第4話 お説教が長すぎる!

 降りるときは階段だったが、執務室のある四階へはエレベーターで一気に昇った。見かけによらず、バリアフリーな神殿である。


「リリディア様は、この大神殿で教皇猊下げいかを補佐している三人の大司教の一人です。とっても偉いお方なので、くれぐれも粗相などのないように」


 扉をノックする前に、勇者が偉そうに説明した。


「連れて参りました」

「お通ししなさい」


 室内は簡素だが、広々としていた。LEDの機械的な白光が降り注ぎ、エアコンの快適な空気が行き渡っている。

 正面奥の窓を背にして、一人の人物がデスクに着いていた。


「御苦労様。下がって結構です」


 その一言で、勇者を追い払う。つまりこの人が大司教か。名前の語感とドア越しの声で女性であることの予想はついたが……


 若い。というか、若すぎる。さっきの二人だって大概だが、こっちは私より一つか二つ上ぐらいの少女に過ぎなかった。


「初めまして。私はリリディア。当神殿にて、大司教を務めてさせて頂いています」


 さっきまでいた勇者とは違い、慇懃いんぎんそのものの立派な態度だ。へりくだったような丁寧な口調でも威厳は全く損なわれていない。

 飾り気のない真っ直ぐな髪に、意志の強さを窺わせる表情、思慮深げな深緑の瞳。

 もし、この人が最初に出てきたら私は無条件で神だと信じただろう。


「どーやら、やっとこ話の分かりそうなのが出てきたって感じね」


 私の隣で、説得力ゼロな自称神が尊大に言い放つ。ご立派な相手を目の前にして、並んで立つこっちまでが恥ずかしくなるような態度だ。

 たかが神様の分際で何様のつもりなのだろうか……こいつは。


「部下が大変な失礼を致しました、サクラ様。こうして直にお目にかかれましたことを、光栄に思います」


 大司教は頭を下げた。このあたりはさすがに、神に仕える聖職者だ。言うことには少し引っかかりも覚えるが。


「普段は姿を見せてないのか?」


 私は神様に尋ねる。


「あんまりひょいひょいこっち側に出てくると、龍神様に叱られるもの。ここ十年はさっぱりご無沙汰よ」

「……よくそれで、疑われもせず神殿に入れてもらえると思えたものだな。この人がいなかったら処刑されるところだった」


 私がぼやくと、大司教は慎み深げに目を伏せた。


「高位の聖職者ともなれば、お姿を現されずとも御声を聞くことがありますので」

「ふうん。そういうものなのか」

「ええ。忙しいときや疲れているところに延々と益体やくたいもない話をされるので、修行と割り切って聞き流しています」


 ……とことんひどいな、この神は。あ、ちょっと本人もショック受けてる。


「ところで、サクラ様。久しくなさならなかった現世へのご降臨、このたびは何事のご用向きでしょうか?」

「あーそうそう、それなんだけど……」


 話がようやく本題に入った。主に私の身の上と、ご主人を探すハメになった事情について。


「なるほど、それで洗礼を受けに」

「そういうこと。洗礼は神じゃなくて人間の聖職者の仕事だし。あなたでいいから、ちゃっちゃと済ませちゃってくれる?」


 しかしこの神、神のくせに宗教的儀式を何だと思ってるんだろうか。立場のある人に対して「お前でいいから早くしろ」というのも随分失礼な話だ。


 大司教も眉をひそめるが、心配事は別にあるようだった。


「ですが……よろしいのですか? お話を伺った限り、彼女は洗礼を施された途端に〈神徒プレイヤー〉化してしまう可能性が高いと思われますが」

「うん。元々私はそのつもりだけど?」


 あっけらかんと、神様。大司教は、頭を抱えんばかりに額に手を当てた。


「……ですから。サクラ様はそのおつもりでも、本人に説明をしないままではあまりに酷なのではないかと」

「あぁ、そっか。生き返らせた時点で説明すませたつもりだったけど、そっちはまだ全然だったわ」


 どうも、雲行きが怪しいぞ。この上にまだ何かあるのか。


「じゃあ、そっちもあなたに頼むわ。お説教ならプロでしょ」

「…………。」


 無責任に神様はぶん投げ、大司教は言葉を失う。


 最初に会ったときにはここまでひどくなかったはずだが……さては、能力と一緒に知性や責任感まで制限されてしまったのかこの神は。


「〈神徒〉とは、神に仕える使徒のことです」


 しぶしぶと、大司教が説明を始める。


「洗礼を受けて神の加護を得ることは、この世界に住む人間にとってはごく一般的なことなのですが……ごくごく稀に、神からの啓示を受けて使徒として目覚めてしまう者がいるのです」

「よくないことなのか?」


 なんとなく、そう聞こえる口ぶりだった。


「立場上、悪いとは言えませんが……率直に言って、人間をやめるハメになります。あなたは私を初めて見たとき、若いと思いませんでしたか?」

「……まあ、思った」

「私が啓示を受けたのはかれこれ二十年以上も前、ちょうど世界が二つに分かたれてこの『アーヴィエル』が誕生したころです。以来、私の体はずっと年を取らないまま――寿命で死ぬこともありません」


 確かに、それはちょっと人間をやめているかもしれない。何せこの人、こう見えて三十年以上も生きているという計算になる。とんだ合法ロリだ。

 それ以外にも重要な設定っぽいことをさらっと言っていたが、大司教はそちらへは踏み込まず。


「要するに、肉体を構成する要素そのものが物質世界に実存する元素から万物の根源たる『源素プリミオン』へと置き換わってしまうのです。これは原理的に魔物と同一であり、いわば生きながらにして亡霊と化した半霊体。年は取らない、病気もしない、どんなひどい大怪我をしても治癒魔法で完全に治り、殺されて肉体が消滅するまでは永遠に生きて戦い続けるという使徒とは名ばかりの奴隷にも等しい――」


「いや、ちょっと、落ち着いて」


 いきなり話がぶっ飛んだもので、前半はほとんど理解できなかった。元素とか根源とかプリ……何だっけ?


 まあ大事なのは後半の話だろう。永遠に劣化せず魔法でケガが完全回復とか、神の使徒というよりゲームのプレイヤーキャラクターに近い仕様だ。

 だから〈神徒プレイヤー〉なんだろうか。おそらく意味的にはplayではなくprayのほうだと思うのだが、残念ながら私の言語認識力ではただのカタカナ英語としか聞こえない。


「……失礼。少し、話がずれましたか」


 ヒートアップしていた大司教様は、我に返ったのかこほんと咳払いをする。いや、待遇のひどさに不満たらたらなのがかえってよくわかる説明ではあったけど。


「ともかく……そうした事情の関係で、世間からも人間とは見なされなくなります。俗世を離れて教会に仕えるか、ヤクザな冒険者暮らしに身を落とすか、全てを諦めて世捨て人になるか。選べる道は多くありません。俗欲におぼれ、権勢に身を寄せる者は地獄へ落ちると言われています」

「地獄、か」

「はい。たとえ王家や貴族に生まれても、啓示を受けたならその身分を捨て去らねばなりません。神に仕える者としての掟です」


 地獄は困るな。本末転倒だ。別に権力を求める気もないが。


「つまり、私は……神様に生き返らされたから、神に仕える〈神徒〉とやらになってしまうということなんだな」

「ええ、おそらく。啓示のタイミングは人それぞれですが、あなたの場合は受洗した瞬間に来るでしょう。何しろ、神はこの場におわしますし」


 となると、ご主人も条件はほぼ同じだ。私だけならともかく、ご主人をそんな風にしてしまってもよいものだろうか。


「その、洗礼というやつ。受けないわけにはいかないのだろうか」

「現実的に申し上げて、神の加護を受けることなくこの世界で生きていくのは難しいと思います。全てが、それを前提にして作られていますので」

「……そうか」


 色々聞かされたが、そうならば迷うこともない。


「私が仕えるのは神ではなくご主人だ。彼女を探し出し、地獄行きを回避させる――そのためにこの世界で必要なことならば、私は何だってやってやる」

「神ではなく、主人のために洗礼を受けると?」

「まずいのか?」


 神様は説明もしなかったくせに、『元々そのつもりだった』と言った。それが当然と信じきった顔で。


 つまり、こういうことだろう。


 一度死んだ私たちの『転生』はあくまでもご主人を正常な輪廻へと回帰させるための措置でしかなく、あくまで本命は次の人生。だったら、ここで人間をやめても別に問題ないじゃない――と。


 騙された、とはあえて言うまい。

 使徒でもしもべでもなってやろうじゃないか。


 神などのためではなく、唯一無二の私のご主人を地獄へ行かせないために。


「……そうですね」


 大司教は吐息とともに、その表情を和らげた。


「私は正しいと思います。神がそうせよとおっしゃったのですから、それがあなたの信仰なのでしょう」


 そう言って、彼女はデスクの席を立つ。立ち上がっても、身長は私より少し大きい程度だ。

 ほっそりとしていて、迫力のある体格ではない。それでも何か、圧倒されるような風格や貫禄を私は感じた。


 洗礼。

 今、ここで、私は神に捧げられるのか。


 目の前まできた大司教が、かざすように私へ手を伸ばす。


「目を閉じ、頭をこちらへ向けてください。ひざまずく必要はありません」


 言われた通りにした。


「偉大にして慈しみ深き、天なる龍神ヴォルザークよ――」


 朗々と、大司教が聖句を詠ずる。


なんじしもべリリディアの名において、かの者の信仰を祝福します。今、ここにシロを汝が子となし、聖なる加護を賜らんことを――」


 目を閉じたまま、光を感じた。眩しく、温かな光の波。そして、不思議な浮遊感。床に立っているはずなのに、何かに包まれて揺られているようだ。


 石の床もエアコンもLED照明も、今の私には遥か彼方の事象に過ぎない。


 どこかから、私を呼ぶ声がする。


『シロ――シロ――』


 神様の声だ。でも、部屋にいるアレではなくて……なんと言ったらいいだろうか。もっとずっと遥かな場所から、私の中に直接呼びかけてきているような感じがした。


『シロよ、私の使徒になりなさい――その体と命を捧げ、私の世界に愛の光を――』


 ……愛の、光?

 あんた、そんなガラじゃないだろ。と、ツッコミを入れかけた瞬間だった。


 ――――っ!?


 何かが、私を突き抜けていく。

 電流、寒気、熱、快感。それらのどれとも、似ているようで違う。

 私はそのとき、自分が死んでしまったのかと思った。既に一度は死んだ後だけど。


 うわ――


 声が出ない。身動きもできない。私を包む光の波が、体の中まで染みこんでくる。目を開けているのに真っ白で、裸の自分以外何も見えなかった。


『――私はサクラ。龍神ヴォルザークの僕にして、おまえの主。私は、おまえの命がある限り、我が祝福をあなたに与えましょう――』


 声が、遠ざかっていく。波が引くように光が消えて、私の意識は体に還ってくる。


「おかえりなさい、シロ」


 息も絶え絶えに立ち尽くす私に、神様はそう言って笑いかけてきた。偉ぶるのでもからかうのでもなく、私を慈しむ女神のような微笑み。


 ……まあ、実際に女神なのだろうが。


 認めるのはしゃくだが、その声と笑みにほっとしている私がいた。


 女神サクラ。私は彼女に仕える僕だ。

 ご主人との関係とはまた別の次元で、私は彼女とつながっている。


 確かに今、そう感じられたのだ。

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