第一章 はじめての異世界ちゅーとりある
第1話 神様に会おう!
「っていうわけで、あなたは死んじゃったのよ」
見渡す限り真っ白な空間で、お姉さんは私にそう言った。
……いやいや、どういうわけだ。
そのお姉さんは、見た目で十六、七歳くらい。古代ギリシアみたいな真っ白な布を巻きつけた服装をしている。足元も変なサンダル履きだ。
思えば、その時点でもうまともではなかった。
「さて。それで……どこから説明したもんかしら。とりあえず私は神様なんだけど、何か質問ある?」
さらりと、お姉さんがぶっ飛んだことを言う。神様だと?
確かに、現実離れしたような美貌だ。グラデーションのかかった桜色の長い髪や、同じ桜色の瞳も
神。初めて見たけど、これがそうなのか。
「あ、ちなみに私の名前はサクラね。龍神ヴォルザークに仕える双子の従神の片割れよ。気軽に『サクラ様』って呼んでくれていいわ」
神々しいと言えなくもない見た目で、えへんと偉そうに胸を張る神様。
しゃべると、色々台無しだった。
とはいえ……なんだろ、これ。
よく言えば親しみやすく、悪く言えば俗っぽい。口調こそそんなだが、言っている中身はさっぱり理解不能だ。
私が死んだならここは何なのか。龍神ナントカなんて聞いたこともないし。
「やっぱ、混乱してるわね。まぁ無理もないか。私のことだって知らないだろうし」
神様はぼりぼりと頭を掻いて、めんどくさそうに溜息をついた。
……おい、神様ってそんなんでいいのか。設定だとか世界観だとか、最初の説明が面倒なのはわからないでもないのだが。
多少むっとする私だったが、構いもせずに神様は続ける。
「私が仕える龍神ヴォルザークは、地球とは別次元の新世界『セイロニアス』を司る神なの」
今度は新世界と来た。
ご主人が好きなファンタジーゲーム的な異世界のアレか。
「でね、長いこと地球への参入を狙ってたんだけど、地球はただでさえ神様の激戦区だから――後発でヨソ者の私たちはずっとそれを阻まれてたわけ」
なるほど。さもありなん。
道理で、私も知らないわけだ。
「大体、二十年ちょっとぐらい前まではそんな感じだったんだけどね。最近は、既存の神様への信仰心が極端に低下した日本にどうにか食い込んで頑張ってるのよ」
ほほう。ある意味さすがだな、日本。
善し悪しは別として、神棚と仏壇とクリスマスツリーを平然と同居させる標準的な日本の家庭で育てられた私にも頷ける話ではある。
「それでその、神様の仕事っていうのの一つが、死せる魂を新たなる輪廻へと導く、ていう……わかるでしょ、そういうの?」
まあ、わかる。輪廻転生、生まれ変わりは、多くの宗教に共通して見られる世界観のモチーフだ。
それは、わかるのだが……わかってしまうのがかえって問題だ。さっきからどうも私は、犬にしてはモノを知り過ぎているような気がする。
……意外と、元からこんなだったか? 違う気がするけど。
「しかし……犬だぞ、私は?」
頷きつつも疑問を言葉にする。神様の反応はあっさりしたものだった。
「まあ……犬でも一応命は命だし。ぶっちゃけ、人間の魂はまだ中々いいのがゲットできないのよね。地球じゃ後発の零細だから」
「……ふーん」
一応、ね。
何やら自嘲のフリをして、ひどく安く見られている気がするのだが。
「でも、安心して。あなたはこれから、新しい世界で人間として生まれ変わるのよ」
「……人間に?」
どうも、この神様の言い様には首をひねってしまうところがある。
私は、自分が犬であることに不満や引け目を持ったことなどない。人間にしてやるから安心しろ、という言い方はどうなんだろうか。
「そうそう、それで――」
ちょっと無神経な神様は、私の不満には気付かなかったようだ。
「今はその説明をするために、仮の姿として人間になってもらってるんだけど」
しゃあしゃあと、そんな説明を得意げに続けてくる。
――て。
なんだと?
「私が……人間に?」
「え、気付いてなかったの?」
はっとした私を見て、神様も意外そうな顔をした。彼女が無造作に差し出した両手から、不意に光が生まれる――
もはや信じざるを得まい。
これが、神の奇跡というやつか。
彼女の手の中に現れた姿見には、見慣れない女の子が映っていた。
年の頃は、十か十一か。犬で言うなら七か月ぐらいだ。毛色は生前の私と同じ白。その頭から、見慣れた犬型の三角耳が突き出ている。
「な、な、何だこりゃあ!? ヘンにすーすーすると思ったら!」
「ああ、ごめんごめん。ここは空調カンペキなんだけど、いくらわんちゃんでも裸のままじゃね」
いや、そうじゃなくて!
顔もそうだが、首から下なんて尻尾以外は一本の毛さえも生えてないじゃないか。どこもかしこも、つるっつるだ。
言うなれば、アイデンティティの大ピンチ。
慌てて鏡で見直してみても、耳と尻尾以外の名残は鋭く尖った犬歯くらいだった。ヒゲや手足の肉球もないし、おっぱいも二つしかついてない。
私は――どこからどう見ても、犬耳と尻尾のついた人間になっていた。
「ま、とりあえずこんなんでいいでしょ」
神様がぴんと指を立てると、私の体を光が包み込む。姿見を出したのと同じような要領だ。
生成り色をしたシンプルなチュニックに、同色のズボン。
私に与えられた衣服は、神様のそれよりはいくらか近代的な装いだった。
「それは、あくまでも仮の姿だから。今は元の面影を残した獣人タイプだけど、次に生まれたときには完全に普通の人間になってるわ。これまでのこともみんな忘れて、新しい生を生き直すのよ」
神様は変わらぬフランクな口調で、またもや重大なことを
私が犬か人間かなんて、どうでもよくなってしまうくらいに。
「そうか……みんな、忘れてしまうんだな」
最初に脳裏を過ぎったのは、やはりご主人の顔だった。
冷たい雨に濡れそぼった私を抱きあげてくれた、あの日の微笑み。
お風呂に入れられて、こっそり部屋に連れ込まれて、その後でおかあさんにバレて大目玉を喰わされてたっけ。
ご主人が必死に訴えてくれたおかげで、どうにか飼ってもらえることになって……おかあさんも、おとうさんも、それからはとても優しくしてくれた。
大事な、大事な私の家族たち。
もう二度と会えないのなら、いっそ忘れてしまうほうが幸せなのだろうか。
「こっちはこっちで、結構いいところよ?」
神様のフォローは相変わらず軽い。
「ほんとだったら、地球の神様への信仰心より異世界ファンタジー趣味のほうが強い人間の魂ぐらいしか今のところこっちには来れないんだけどね。あなたの場合、一緒に死んじゃった飼い主のほうがバッチリ適合してたから――」
…………。
………………こいつ、今、なんて言った?
「ご主人が……死んだ、だと?」
私の声はかすれていた。
「あっ、言っちゃいけないんだっけ……」
さすがの神様も顔を引きつらせ、慌てて口をつぐむ。
「……本当なのか?」
睨むように問いかける。黙って見つめ合うことしばし――神様は根負けした表情で肩を落とした。
「ええ、本当よ。車からあなたを助けようとして、ね」
「そんな……」
目の前が真っ暗になる。あってはならないことだった。
ご主人が、私なんかのために……
最悪だ。最悪中の最悪の極みだ。
こんな形で、拾ってもらった恩を裏切ることになるなんて。
大事だった家族の思い出が音を立てて崩れていく。
「あんまり自分を責めるもんじゃないわよ。運命って、結構どうしようもないから」
「……どうなるんだ?」
「え?」
愚にもつかない慰めよりも、私には訊くべきことがあった。
「ご主人はどうなる。ご主人の魂も、やはりあなたの下に召されるのか?」
「それは……ちょっと、言いづらいんだけど」
「言ってくれ」
神様を相手に凄むなんて、本当は不遜なことなのだろう。私も必死だった。
「彼女の魂は、そのままでは転生に適さなかったの。だから、一旦浄化されることになったわ」
「浄化?」
「ええ。言い換えれば――地獄行き、ってこと」
「地獄……っ?」
そのとき、私に湧き起こったのは絶望よりも怒りだった。
ご主人への侮辱と理不尽な仕打ちを、黙って見過ごすことなどできない。
「なぜだ!? ご主人は多少問題はあっても、至って普通の中学生だぞ! 地獄へなど落とされるような大罪を犯したはずがない!」
「ええ、そうでしょうね……」
私に同情してくれていたのか、神様は無礼を
「でも、基準はあくまで魂の『質』だから。地獄行きに悪人が多いのは確かだけど、善良な人間でも魂が闇に取りつかれてるとそのままじゃ転生できないのよ」
「そんな……どうにかできないのか……?」
ご主人は、まだ十四歳だ。人間の社会では子供の範疇だろう。以前は明るくて活発だったし、心根も優しいし、才能にだって恵まれていた。
これから、いくらだってやり直せたはずなのに……
すがるような私の視線に、神様は複雑な表情で応じた。
「どうにか、できないこともないわ。転生はさせず、元の彼女のまま新世界で善行を積ませるの。ただ、大きな代償が必要になるわね」
「代償とは?」
「あなたの、新しい人生。その可能性の全てを差し出すこと」
桜色の瞳が、きりりと引き締まる。
にわかに神妙な威厳を湛えて、神様は私に宣告した。
「あなたは転生の権利を放棄し、彼女とともに歩まねばならないわ。それが、彼女に再起の機会を与えるための条件よ」
「それは……」
つまり、私は『私』のままで、ご主人のことを忘れることもなく、もう一度彼女と一緒に生きられるということか?
希望に胸を弾ませる私に、神様はぴしゃりと但し書きを突きつけた。
「言っておくけど、失くすものは多いわよ。本来、あなたは人間の両親の間で新たな命を授かるはずだった。血の繋がった家族やふるさと、人生で最も貴重な子供時代の十年間、その先に待つ無限の未来――それらの全てを失って、天涯孤独の獣人として見知らぬ世界に放り出されることになる。あなたにその覚悟はあるかしら?」
覚悟。
胸に手を当て、私は自問する。今ここにいる『私』にとって、本当に大事なものはなんだろうか?
――愚問だ。問われるまでもない。
「私は、彼女に拾われた飼い犬だ。主の恩に報いるためなら、失って惜しいものなどない」
「そう……」
睫毛を伏せて、神様は少し呆れたように笑う。その両目が見開かれた途端、本当の本当に神々しい後光が背中から彼女を照らし出した。
「ならば、認めましょう。汝、獣人『花坂シロ』よ。その願いを聞き届けます。龍神ヴォルザークの従神たるサクラの名において、
私に向かって、右手が伸びてくる。光そのものが伸びてくるようだ。
眩く、そして、温かな光が――
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