第三章 はじめての冒険

第18話 異端からの誘い――

 新世界へ渡って、一週間。ご主人の行方は未だつかめない。

 暗い、真っ暗な闇の中で、私は遥かな呼び声を聞いた。


『シロ……シロ……』

「ご主人……? ご主人なのか……!?」


 焦がれ続けた愛しい顔が、無明むみょうの闇の間に浮かぶ。

 私は、必死に手を伸ばした。届かない。だんだん、遠ざかっていく……


『シロ……』

「ご主人……ご主人っ!」


 がばっ、と私は跳ね起きる。布団の上。汗で湿ったパジャマがまとわりつく。

 ……夢か。


「……シロ? おトイレですか?」


 ベッドの上から、勇者がふにゃふにゃと声をかけてきた。部屋はまだ暗い。起きるには少し、早過ぎた。


「いや……すまない」


 でも、なんだろう。夢からめても、まだ何かが私の中に残っている気がする。

 あれからずっと呼びかけ続けている、ご主人の感触が。


 セカンダリを起動すると、個人スレッドの欄に『更新あり』の表示が出ていた。


『探索』のスキルがLv3に上がっていた。



 私と勇者の薬草探しは必要以上に絶好調だった。このまま本職にしてしまったら、本気で一財産築けるんじゃないかというぐらいに。


【アイテム

 バファル草×33

 プリゼ草×6

 ナーロン草×4

 セーロガの実×5

 アスピルナの雫×1

 コーラキアの花×8

 フクロアンパンたけ×7】


 これが探索Lv3の威力か。

 私が本当に探したいものはちっとも見つけてくれないスキルだけど。


「『恵みのその』での探索が、君には簡単になり過ぎたってことだろうね。その調子で乱獲してれば、すぐにランクが上がってギルドに色々と搾取されるようになるさ」


 夕暮れの市場で、私のアイテムを品定めしながら商人のキシャは笑って言った。


「どうだろうね。もう少し、歯応えのある仕事をしてみる気はないかい? 私からの個人的な依頼で」

「依頼?」

「そう。ちょっと仕入れたい品物があってね。流通のルートにはまず乗らないから、自分で採りに行かなきゃいけない。優秀な探索者が必要なんだ」

「うーむ……」


 話はわかるが、また随分と唐突な申し出だ。私にそんな役が務まるだろうか。


「君は私とともに来て、スキルを活かしてくれるだけでいい。他に必要なものは全てこちらで用意する。報酬も、セコいギルドなんかよりよっぽど弾むつもりだよ?」


 考え込む私をキシャがき付ける。そこにやっぱり、ダメ出しが入った。


「ダメですよ、そんなの。悪いキノコを取引する〈異端者ヘレティック〉の仕事なんて信用できるわけがありません」


 ……と、勇者の言うことには一理ある。あのキノコでは痛い目にもあったし、闇の世界に自分から近づいていくのは賢明ではないだろう。

 この異端の商人とは何度も取引しているが、顔馴染みになったからといって全面的な信用が置けるほど気心が知れているわけでもないのだ。


「ふーん。ま、勇者様はそう言うだろうと思ったけど」


 キシャが被ったフードの下に、意味ありげな微笑が揺らめいた。


「――君は、私と来るべきだよ、シロちゃん。私なら、君が本当に探しているものの手がかりを君に示すことができるだろう」

「…………!」


 私が本当に探しているもの。それを、こいつは知っているというのか?


 地面に敷いた布の上から、宝石めいた金色の瞳が思わせぶりなきらめきを放つ。


「……そう。黒髪の、とてもかわいい女の子だ。十四歳で、瞳の色も黒。肌は明るいオレンジ、髪は肩に触れるほどの長さ……」


 当たっている。ご主人の特徴そのままだ。


 だが――こう考えてみたらどうだろう。


 トーマたち第三聖護騎士隊も、ほぼ同じ情報を元にご主人の捜索に当たっている。勇者が私とここにいる以上、トーマたちの動きから私の目的を類推することは不可能ではあるまい。そして、それを利用することも。


「まだ足りないかな?」


 逆に警戒を深めた私に、キシャはこともなげに続きを聞かせてくる。


花坂桃はなさかもも。中学二年生でサッカー部に所属、ポジションはフォワード。家では両親と三人暮らしで、父親は大学で先生をしている。年の離れた大学生の姉が二人いるが、現在は同居していない。半年前に拾った白い仔犬を飼っていて、名前は……シロ」


 ……馬鹿な。なぜ知っている?

 トーマどころかリリディア大司教にさえ、そこまでのことは伝えていない。こちらの世界でそれを知る者がもしいるとすれば、女神サクラか、あるいは――


 ご主人、本人だ。


「……シロ?」


 衝撃に立ち尽くす私の肩に、勇者が手を触れてくる。

 その目を私は見られなかった。


「すまない、勇者殿。私は、キシャ殿とともに行かねばならない」

「そんな、どうして……」

「彼女は私の探し人について確実に何かを知っている。理由も目的もわからないが、手がかりを得られる可能性があるのならその機を逃すことはできない」


 ぽん、とキシャがローブの膝を打つ。


「そうこなくっちゃ。君は賢い子だからね。きっとそうくると思ったよ。ただ、一つだけ依頼を受けてもらうための条件があるんだ」

「……どんな条件だ?」

「私の立場上、教会の横槍が入るとまずいんでね。このことは、秘密にして欲しい。明日の朝、いつも通りにギルドでクエストを受注してこの場所に来てくれたまえ」

「そんなの、怪し過ぎますっ!」


 勇者が食って掛かった。まったく、言う通りだ。怪し過ぎるにもほどがある。

 ……でも。


「頼む、勇者殿。この通りだ。明日一日、口裏を合わせてくれるだけでいい。どうか私を行かせてくれ」

「シロ……」


 必死に頭を下げる私に、勇者は言葉もないようだった。



 それから、勇者は急によそよそしくなった。お風呂のときも、歯磨きのときも、夜に寝るときも。

 そっけない調子で、事務的な会話をぽそぽそとこなすだけ。


 ……嫌われちゃったかな。


 無理もないけど。心配してくれた彼女や、親身になってくれているトーマや大司教よりも、私はあの怪しさ満点の異端商人を選んでしまったのだから。


 しかし、悔やんでも始まらない。私には目的がある。

 何よりも大切な、ご主人を救うこと。

 そのためになら、他の何を犠牲にしようとも私は前に進まねばならないのだ。


 ちなみに我らが導きの神様とは、夕刻の定期報告でちらっと顔を合わせたきりで、


「今日も、昼間っから匿名掲示板スレッドでクダを巻いてる不信心者どもを徹底的に論破してやったわ! はっ、なーにが『フブキ様最高』よ? 姉よりすぐれた妹なぞ存在しねえっつーの!」


 とのことである。

 こんな奴に地獄行きを宣告されたご主人と私の人生って何なんだろう……



 勇者は私の頼みを聞いてくれた。


 何も言わず、いつも通りに寮を出てギルドでいつものクエストを受注する。

 大量にゲットした昨日の残りを後で納めればアリバイも成立だ。『恵みの苑』への通過履歴なんて、よほどでなければ確認しないだろう。


 いつもは夕方に行く市場の一角で、キシャが私たちを待っていた。


「やあ、来たね。それじゃ早速、行くとしようか」

「待ってください」


 立ち上がるキシャを、勇者が制止する。


「……何かな?」

「今日のことを秘密にする代わりに、私からも一つ条件があります」

「ほほう。なんだろうね」

「私も、シロと一緒に行きます」


 え。ちょっと、急に何言いだしてるの。


「勇者殿?」


 私には応えず、彼女はキシャに向かって続けた。


「部屋に書き置きを残してきました。私が寮に戻らなければ、誰かがそれを見つけるでしょう。つまり――私やシロの身にもしものことがあった場合、あなたは教会の目が届く範囲では二度と表を歩けなくなります」


 勇者の握った拳が震えている。まさに捨て身の脅迫だ。

 キシャは、お腹を押さえて笑い出した。


「あっはっはっは、いいねそれ、最高だよ!」

「何が、おかしいんですか!」

「いやいや、褒めてるんだよ。私としては、自分の身元以外じゃ後ろめたいところは何もないからね。それでシロちゃんの信用が買えるなら大歓迎の取引だよ」

「……なら、いいです。行きましょう」

「ああ、よろしく」


 急転直下で合意に達し、二人は連れだって歩きだす。私も後に続いた。


「いいのか、勇者殿?」

「いいんですっ、もう決めたんだから」


 ふくれっ面に赤みが差している。怒ったように勇者は答えた。


「二人ともいい友達じゃないか。そんなに思い詰めなくたって、救いの手はどこかにあるものさ」


 微笑むようなキシャの声が、風に乗ってさらりと流れていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る