第12話 奴隷の存在

 ソルテは酷い状態で檻に閉じ込められていた。


 客に見やすいようにか、腰の高さほどある台の上に乗せられているソルテの檻。

 いったいどれだけの暴行を受けたのか、ソルテの体には至る所に痣ができており、怪我も治されないまま狭い鉄格子の中で身を竦めている。


 その瞳に輝きはなく、ただ一点を見つめ続けていた。

 何も映っていないその瞳は、俺すらも認識していないのだろう。


 二日前との変わりように、俺の心は激しく苛まれる。


 あのゲームの後、ソルテがあの管理人から酷い暴行を受けたのは明白だ。

 客に良かれと思って、あの管理人に更生してもらいたいと思ってやった行動の結果が、今ここに現れている。


 未熟だった。

 短絡的だった。


 イカサマをしていた張本人が、何事もなく店を追われる訳がない可能性を失念していた。

 奴隷なんて制度がある世界だ、こうなるかもしれないという事は想像がついたはずだ。


 そして事実、ソルテはこうして奴隷として売り出されている。

 護衛任務を終え、初めての街に来て、俺は浮かれ過ぎていたんだ。


「ソルテ」


 俺は檻に近づき、ソルテに話しかける。


 競売人が何か言っているが、そんなものは無視だ。


「……」


 ソルテは感情を失った瞳をこちらに向けてくる。

 その瞳はとても冷たく、俺の心は締め付けられた。


 その瞳が俺を認識すると、その冷たかった瞳が激情に燃え上がる。


「渉!お前のせいでっ、私は!!」


 格子の間から腕が伸び、俺は胸ぐらを掴まれて勢いよく引き寄せられた。

 その勢いで俺は鉄格子に頭を打ち、ジンジンと鈍い痛みが広がる。


「お前がいなければ私はこんな事にならなかった!私はただ言われた通りにやっていただけなのに、なんでこんな仕打ちを受けなきゃならないのよ!殴られて、蹴られて、挙句に売り飛ばされて!お前はやり過ぎた!お前があの男を追い込まなければこんな事にはならなかったかもしれないのに!」


 ソルテが腕を振る度に俺の頭は打ち据えられ、視界の端が血に染まる。


 確かに俺はやり過ぎた。

 引き取りを願われた時点でやめておくべきだった所を、俺は止めずにさらに追い込んだのだ。


 確かにあの時点では管理人にも余裕があった。

 もしかしたら、こうなる事態は避けられたかもしれない。


 だが、あの時の俺は余裕があっては更生できないと判断し、さらに追い打ちをかける事を選択した。


 ソルテの身に降りかかる、その後の事は何も考えずに。


「ごめん」

「ごめんで済むと思っているの!?これから私はどうなると思う!?買われた奴に慰み者にされて、自由のないままに一生を過ごすのよ!?せっかく……せっかくこの街でやっていけると思ったのに……村の皆になんて言えばいいのよ……仕送りももうできない……これじゃもう何もできないわ……」


 涙声になり、胸ぐらを掴みながらも力がだんだんと抜けていくソルテ。


 俺は一人の人生を壊してしまったのだ。

 それは俺がなした行動の結果で、俺がどうにかしなければならない事だ。


「責任は取る」


 俺はソルテの手を取り、そっと膝の膝の上に戻す。


 ソルテは本来なら奴隷堕ちする人物じゃない。

 そこまで堕としてしまった責任は、俺が取らなければいけない。


「競売人、ソルテはいくらだ」


 俺は血を拭いながら競売人に問いかける。


 人に価格をつけるなどしたくないが、向こうは商売だ。

 今はそれも我慢するしかない。


 事の成り行きを呆然と見守っていた競売人は我を取り戻し、少し焦ったようにそれに答える。


「は?いえ、競売なので決まった金額では……」

「なら開始金額と即決額は?」

「開始は銀貨50枚ですが、即決額はちょっと……」

「なら白金貨一枚だ。開始金の20倍強。文句はないだろう」


 その言葉に客たちにどよめきが走る。


 奴隷の相場は高くて金貨で14、5枚、銀貨で約450枚だという。

 今の白金貨は銀貨約1080枚相当だ。

 つまり俺は、その相場の倍以上を提示したのだ。


「しょ、少々お待ちください」


 競売人はそういうと、後ろにあった扉の奥に引っ込んでしまった。

 そのまま売りに出すか競りにかけるか、作戦会議といったところか。


「……私を買ってどうするつもりだ」


 ソルテから恨みのこもった目を向けられる。


 ソルテにとっては憎き相手に買われる事になるのだ。

 不快に思わないわけがないだろう。


「今は何も考えていない。だが、ソルテの悪いようにはしな……い?」


 俺がソルテにそう返すと、俺のズボンの裾が引っ張られるような感覚を覚える。

 なんだとそちらを見てみると、地面に置かれた檻の中に白狼の獣人の小さな少女の姿があった。

 ソルテと同じく檻に閉じ込められており、格子から必死に手を伸ばして俺の裾を掴んでいる。


「私も、私も買ってくださいなのです」


 縋るような瞳で見つめてくる少女。

 金を持っているから一緒に買って貰おうと思ったのだろうか。


 リアも同じだが、そんな目で見つめられると俺は弱ってしまう。

 だが、ここで少女を買ってしまったら際限がつかなくなる。

 ここは心を鬼にして、無視するしかない。


「大変お待たせしました。白金貨一枚ではまだお売りする事は出来ないとのことで……ってお前!お客様に何をしている!」


 競売人が戻ってきたと思ったら俺の裾を掴む少女を見て、その少女を競馬に使うような短鞭でいきなり叩き始めた。


「いっ、いた……!」

「さっさとその汚い手を離せ!」

「お、おいやめろ!」


 涙目になりながらも手を離さない少女を見て、我に返った俺は競売人の行動を止めに入る。

 しかし、競売人はその手を全く止めようとしない。


「お客様、これは躾です。分からない物にはこうして教え込まなければならないのです」

「ひぐっ……ひぐっ……」

「やめろ!泣いてるじゃないか!」

「これはまだ手を放そうとしません。分かるまでその身に刻み付けるのです」

「っならこいつも俺が買う!だからもうこれ以上俺の者に傷をつけるな!」


 とっさに出たその一言で、競売人の少女を叩いていた手が止まる。


 一人だけ、一人だけなら俺でもなんとかなるはずだ。

 泣いている少女を見て放っておけるほど、俺の心は強く(よわく)ない。


 俺は白金貨を二枚取り出し、それを見せつけるように競売人の目の前に差し出した。


「ソルテとこの白狼の獣人。合わせて白金貨二枚だ。どうせ裏で値段の吊り上げを考えていたんだろうが、もうこれ以上の吊り上げはない。この二枚を収めるかみすみす見逃すか、どうするかを今この場で決めて貰おう」


 目の前で白金貨を見せられ、競売人が生き飲む音が聞こえてくる。

 銀貨にして2000枚オーバーの代物を前に、商人とはいえ緊張しているのだろう。


「……分かりました。では、二人の奴隷を白金貨二枚でお買い上げいただくという事で。よろしくお願いします」

「なら、今すぐ二人をこの檻から出してもらおうか」


 取引が成立し、ソルテと白狼の少女が檻から出される。

 それを確認すると、俺は競売人に白金貨二枚を手渡した。


 それを受け取った競売人は平静を装おうとしていたが、その表情には下卑た笑みが浮かんでいる。


「二人共まだ未通です。今晩にでもお楽しみください」

「……下種が」


 その言葉を理解してしまった俺は、そう吐き捨てて二人を連れ、店を後にする。


「兄さ……ん!?その額は……それにその二人はって、もしかしてカジノの?」

「白狼。珍しい」


 店の外で律儀に待っていてくれた二人が、俺の連れてきた二人を見てそれぞれの反応を示す。


 いきなり店に入ったと思ったら二人を引き連れての再登場だ。

 何があったのかも気になるところだろう。


「すまないが説明は後にしてくれ。まずは二人の服を買いにいって、それから一度宿に戻ろう。悪いが今日の散策は一旦中止だ」


 二人は今も薄い布一枚の状態だ。

 こんな見るからな恰好で歩かせるのは心苦しい。


 俺は一度店を振り返る。


 奴隷商店は今も多くの者で賑わい、競りが行なわれている。

 不当な暴力を受け、未来に絶望している者たちがいる事を知ってしまった。

 人の尊厳を踏みにじるような事があっていいはずがない。


 俺はこの出来事で、俺にできる事が何かを考えるのだった。

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