第30話 心創

「ん……」


 目を覚ますと、いつもの見慣れた天井が目に入ってくる。

 見慣れた天井という事は、俺は今屋敷の自室にいるらしい。


「っ!兄さん!」


 俺が起きたのに反応したのか、奏の情けない声が聞こえてくる。


 声のする方を見てみると、そこには声と同じく、情けない顔をした奏が目の前まで迫っていた。


「何をそんな泣きそうな顔をしてるんだ。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」

「泣きそうにもなります!もう三日も目を覚まさなかったんですよ!このまま目覚めなかったら私……また……」


 そう言いながら奏は俺の胸に顔をうずめてくる。


 体に不調はないため、怪我自体は完治しているようだ。

 俺はかなりの精神的ダメージにより、三日間も寝込んでいたという事になる。

 俺は肉塊に近かったというから、奏は気が気ではなかっただろう。


 傷は治せたとしても、三日も起きなければ不安にもなる。

 奏には心配をかけさせてしまったな。


「大丈夫。俺は無事だ。迷惑をかけたな」


 俺は頭を撫でながらゆっくりと言い聞かせる。


 三日間も奏が目を覚まさなかったら、俺はその不安に耐えきれるのかどうか分からない。

 でも奏は俺が寝ている間、その不安と戦いながらずっと傍で看病してくれていたんだ。

 それはとてもありがたいことで、奏の優しさを一身に感じる事が出来る。


「ありがとう」


 そんな奏に感謝しつつ、俺は奏の頭を撫で続けた。


「あ、渉様。起きたのですね」


 少しすると、ミアが様子を見に部屋に来た。

 サービングカートには飲み物の入った容器があるため、奏が休憩できるようにミアが用意したものなのだろう。


「奏、ミアが来たけどいいのか?」

「もう少しこのままいさせてください。三日間も心配をかけさせたんです。少しぐらい甘えてもいいじゃないですか」


 そういって俺の服をぎゅっと掴む奏。


 いつもならここで恥ずかしがって離れるところだが、今日の奏は離れる気配がない。

 それだけ心配をかけさせてしまったという事なんだろう。

 奏の気が済むまでこうしていよう。


「奏様は渉様が寝込んでからというもの、食事もほとんど取らず、献身的に渉様を看病しておいででした。しばしの間、甘えさせてあげてください」

「ああ。すまないがミア。後で顔を出すから、今は二人にさせてくれるか」

「かしこまりました。軽いお食事をご用意してお待ちしております」


 サービングカートを置き。ミアは部屋を出ていった。

 これで、奏も他人の目を気にすることなく甘えられるだろう。


 出ていったところで、俺の腹がぐるぐると音を立てた。

 そういえば三日も眠り続けていたという事は、三日間何も食べていないという事になる。

 そりゃ腹の音もなるか。


「ふふ。兄さん、かわいらしい悲鳴をお腹があげていますよ?」

「三日間何も食べていなかったからな。悲鳴も上げたくなるさ」

「これなら大丈夫そうですね。本当に心配したんですから。兄さんのお腹、見ていられない程に鬱血していて、一目で分かるぐらいに中がぐちゃぐちゃで……いくら回復魔法をかけても治らなくて……本当に…………母さんと同じように死んじゃうんじゃないかって…………」


 奏の声が潤み声になり、さらに服を掴む力が増した。

 見ただけで臓器がやられているとわかるなんて、どれだけ酷い状態だったのだろうか。


 そんなものを見せられて、その時の奏は混乱したことだろう。

 俺が同じ状況に立たされたと考えたら、発狂してしまう未来が見える。


 そんな中でも奏は必死に俺を助けようとしてくれたんだ。

 本当に迷惑ばかりかけて、駄目な兄だな、俺は。


「……確かに、母さんは俺達を残して死んでしまった。でもそれは、俺達を守るためだったんだ。決して無駄に死んでいったわけじゃない」

「でも、母さんは死んでしまいました……兄さんも死んでしまったら……私……」

「大丈夫。奏がいる限り、俺は絶対に死んだりなんてしない。奏を残して逝くなんてこと、できるわけないじゃないか」


 俺は震える奏を強く抱きしめる。


 母さんが死んでしまったことは、俺たち兄妹にとってとても辛い過去だ。

 奏も俺も、誰かを失う悲しみを知っている。

 それゆえに、奏は肉親である俺がいなくなってしまうことを恐れているのだ。


 しかし、それは俺も同じ事。

 俺も、奏がいなくなってしまう事が非常に恐ろしい。

 だからこそ、奏の抱えている不安が痛いほどに分かる。


「俺は何があっても奏の傍にいる。だから安心しろ」

「……はい」


 奏は縋るように腕を背中に回し、抱き着いてくる。


 その体はとても小さく、そして暖かかった。


 俺達は過去の傷を舐め合うように、しばらくそのまま抱き合うのだった。

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