episode8 深海
パリパリ。薄い金属が患部と同化して右腕になる。しかし、この技術。ユイが拾ってきたというバイク。一体どこから来ている?それさえわかれば俺が元の世界に戻ることだって…。
俺は簡素なベッドから立ち上がると上着を持って部屋を出た。
「ここ最近、黄色の肌の人間が増え始めている。どういう訳かみんなウシュマル遺跡を中心とした半径一キロ圏内の森か農園で見つかってる。」
朝の報告の席でそんな話を耳にした。
ウシュマル遺跡。前にユイと行った天へと昇る石段がある遺跡だ。
「そこでだ。井上くん。君にいって調べてきてもらいたい。前に行ったことあるだろう?」
ぼんやり話を聞いていた俺は思わず目をぱちくりさせてカサスを見ていた。
「君は一度行っている。内部にも入ったと聞いている。他に断る理由は?」
「わかったよ。…いくよ。」
議長のカサスに指名され俺は単独でウシュマル遺跡に行くことになった。
ユイは先日決して殺さず解放する「無血解放」の論文をカサスに提出。これからは隠れ家に籠ることなく公に訴えていくべきだとカサスに詰めより、第一段として今日、護衛を付けて町でビラを配りに向かった。
俺は隠れ家から支給されたバギーで岩と草で鬱蒼とした荒れ地をひたすらウシュマル遺跡へ向かった。
雲ひとつない青空にウシュマル遺跡は覆われていた。相変わらずトンビが円を描いている。
来る途中はプランテーションすら見かけなかった。こんな古びた遺跡に果たして人なんて来るのだろうか?
そんなことを考えながら一段一段天へと昇る石段を息を切らして昇る。
照りつける日差しに右腕は熱を帯びることはなく、むしろ氷のように冷たい。
入り口に到着すると携帯松明で明かりを灯し、冷たい石畳を確かめながら前進した。あれから人が入った形跡はない。
穏やかな陽が天井から降り注ぐあの最深部へたどり着いた。時間が着実に遺跡を蝕むように所々パラパラと石ころが砕け落ちた。
俺は先日ユイに軽く止められた暗色の石箱に手をかけた。見た目の以上に蓋が重く、思わず踏ん張る。
色褪せた、かなり古い数枚の紙切れ。その他に先端が青い三発の弾丸。それ以上のものは入っていない。
弾丸をポケットにしまい、紙切れに目を通す。
結果報告。本件の予想通り過去へのタイムループには故人への同化が必須事項となる模様。至急凱人薬の生成とそれに伴う被験者の確保を求む。
「凱人…?」
「なにやってるの?」その言葉に何故か紙切れをポケットにしまってしまった。
振り替えると不思議そうな顔でユイが首をかしげていた。
「何って、調査だよ。ただの。お前ビラを配りに行ってたんじゃないのか?」
「石箱…。触ってないよね?」神妙な顔つきでユイが訴える。
「人の話を聞けよ」嫌な汗が背中に流れるのがはっきりわかった。
「それだけは絶対に触らないでね。触ったら呪われるよ」笑顔の彼女はそのまま踵を返し、もと来た石畳を軽快に歩いて帰った。
俺は彼女の妙な行動になにも言葉が出なかった。
「95…96、97…98」右腕の動作確認と左腕の強化。休暇を取った今日は部屋で数年ぶりに筋トレをしていた。ユイは今日も熱心に講演のビラを配りに町へ。隣のジェロとはもう部隊もちがうし、しばらく口を聞いてない。
あれからあの紙切れをじっくり拝見した。
凱人薬。過去へのタイムトラベル。この二つの研究は俺が小学生の頃から始まっていたようだ。これによると過去への旅には過去の人物になるしかなく、その選出にはある一定の一致条件が必要らしい。その首謀者や目的についてまでは虫食いや日に焼けていてはっきり読むことは出来なかった。
洗面所の錆び付いた蛇口をひねり、汗に濡れた顔を冷やす。
「凱人薬…。俺は一体誰なんだ?」
他にも何かあるかもしれない。俺は読書室で調べものをしていた。
奴隷売買、インディアン。俺が今まで見てきた歴史の中の一端だ。これはもう、見尽くした。違う。もっと別の。
「ここにおったか」
カサスが血相変えて扉から飛んできた。
「なんだ。カサスか。報告はすんだろ。今忙しいんだ。後にしてくれ。」
「またウシュマル遺跡に驚くべき変化があったんじゃ」
「また」その言葉に俺は手を止めて、両手をテーブルにつき熱心に語るカサスに耳を傾けた。
「鉄の道が現れて、悪魔が怒りの煙をあげながらどこかへ走り去っていくようじゃ」
「そう、これじゃ。これじゃ。」
たまたま手に取っていたのは、第二次大戦中ナチスがユダヤ人に対して行っていた虐殺。ホロコーストに関する資料。機械的に設置された線路の先に重苦しい収容所が見える。
「これじゃって、時代が違ってくる。バイクだってそう。この時代には不釣り合いだ。」
もう、訳がわからない。ここはいつの時代だ?
俺は頭もみくしゃにして抱えた。
あれから数ヶ月。ユイはついに講演の実施にこぎ着けた。配ったビラの一枚をたまたま人権団体の代表の目に留まり急遽明日講演が決定した。
これが決まればユイの理想は大きく前進するにちがいない。
ユイは元の世界には興味がないのだろうか?簡易的な会議室に設けられた長机の遠くで、ユイは通る声でここまでやってこれた感謝の気持ちを言葉にしている。
窓から見える木々は紅葉していた。日本で言ったら秋か…。
「警備の位置について説明をする…」
あの遺跡から線路が消えた。図書館でのカサスとの会話の後に直行してみたけど草が何かを避けるように一歩道だけが綺麗に地平線まで続いていた。…まるで何か証拠でも急場しのぎで消したみたいに。
「井上!」
みんなが円を囲んでこちらを見ていた。視界の奥の深緑の黒板には警備の配置と思われる図と、各々の名前。…あ、俺のがない…。
「外の紅葉は会議はしとらん。話はきいとったのか?」眉間にシワを寄せたカサスが睨み付ける。
「あは、あははは…」特に意味はなく、何故か咄嗟に笑ってしまった。
「まったく、お前は銃器が使えないからボディーガードじゃ。いざとなればユイの盾となれ。」
「へーい」まただ。意図しない言葉が口からこぼれる。俺は一体どうなってんだ?
話も上の空で会議は終わった。俺はぼんやりとした微熱を感じながら書類を脇に抱えて退室する。
「久しぶりだな」
嫌な記憶が脳裏に浮かぶ。背中に冷たい汗が一筋流れるのがはっきりわかった。
アサイはあの件のあと降格。隊長としてのプライドはまだあるらしく、新人いびりで有名だ。
「しかし、お前の相方。よく出世したな。大したもんだ。俺も護衛につくんだが旧知の仲として嬉しいよ」
嬉しい。言葉と裏腹にアサイは冷笑していた。
「嫉妬?妬かない妬かない。あんまりマイナスな感情に振り回されると体に毒だよ?」なんなんだ今日は。口が勝手に動く。
「あまり調子に乗らないことだ。いくら相方が出世したとしてもお前は新人に変わりはない。」急に胸ぐらを捕まれ、息も出来ない。
「それはそうと…。1つ忠告だ。」
ユイの席に置かれたコーヒーカップをおもむろにつかむと、アサイはそのまま床に落とした。
コーヒーカップは白い陶器を叩き割られ粉々に散らばった。
「反対派の連中もずいぶんと陰湿になったもんだ」落ち着き払い、アサイは無数の破片から透明なガラス片を一欠片拾うと掌に乗せて見せてきた。
「砂糖ってのはこんなにも刺々しいものだったか?」
アサイの指から一滴、血が落ちる。
「書記の男…。最近相方さんになついてるらしいな。」
その台詞を最後まで聞いた記憶はない。
気づくと扉に手をかけ、階段を走っていた。
くそっ。どうしてもっと早く気づけなかった。
登りきったその先に、書記と話すユイがいた。笑っている。
「お前は!」抱えた書類を投げ捨て、飛びかかり、地面に押し倒し、殴った。
眼鏡が飛ぶ、口から血がにじむ、拳が痛む、そんなの関係ない。目の前のこいつはユイから声を奪おうとした。俺は機械的にそれが許せない。
「お前は、ユイから夢を、お前は、ユイから声を!」お前は…!
何かに暴力的な左腕を引っ張られた。
振り向くと同時に視界が逸れて頬に痛みが走った。
「やめて…。私達、付き合ってるの。」
心は冷たい深海へ。誰の助けもなく、ゆっくり沈んだ。そこには音もない。温もりも。
「井上くん…。最近おかしいよ。急に鍛え始めたり、今日だって私の話も聞かないで…。」
震える声に涙が見えた。
「明日、来なくていいよ」
窓は時雨に濡れていた。
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