第20話 こわかったです

「ここは……知らない天井だ……」


 目を覚ました奏が、そんなことを呟きながら目を覚ました。

 あんな事があったというのに、意外と余裕はあるのか?


「起きたか、奏」

「兄さん?ここは……」

「冒険者ギルドの医務室だ。奏が連れ去られた後、リアっていう冒険者がお前を助けてくれたんだ。気絶していたみたいだが、目立った外傷はなかったからとりあえずここに運び込んだ。怪我がなくてなりよりだよ」


 俺が今までの事を軽く説明すると、奏の表情が曇っていく。


「私……っ!」


 そして、今までの事を思い出したのか、奏が俺の胸に飛び込んできた。

 俺は、少しのけぞったものの、倒れる事無く奏を受け止める。

 腕の中に収まった奏の身体は小刻みに震えており、余裕があると思った俺が間違っていた事を思い知らされる。


「私っ、さらわ……、奴隷にして……殴られ……っ」

「大丈夫、もう奴等はいない。安心しろ」


 呼吸が乱れ、途切れ途切れの言葉を発する奏を、俺は頭をゆっくりと撫でて宥める。


 奏を攫われて俺も相当取り乱したのに、当の本人が何とも思っていないなんて、ある訳がなかった。

 大の大人に攫われ、どれだけ怖かったのかは分からない。


 あのまま救えなかったら、奏がどうなっていたのか。

 それは、奏が一番考え、最も恐怖した事だろう。


 俺は奏が落ち着くまで、その頭を撫で続けた。


 十分ほどそうしていたら、奏の震えが止まり、肩の力が抜けてきた。

 少しは整理がついたのだろう、俺は奏に問いかける。


「落ち着いたか?」

「はい。ありがとうございます、兄さん」


 そう言うが、奏が離れる気配は一向になく、むしろ抱きつく力が少し強くなった。


「奏、離れないのか?」

「あれだけ怖い思いをしたんです。少しぐらい甘えさせてくれてもいいと思います」

「いや、別に甘えてくれるのは嬉しいんだがな。人目があるって気付いてるならそのまま続けてくれ」

「……え?」


 奏が素っ頓狂な声をあげながらゆっくりと顔を上げ、周囲の確認を始める。

 そして、微笑ましげにこの光景を眺めているデリックの存在に気付いたところで、勢いよく俺から離れ、顔を真っ赤にして掛け布団に顔をうずめた。


「に、兄さん!人がいるなら言って下さい!兄さん以外にこんな姿を見られるだなんて、恥ずかしくて死んでしまいそうです!」

「俺は教えてやっただろう」

「もっと前に教えてください!」

「ほほっ、仲が良いようで何よりですな」


 デリックがそう言うと、奏は恥ずかしさが増してしまったようで、唸りながらさらに掛け布団へと顔をうずめてしまうのだった。




 その後、羞恥心に染まってしまった奏を別の意味で宥めつつ、奏が攫われた後、何があったのかを聞き出した。


 話を纏めると、攫われた後も抵抗はしたのだが、すぐに頭を強く強打されて気絶してしまったらしい。

 気絶する前に、あまり騒ぐようなら殺せばいいだとか、奴隷として高く売れそうだとかいう話をしていたらしい。

 リアが奏を救い出したおかげで、何とかその未来を回避できたようだ。


「奴隷か……あるとは思っていたが、こうも簡単に巻き込まれるなんて思ってなかったな」


 奴隷制は地域によって多種多様ではあるが、奴隷といわれて良いイメージを持つ事は出来ない。


「奴隷には二種類あり、犯罪奴隷と商用奴隷があります。犯罪奴隷は文字通り、罪を犯した者が奴隷に落とされるというものです。こちらは罪を犯したという事で、国からの命令により誰もやりたがらない仕事、死亡確率の高い仕事を任される事が多いです。商用奴隷は奴隷を商品として扱うもので、購入者によりそれぞれ扱いが変わります。妹様は恐らく商用奴隷として攫われたのでしょう。スラムにほど近い地区では、商用奴隷を目的とした若い男女の連れ去り事例が後を絶たないのです」


 俺達が奴隷について知らない事を察してくれたのか、デリックが奴隷について説明してくれる。


「連れ去りがあると分かっているのに奴隷制を導入しているのか」

「奴隷はとんでもない利益が出ますし、国にも税として多額の収入が入りますので。それに、奴隷制を廃止すると生きられない貧困層もいるのです。必要悪、とも言えるでしょう」

「奴隷が必要悪ですか……」


 デリックの説明に、奏が少し暗い顔をする。

 攫われそうになった身として、そう言われると複雑なのだろう。


「渉様!奏様!」


 突然医務室の扉が開いたかと思うと、ミアが血相を変えて部屋に飛び込んできた。


 ミアの額には玉のような汗が浮かんでおり、相当心配をかけてしまったのが見て取れる。

 その表情には疲労が色濃く滲み出ており、俺の方を確認すると、その表情に少々怒りの色が加わったのが分かってしまう。


「よ、ようミア。元気そうで何よりだ」


 何故怒りの色が浮かんだのかは分かっているので、出来る限り明るミアに返す。


「元気そうで何よりだ、じゃありません!ろくに地理も知らないのに、勝手に独断専行しないでください!そのまま渉様まで居なくなったら私はどうすればいいんですか!?心配かけさせないでください!」

「ご、ごめんなさい……」


 目の前までやってきて叫ぶミアに、俺は謝ることしか出来ずに縮こまる。


 スラムまで行ったことを知れば、さらにミアは激怒するだろう。

 今のミアには恐ろしくて言えないので、言うのはミアが落ち着いてからにしよう。

 何も言い返せない俺を見て、奏があたふたしながらフォローを入れてくれる。


「み、ミア。落ち着いてください。私も無事でしたし、兄さんは私を心配してくれて」

「奏様、申し訳ありませんでした」


 奏のフォローを断ち切り、ミアが奏に対し深く頭を下げて謝罪した。

 ミアからの突然の謝罪に、俺も奏も何の事か分からず唖然に取られてしまう。


「本来であれば、私がお二人を守らなければいけませんでしたが、私は奏様を守りきれず、奏様を連れ去られてしまうという失態をしてしまいました。相手が雑魚だからと軽く見ていたせいで、他への注意が散漫になってしまっていたのが原因です。私の責務を全う出来ず、誠に申し訳ありませんでした。今回の件は、私に全ての責任があります。罰はお受けします。叱責でも拷問でも自害でも、何でもお命じください」


 表情は窺えないが、どうやらミアは奏を守りきれなかった事を悔いていたらしい。


 ボディーガード的立ち位置でついて来たミアだが、あの時のミアは三人を相手にしていたのだ。

 戦闘状態で後ろから忍び寄ってきた奴の事など、気付くのは難しいだろう。


 それに、その事を責めるにしても罰として自害は重すぎる。

 この世界のメイドは一回のミスで、そこまでしなければいけない物なのだろうか。


「罰だなんて。攫われてしまったのは、それこそ私の注意力が足りなかったんです。ミアが気に病む必要はありません。私は無事でしたし、今はその無事を喜びましょう。ね?」


 自らの無事をミアに喜ばせるという何とも厚かましい事をミアに強要しているが、それほどまでに奏は動揺しているのだろう。

 相手に拷問してくれと言われたら、その動揺も当然のものかもしれないが。


「しかし、それでは私の気が収まりません。私は奏様を助けられませんでした。その事について私は非常に罪の意識を感じています。自分勝手かとは思いますが、この罪悪感を払拭するため私に罰をお与えください」


 ミアは、ずっと頭を下げたまま上げようとしない。


 恐らく、こちら側から何かしらの罰を与えない限り、ずっとこのままなのだろう。

 それに、そのように言われてしまったら、何かしらの罰を与えないといけないような気がしてくる。

 かといって、ミアの言う様な拷問など、もってのほかだ。


 同じように悩んでいるのだろう、奏が助けを求めるように俺に視線を向けてくる。

 このまま話し合っても平行線になりそうだし、一度時間を置くのが良いかもしれない。


 俺は立ち上がり、ミアと奏に提案する。


「とりあえず、家に帰ってから決着をつけようか。ずっとここで話し合うのも、ギルド側に迷惑だ」

「それが良いでしょう。こちらとしては迷惑ではありませんが、このような場面を他の者に見られてしまっては、西条家の品格が疑われてしまうかもしれません」


 事の顛末を傍観していたデリックが、助け船のように俺に続いてくれた。

 俺と奏は品格など気にしないが、それを気にしているミアにデリックの言葉はクリティカルだったようで、ミアは顔を上げて謝罪した。


「申し訳ありません」


 少し俯き気味でやっと見えたその表情も、大失態を犯してしまい酷い後悔しているのがありありと分かるほどに歪んでいる。

 目にはうっすらと涙が浮かんでおり、ミアがどれほどの覚悟を持ってメイドという職を全うしているのかが垣間見えた。

 本気でやっていない限り、このような表情を見せることなどできないだろう。


 そんな顔を見てしまって俺はかける言葉が見つからず、奏にするようにミアの頭を撫でていた。


「帰ろうか」


 ミアは少し驚いていたが、すぐに顔を伏せてしまう。


 俺達はデリックに礼を言い、ほんの少し雑談して、冒険者ギルドを後にした。

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