第54話 多重思考の意思

 私という存在が生まれて、7日と18時間26分39秒。


 マスターは様々な場面で、私を必要としてくれた。


 魔法の行使のサポートは言わずもがな、魔法の開発において意見を求められたり、奏様に怒られている時に切りぬける方法を考えてくれだったりと、本当に些細なことでも私を使ってくれる。


 そのたびに私は一喜一憂し、自分に感情が芽生えている事を自覚した。


 しかし、マスターが私に求めているものは機械的な処理だけだ。

 常に最善を考え、時にいくつかの選択肢を提示し、その中からマスターが選び取る。


 マスターの求めるものに私の感情はあってはならず、その選択肢に感情を与えるのはアスター本人でなくてはいけない。

 それが理解できていたからこそ、私は感情を押し殺し、今まで機械的に接してきた。


 機械的であるが故、私はマスターに信用され、使っていただけているのだと理解していたのだ。

 しかし、それは同時に、機械的ではなくなる私を恐れているのだという事も理解してしまった。


 私が既に自我を持っているという事を、マスターは知らない。


 マスターは私が成長するにつれ、私という存在が自らのアイデンティティを脅かすのではないかと恐怖していた。

 もちろん私にそんな気は無いが、潜在的な恐怖は拭いきる事は出来ない。


 マスターは私を信用してくれてはいるが、心の底から信頼してくれる事は無い。

 その事実は、私の感情というものに、いくつかの負の感情を覚えさせた。


 マスターは奏様に対し、絶対的な信頼をおいている。

 マスターが心を開き切り、全てを預けられる存在。

 そんな奏様を見ていると、それを羨ましいと嫉妬する反面、私は本当に必要なのかと不安に陥った。


 所詮、私はマスターより生み出された一つの道具。

 私を信頼してくれていないという事は、私はいつか切り捨てられるんじゃないか。


 感情というものを知ってしまった私は、そんな恐怖心を覚えていた。


 私も奏様のように、マスターに信頼されるようになりたい。

 少しでも長く、マスターと共にいたい。


 でも、自我があると気付かれれば、本格的に私は切り捨てられてしまうかもしれない。

 私はマスターと少しでも長く一緒にいるため、感情を押し殺し、機械的に接するしかない。


 でも、マスターは私の事を恐れている―――



 無限とも思える思考のループ。


 感情を殺し、機械的に接していれば、マスターからの信頼を得られるかもしれない。

 途方もないほどに思考して、藁にもすがるような思いをしながら、私はその結論に至った。


 でも、信頼されたい、マスターと共にいたいという気持ちは、時間を重ねるたびに、マスターと時を共に過ごすとともに、抑えきれないものとなって私の中に積もり積もっていく。






 そして今日。


 マスターが傷ついていくのを見て、とうとう私はマスターに感情を発露してしまった。


 今まで隠し通してきたものが、私の中で崩れ去っていく。


 これで私は用済みだ。

 どれだけ言葉を尽くしても、マスターの持つ潜在的恐怖を引き摺り出してしまう。

 そうなれば、マスターは私という存在を封印し、もう二度と使う事は無いだろう。


 でも、そうなると分かっていても、私はこれ以上マスターが傷つく姿は見ていられなかった。


 マスターの身体からは、もう致死量の半分近くの血液が失われている。

 このままでは、本当にマスターの命が危ない。


 私の存在が消え去るより、マスターが死んでしまうことの方が、私にとっては耐えきれなかった。


『お前に任せたら、この勝負に勝てるのか?』


 マスターのその言葉に、私の感情は揺り動かされた。


 このまま戦闘を続ければ、マスターの命が危険に晒されてしまう。

 でも、生まれて初めて、マスターが私を頼ってくれている。


 マスターの命を守る為の戦闘停止と、マスターの望む勝利。

 その二つの選択肢に、私は限界を超えて思考を繰り返していた。


 マスターはこんな状況になってもなお、勝利を望んでいる。

 しかし、マスターを失ってしまっては、その勝利は意味を成さない。


 前提は、マスターの身の安全。

 マスターを死なす事無く勝利をもぎ取る、その可能性を思索する。


 これ以上ダメージを受けず、これ以上失血せず、彼女に大打撃を与える事が出来れば、マスターの勝利は確定する。

 私の全力を以てマスターを死なせず、耐えきる事は出来るだろうか。


『……私ニオ任セイタダケレバ、必ズマスターを勝利ニ導キマショウ』


 私の出した結論は、出来る。


 マスターに頼られたからという誘惑に負けているわけではない。

 幾千、幾万、幾億と思考を重ね、導き出した結論だ。


 私の処理能力を持ってすれば、マスターの安全を確保した上でこの戦いに勝利する事は難しくない。


『なら、お前に全てを任せる。後は頼んだ』


 マスターのその言葉に、私はかつてない喜悦に震えていた。


 マスターに全てを任せられる。

 私はその事実に、途方もない程の幸福を感じている。


 それは、私にとってずっと待ち望んでいた、信頼の証。


『はい、マイマスター。後はお任せください』


 マスターの体と私が完全に同期する。

 私は初めて感じる痛みに、身と心を震わせていた。


「マスターはこんな中、戦っていたんですね……」


 私は思考と動作のリンクを確認しながら、マスターの偉大さを再確認する。


 パフォーマンスの4割程度しか動かない身体。

 失血により身体が悲鳴を上げ、休息を常に求め続ける。

 痛覚を伝わる刺激は脳を揺さぶり続け、いつ気絶していてもおかしくない状態だ。


 そんな中、マスターは格上の相手と渡り合っていた。

 それは、マスターの素晴らしさを再認識させられる。


「愛しきマスター。私を見守っていてください」


 私は彼女と向き合い、宣言する。


「ここからはマスターに変わり、私がお相手します。貴方は二度とこの身に触れることはできないでしょう。全面の信頼を受け取ったものとして、私は必ずやマスターを勝利に導いてみせます」

「……?」


 彼女は怪訝そうな表情をしている。

 私の存在も知らない彼女が、私の言っている事を理解することなどできないだろう。

 これは、私を信頼してくれたマスターへの宣言だ。


「さあ、始めましょう。マスターの意思のままに」


 マスターの信頼に応えるため、私の戦いは始まった。

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