第16話 古文書を読み解きます

 朝食を取り終え、神殿に向かうために旅館を出た所。


 雨の降る中傘をさす俺達は、周囲から大いに視線を浴びていた。


「ソルテはこの街でも結構な有名人だったのですね」

「そうみたいね。でもこんなに注目されるとは思っていなかったわ」


 その視線の殆どはソルテに向けられており、ソルテ自身もそれに困惑しているようだ。

 あのカジノで一番の人気だったというから、奴隷として売られてしまったという噂が広がっているのだろう。

 ソルテが注目されるのも頷ける。


「少し怖いのです、ご主人様」

「大丈夫だ、気にするな」


 俺は周囲の視線に怯えているルーナの手を握る。

 大勢の視線というのに慣れていないのだろうが、何もしてこないと分かればすぐになれるだろう。

 反対側ではリアもルーナの手を握ってくれているし、安心感はあるはずだ。


「着いたわ」


 周囲の視線を流しつつ歩いていると、ソルテはぽっかりと空いた岩壁の前でそう呟いた。


 そこは街の端で、聳え立つ岩壁をくりぬいて道が作られているようだ。

 数人が横並びで歩けそうな道はくねくねと曲がっているようで、先の様子は見ることが出来ない。


「この中にあるのか?」

「ええ。この街の神殿は岩の中に建っているの。一応、この道から神殿の敷地って事になってるわ」

「建てるの大変そう」

「きっとすごい労力だったんでしょうね」


 そんな感想を漏らしながら岩のトンネルを進んでいくと、開けた土地へ辿り着く。


 ドーム状の広い空間には多くの篝火が焚かれ、薄暗い洞窟内を明るく照らしていた。

 天井は吹き抜けて雨空が見えているが、日の光が満足にはいらないために篝火を焚いているのだろう。

 神殿はアクロポリスと同じもので、篝火によって照らされた神殿は厳かな雰囲気を醸し出し、アクロポリスの神殿とはまた違った趣を感じさせる。


 フェルから話は聞いていたが、石の中に神殿っていうのは嘘ではなかったな。


「やっぱり神殿は綺麗ですね。薄暗い中篝火を焚かれると違った迫力を感じます」

「物々しい感じ」

「確かに入り辛い雰囲気ではあるけれど、一般開放されているから問題ないわよ」


 ここもアクロポリスと同じで出入りは自由らしい。

 どこの神殿もアテナを信仰するために一般開放されているんだろう。


「綺麗なのです……」


 神殿に見入っているルーナが息を飲みながらそう呟いた。

 きっと外に出る事もなかっただろうルーナには、この神殿が神々しく見えているのだろう。


「神殿を見るのは初めてか?」

「はい。こんなに美しい建物は初めてみるのです」

「ならアクロポリスに帰ったらそっちの神殿も一緒に見に行こうか。きっとこっち以上に驚くぞ」

「いえ、いいのです。奴隷の私のためにご主人様のお手を煩わせるわけにはいかないのです」

「気にしなくていいですよルーナ。兄さんは頼られて嬉しい変態さんですから。もっと我儘を言っても何の問題もありません」

「変態はいただけないが、奏の言う通りだ。我儘を言っても別に怒らないし、もっと思ったことを口にしてくれていいんだぞ?」

「私は奴隷なのです。我儘を言うなんてそんな事出来ないのです……」


 二人でそう願いたてるが、やはりルーナは自分を押し殺してしまう。

 これは時間をかけ、何度も言って意識を変えていくしか方法はない。

 心を開いてもらうにはまだまだかかりそうだ。


「よいしょっと」

「わっ!ご主人様何を!」


 俺はそんなルーナを持ち上げ、肩車をする。

 神奈には好評だったし、小さい子には効果があるだろうという浅はかな考えだ。


「ほら、俺はルーナより下にいる。これでルーナの方が格上だな」

「お、おやめください!私がご主人様より上なんてありえないのです!」

「はっはっは」


 落ちないようにしがみつくルーナの言葉を無視して、俺は歩みを進める。


 ルーナの体はとても軽く、乗っているか不安になりそうなぐらいだ。

 太らせ過ぎるのはどうかと思うが、もっと食べて貰わないといけないな。


「諦める。そうなった渉はいう事を聞かない」

「リアの言う通りです。諦めて兄さんのご主人様になるしかありませんね」

「本当にやめて欲しいのです……」


 少し涙声になるルーナ。

 我儘を言わないからこうなるのだ。

 これを機に少しは我儘になって欲しいものだ。


「……?ご主人様の手、なんか暖かいのです」


 ルーナが俺の手に触れ、そんな事を口にする。


「心の温かさが出てるんだな」

「冷たい人が温かいんじゃなかったかしら」

「という事は、兄さんは血も涙もない人間って事ですね」

「冷酷無比」

「ちょっと言い過ぎだろう……」


 まさかリアまでそんな事を言ってくるなんて思っていなかった。

 最近リアは奏に毒され過ぎている気がする。


「違うのです。ご主人様の手が温かく光ってるのです」

「光ってる?」


 ルーナの言葉に目を向けてみると、紋章のある手の甲が淡く光を発していた。

 その柔らかな光はすぐに収束したものの、認識した熱は未だに手の中に残っている。


「なんだったんだ今の」

「前に神殿に行ったときはこんな事ありませんでしたよね?」


 謎の現象に俺達は首をひねる。

 体に何か影響があるわけでもなく、ただ光って熱を帯びただけ。

 アテナの紋章が何かに反応したのだろうか。


 とはいっても何があるわけでもないし、今の光が何を意味しているのか俺には分からなかった。


「……騒がしいです。ここは神に祈りを捧げる地。静かにしてください」


 そんな謎の現象に疑問を抱きながら神殿に入ると、修道服に身を纏い、フードを目深にかぶった女性からそんな注意を受けてしまう。

 俺達は少々騒ぎ過ぎていたようだ。


「すまない。これからは気を付けるから大目に見てくれ」

「……分かってくれればいいです。祈りは席で自由にしてくれて構いません。神はどれだけ騒がしくても許してくれるでしょう。ですが、他の信徒に迷惑をかけるような事はしないようお願いします」


 そう棘を残しつつ、女性は去ろうとしてしまう。


「あ、ちょっと待ってくれ。俺達は古文書を閲覧したいと思ってきたんだが、ここの管理者を呼んでくれないか?」

「……管理者は私ですが、古文書は一般に公開されている物ではございません。なのでお見せすることは不可能です」


 どうやら運よく管理人を捕まえることが出来たようだ。

 俺はフェルに書いてもらった紹介状を取り出し、それを管理人に見せる。


「一応こんなものを預かっている。他国の者だが、一応王女からの紹介状だ。目を通して欲しい」

「……他国の?拝見させていただきます」


 訝し気に管理人はそれを見ると、かぶったフードがピクリと動いた。


「……少々預からせていただいてよろしいですか?」

「ああ。存分に確認してくれ」


 俺がそういうと、女性は紹介状を持って奥に引っ込んでいった。

 印章を確認しにいったんだろうと思うが、他国の物でも確認できるのだろうか。


「貴方、王女様とどんな関係なの?」


 訝しげなのは管理人だけでなく、ソルテも同様だったらしい。


「一応雇い主って事にはなっている。こっちに来たのは護衛依頼を受けたからなんだが、俺達が貴族って事もあって仲良くしてもらっている」

「ただの貴族だと思っていたけれど、そうじゃないのね……なんか聞きたい事が山のようにできたわ」

「まあそれは後にしてくれ。多分今じゃ説明しきれない」

「そうさせてもらうわ。管理人も戻ってきたみたいだし」


 ソルテの疑問に答えると、管理人が戻ってくるのを確認する。

 どうやら照合は完了したらしい。


「……お待たせしました。アトランティスの第三王女、フェルティナ様の王印である事を確認しました。古文書の方も閲覧を許可させていただきます。皆様、こちらへどうぞ」


 女性はそう言って移動を促し、俺達はぞろぞろとそれについていく。


「……改めて、私はここで管理人をしているキーラと言います。お見知りおきを」

「俺は西条渉だ」


 俺達はそう自己紹介をしながら促された部屋に入っていく。

 部屋は簡素なもので、ちょっとしたテーブルと椅子があるだけだ。


 どうぞお座りくださいと言われ待っていると、どこかに姿を消していたキーラが少し古びた薄い本を手に向かいに座る。


「……こちらが当神殿の保有する古文書になります。とはいっても、今まで解読できた者はおりません。内容を尋ねられても答えられない事はご理解ください」

「それは事前に聞いているから大丈夫だ。どんなものか興味があっただけだからな。それにしても損傷が少ないみたいだが、これはどれぐらい前の古文書なんだ?」


 俺は渡された古文書を見て少し疑問に思う。

 少しくたびれてはいるものの、この古文書自体はそんなに古くないように思える。

 もっとボロボロの物を予想していただけに少し意外だ。


「……古文書自体はいつからあるか分からないぐらい古い物です。普通ならば劣化して読めなくなるのですが、この古文書はいつまで経っても劣化しない不思議な紙が使用されています」

「古代の謎な技術ってところか」

「和紙ではなく洋紙みたいですね。千年紙のような物でしょうか」


 奏がそのような考察を口にする。


 奏の言う千年紙とは、劣化する要素を極限まで取り除いた洋紙の事である。

 現在の洋紙は200年程度の耐久性があるというが、千年紙は酸や蛍光染料を全く使用しない事により、その数倍の耐久性を実現しているのだ。


 和紙も耐久性は非常に高いものの、これが和紙ではない事は見て取れる。

 この大陸の技術力からすると、不思議な紙と言われても仕方ないだろう。


「ん……?奏、ちょっと表紙を見てくれないか?」

「はい?」


 俺は表紙を見て引っ掛かりを覚える。

 いや、引っ掛かりなんて物じゃなく、ほぼ確定している事を奏と共有したかった。


「これって……英語ですか?」

「そうだよな。アルファベットに見えるよな……」


 その表紙に書かれていたのは『scientist’s diary』

 ……意味は科学者の日記だ。


 だが、この大陸に科学者というものは存在しない。

 神奈が教会で挨拶した時は、確か自然哲学者を名乗っていたはずだ。

 ゆえに、この大陸に科学者を名乗る者は存在しない。


 さらに、この大陸に英語という言語を使っている国がない事は確認している。

 この大陸で読める者がいないというのも納得できる。


 この大陸は二年前世界に現れたはずだ。

 古文書の劣化具合は、素人目に見ても二年という月日で片付けられるものではない。

 つまり、誰かが古文書として持ち込んだ可能性も低い。


 それは、この大陸が出現する前、それこそキーラが言う遥か昔から、英語と科学者が存在していたという事になる。


「……まさか、読めるのですか?」

「なんとなくだが、読めるかもしれない」


 俺の言葉にキーラは驚きを露わにする。

 今まで誰も読む事の出来なかった古文書が読めるというのだから驚きもするだろう。


 だが、俺では完璧に読む事く事は出来ないと思う。


『ヴェーラ。英語を完全に読み解く事は可能か?』

『マスターの今までの知識を使えば可能です。翻訳いたしますか?』

『頼む』

『イエス、マイマスター』


 英語がある程度しか読めない俺は、出来るというヴェーラに翻訳を任せる。


 英語なんて存在しない大陸で見つけた謎の日記。

 いったい何が書かれているのかは分からない。


 だが、俺は何か重要な事が書かれているのではないかという予感がしていた。


「読むぞ」


 俺は表紙を手にし、恐る恐るページを開いた。

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