第42話 閑話その5、なのです。

「お待たせしました!ワイバーンのステーキと、ワイバーンの贅沢シチューです!」


 サラダをつつきながら料理を待つ事しばらく、待望の料理を持って、ルゥが厨房から姿を現した。


 テーブルの上に置かれ、とにかく目を引くのは、分厚く切り取られたワイバーンのステーキだ。

 サシの入った綺麗なステーキ肉ミディアムレアは、見ているだけで食欲が湧いてくる。

 目算でおよそ600gはあるだろうか、その迫力には、やはり胸が高まるものがある。


 そして、メインの二つ目は、ルゥの勧めてくれたシチューだ。

 この街では、トマトや赤ワインを使用したビーフシチューが一般的である。


 出されたシチューもビーフシチューで、ジャガイモ、ニンジン、タマネギがふんだんに使われており、ワイバーンの肉がこれでもかと詰め込まれている。

 正直、匂いを嗅いでいるだけで脳は満足しそうなほど、ビーフシチューの良い香りが辺りを席巻していく。


「これがワイバーンの肉か」

「すごく美味しそうです」

「これは迫力がありますね」


 料理を目の前に、神奈、奏、ミアの三人がそれぞれ感想を呟く。

 ミアなんかは、シチューの大きく切り取られた野菜を見て「こんな調理法もあるんですね……」と声を漏らしていた。


「さぁ!冷めないうちにお召し上がりください!絶対に美味しいですよ!」

「じゃあ、いただきます」


 どうぞ!と、ルゥに進められ、俺はまず、目の前にあるステーキ肉を口にする。


 その肉を口にした瞬間、ワイバーンの脂が口の中を陵辱した。

 舌で押すだけでサシがほどけていき、ほどけた脂が口の中を暴れ回る。

 ほんのり感じる塩の味と、濃縮されたような肉の旨み、それに脂が混ざり合って、見事なハーモニーを奏ででいた。


「っ!っ!」


 向かいに座り、俺と同じくステーキを食べた神奈が、口を開く事なくステーキの美味さを語ってくる。


 それに対し俺も口は開かず、頷いて神奈と共感する。

 神奈が口を開かない理由はよく分かる。

 ここで口を開いてしまっては、この旨みが逃げていってしまうように感じてしまうのだ。


 出来る事なら、ずっとこのまま、その味が消え去るまで口を開きたくないとまで思える。

 それぐらい、ワイバーンの肉は衝撃だった。


「はぁ~、美味しいです~。お肉はそんなに煮込んでないって分かるのに、シチュー全体にお肉のうまみが染み渡ってます~♪」

「ワイバーンの肉もそうですが、この野菜も驚きです。少し力を入れるだけでぽろぽろと崩れていきます。どんな調理をしたら、根菜をこんな柔らかく出来るのでしょう。とても美味しく、見た目以上に食べやすいです」


 シチューを食べた奏とミアも、その料理を絶賛していた。

 野菜がほろほろ崩れると言う事は、かなり手間がかかっているんだろう。

 肉のこの後味を楽しんでいたいが、シチューの方も凄く気になる。


「奏、俺にもシチューを分けてくれ」

「はい、その代わり、そちらのステーキも貰いますよ?」

「当然だ。こっちも言葉を飲み込むぐらい美味いぞ」

「そんなにですか。楽しみです」


 取り皿に分けて貰い、俺も二人の絶賛したシチューを口にする。


 一口で感じたのは、煮込まれて出た野菜の甘みやコク、そして何より、こちらでも大きく主張してくるワイバーンの脂だ。

 ワイバーンの脂は強く、それだけでシチューの味を壊してしまうのではないかと思っていた。


 しかし、濃厚なドミグラスソースはその脂に負ける事無く、寧ろその脂と融和して、より濃厚で深みのあるシチューへと変化している。

 主張してくる脂の強さは、ドミグラスの重要なアクセントとなり、野菜の甘みやコクにより、強い味をまろやかにしてくれる。


 今まで食べた事の無い、神がかったバランスの上で、この料理は作られていると感じた。

 材料の特性やそれらの調理法を熟知していなければ、この料理は作れないとも思う。


「ここまで美味いシチューは初めてだ」

「こんなに美味い物が食べられるとは……渉達が来たがった理由が良く分かった」

「凄いです!このお肉、舌の上で溶けるような感覚です!」

「ワイバーンの肉は初めて食べましたが、まさかここまで美味しいとは思いませんでした……余韻が凄いですね……」


 ステーキとシチュー、その二つを食べて得られた感想は、とにかく美味い、この一言に尽きるだろう。

 頼んだ時は、まさかこんなに美味い物が出てくるなんて、露ほどにも思っていなかった。


「えへへ。喜んでもらえてよかったです!どうですか?満足してもらえましたか?」

「大満足だ。やっぱりこの店に来てよかったよ。それに、店員さんのお勧めも完璧だった。ありがとな」

「そう言って貰えて嬉しいです!たくさん用意したので、たくさん食べていってくださいね!じゃあ、私は厨房に戻るので、何かあったら呼んでください!」

「ああ。女将さんにも、料理美味しいですって伝えてくれるか?」

「はい!分かりました!お母さんにも伝えておきますね!」


 そういって、ルゥは厨房へと姿を消していった。


「ミアの料理も美味いが、飲食店だけあって格が違うな」

「そうですね。神奈様のおっしゃる通り、私もまだまだだと実感する料理でした。これからも精進したいと思います」


 神奈の言葉に、ミアが律義にそう返していた。


 本職とメイドで、差が出るのは当然だと思うのだが、ミアのシチューに対する考察を見るに、少し対抗意識を燃やしているのかもしれない。

 今後の料理に反映されるのだろう、ミアの料理は美味いが、さらなる発展に期待できそうだ。


 そんなことを思っていると、なぜかルゥが俺達のテーブルに戻ってきた。

 疑問に思っていると、ルゥは申し訳なさそうに頭を下げて、こう言った。


「すいません!料理のお代を頂くのを忘れてました……お代を頂いてもいいですか……?」


 ルゥには申し訳ないが、たったそれだけの事で恐る恐る言ってくる事に、俺は少し笑ってしまった。

 そういえばここは今払いの店だったなと思いだす。


「ミア、頼む」

「かしこまりました。今回はおいくらですか?」

「はい!銅貨で16枚になります!」

「銅貨で16枚ですか?随分と安いですね。それで採算は取れるのですか?」


 ミアがそんなことをルゥに聞いていた。

 流石にワイバーンの肉の相場までは分からないが、ミアが言うのなら相当安いのだろう。


「えっとですね。ここだけの話なんですけど、このお肉は冒険者さんから貰った物なんです。なので、これだけ安く提供できるんです」


 ルゥは、周りに聞こえないような小声でそう教えてくれる。

 悪戯っぽい笑みを浮かべるルゥも、とても可愛らしく思える。


「そういう事ですか。では、銀貨でお願いします」


 ミアは懐から銀貨を取り出し、ルゥへとそれを渡す。

 ルゥはお釣りを渡そうとするが、俺はそんなルゥに待ったをかける。


「ルゥ。釣りはチップとして受け取ってくれ。俺達からの気持ちだ」

「そんな!16枚もチップで貰うなんて多すぎます!銭貨ならまだしも、銅貨16枚は受け取れません!」


 そういってミアに銅貨を渡そうとするが、ミアは俺の言を受けて、その銅貨を受け取ろうとしない。


「あの……受け取って……」

「ルゥちゃん。貴方は初めて私達がこの店に来た時、嫌な顔を一つせずに接客してくれましたね」


 お釣りを受け取って貰えなくて弱っているルゥに、奏が初めて来た時の事を懐かしみながら話しかける。

 ルゥも少し戸惑いながら、奏の言葉に返していく。


「え、あ、はい。いくら嫌われているからといっても、お客さんである事に変わりはありませんから」

「その時はそれがどんな事かよく分かっていませんでしたが、今ではそれがとても貴重な事だと分かったんです。そして、二度目に訪れた今日も、ルゥちゃんは同じように、笑顔を振りまきながら接客をしてくれました。私は、それがとても嬉しかったのですよ?」

「それにルゥの接客は、受けているこっちが元気になるものだ。俺は元気をくれるその接客に、チップとしてそれだけ渡したいと思ったんだ。だから多すぎる事なんてない。受け取って貰えないか?」


 俺と奏の言葉に、ルゥが少し考え込む。

 ルゥの言葉を待っていると、ルゥは確認するように問いかけてくる。


「本当に良いんですか?」

「ああ。後で返せなんてこと言わない」

「もしそんなこと言ったら、私が兄さんを締めときます」

「やめてくれ。絶対にそんなことしないから」

「もしもの時の保険です♪」

「こっわ」


 俺と奏がそんなやり取りをしていると、ルゥは声を出して笑った。

 そして、笑顔で俺達に言う。


「ありがとうございます!チップなんて貰ったの初めてです!このチップは大切にさせていただきます!」


 その笑顔に、俺達四人の顔はほころぶ。


 天真爛漫なその笑顔は、やはり周りに元気を与えるものだった。

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