第54話 転換点

 わたくしは亜種から逃げる馬車の中で考えておりました。


 初めて遭遇した大型の魔物という存在。

 生まれて初めて、私は心の底から湧き上がる恐怖というものを体験いたしました。


 文字や伝聞では伝わらない、大型の魔物だけが持つ存在感。

 文献や報告では聞き及んでおりましたが、あそこまで恐怖心を掻き立てる物が存在するなんて思ってもいませんでした。

 今も思い出すだけで寒気が襲ってきます。


 それも非常に強い衝撃を覚えましたが、今の私の中に占める感情は他にあります。


 それは、西条渉の存在。


 今まで私はあの方に酷い仕打ちをしてきました。

 私の苛立ちをあの方にぶつけ、肉体的、精神的にもあの方を責め立て続けたのです。


 それをあの方は誰にも言わず、そして文句も言わず、毎日私の元へ足を運んでいたのです。

 そのような酷い扱いをしていたのにも関わらず、あの方は自ら亜種の囮を買って出てくださいました。

 普通ならば逃げ出してもおかしくはない状況にも関わらず、亜種の囮役をたった三人で買って出てくれたのです。


 獣人の事も酷い物言いをしましたし、妹さんもそれを好ましく思っておりませんでした。

 間違いなくあの方も、私の事を快くなど思っていないでしょう。


 しかし、それでもあの方たちは私のために動いてくれています。


 私の事をよく思っていないのに、私の事を思って行動する。

 その背反する感情と行動に、いったいどれほどの価値があるのでしょうか。


 王族である私にすり寄ってくる人間は多々いますが、あの方はそのような人間ではありません。

 それは私に対して意見し、媚びるような行動をとらない事からも明白です。

 あの方にとっては王族であるという事は、プラスにもマイナスにもならないという事なのでしょう。


 つまり、あの方の中では私は他にいる一般人と変わらないという事。

 そう仮定すると私は救うに値しない人間となりそうですが、あの方は私を救おうと宇げいてくれている。


 妹さんは、亜種と戦うのは怖いと、あの方も怖いと思っているだろうとおっしゃっていました。

 そんな魔物を前にして、今まで責め続けた人間を救おうと動けるでしょうか。


 私ならば、間違いなく逃げていた事でしょう。


 あの方たちは……西条渉はどれだけお優しいのでしょうか。

 私の頭の中はあの方の事でいっぱいになっておりました。


「きゃぁっ!」


 そんな時、何かが降り立つ音と共に、馬車が突然急停止しました。

 そのせいで私は座っていたのにもかかわらず、バランスを崩して倒れてしまいます。


「何ですの」


 私が馬車の外を窓から覗くと、親衛隊、並びに冒険者たちが馬車の前方に集まっているようでした。


 まさか、ワイバーンの亜種がここまで……。


 そう思った矢先、紫色をした霧が馬車の辺り一帯を包み込みました。

 その霧に触れた者達が続々と倒れ、その霧は馬車の中まで入り込んできます。


「ふっくっ……こ、この霧は……」


 その霧を吸い込んだ瞬間、体の制御が出来なくなり、私は全く動けなくなってしまいました。


 これは今さっき見た、親衛隊がやられていた時と同じもの。

 間違いなく、亜種による猛毒だという考えに至ります。


 あの方たちは亜種にやられ、死んでしまったのでしょうか。


 たった三人で足止めを引き受けてくれましたが、軍を動員しなければ討伐できないような相手です。


 死んでしまってもおかしくないと思う反面、心に大きな穴が空いたような感覚を覚えます。

 なぜなのかは分かりません、ですが、とても大切なものを失ったかのような喪失感。


 バキバキっ、という音と衝撃と共に、馬車の上部が吹き飛びます。

 そして顔を見せたのは、猛毒に包まれた恐怖の権化。

 じっとこちらを見つめ、嗤うように上がる口角の端からは、毒々しいほどの紫色をした霧が漏れ出していました。


 親衛隊も冒険者も、全員が地面に倒れ込んでいます。

 この場には誰も私を助けてくれる者は存在しません。


「ぅぁぁ……」


 口も動かず、悲鳴すら上げられない私の頬に涙が伝います。


 あぁ、私はここで死んでしまうのでしょう。

 迫りくる恐怖、抵抗できない無力さ、逃れられない死。


 私の中に、さまざまな思いが交差します。


 今にして思えば、あのような苛烈な言葉を向けられたのは、あの方が初めてでした。


 幾度となく私が反抗しても、一切曲がる事のない獣人への想い。


 私はその発言に嫌悪感を抱いていると思っていましたが、心の底では言って言われてのやり取りを楽しんでいたのかもしれません。


 今までは無視をするか、こちらが少し強く言えば相手はすぐに黙りました。

 あそこまで食ってかかる人間は他にいなかったのです。


 王女という立場上、本音を話せる者は王家の者以外にいませんでした。

 王家以外で初めて言い合える人間を見つけたことを、私は心の奥底で喜んでいたのでしょう。

 普段なら絶対に取らないような行動を取ったのも、私はあの方に構って欲しかったからなのかもしれません。


 今思うと、なんて稚拙な事をして気を引こうとしていたのでしょうか。


 そのせいであの方は苦しみ、私を守るために命を落としてしまいました。

 謝ろうにも、いくら泣き叫ぼうとも、あの方はもう戻ってきません。


 亜種の口が大きく開き、私を飲み込もうとしてきます。


 これは、私が今まで犯してきた報いなのだと。

 今まであの方を苦しめてきた罰なのだと。


 できる事なら、あの方にもう一度会って謝罪をしたい。

 今まで苦しめてごめんなさいと、自分の口からあの方に伝えたい。


 ですが、それはもうかなわぬ願い。


 私はそんな未練を残しつつ、迫りくる死を受け入れました。


「っぁ……」


 しかし、目の前に突然現れた人物に、私は涙が湧き出るのを感じました。

 その方の背中はとても大きく、亜種を遮るように立つ姿は、私が守られているのだと感じます。


 私が死んでしまったと思っていた人物。


 西条渉、その人でした。


「っ!」


 その方は手に持つ小さな武器で、亜種に対して攻撃を仕掛けます。

 見たこともないその武器の威力は絶大で、どんな攻撃も効かないと言われる亜種が悲鳴を上げながらのけぞりました。

 そうしてできた隙を突き、その方は私を抱きかかえ、見たこともない魔法で亜種との距離を取ります。


「ぅぁ……」


 その方の顔を見て、私は涙が溢れ出るのを止められませんでした。

 その方が生きていたことに喜びを感じますが、毒のせいでうまく言葉が出てくれません。

 その事を、私は少し悲しく思ってしまいます。


「怖い思いをさせて悪かった。後でいくらでも責めてくれて構わない。後で何でも言う事を聞くから、今は許してくれ」


 私の呻きを聞き、その方はばつが悪そうに笑いながらそう謝罪します。


 違うのです、私は貴方に救われ、とても嬉しいのです。

 私は貴方が生きてくれていたと知り、とても喜んでいるのです。


 しかし、今までの言動を思えばそう取られるのも仕方ない事なのでしょう。

 その事に私は罪悪感と、この喜びを伝えられないもどかしさが込み上げてきます。


「もう王女様に危害を加えさせたりなんてしない。俺が必ず守ってやる」


 そう言いながら、その方は亜種と向き合います。


 その一言に、私は胸の高まりを抑えることが出来ませんでした。


 あのような存在から私を守ってくださる。

 憎いはずの私を、今まで苦しめてきた相手を、迷うことなく守ると宣言してくださいました。

 その心強さと安心感は私に安らぎを与えるはずなのに、私の体は強く脈を打ち、今までにないほどに体の火照りを感じます。


 そうして、私は気付きました。


 私は、この方に恋をしてしまったのだと。

 この方の事を……渉様の事を、好きになってしまったのだと。


「絶対に討伐してみせる」


 強い意志と共に放たれた言葉に、私は何の疑問も浮かびませんでした。


 渉様がいるという事は、残りのお二方も生きているでしょう。

 とはいえ、たった三人で亜種の討伐など、普通ならばすることなどできません。

 万の軍勢でも長期間の討伐になるというのに、三人で活動できる程度の時間で討伐することなど不可能です。


 ですが、私は不思議とそう思う事はありませんでした。

 言いようのない信頼が、渉様の言葉からは湧き上がってくるのです。


 渉様ならやってくれます。


 そして、亜種を討伐して帰ってきたら、今までの事を謝罪しようと心に決めました。


 許してもらえなくても構いません。

 どれだけ責められようともすべてを受け入れます。


 だから、必ず生きて帰ってきてください。


 私は動けない体になりながら、渉様の背中を見てそう思うのでした。

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