episode9 光を求めて

 キッチンからは水が一滴一滴滴り落ちている。

 「来なくていいよ」突き放すように言われた。

 「付き合ってるの。私達。」…。

 …いいや。もう…。窓から流れ込む秋風に小さな溜め息は溶け込み、俺は気だるい体をベッドに潜らせる。


「おい。井上。いるんだろ。井上!」

 冷たい鉄の分厚いドアから罵声にも似たジェロの大声が聞こえて目が覚める。

 西日が窓から差し込み、もう一日が終わりかけていた。この時間ならもう講演は終盤。今ごろは盛大な喝采を受けて退出しているはず。

 未だに止まない大音響に寝癖で跳ね上がっている髪をかきながら扉を開けると顔を真っ赤にしたジェロに怒鳴られた。

「なんでお前は居ないんだよ!」

 訳がわからず目の前の今にも殴りかかりそうな必死な形相の茶褐色の彼を見る。

「今大聖堂が強硬派の連中に襲われて、ユイが」

「ユイが…。」

 光も届かない冷たい海底から酸素を求め海面に出る。そんな感覚だった。

 壁掛けのフックにかかった支給のバイクの鍵を引きちぎるようにとると、着の身着のまま。無我夢中で大聖堂へ向かった。


 週末の大聖堂はパニックそのものだった。

 舗装された道路の片隅に煙を挙げた乗用車。その傍らに膝をついて泣き崩れる子供。

 無数の弾丸が乱れ飛び、大理石の柱にはカサスが腹から血を流しうつ向いていた。

「カサス」ジェロが滑るように駆け込むともう呼吸が浅くなっているカサスを膝に抱く。

「おい…。しっかりしろ」

「井上…か…。ユイが…。中に…。」ひゅうひゅうとすきま風のような弱々しい呼吸のカサスは胸を上下させてしゃがみこんだ俺の手をとり、今にも尽きそうな命の残り火を懸命に燃やす。

「アサイが…。ユイを…。」

「もういい。喋るな」

「ワシは…。あやつの計画を見抜けんかった…。ワシは…。ワシは…。」

 俺はジェロと視線を合わせる。ジェロは視線を真っ直ぐに頷くとそれを合図に俺はカサスをジェロに任せ、人が濁流のように押しなかされる大聖堂を逆流する。

「ユイ!」

 うねる人並みをようやくかき分けた先に銃を構える警備兵とその後ろで携帯のようなもので悠然と会話を楽しむアサイがいた。その隣には手首と口を布で縛られたユイがうつむいている。

「博士は確保した。大丈夫無傷だ心配ない。」

 アサイは電話を切るとわざとらしく口を開いた。

「遅かったじゃないか」

 その声の先に俺を認めたユイは何か叫んでこちらに歩み、突然崩れる。

「査収にあってな、手持ちがシングルアクションしかないもんでお前は後回しだ。」

「お前…。」

「動くな」

 警備兵の黒光りの銃口が一斉にこちらに向く。

「お前には可哀想な事をした。冥土の土産に教えてやろう。こいつを探すな。生涯安心して暮らしたきゃな。」

 アサイは捨て台詞のように吐くとユイの手を強引に引き、踵を返し後方の出口に歩いていく。

 トアノブに手をかけて何かを思い出したかのように左手の親指を立てて後ろを示した。

 瞬間、身体中が痙攣したかのような激しい衝撃に見回れる。

 撃たれた。本能的にそう思った。恐怖で閉じたまぶたの裏に銃口から閃光が放たれる映像が浮かんだ。

 人は死ぬ前に走馬灯を見るらしい。過去の出来事がまるで映写機に写し出されるモノクロの映画みたいに。

 12才で最初の殺し。母親を目の前でレイプされ、相手の頭をすっ飛ばした。

 目の前でそんなもん見せられて、俺は家を出る決心をした。

 そのあとアリゾナ州、テキサス州をほっつき歩いて…。あぁ、そうだ。メキシコあたりで牛も盗んだなぁ…。


 …ん?牛泥棒?


 実家は田舎だったけどそんな異国情緒溢れる犯罪歴はない。

 そっと。ゆっくり。ぎゅっと締め付けるように閉じた目蓋のシャッターを恐る恐る開ける。

 身構えた左腕が空中に溶け、薄いガラスのようなものが目の前を覆い、それが無数の弾丸をからめとっている。空中に弾丸が浮いているように見える。

 眼前にはその近未来的な風景とチラチラ燃える炎意外忽然と姿を消していた。

 しばらくあっけにとられると、パラパラと床に転げ落ちた。

「なんだ…。これ」

 火に囲まれた大聖堂で一人、炎で輝く銀色の義手をぼんやり眺めていた。


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