episode13 蹂躙
けたたましく部屋のドアがなっている。
部屋の料金はちゃんと払ったろ…?
カーテンの隙間から朝日が指していてまぶしい。
転げ落ちるように簡易ベッドから起きると、わずかにアルコールが残る脳みそから歩行の信号を発信する。
夕べあのあと近辺をくまなく散策したけど、列車は愚か線路もない。駅もなければ町もない。
そう、町も消えていたのだ。
石畳は渇いた土へ。シンデレラのような馬車は牧草を積んだ牛車へ。レトロでおしゃれな街灯はチロチロと燃える松明へ。まるで文明が崩壊した世界みたいに…。
おかげで道を間違えたかとしばらく右往左往して、ようやくついたのが明け方の話だ。
ーで、朝からこの騒ぎ…。ー
「なんすか?」
出ると日向さんとマダムが血相変えて騒ぎ立てる。
「市場の、市場で血まみれの女がチェーンソー振り回してんだよぅ。あんたあれじゃないのかい?例の…。」
マダムに付き合わされたのか、日向さんは買い物袋を大量に持っている。
「振り回してるわりに、どけてとか、逃げてとか…。」
脳みそは旧式らしくエンジンのかかりはすこぶる悪い。
話を理解するのに二秒、行動に移すのにさらに三秒。
着替えに3分、鍵を壁掛けから外し、モーテルの階段を下る。髪なんて跳ねたままでもかまわない。
キーを差し込み、まだ霞がかかったオレンジの道を市場のある港へ向かった。
臓物を壁に叩きつけたような血。脳漿が破裂したような血。白い壁に血。血。血。
買い物客は避難したのか、生々しい血痕意外なにもない。それを除けばただの鮮魚市場。朝とれたばかりの新鮮な魚たちが軒先に並んでいる。
そのさらに下。壁づたいの地面にまっすぐ一直線に血痕が走っている。…何か引きずったあとみたいに。
ゆっくり、低姿勢で、音を立てないよう慎重にそれを追う。
一軒の店の真ん前まで来ると、それは突然途切れた。
「…フーッ…フッ、フーッ…。」
店の軒下の棚の影に隠れてなにかいる。目を凝らすと、右足から血を流す少女が敵意の眼差しでこちらを睨んでいた。
「怖がらないで、大丈夫だから…。」
その瞬間。少女の背後から垂直に伸びる刃が伸びて見えた。ブァッン。轟音が木材を木片へと替える刹那、俺は彼女を強引に引き寄せた。棚は木っ端微塵。土煙が薄暗い軒下に充満して、中の様子がうかがえない。
土煙が一瞬揺らいだ時だ。
高速回転する刃物が、無理に金属を切ろうとする音。瞬間的に右手でチェーンソーを防いでいた。飛び散る火花に肝を冷やす。
「退いて、お願い。早く、逃げて…。」
紛れもなくこの半年探していたユイがつばぜり合いの相手として、目の前に立っていた。
返り血を浴びた真っ白な肌は、泥と涙でぐちゃぐちゃになっている。
「…にしてんだよ!」
力強く押し返してもびくともしない。
「ダメだろ?サンプルが抵抗しちゃ…。」
背後からする濡れた声が聞こえた瞬間、左足から力が抜けた。
撃たれた。そう気づいた時には彼女が覆い被さるように唸る刃をさらに地面と俺に近づける。
「こんのぉ…!!」押し返す右手がカチカチ震え、悔しいけどびくともしない。
ユイの涙で顔が濡れる。
「ごめんね、ごめんね…。」
ピー…。
小刻みにビートを刻むチェーンソー。どうやら燃料切れらしい。
「…ったく。まぁ、でもあらかたのデータは取れた。どけ。」
ユイの背後から聞こえる声の主は、田中先輩…。焦りと意外な再開にお互い目を丸くした。
「お前か…。いろいろ嗅ぎ回ってたのは。根回し大変だったんだからな。」
おい。と、その声と同時に指先をちょいちょいと動かすとユイは、チェーンソーの電源を切り、傍らにおいて四つん這いになった。表情はこちらからは見えない。
「よいしょ…。んでさ、どこまで知ってんの?」
ジャケットのうちポケットからタバコを一本。吹かして指先で俺を指す。偉そうにしやがって。
「んな顔すんなって。冥土の土産に教えてやろうと思ってな。」トントン。地面に灰がパラパラ落ちる。
「ユイ乗るな…。ユイから離れろ…!」
「態度が悪い後輩だなぁ…。」
ジュッ。熱と痛みが左足のあの場所にピンポイントで突き刺さる。
「………!!」
「ほぅ、悲鳴ひとつあげないとは、根性」
ぺっ。ささやかな反抗。顔面に唾を吐き飛ばす。
「お前…。」
ゆっくり立ち上がる田中先輩は仁王堂に見える。
「こっち、来てからの、お前の態度!」
猛烈な蹴りを腹に三発も見回れ、無言で寝返りを打つぐらいしか出来ない。
「直せって言っても、直に死ぬしなぁ?どうだ?聞く気になったか?」
アホか、こっちは死ぬ勢いで蹴られて息もできねぇっての…。
「無言はyes。まぁ、知ってるだろうがこいつの名前は真理。星野真理ちゃん。お前の裏の志望動機だ。」
「ぐふっ、ごほっ。」
「おー、いい返事。かわいいもんね。ストーキングしたくなるもんね。でもまさかこの世界までついてくるとはね。」
星野真理。あの夕暮れの帰り道以来あっていない。あの日彼女は知らない男に連れ去られた。俺の伸ばした手は虚しく空を切り、ただその潤んだ瞳を見るしかなかった。
「話を戻すぞ。」ポケットから新たにタバコを一本。火をつける。
「俺が売ったんだ。こいつをプランテーションに。高く売れたね。なんせこの美貌だろ?おまけに好色じいさんでな、そこの主人は。毎晩お楽しみになったらしい。」トントン。地面に灰がパラパラ落ちる。
「だが、ある晩。こいつは事もあろうに商売人たる俺の面に泥を塗った。主人を殺し、親戚一同皆殺しだ。ついたあだ名が、ブラッディ・メアリー。それからだ。周囲のプランテーションはほぼ壊滅。商売上がったりだ。だが。」
先輩の吸う安物のタバコの先端が赤く燃え上がる。
「こいつが復讐のためだけに開発、研究を重ねた数々の品。商売にしねぇ手はねぇよな?だから俺は裏市場でこいつが出てるとき、俺は神に感謝した。俺にドラえもんをくれてありがとうってな!」
煙を吐きながらしゃべる様子はまるで壊れた蒸気機関のよう。
「でも、ひとつだけ難点があってな。こいつどーしても人、殺したくないんだって。昔襲ったプランテーションで子供が親にすがる姿見てから殺せないんだって。だから、今日、テスト。」
おもむろにズボンのポケットから出したのはスマホのようなデバイス。
「はい、足動かして。」
すすっと指先操作でユイは足をぱたつかせる。
「ははははっ。見た?今の見た?よほど恨みがあったんだろうね。健が切れても、足が折れても動けるように開発した神経収束糸の応用。なんなら今から服脱がすか?」
左手で地面を蹴り、勢いを乗せて右の金属で殴り付ける。小骨が宙を舞った。
「お前、まだそんな元気が…。」
立ち上がる先輩はデバイスですすっと何かを操作。
「そこまでこいつが好きなら、こいつに後は任せよう。」
立ち上がるユイは、またも俺に覆い被さる。
「今ならまだ間に合う。ここ、ここを開いて。糸を引き継ぎって!」
しきりにブラウスから覗く小ぶりな胸を強調する。思わず赤面して怒鳴る。
「んなまねできるか!」
「良いから早く!」
「思考と、感情は仕方ないにしても…。収束糸も支配率をあげるか…。」
デバイスの音が上がっていく。
「あ、あがっ…。」
「ゆ、ユイ…?」
すりすりとユイは上半身から下半身へ。腕から左足へ移動する。
メリメリと軋む筋肉が割かれ、むき出しになる。
プチプチと無数の管が千切れては深紅の血が溢れ出す。
バリバリと砕ける骨は露になる。
「あ、足がっ。足がぁっ。」
「あっはっは。脳のリミッターを解除してみたんだ。瞬間的にゴリラ並みのパワーが発揮される。話は聞いた。イカロスだっけ?飛べない天使。まさにお前だな。そうやって這いつくばってろ。ゴミが。」
遠退く意識の中、真っ直ぐ伸ばしたはずの手はまたしても虚しく空を切るだけで、つかみとったのは…。ようやく、つかみとったのはつかんでも手からすり抜けてしまう、さらさらとした砂だった。
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