わんだふる・わんだらーず
第0話 私は犬である。
私は犬である。
名前はまだない――とはいうものの、仮初めながらも『シロ』の名で呼ばれてはや半年近くにもなろうか。
私を拾ったご主人が、最初に与えてくれたものだ。
オスと思ったのがメスだったので、依然、『シロ(仮)』のままなのだが。
◇
――ある晴れた平日の昼下がり。
ときに私は生後七か月で、ご主人は十四歳の中学二年生だった。
河川敷に沿ったいつもの道は、ご近所では定番の散歩コースだ。この時間帯には、お年寄りや小さな子供を連れた若い母親の姿が目立つ。
中には犬を連れた人も多いが、私のリードを握っているご主人は明らかに場違いな存在だったろう。本来なら、義務教育中の身分である。
そうでなくとも、ご主人はよく人目を引く。
犬の身で飼い主を持ち上げるなどおこがましい限りだが、外見はまず美形と評して許されるレベルだろう。性格は明るく、スポーツも得意だ。
学校でもずいぶん女の子にモテたらしい。
入学よりほどなくして非公式ファンクラブが結成され、バレンタインにはチョコが山をなし、サッカー部の練習には黄色い声援、仇名はもちろん『王子様』――
ある意味それが、命取りだった。
某日、ファンクラブ会員の一人が『協定』を破って告白を敢行。ご主人がそれを「そういうの興味ないから」と断ったことから全てが暗転した。
逆恨みした相手の女子生徒は、「ご主人にしつこく口説かれて付き合ったけど、散々弄ばれて捨てられた」と根も葉もないデマをばらまいたのだ。
噂は瞬く間に広がった。
ファンクラブは『被害者の会』へと名前を変え、SNS上にまで悪評が飛び交い、下駄箱を開ければゴミの山、サッカー部の仲間にまで白い目で見られ、新しい仇名は『クズ王子』――
ああ、女子校って本当に怖い。私も雌だが、犬でよかった。
いつからか、ご主人は朝に起きられず、そのまま学校をサボることが多くなった。
夜は眠れないので遅くまでゲームなんかしたりして、昼になるとこうして私を散歩に連れ出してみたりする。トレーニングウェアにサッカーボール持参で、河川敷で私と追いかけっこをするのも最近の日課だ。
「あーあ、いい天気だなぁ」
空の青さにまで溜息をつく。
要するにこのとき、ご主人は人生を落伍しかけていた。
「ん? どしたの、シロ?」
歩道から横の草むらへと逸れていく私に、ご主人が呼びかける。私は答える言葉を持たないが、何があったかは言うまでもない。
おしっこだ。
私は後に、このときの判断をどれほど悔やむことになったろうか――
用を足すには手ごろな草むらだった。
しかし、その先の繁みから細長いものがにょろりと突き出てくる。
――蛇!
野良時代のことはほとんど記憶にないが、もしかしたらトラウマでもあったのかもしれない。ともかく私は蛇というのが大の苦手だ。
「あっ、こらシロ!」
パニックを起こした私には、ご主人の制止を聞く余裕もない。
そのまま車道にまで飛び出てしまった。
「シローっ!!」
ご主人の悲痛な叫びと、迫り来る大きなエンジンの音。
私に残った最後の記憶は、とてもおぞましいものだった。
さて。
のっけからの自分語りで恐縮だが、お読みくださった奇特な諸兄には一つの疑問が浮かんだことだろう。
何故、こやつは犬畜生めの分際で知性の器たる人間様のように物語りなどしているのか、と。
その疑問に答えるとすれば……
それはつまり、これが世間にいわゆるところの『回想シーン』というやつだからだ。
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