしれない。

 キシャに比べると代役としては見劣りすることはなはだしいが、二人よりは三人のほうが多少はマシというものである。


 かくかく、しかじか。

 大体のところをかいつまんで言うと、ニッポンから来た仔犬がご主人を探して――と。


「……ニッポンから来た仔犬が……ぐすっ、ご主人をっ、探して……?」

「泣くほどの話ではないと思うが」

「なっ、泣いて……にゃいわよっ…………ひっく」


 うーむ。ここまで盛大に同情を買えてしまうとは。この反応は予想外だった。


「アクリーは性格悪いけど、動物には比較的ごくまれに優しいんです」


 猫に、ファイアーボールぶつけようとする奴が?

 勇者の説明はいまいちに落ちてこなかったが、そんなところをつつきまわす暇は私たちに与えられなかった。


 下のほうから――


 風音に紛れて、何かが聞こえてくる。機械的な警報音、日本のパトカーみたいな。そしてスピーカーの大音声が、


『そこのドラゴン、止まりなさい! 聖都の上空は飛行禁止区域だ!』


 ……ああ。軍隊の次は、警察か。


 おそらくは地元の教会騎士団の所属だろう。こちらと似たような、二十頭近い数の騎竜が群青の制服を乗せて上昇してくる。


「くっ、こんなときに……ちょっとは空気読みなさいよ、このお邪魔虫ども!」


 お前が言うな。

 と、アクリーに突っ込む間さえなく、私たちは再び包囲されてしまった。


『こんな夜中に、子供ばかりで三人乗りとはけしからん! お前たち、どこの学校だ!?』


 お巡りさん、どこの学校ときたか。でも、普通に考えればそうだよな。見た目には三人とも小中学生の女の子でしかないわけだし。


「あう……どうしましょう?」


 頭ごなしに叱りつけられ、勇者が背中を縮こまらせる。

 声を潜めて、私はささやいた。


「二人とも。フェクシィが目をつぶれと言っている」

「……こうですか?」

「え、なに、ちょっと?」


 伝え方がまずかっただろうか。

 召喚主の勇者が素直に言うことを聞いてしまったので、ドラゴンを止められる者は誰もいなかった。


 私も目をつぶる。


 だから、そのとき起きたことについては私も視覚的には把握できていない。ただ、ドラゴンは口を開いて何かを吐き出したのだろうと思う。


 どんっ、と。反動を伴う発射音。


 まぶたの裏まで、白く染まった。


「ぐわぁぁぁっ!?」

「せっ、閃光弾だとぉ……!」

『いっ、いかん! 各員、墜落に備えろ――!』


 音声情報から察するに、目くらまし的な一発をお見舞いしてしまったようだ。


 恐々と目を開けてみれば、暗い空。

 お巡りドラゴンたちはもうへろへろで、閃光ならぬ線香にいぶされた蚊みたいにして落っこちていった。


「うわー、すごいです……」

「いや、いいのかコレ……?」

「ふふん、当然の報いよ。でも、さっさと逃げたほうがいいわ」


 報いはともかく、逃げたほうがいいのはアクリーに賛成だ。


「勇者殿。二時の方向に進路を修正、全速力だ!」

「はっ、はい――フェクシィ、お願い!」

「ぷわっ、ちょっ、ぶら下がってる私のことぅぉ――っ!?」


 広げた翼が空をき、ドラゴンは急加速する。脇目も振らず、全身を上下に大きく揺らしながら。こっちもつかまるのに精一杯だ。


 そして、反応が近づいてくる。


 たった一つ、私が探し求めたもの――最愛のご主人が、もうすぐそこにまで。


「――――っ!?」


 ばしゃんっ!


 と、そのときに生じた違和感をどう表現したらいいだろう? 前触れもなく、薄い水の膜を突き破って向こう側へ通り抜けたような……


「なっ、何だ……?」


 空の色がおかしかった。

 夜の漆黒とは違う、不気味な赤紫。星はなく、かといって太陽が出ているわけでもなく、なのに昼間のように明るい。

 世界が、急激にバグったみたいだ。初代ファ○コンゲーム的な意味で。


「これって――」


 アクリーが何か言いかけた途端、けたたましいサイレンが耳をつんざく。さっきの騎竜隊のとは違って、より甲高い耳障りな音だ。


 むしろ、パソコンのビープ音?


 と、連想したのには理由がある。古典的なブラウザクラッシャーよろしく、あたり一面、そこいらじゅうの空間を埋め尽くしてセカンダリのウインドウが大量発生――


 !マーク、×印、交通標識、骸骨のイラスト、警告の文章etc.


 見るからに不吉な表示の群れを、落ち着き払った棒読みの機械音声が補足する。


『侵入者発生、侵入者発生。自動迎撃プログラムを起動します』


 小石を投げ込んだ水面のように、空に小さな波紋が走った。

 直径は一メートルにも満たない。ただし、数は少なくとも数十個。その裏側から、異形の顔が鼻面を出す。


「ふえぇぇ……」


 勇者が情けない声を上げた。数十体の空飛ぶ化け物。流線型をした眼窩がんかのない骸骨頭に、コウモリの翼をつけたようなヤツらだった。


「でたなぁ、イクゼルテぇー!」


 誰かが、見知った名前を叫ぶ。甘ったるくて舌足らずな女の子っぽい声だ。


「おい、何かまた来たぞ?」

「……ヤバい予感しかしないわ」


 私たちを目がけて、少女が空を飛んでくる。騎竜ではなく、アラビアン・ナイトな絨毯じゅうたんに乗って。

 十五、六歳ぐらいの、おそらく魔法使いだろう。

 黒のマントに、同じ色のとんがり帽子。蜂蜜色の髪の毛はくるくるで、全体としてぽやんぽやんな感じの魔女っ娘である。


「……あれ、イクゼルテじゃない? ねえボズィマー、どうしよう!?」


 魔女っ娘が空に呼びかけると、小さなウインドウが音声付きで返事をした。


『あん? どうした、エージィ?』

「イクゼルテじゃなくて知らない子たちが来た! ねえ、どうしたらいいの?」

『決まってんだろ。知ってようが知らなかろうが、侵入者は即時即刻完全排除だ! 祭壇には仔犬の一匹も通らすな!』

「そっか、わかった!」


 どこかで聞いた声とやり取りして、魔女っ娘は満面の笑みで頷く。お星さまの飾りがついたステッキをぴょこんと振りかざし、


「即時即刻完全排除! 迎撃プログラム、GO!」


 エンカウントモード強制起動。……問答無用にも程があるだろ。

 魔女っ娘のステッキを合図に、骸骨どもがあぎとを開く。


「うわ――っ」


 紫がかった光の弾丸。数十体からの集中砲火を受け、私たちのドラゴンはなす術もなく地上へと真っ逆さま――

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