episode6 陽にあたる図書室で
真っ白な清潔感のある天井。
窓から差す柔らかな西日。
若干質の硬い質の悪いベッド。
首に幾度も巻かれた包帯。
隣の花瓶には見たこともないオレンジに咲く花。
俺は自分の身に起きている現象の整理に数秒脳機能を停止していた。
「気がついた?」
白い花を抱えたウェーブのかかったショートボブの女の子が入り口前にたっていた。
「カサスがね、どうしても助けたいって。」女の子は細い指で花瓶から花を交換する。
「カサス…みんなは?」はっとして身を寄せる。と同時に全身に痛みが走り身を屈める。
「大丈夫?」
羽毛のように柔らかな彼女の手が背中から包み込み、互いに目が合い、思わず赤面してしまう。
「だ、大丈夫です」
「そう。良かった。」屈託もなく笑うと夕飯の支度ができたと下の階に促された。
ガチャガチャと食器と食器がぶつかり合い、談笑が渦を巻く。小綺麗ないくつかの丸テーブルに出されたのは厚いステーキ。肉なんて幻でも見ているのか?どこかのパーティーにでも場違いにも参加したみたいにフリーズしてしまう。
「ようやくお目覚めか?」ジェロが赤ワインを注がれたグラスを片手にふらふら歩いてきた。
「無事だったのか。」
「当たり前だろ。」隣に座ると一気にワインを煽り、テーブルに用意されたウォッカにも手を伸ばす。
「ここはどこなんだ?」いつもの顔に強烈な空腹を思いだし俺もステーキを頬張る。肉厚のステーキから溢れる肉汁が食欲を増進させて、だされたウォッカを煽る。
「カサスの隠れ家らしい。明日、みんな故郷へ帰る。お前は?」
「ん?」
「決まってんだろ?俺らをこんな目に遭わせたやつをぶちのめしてやるのか、それともこのままおめおめと故郷へ母ちゃんのおっぱいでもしゃぶりに帰るのか」
バイキング形式らしく向こうのテーブルにはいまだに布切れを身にまとった骨と皮のゾンビが生き生きと食欲に従っている。
「俺は…。」
「なんだ、またうじうじ悩むのか?」
「楽しんでた?」
話を割って入ってきたのはショートボブの彼女だった。
「今までひどい目に遭って精神的に病んでると思って、君、あまり食欲無さそうだけど?」
目の前の皿にはまだ半分ほどの肉が残っていた。俺は、彼女をただただ見つめていた。まるで空の青空がその瞳に広がっている。世界がその瞳にあるような、知りたい、世界を、彼女を。俺は目の前の絶景を息を飲んで見つめていた。
「おい」
現実に引き戻したのは無慈悲な男の声だった。まだ俺にその話をするつもりらしい。
「だから、明日だぞ?もうこの屋敷にはいられない。どうすんだよ?」
「え、えー…。俺は、その…。」
「残るわよ。ね?」
俺の加入は小さな幸せと共に決定した。
唯一の唯。彼女は俺と同じ世界から来たようだ。ただこの世界に来て壮絶な体験をしたらしく隠れ家に来る以前の事と、幼少の頃を除いた過去は忘れ去っていた。
誰に話しても信じてはもらえない。もと来た世界は二人だけの秘密になった。
懐かしい顔ぶれがその日のうちに見知らぬ名前の土地に帰っていった。
最後にドアが閉まる音がやけに寂しく感じた。まるでもう来ることはない卒業式の後の西日が差す慣れ親しんだ教室のようにどこか温かく、どこか切ない、そんな気持ちが胸に膨らんだ。
明日からのスケジュール。
会議室と呼ばれる図書室のホワイトボードに女の子にしては崩れた文字でかかれている。
「カサスにはちゃんと話しておはいたし、部屋も自由に使っていいって。良かったね。」青空はまた俺の世界を魅了する。
俺は極力彼女を直視しないように心がけた。また、心が持っていかれる。
「本、逆。」
はっとして我に帰り、興味も微塵もないこの土地の遺跡に関する資料を逆手に持ち直して焦りがばれないように身を屈める。
「魔法使いのピラミッド…。遺跡に興味があるの?」後ろから彼女が本を覗く。
「こいつ、あんまり社会を知らないみたいで炭鉱にいたときも最初は周りをキョロキョロするだけでてんで使い物にならなかったんだよ。」
「別に知らなかった訳じゃない。」もちろん知らなかった。でも、別の世界から来たなんてとても言えない。
「じゃあ、行こうよ。」
「え…。」
「たまたまその本を読んでた。偶然にしてもタイトルに興味が引かれたなら関心がある証拠。連れてってあげるから。」
俺は用事があるからその日はパス。ジェロはたまに冷めたため息のように言葉を発する。そういう時は大体一人の時間が欲しいときだ。入ってそうそう休みを取るのは気が引けたが、ジェロと二人で直属の上官のアサイに厳重注意を受けて、俺はユイの待つ図書室へ足を運んだ。
「二人で楽しんでこい」昨日そう言って笑っていたジェロは隣の部屋で寝ている。
隠れ家なんて名ばかりのデカイ洋館のいくつもある部屋のとなり同士に部屋を借りれたのは、俺達の経歴を知るカサスの鶴の声のお陰だろう。カサスはあの夜俺達とはぐれ、偶然近くを通りかかった仲間に拾われて隠れ家に戻ったらしい。
普段は表の仕事に追われてなかなか顔を出さないカサスもこの日は珍しくみんなと食堂で朝食を取り、見送られる形で俺はユイのバイクに乗った。
女の子にしがみつく。別に変な意味ではない。そんな気もしない。自分に言い聞かせて、柔らかな感触に腕を回す。
見事なまでの澄みきった青空を一台のバイクが駈ける。先人達が幾度となく通った草原を、木々を力強いエンジン音が滑るように疾走した。
太陽神キニチ・アハウは豹の姿で現れるらしい。その荒々しさにもにた強烈な日差しが高い石段のてっぺんからギラギラと降り注いでいた。
「とうちゃ~く」
バイクから降りる彼女はヘルメットを外し、艶のある短い髪を振りほどくように左右に揺らし外の空気を堪能しているようだった。
彼女の感触と青々と茂る草原の上の無垢な彼女にまた俺の世界が時間を止める。
「どうしたの?」振り向く彼女から視線を外し、俺は手に抱えていたフルフェイスをバイクに乗せて、未だジリジリと日差しが注ぐ石段に目をやった。
「なんじゃ、こりゃあ!」今年一番の叫びを数時間前に上げた。
この文明が崩壊したとしか思えなかった世界にメタリックに輝くイカしたバイクが目の前に現れた。
「落ちてるの。たまに。」ユイはそれ以上詳しくは話してくれなかったけど、俺はそれ以上にこの近代的な乗り物の存在に感謝していた。
間違いなく、俺のいた時代は存在しているー。
「ねー、ねーったら」
「何?」
「さっき、私を見てどうかしたの?」
「別に」
広大な遺跡の太陽へ向かうような高い高い石段をただひたすら、頂上入口へ向かい登る。
彼女には言えない秘密を抱えたままついに入口まで上りきった。
すげぇ…。
いつの間にか口にしていた。
空の一番近くにいる。
地面に根を生やし、光を求めて天へと葉を伸ばす木や、大空を自由に舞うコンドルにさえ届きそうで。
俺はたまに吹く熱を帯びた風を頬に受けて、辺りの景色に息を飲んだ。
「私の次は周りの景色?」
「だから、別にそんなんじゃ」
「じゃあ、早く行こ?」
俺はユイに手を引かれ、湿った暗闇に足を踏み入れた。
魔法使いのピラミッド。古代都市ウシュマルはマヤ神話では魔法使いの玉子から孵った小人が一晩にして作り上げた。らしい。
ユイはお手製松明を片手に俺の左手を引いていた。
ーそういえばー
また俺の世界が一巡する。
「そういえばその腕どうしたの?」
戒めのように包帯を何度も巻いた右肩。彼女はついにタブーを聞いた。
「別に。お前には関係ない。」
「なんなの、さっきから別に別にって!」
炎の陰影が急に揺らいだ。
「なんだよ。狭いんだからあんまデカイ声出すなよ」
「出すよ。大きい声ぐらい。私といてそんなにつまらない?」ユイは顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。
参ったな…。
別に。どっちでも。俺は何気なく使っている一番使いやすい単語だ。何一つ希望を見いだせない、何一つ可能性がない生活の中で身につけた足枷みたいなものだ。
ため息混じりに呟いた。
「…笑わない?」
一瞬の間が空き、ユイは目に涙を浮かばせこっちを見ている。炎を踊らせる松明は、ユイの顔に複雑な表情を作り上げる。
「自由になりたかったんだ。ただ。その報いなんだと」
「なんだ」
俺はその言葉に目を丸くする。
「ちゃんと話してくれるんだね」
ニッと笑うその瞳にはもう涙はなかった。
肩幅ギリギリの狭い通路をクモの巣に引っ掛かりながら、右へ三回、左へ六回。勘に頼ってひたすら奥へ。
一筋の日差しが祭壇に掲げた石箱を照らす広間へ出た。
天井からは土埃がパラパラと落ちてまるで砂時計が時刻を知らせるように揺ったりとした空気が流れた。
「あのね」
何らかの意味が込められた壁画が掘られた石箱に手を伸ばした俺を制するように、ユイが小さく口を開いた。
「私も井上くんに話さなきゃいけないことがあるの」
ヒヤリとした汗が背中を走った。
「実は、私…」
心臓が自己主張をいきなり始めた。
バクバクバクバク、小さな爆弾がタイムリミットを告げる代わりに大きくなったり小さくなったり。
「未来から来たの。多分」
拍子抜けの発言と同時に目の前に出されたのは例のまるもっこりのキーホルダー。ニヤついた表情が期待はずれをバカにしている気がして心底ムカついた。
あの石箱には呪いが掛かっている。実は夢が作家で、前にマヤ文明について穴が開くほど調べ上げたと言う彼女は真顔でそう言った。
例え結果がそんなインチキ臭い内容でも、報告しないと。
俺は一人図書室ででっち上げ報告書を書いていた。
ふと、視線を感じ。動きが止まる。ちょうど右側。本棚三段目。
ゆっくり立ち上がり、その本を手に取る。
ロミオとジュリエット。
古典的な恋愛の小説だ。身分が違う二人が恋に落ち、駆け落ちする。そんな話だっけ…。
「な~になってるの?」
ビクッ。俺はその本を背後に隠し、声の主と対峙する。
「背中。なにか隠してる?」ユイが不思議そうに首をかしげてこっちへ歩いてくる。
今日はミニスカート。心臓がまた小型爆弾のように破裂しそうになるのを必死に押さえた。
ストン。何かが手から落ちた。
「ロミオとジュリエット?」
「い、いや。これは…」
ヤバい。ヤバすぎる。最早心臓はウルトラマンのカラータイマーのように点滅を繰り返している。
「もしかして井上くん。好きな人いるの?」
俺は多分、君に…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます