第12話 はじめての×××

 風呂から上がり、部屋に戻った。

 もう夜も遅い。


 ……なのに、勇者はまだ私を寝かせてはくれないようだ。


「さて。これで、準備はオーケーですね」


 見せつけるようにチューブをしぼり、ねばつく内容物を細長い棒の先端にり付ける。

そして、おもむろにスイッチをオン。


 うぃぃぃん……


 怪しげに震えだすその棒を手に、勇者は私ににじり寄ってきた。


「痛くしませんから、いい子にしててくださいね」


 嘘だ。

 そういうこと言うときは、大抵ほんとは痛いに決まっている。


 身を硬くする私だったが、トーマにがっちり捕まえられて身動きをとれる状態では既にない。

 伸ばされてくる勇者の手。

 その指は優しげな手つきで、無慈悲にも桜色の花びらを押し広げた……


 やめろ。そんなとこ見るな、触るな。

 心の叫びは、声にならない。


「だいじょうぶ。きもちよくなりますよー……」


 そんなワケあるか――あんなモノを、中に突っ込まれるなんて。


「あうぅ……」


 抵抗は不可能だった。私の小さな隙間へと、うぃんうぃん動く電動の棒がゆっくりと挿入されていく。


「ほーら、痛くない、痛くない……」


 くちゅ、くちゅ……

 勇者が棒を前後させ、私の中をかき混ぜる。からみつく粘膜が震動になぶられ、未知の刺激が神経を走った。


「だいぶ素直になってきましたね。これなら、もっと奥までいけそうです」

「あっ、むぅ……」


 ダメだ、これ。我慢できない……

 今や、私の大事な場所はすっかり白濁してぐじゅぐじゅに泡立ってしまっている。拒みきれなかった柔肉が緩み、溢れ出した体液をはしたなく垂れ流す。


「あらあら、いけない子ですね。床まで濡れちゃったじゃないですか」

「…………っ」


 ……こんな……全部、お前の、せいじゃないか。

 悔しさで目に涙がにじむ。


 勇者は念入りに時間をかけて、私の歯を磨き、口腔こうこうを洗浄した。



 くちゅくちゅくちゅ、ぺっ。


 洗面台の流しにうがいを吐き捨て、ようやく自由な呼吸を取り戻す。


「まったく……二人がかりで乱暴な」

「一人で歯磨きできないっていうから、やってあげたんじゃないですか」


 口元をぬぐってぶつくさ言う私に、勇者は恩着せがましく反論してくる。


「ご主人はあんな動くのじゃなくて、自分の手で優しくやってくれてたぞ。辛くて、すーすーするやつも使わなかった」

「……聞いてると、面倒見がいいんだか悪いんだか、よくわからないご主人ですね」

「わからないことはないと思うが」


 わりと心外な言われようだったが、それ以上の議論は続かなかった。

 遮るように、二人の横からトーマが口を出す。


「二人とも、今日はもう遅いですからおしゃべりはその辺にしておきましょう。私もこれで失礼させていただきます」

「あ、はい。御苦労様でした、トーマ」

「勇者殿。それに、シロ殿も。夜更かしなどせず、体が冷える前にトイレを済ませて温かくして寝るんですよ」

「わ、わかってますよっ」


 勇者様、完全に子供扱いだな。トーマのセリフなんてうちのおかあさんに言い方がそっくりだし。


「では、おやすみなさい」


 あいさつをして、トーマを見送った。


「…………。」


 残された私と勇者で、どちらからともなく顔を見合わせる。さっきの決着は、まだついていない。

 いろんな気まずさを誤魔化すように、勇者は挑発的に言う。


「まさかとは思いますけど、おトイレは一人でできるんでしょうね?」

「馬鹿にしないでもらおう。ご主人のしつけは完璧だ」

「そうですか。じゃあ、お先にどうぞ」


 えへんと胸を張ってみせた私を、勇者は視線でトイレへと促した。

 ……よかろう。見ているがいい。

 今こそ、ご主人が飼い主としての責務を遺漏いろうなく果たしていたと事実をって証明するときだ。


 ドアを開け、意気揚々と中へ入って、


「む……」


 ――――私は、固まった。


 まさに、迂闊うかつ

 ここは異世界、地球ではないのだ。日本文化の影響を受けたとしても、全てが同じであるとは限らない。


 普通、トイレと言えば誰でもアレを予想するだろう。

 ケージの中に置くプラスチックのトレイみたいな、使い捨ての吸水シートが置けるようになってるやつだ。


 なのに、これはどうしたことだろうか。


 その狭い個室には、穴の開いたすりばち状の底部分に水をたたえている白いとう製の椅子みたいな器があるばかりだった。近寄ってみると、被せられたふたはプラスチック製で操作用のボタンらしき機械が横にくっついている。


 やばい。まさかの機械式トイレ。使い方が全然わからない。


 昼間、『恵みのその』でその辺に済ませてから何時間たっただろうか。私の体はもうすっかりそのつもりで、おしっこモードになっちゃってるのに……


「うぅー……」


 緊急警報、緊急警報、私のダムが危険水位オーバーだ!

 決壊する前に放水しなければ……!


 パジャマの上から押さえつけつつ、悶々とすることほんのしばし。


「かくなる上は、是非もなし」


 もはや、迷う余裕もなかった。聞くは一時の恥というやつだ。回れ右をして、ドアの外に出る。


「勇者殿。私が間違っていた」

「え?」


 怪訝けげんな顔をする彼女に、下半身がくがくで私は頭を下げた。


「……一人でできません。トイレの仕方を教えてください」

「えぇっ!? ちょっ、教えるといっても……」

「お手本、見せてくれたらちゃんと覚えるから……」

「みっ、見せるってそんな――」

「あうぅ……早く、出ちゃう……」

「わぁああ――」


 ――――しばらくお待ちください――――


「ふぅ、すっきりした」


 とても晴れやかな清々しい気分で、私はトイレを後にした。


 古人いわく、案ずるより産むが易し。

 いざ目の前でされてみれば、仕組みは至って単純なものだった。ズボンと下着を下ろして座るだけ。靴から全部脱いでいた昼間の苦労が馬鹿みたいだ。


「勇者殿のおかげで無事に済んだ。この通り、改めて礼を言わせてもらう」

「……そうですか。よかったですね」


 消え入りそうな返事の声。勇者はベッドに体育座りして、耳まで真っ赤に染まった顔を膝の上に伏せていた。


「これも、お手本がよかったからだ。導師様のお側役はさすがに躾けが違うな」

「もういいです……そんなこと、褒めないで……」


 勇者が、ぷるぷる背中を震わせる。


「いや、謙遜することはない。ご主人は、私がトイレをするたびに大袈裟おおげさなぐらいに褒めてくれてたぞ」

「だから、どういうご主人なんですかぁ……」


 苦情がついに泣き言になってしまった。


 ところが変われば、人の暮らしぶりも変わる。人との関係もまたしかりだろう。

 勇者はとてもいいやつではあるが、我がご主人の評価については価値観に隔たりがあることを否めない。

 残念だけど、これはこれで仕方のないことだ。争うのはもうやめにしておこう。



 ベッドの隣に、布団が敷かれていた。トーマが用意してくれていたもので、これが私の寝床らしい。


「ふーむ」


 使い方はわかるが、こういうのは初めてだ。私は慎重に掛け布団をめくってみる。

 ベッドの上から、呆れたように勇者が訊いてきた。


「参考までに伺いますけど、あなたのご主人はいつもどうしてくれてたんですか?」

「……そうだな。床に寝転ぶか、ベッドでご主人の足下あたりに丸まって寝ることが多かったと思う」


 はぁ、と勇者は溜息をつき、ふて寝するようにごろりと背を向ける。


「そんな人、無理に探さないで、いっそのこと導師様にお仕えしたらどうですか? 悪いようにはなさらないと思いますけど」

「……気持ちだけ、有り難く受け取っておく」


 答えて、私も床に入った。何となく、勇者とは背中合わせの向きで。


 ベッドの勇者が何かを操作して、部屋の照明が暗くなる――


「おやすみなさい」

「……ん。おやすみ」


 長かった一日もようやく終わりだ。これでやっと眠ることができる。

 昼間にこちらの世界へ来てから、体感でおよそ半日弱。ずっと動き通しできたが、連続稼働も限界だろう。

 私は仔犬だ。

 一日を二十四時間とすれば、優に十八時間程度は睡眠を要する生き物なのである。


 思えば、本当に長い一日だった。

 ご主人と散歩をして、事故に遭って、神様に会って、知らない世界に来て……私は今、人間の体になっている。独りぼっちの、人間だ。


「…………。」


 疲れているのに、寝付けなかった。犬とは違う冴えすぎる頭が、余計なことを次々と考える。


 今日のこと。明日のこと。もう戻れない、昨日までのこと。


 寒かった。


 ここには、私の寄るべきものが何もない。神様、勇者、大司教、トーマ……みんな私によくしてくれたけど、私の大切な家族とは違う。


 自分の力でありつけた食事より、おかあさんがくれるごはんやおとうさんにもらうおやつのほうが私にはよっぽどうれしかった。湯船で足を伸ばすものよかったけど、シャワーのお湯から逃げ回って大騒ぎした時間が恋しい。


 こんな夜、そっと布団を持ち上げて私を懐に入れてくれたご主人は、一体今どこでどうしているのだろう……


 鼻の奥が、つーんと熱くなった。変なにおいもしていないのに。熱さは、そのまま目に伝わって、涙がどっと溢れてきた。


「……っく」


 息が苦しくて、鼻水をすする。人間なんて、本当に不便だ。仔犬のままなら、こんな気持ちをすぐに忘れて眠りに落ちてしまえただろうに。


「シロ。泣いてるんですか?」


 勇者がベッドから降りてきた。余計なお世話だ。


「……ごめんなさい。さっきの言葉は取り消します。早くご主人に会えるよう、私も神様にお祈りします」


 うるさい。アレに祈ってどうにかなるなら、私もとうにやっている。


「お隣、失礼しちゃいますね」


 布団を捲り、背中を向けた私の隣に厚かましくも入り込んできた。小柄な私を抱くように、細い腕が回されてくる。


「私が導師様の修道院に預けられたのは、もう少し小さな頃でしたけど……やっぱり夜は寂しくて、よくトーマにこうしてもらいました」


 慣れ親しんだ匂いとは違う。優しい声と、柔らかな温もり。


「導師様は元々世界が二つに分かれた時代に活躍をした凄い冒険者で、その頃はもう引退されて田舎で静かに暮らしてたんです。トーマがそこにいたのは、昔のパーティが解散して人生を見つめ直したかったからだとかで……」


 だから、何なんだ。お前たちの昔話なんて、私の知ったことじゃない……


「それである日、導師様は私におっしゃったんです。ピュオネ、あなたは……」


 興味がないから、すぐに寝てしまった。ざまあみろ。


第一・五章 おわり

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