episode12 過去
どういう訳か町が異様な速度で発展していく。
最近はその変化は著しい。最初は夜の明かりが松明からガス灯に変わるぐらいのもので、三週間前に導入された。それだけでももちろん驚きの変化だ。だけど、この町は…。
今朝、モーテルの階段からマダムの店から屈強な男が酒という酒を木箱で何個も運び出すのを目撃した。
マダムは呆れたようすで腕組みをして黙ったままだった。
…債務でもあるのか?
ユイと思われる人物が最初に隔離されたという農園に行くにはレンガの町を抜けて行くしかない。
赤レンガ、丸い屋根。石畳の上を馬車が通り、道行く人々はバイクに跨がる俺と日向さんを凝視する。途中、サーベルを持った警察と思われる人に声を掛けられたけど、人を探している旨を伝えるとなんのお咎めもなしにあっさり道を譲ってくれた。
この風景、何かで見たな…。
信号機もないので、石畳の上を低速でホーンを鳴らしながら人並みを掻き分けていく。
目指す農園は視界の先の眼鏡橋の向こうだ。
閑散とした農園は先ほどの町のような華やかさはない。
見上げた鳥居のような農園の看板はほとんど朽ちていて、今にも落ちてきそうだ。木製のそれは雨風に侵食されて、見た目はエアロのようにすかすか。白いペンキで塗られたのだろうか、かろうじてwelcomeと読める。
「ここが…。」
「手分けして何か探そう」
小川のせせらぎを望む農園の入り口にバイク二台を停めて人気のない砂塵が舞う廃墟へ向かう。
「僕は左から、井上君は右手の畑の方を頼む。」
あとから気づいた事だけど、この農園は広大な敷地を区画整理していて、入り口正面に続く道の先に農園の主の部屋や客人をもてなすための部屋があるモーテルのような建物。蔦や苔、屋上には雑草が生えているようだ。
入り口正面の道をを挟んで左側は奴隷の居住区。俺の時と同じ。木製の掘っ立て小屋は崩れかかっている。全体的に燃えたあとのような、なんか焦げ臭い。
そこを背にして正面。艶のある緑の葉が風に揺れている。
「道…?」
雑草が押し退けられ、誰かが踏み行ったあとがある。左右に広がる油脂の乗った葉は背丈と変わらない高さで、さながらジャンルのようだ。誘われるように、その迷路のようなグリーンカーテンに足を踏み入れた。
小さな赤い実がなるその木々だけはこの農園に生命を宿している部分に見えて異様だ。それがこの鬱蒼と生い茂る艶のある植物に囲まれて際立って感じ取れた。
そもそも誰か住んでいるのか…?
パッと急に足元が軽くなる感覚と同時に視界が急に開けた。
目の前には真っ白な食パンのような形をした石が隊列を組んでいた。
…墓…?
十メートル四方はあるだろうか。緑の芝生にびっしりと露がついている。
ちょうど中央の墓石にだけ真っ赤な献花が備えてある。まだみずみずしいその献花は最近訪問者がいたことを証明しているように思える。
Takumi hosino
July.5.1848 sep.2.1849
If tears could build a stairway and thoughts a memory lane I'd walk right up to heaven and bring you home again.
英語は読めない。ただ、たくみって名前の子供がここでなくなったらしい事だけは察しがついた。
「だれじゃ」
振り向くと真っ赤な献花を携えた気難しいそうな老人が明らかな敵意の視線をこちらに送っていた。この墓前の献花もこのおじいさんのものだろう。
「人を、この人を知りませんか?」
咄嗟のことでしどろもどろになりつつ、着ていた上着から写真を取り出すと、老人は取りすがるように写真に見いった。
手にしていた真っ赤な献花は寂しげな音を立て、地面に落ちた。
「この写真はどこで…?」
「知り合いなんです。何か心当たりは有りませんか?」
「ワシの家はすぐそこじゃ。コーヒーでも出そう。」
献花を墓前に捧げると、言われるがまま老人のあとについていった。
居住区の一角にその平屋はあった。俺は居住区の探索をしていた日向さんを呼んで古びたドアを開けた。
中はアンティーク調の小物が溢れていて、時計の秒針が刻む音だけが響いている。
「さ、熱いうちに。」
陽の当たるソファに通された俺達の目の前に白いカップに注がれたブラックコーヒーが出された。立ち上る薫りが鼻につく。
「何から話せばいいか…。」
老人は懐かしそうに瞳をうるわせ白いティーカップのコーヒーを眺めていた。
「ユイはいまどこに?」
「ユイか…。今はそう名乗っておるのか。」
老人はコーヒーを一啜りすると、浅いため息を吐くように口を開いた。
「ワシは元々森の深くでひっそりと暮らしていた。そんなワシらの生活を奴らは踏みにじった。逆らうものは生きたまま焼かれ、長老方は見せしめで晒し首にされた。ワシら生き残ったものは残された人生を生き長らえようと、足枷を引きずりこの地へやって来た。」
日向さんは俺の見た惨劇は目撃したのだろうか?口許に手を置いたまま黙って話を聞いている。
「むち打ちと数々の暴行。ワシらは次第に生きる希望も失い始めた。ある日、ワシは脱走を企てたことによる罰で皆の前で焼き殺されることになった。組み立てられた処刑台の首輪を掴んだ瞬間、反発する声に救われた。それが彼女。マリじゃ。」
「マリ…。ブラッディ…。」
「彼女の通り名か…。その血なまぐさい名前になったのは、もうずいぶん昔の話じゃ…。彼女には5才の息子がいた。彼女は人権なぞ存在しないこの環境下でも常に最愛の息子のためと笑って働いていた。その美貌と折れない心に魅了されたんじゃろ。主はいつしか彼女を毎晩傍に置き、色欲のまま弄んだ。息子が笑っていられるなら…。それが彼女の口癖じゃった…。」
彼女に子供がいたことなんて知りもしなかった。ましてそんな精神が狂いそうになる環境下で耐えていたなんて…。
気づくと最初の一口からコーヒーは手をつけていない。
「ある晩、ワシは悲鳴と銃声に目を覚ました。外は慌ただしく、何かに追われるようにワシたちを監視していた主の親戚一同は皆屋敷の方へ走っていった。その隙をついてワシらは逃げた。監禁小屋を出てすぐ、ワシはみたんじゃ。彼女を。」
「その、つまり、血まみれの…?」
「あぁ、そうじゃ。息子を殺された彼女には最早激しい怒りしかなかった。燃え盛る炎の中、手にしたライフルで襲いかかるものはすべて薙ぎ払った。」
家畜のような苦役に耐え、息子のためにと笑顔を取り繕い、待っていた結果が息子の命と自分の体の蹂躙。彼女の心境を察すると、胃の辺りがきゅっと縮んだ。
「…話はわかりました。その彼女はいまどこに?」指を交差した姿勢で話を聞いていた日向さんが口を開いた。
「わからん。ただ…。」
「ただ?」
「気になる事を口にしておった。」
「列車にだけは乗るな。と。」
「列車…?」
「列車に乗ると今以上の苦しみを与えられると。」
石畳、ガス灯、馬車。そして列車。最近妙に進歩を遂げる町の生活レベルと何か関係があるのか?
「…列車か。」
視界の隅で日向さんの口元が一瞬歪んだように見えた。
「貴重なお話をありがとうございます。井上くん。列車だ。列車を探しに行こう。」
コーヒーには一切口をつけずに日向さんは席をたった。あとを追うようにドアノブに手をかける俺の背中に言葉が刺さった。
「ところであんたがた、どうしてそんな血眼になって彼女を探している?見たところ仇討ちではなさそうだが…。」
「…俺の責任ですから。」
仇討ちではない。仕事とも違う。俺はその理由を探るべく彼女を探す。
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