episode7 自由の右腕
朝から暴力的な物音が玄関から聞こえてる。借金の取り立てみたいなけたたましさだ。
AM6:37。ベッドの脇の小さなテーブルに置かれたシンプルなデジタル時計がカシャッと時刻を刻む。
まだ一時間もアラームより早い…。
俺は体を軋ませベッドから這い出ると、壁づたいによろよろと未だに取り立てのように鉄板を叩く音が響く玄関へ歩いていった。
分厚い鉄板を少し開ける。
「おはよう」
澄んだ朝の空のようなユイの笑顔が咲いていた。
「…おざぁす。」頬が緩んだのがばれていないか気にしながら適当な言葉を返す。
「もぅ、まだ寝てたの?昨日遅刻して怒られてたから起こしに来たよ」
入隊して一週間。まともに時間に間に合ったためしがない。また、朝日が昇る。そうイメージすると肝が潰されるほど嫌だった。
「今日は射撃訓練でしょ?早くしないと遅刻するよ?」
訓練?
人里離れた山の中の隠れ家といえ、人目につかないようにするのが隠れ家としてあるまじき形。
射撃訓練はAM7:00からと決まっていた。
カシャッ。白いデジタル時計がまた時刻を刻む。
AM6:47。歯を磨くのに3分。顔を洗って着替えるのに5分。朝食は…食ってる場合じゃない。
俺は軽くユイに礼を言うと大急ぎで洗面台へ走った。
「遅い」
上官が顔を赤くして唾を飛ばし説教をしてきた。朝から説教を受けて少し凹んでしまったけど、アサイが「狩り」でいなかったのはラッキーだった。
「…すいません」
「仕方ない。グランド10周」
「…はい」
「声が小さい」
「はい」
慣れた会話を済ませ、俺は1人空き地に紐で区切っただけの広い楕円を走った。
ぴすん。ぴすん。ばん。
何か尖ったものがものすごい早さで突き抜ける音の他に、明らかに破裂音がした。サイレンサーが足りてないらしい。
ちぃん。何かがかする音。
「案外当たらないな」
ジェロが涼しい顔でぼやいていた。来てるなら起こしてくれよ。
俺が隊列に戻る頃には、全員がその日のノルマを達成した時で、膝に手をつき息を切らす俺に白い視線がいくつも刺さった。
「片腕しかないならバランス悪くてあたりっこないって。やるだけ無駄無駄。」
「さっさとやれよ。時間の無駄だ。」
射撃位置までの間俺はそんな言葉を浴びせられた。いらついだが、深呼吸でそれらをすべて飲み干す。
「頑張れよ」
ジェロのささやかな声援に小さくうなずく。
「構え」
位置につくと上官が短く指示をだし、俺は砂ぼこりがうっすらと乗る簡素な木製のテーブルに置かれた角がある黒光りの銃を手に取る。
グロックとかいうはずだ。あっちの世界でテレビゲームで見たことがある。しかしこの銃、やっぱりこの時代の物にしては幾何学的な形をしている…。
「撃て」
引き金を引くのと同時に銃口から白煙が上がり、薬莢が飛び出る。反動に耐えきれず、俺は尻餅をついていた。
「やっぱりな」
「出来るわけないだろ。ましてあんな細腕じゃ」
我慢の限界だった。
「お前ら、さっきから聞いてりゃごちゃごちゃごちゃごちゃ…」
「こら、そこ。内輪揉めはやめろ。」
俺が数人に掴みかかるのを上官が止めに入る。
「覚悟だ。覚悟が足りねぇんだよ…。」
急に背後から何か重いものを引きずる音と聞き覚えのある低い声にはっと振り向く。
朝露がびっしり付いた雑草を茶色いブーツが押し退ける。その後ろを血まみれの何かがズルズルと引きずられる。
「おらぁ、今まで復讐の事しか考えてこなかった。殺す。絶対に生かして返さねぇ。お前、こいつを覚えてるか?」
アサイは俺の目の前に原型を留めていない、ただ浅く息をするだけの人形の何かを放り出した。
「まぁ、そんだけ血まみれのじゃわかんねぇか。ほれ。」
あっけにとられる俺に黒焦げのテディベアが放り投げられる。これは…。
「気づいたか」にぃっと口角を上げて邪に笑う。
「選抜組が使えねぇごみどもで取り逃したから居場所突き止めて燃やしてきた。」
こいつ、マークを…。どうして、マークまで…。
「泣いてる場合か?お前の目の前には右腕の仇がいるんだぞ?」
四つん這いにテディベアにぐしゃぐしゃになった涙をこぼす俺の左手に無理やりグロックがねじ込まれる。
「撃てよぉ。お前憎くはないのか?お前を鉱山にぶちこみ、お前を散々罵倒して右腕を切り落としたこいつが」
血まみれの肉の塊はただ浅い呼吸を繰り返し、魚が死んだような目で俺を見ている。
「…いの、うえ…」
血と泥に汚れた手を伸ばす。
「チッ」
その手を蹴りあげ、アサイがしびれを切らし俺の左手を支えて肉の塊に銃をねじ込む。
「…レッスンだ新入り。ありがたく思え。お前は、俺から、恨みを、受け継ぐ」
「や、止めろ」
「なにやってるんですか」
力なく振り向くと、必死の形相でユイが立っていた。
「お前、確か。未来から来たとかなんとかほざく、変わり者の…。」
「人殺し。あなたのやってることは人殺しの強要。アイツらとなにも変わらない」
「お前…。」
「大丈夫?」
アサイのレッスンから解放された俺を優しくユイが手を差しのべてくれた。
俺はもう、分からなかった。憎くて憎くて、でも逆らえなくて。そんなやつでも銃を向けられない。
「待てよぉ。まだ話は途中だ」
自由になりかけてた軽快な左腕を支配の重圧が絡めとる。アサイの古傷が生々しく残る左手が俺の左腕をつかんでいた。
「お前、なんのためにここに残った?こいつらに仕返しするためだよなぁ?お前は今それを放棄した。つまりお前はたった今除隊するってことだよなぁ!?」
どん。
銃声が響き、辺りの木々から小鳥が散り散りになる。
「これ、降格処分…ですよね?」
撃たれたはずの俺の背中にユイが割って入って、脇腹から血を流して足を震えさせて立っていた。
「もう一個」
俺は医務室に運ばれ、ベッドに横になるユイに町の青果市場で買ってきたリンゴを剥いて出している。片腕生活ももう半年。慣れたもんだ。
「ところでさ、なんで撃たなかったの?」
彼女の申し出にうつ向きながら皮を剥く俺は一瞬間を起き、口を開く。
「友達だったんだ。屋敷にいたときあのテディベア持ってた子が庇ってくれて、それで」
「その右腕…。」彼女はそっと包帯が巻かれた俺のタブーに触れた。
「これは屋敷から抜け出そうとしたときに…。自由への代償。」俺は笑った。理由もなく。何かを誤魔化したかったのかもしれない。
「…君に」
か細い声が小さな口からこぼれた。果実で唇が濡れている。
「君に渡したいものがあるの。後で町の教会に来てくれる?」
神妙な口調に、ぎこちない返事を返す事しかできなかった。
その日は生憎の雨で行き交う人たちは白い息を吐き、視線を落として足早に過ぎ去っていく。
俺は時間ギリギリに到着しそうなのを焦って、教会への道を走っていた。
外の慌ただしさとは隔離された空間。そんな空気を教会は満たしていた。
ユイはまだ来ていない。
俺は時間に間に合ったことに胸を撫で下ろして、教会内をゆっくり歩いた。
古びた五人かけの木製の椅子と椅子の間を一直線に道が進み、その先にステンドグラスの七色の光が差し込んでいる。思わず、手に七色の光をかざしてみる。その光が俺に特別な力をくれる気がした。
「お待たせ」
入り口を見ると彼女が布にくるまれた縦長の物を持って立っていた。雨のなかやって来たせいか、髪が濡れてどこか悲しげだ。
彼女は何かを決心したようにまっすぐこちらへ足を運ぶ。コツコツと響く足音はここに二人しかいないことを強調しているように思える。
「これを」
「これは?」
「いいから、開けて」何かの覚悟を決めた彼女の言葉はどこか冷たく、どこか悲しい。
すっと、布をほぐす。中から現れた物に、思わず息をのむ。
「自由への代償?あなたが自由への代償で片腕をなくしたっていうならそれで今度こそそれで自由を手にしなさい」
中から出てきたのは眩く輝く義手だった。ステンドグラスに照らされて宝石のようにキラキラ光っている。
幾何学的な義手は空気のように軽く、氷のように冷たかった。
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