第14話 奴隷の在り方

 クレアに宿泊者が二人増えたことを伝えると、案の定宿泊料金を請求された。

 それはよかったのだが、驚いた事にこの宿は一泊金貨一枚もするというのだ。


 残りの日数は11日を予定しているため、ソルテとルーナの二人で金貨22枚。

 そんな宿を用意してくれたフェルに改めて感謝した。


 この支払いを済ませて気が付いたが、今日一日だけで白金貨を3枚使ってしまっている。

 ミアから受け取って多すぎると思ったが、思わぬ出費という物は付き物だ。

 そんな事を見越して用意してくれたミアにも感謝した、そんな一日だった。


 二人のために別の部屋を用意したかったが、これだけ高くても全室埋まっているとの事で、最終的に俺達の部屋で共に寝泊まりすることになった。

 旅館側がベッドを追加で一つ用意してくれたため、全員がベッドで寝ることが出来た。




 そして夜も更け、皆が寝静まった頃。


 俺は誰かに触れられている感覚に気が付き、目が覚めた。

 寝ぼけ眼ながらに下を見ると、俺の賭け布団がやけに盛り上がっている。


 その掛け布団をめくってみると、そこには俺のズボンを脱がそうとしているルーナの姿が目に入った。


「な!何しようとしてるんだ!」


 俺は一瞬で目が覚め、ルーナの行動を止めに入る。

 しかしルーナは俺の制止を無視し、ズボンを脱がそうと抵抗する。


「夜のご奉仕なのです。男の人は毎日精を貯めるので、夜にそれを処理しないといけないと教えられたのです。上のお口での処理は叩き込まれました。ご主人様は私に身を任せていただければ大丈夫なのです」

「っ」


 ルーナの言葉に俺は絶句する。

 その言葉の通りなら、ルーナは性処理を日常的に強制させたられていたという事だ。


 男は労働力として、女は性処理をさせるために奴隷を購入する事が多いという。

 それに習い、事前にその事を教え込んで嫌悪感を薄れさせ、購入者に不快感がないよう躾られていたのだろう。

 抵抗するたびに暴力を加えられれば心も死んでいき、言われた通りの事をするだけの道具に成り下がる。


 もうそれをする事に抵抗もなく、ただ命じられるがままに動く、動かされる。

 それがどれほど悲惨な事なのか、ルーナはもう考える事も出来ないのだ。


「ルーナ、やめてくれ。俺はそんな事して欲しくない。それは誰にでもしていいことじゃないんだ」


 俺は上半身だけ起き上がり、ルーナを引き寄せて強く抱きしめる。


 ルーナには人の温もりが足りていない。

 ルーナは人との接し方が分かっていない。

 だから普通にこんなことが出来る。


 心が冷たいから、普通ならあるはずの感情がないから、何の疑問も抱かずにそういった事へ及ぶことが出来るのだ。


「?下のお口でのご奉仕がお望みなのですか?下のお口はまだしたことがないのでわかりませんが、ご主人様がお望みなら頑張るのです」

「やめろ。やめてくれ……」


 そんなことを口にするルーナに、俺の心は引き裂かれるような痛みを覚える。


 いったいどれだけの汚辱を受けてきたのだろうか。


 今のルーナには自分の感情という物がない。

 それが理解できない程に、今のルーナの心は壊れてしまっている。


「ここには酷いことをする奴はいない。やらないからと言ってそれを責める奴もいない。だからもう誰にもそんな事はしないでくれ」

「ですが、男の人はされると気持ちよさそうにするのです。ご主人様にも気持ちよくなって貰って、喜んでもらいたいのです。痛い事をしないようになって欲しいのです」


 言葉から滲み出る悲痛な叫び。


 その行為を行なわなければ、ルーナは酷い暴行を受けたのだろう。

 痛い思いをしたくないがために行為に及び、徐々に感情を殺されていったのだ。


 喜んでもらいたいという一方で、痛い思いはしたくないというルーナ。

 ルーナはそれを自分で言っていても、それの指し示す感情の意味を理解できていない。


 その奥底に眠っている助けて欲しいという感情に、ルーナは気付けていないのだ。


「そんな事をしなくてもルーナがいるだけで十分だ。痛いと思うようなことは絶対にしない。だから、もう自分を投げ捨てるような事はもうしないでくれ……」


 俺はさらにルーナを強く抱きしめた。


 ルーナの体温は伝わってくるはずなのに、今の俺にはその温もりが伝わってこない。

 冷たく凍り付いて、その小さな体が震えているように思えてしまう。


「苦しいのです……でも、ご主人様だと嫌な感じがしないのです。今までこんな事なかったのです。暖かいのです」


 いつの間にか力が入り過ぎていたらしい。

 俺は少し力を弱め、その頭を優しく撫でる。


「兄さん……?」


 俺達のやり取りで目を覚ましてしまったのか、奏が寝ぼけ眼を擦りながら俺の名を呼ぶ。


「奏、すまないが今日はルーナと一緒に寝てやってくれ。俺は少し風に当たってくる」

「ふぇ?いいですけど、どうかしたんですか?」

「ちょっとな」


 少し一人になりたかった俺はルーナを奏に任せ、バルコニーへと出た。


 月は見えず曇天に覆われ、冷えた風が体を駆け回る。

 湿った空気からは雨の匂いが漂っており、明日は雨が降るのだろうと予想できる。


「一歩間違えばソルテもあんな風になっていたのか……」


 もし俺達があの場に居合わせなかったら、ソルテもあのような行為を強要させられていたのだろう。

 ソルテは話題性からすぐに売り出されたようだが、ルーナのようになっていたのかもしれないと思うと身が震えそうになる。


「どうすればルーナは人としての感情を取り戻すんだろうか……」


 自分の意思を奪われてしまっているルーナ。


 ルーナは奴隷という物を骨の髄まで刷り込まれていた。

 自分で思考する事もなく、疑問に思う事もなく、ただただ従順に、抵抗する事もなく命令に従うよう調教されてしまっている。


 それを間違っていると言うのは簡単だ。

 しかし、精神まで蝕まれている者にそれをすぐ分からせるのは非常に難しい。

 痛みという傷口に刷り込まれた奴隷としての考えは、そう簡単に変える事は出来ないだろう。


 俺はとっさの一言とはいえ、あの場でルーナを買った。

 買ったなんて表現はしたくないが、ルーナが俺についてきてくれているのは事実だ。

 ルーナがここにいる以上、俺はルーナを更生させるために動かなければならない。


 どれだけ時間がかかろうとも、ルーナが人としての感情を取り戻すまで、俺はそれを説いていかなければならないのだ。


「奴隷か……」


 人権がない世界。

 恵まれていた俺達は気付くことが出来なかった、日常に潜んでいた闇。


 こんなものは序の口で、裏ではもっと酷い事も行なわれているのだろう。

 あの店にいた奴隷も、他にもいるはずの奴隷達も、人としての扱いを受けられずに日々を過ごしているのだ。


「いったいどうすれば世界を変えられるんだ。誰も傷つかない、優しい世界に……」


 俺は苦悩する。


 そんな者達を救いたい。

 だが、俺の手はあまりに小さく、それらをすべて救う事なんてできない。

 それが分かっていても、見捨てるという選択肢しか出来ない今の自分に嫌悪感を覚える。


 どうにかして救う方法はないものか。

 どうにかして世界を変える方法はないものか。


「いったいどうすれば……」


 今の俺には、一生解く事の出来ない回答を探し続ける。

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