episode14平和を望むなら
静かな部屋。木目調の天井にゆったり回転するシーリングファン。そよ風。
「起きたか?」
その声の主を確かめようと上半身を起こす。
脳みその覚醒と共に視界が鮮明になる。
その瞬間、ゾッとする。
左足が、ない。
夢、じゃなかった。
必死で探し回った彼女に、荒々しくもぎ取られた。
足の付け根から先の虚空の神経が記憶を呼び覚まし、寒気と嗚咽に身を屈める。
「…う、…げっ…ぇ。」
コトン。その普段聞きなれているはずのマグカップをテーブルに置く音にひどく怯える。
そっと顔をあげると、湯気の立つコーヒーが入れられていた。その先でコルトさんが手際よく何かを作っている。
「タイプイレギュラー。お前に投与した凱人薬は俺がアイツに秘密裏に開発したものだ。お前の荷物に紛れてた。」
テーブルの上のマグカップの隣にウシュマル遺跡で見つけた紙切れと弾薬が転がっていた。
「魂と科学の融合。それが俺が追い求めていた理想。…俺はあっちの世界で科学者として働いていた。科学者でありながら霊魂の存在を肯定した。おかげで回りから冷たい目で見られたもんさ。恵まれない成果に研究チームは解散。諦めきれない俺は家財道具を機材に変えた。嫁は翌日から姿を消した。残ったのは、娘。真理だけだった。」
真理。その言葉に全身の毛細血管が熱を上げ、拡張した。
「真理はいつも傍らにいてくれた。笑ってくれた。ある日、瀬良を名乗る男から連絡が入った。瀬良は俺の研究に興味を抱き、資金提供してくれると約束してくれた。これで貧乏暮らしから解放される。真理に好きな服を買ってやれる。これが幸せなんだと浮かれた。だけど違った。」
揺れる湯気の先におっちゃんの背中は震えていた。
「俺は研究に没頭した。朝から晩まで研究所にこもり、いつか陽を目にする研究に明け暮れた。小雨が降る夜だった。帰ってみると、手首から血を流す泥だらけの娘がソファーにたおれこんでいた。いつも傍らにいて、支えてくれていたはずの娘の変化にも気づかずに俺は…。」
作業は完全に沈黙していた。握ったスパナは小刻みに震え、時折鼻をすする音と後悔するようなため息が聞こえる。
「幸い、命に別状はなかった。相手もわからない子供も身ごもっていたのもあり、俺は仕事から手をひこうと瀬良に交渉した。だが、あいつは事もあろうに娘を監禁し仕事を強要した。」
語気に怒りと憤り。スパナを握る手は金属の作業台を強く叩き。暫く沈黙が続いた。自嘲気味にコルトさんはポツリと背中でしゃべった。
「私のことは心配しないで。娘は笑ってたよ。」
「暫く分厚いガラス越しに面会する日々が続き、娘は消えた。君の腕を見て、あの子の生存を確認したとき、心のそこから叫びたくなった。生きていてくれたんだなって。だから俺は、その腕を託されたお前に協力を申し出た。お前ならきっと俺の仕事を粉々にしてくれるはずだと。」
戦え。おっちゃんはそういった。ろくに立てもしないこの足でどうしろってんだ。俺はもう歩けもしないんだぞ。
パリ、パリパリパリ…。冷たい金属が患部に張り付き、密着した。
「正直、我が娘ながらこれをここの部屋で見つけたときは驚いた。ワイルドメタルと命名したらしい。真理がくれた右手が何でもつかむ自由の腕なら、俺はお前に何度でも立ち上がる不屈の足をくれてやろう。」
不屈の足。こいつで俺は再び地面に立つと、何故かがらんどうになった商品だなを遮り外に出ようとした。
「どこへいくつもりだ?武器ももたずに。あてもなくまたさ迷うつもりか?」
その呆れた口調で俺は足を止めた。
ついてこい。車椅子のおっちゃんはさっさと店の奥を進み、古びた本棚の前で止まった。
「凱人薬の服用者はタイムトラベルができる反面、その副作用に引きずり込まれる。」
壁にあった照明用のスイッチを押す。
「副作用。含まれている魂に運命を引っ張られる。ここは昔真理が研究所として使っていた場所だ」
ゆっくりと埃を上げて本棚がスライドする。
暗がりに現れたのは湿気で傷んだ木製の階段だった。
「ついてこい。」
おっちゃんは立った。
「え!?立てるの?だって特訓の時だって俺が…。」
「体力つけるにはもってこいだったろ?」
手招きするでもない。ただ床をギシギシならしながら暗がりへ姿を消していく背中を呆然と眺めていた。
「どうした?来ないのか?」
「い、今行くって」
今にも床が抜けそうな脆い足元を慎重に足場を探しながら上っていく。見上げた先のおっちゃんは、灯をともした燭台を片手に扉の前で待っている。
「どうした?ずいぶん遅かったじゃないか。」
「リフォームしたら?ずいぶん床が傷んでるみたいだけど…。」
「まぁ、気にするな。そのうちわかる。」
そういうと扉の前の古びた端末らしき物を毎朝の日課のように打ち込んだ。
扉は息を吹き替えしたように、ふっと白く、薄い煙が一瞬出た。直後、近未来的な音を鳴らすと滑らかにスライドした。
足を踏み入れると一変。医療施設のような空間には無数の本棚が壁を作り、中央の丸テーブルには紫色の液体が入ったフラスコが火にかけられている。研究途中だったのかレポートのような走り書き。
ー この特殊弾は六発で一組。六発目の赤い弾薬が起爆剤となり、体内の五発が連動して炸裂する ー
「ここは娘の秘密の場所でな、俺に似たせいかずいぶんこったものも作ったらしい。」
試作品のようなガラスで出来た透明なマネキンの手を軽く持ち上げ、おっちゃんは呟いた。その目はどこか朧気で、瞳は潤んでいた。
「あの日、俺が長年研究してようやく完成させた異空間コイルは、原因不明の出力低下でテストが行えなかった。俺はどこか安心していた。だが、突然飛来した隕石の衝撃にコイルは暴走。辺りを飲み込み、結果この様だ。」
「やっぱり過去なのか?」
「いや、おそらく未来。あっちから広範囲でオーパーツを持ってきてしまったせいで不安定な世界になったようだ。」
「じゃあ、戻る方法は?真理はどこにいる?」
コルトさんは、俺に背を向けたまま本棚を漁っている。
「あせるな、黒幕の瀬良はまだ何か企んでる。俺の知らない情報を操作しているに違いない。現に俺の店から憲兵に商品を持っていかれちまった。」
「お前、9mm弾の名前知ってるか?」
「そんな話はいい!良いから早く真理の居場所を…。」
思ったより体は早く動いていた。俺の体とは思えない速さ、俺の体とは思えない筋肉質な腕。
「流石タイプイレギュラー。その身のこなしなら問題ない。」
すっと、曇りのない真っ直ぐな視線で一冊の本を渡された。
焦げ茶色のあまり目立たない、歴史書か何か。
その本のページから一枚の写真が床に落ちた。
笑っている真理は子供を抱えている。
「開けてみろ」
急に力が抜けた。写真の裏にメモが書いてあった。
Si Vis Pacem, Para Bellum
「平和を望むなら、戦いの準備をしろ。真理がほしけりゃ奪ってこい。効能が確かなら最近出来た収容所にいる。」
同時に開いた本の形をしたケースにはサタデーナイトスペシャル。ピースメーカーが入っていた。
「選別だ。くれてやる。とっとと行け!」
「おっちゃんは?」
「なんだ?階段かあるぞ?」
会話は誰かに刻まれてしまった。
階下から誰かが覗いているらしい。二人、いや、六人。
「俺はこれから用があるんでな」
おっちゃんは新型のマシンガンにマガジンを入れた。
「自分だけマシンガンかよ」
「そいつはお前が欲しがったんだろ?弾はお前の荷物にたんまり入れといた。好きなだけ使え」
「あとでこの騒動に巻き込んでくれた正式な謝罪をもらうからな」
「お互い、生きてたらな」
裏口から外に出ようとした時だった。
「それから、夜明けまでにはカタをつけろ」
「いたぞ!」
階下の二人が銃を構えて走ってきた。マダムの店にいた連中だ。おそらく何かの徴収に来たのだろう。軽装でハンドガンの装備しかない。
「うるせぇ。お前らに貢ぐ代物はここにはねぇ。」
突如始まった銃撃戦に本棚は細切れになる。
「早く行け。でなきゃ取り返しのつかないことになるぞ。」
硝煙と木片が飛び散るなか、飛び出すように階段を降りた。
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