3-3
有馬記念。それは年に一度、その年のレースを締めくくる格式高いレースだ。出走馬はファン投票によって選ばれる、いわば競馬界のオールスター戦。
しかし、なんかこう引っ掛かる点が多すぎてどこからツッコんでいいのかわからないな。
なおも画面とにらめっこしているまいちゃんに、少しずつ質問をぶつけていこう。
「あのさ……有馬記念って何のスポーツだか知ってる?」
「え? 競馬でしょ?」
「なんで今日それを?」
「だって今日じゃん、有馬記念」
いや知らねーよ。
「ていうか未成年はお金賭けちゃダメだよね? 知ってるよね?」
「そりゃもちろん。まだ絶対にお金は賭けないよ」
まだ、ですか。
「でも、競馬場には入れるんだよ。未成年でも」
「知らなかった」
「じゃあひとつ賢くなったね!」
そんな知識使わねーよ。
「ちなみに、まさかとは思うけどこれはどこに向かってるの?」
「あれ、言ってなかったっけ」
まいちゃんは画面から目を離して俺を見る。この純粋で透明な二つの目がそんなことを言うなんて、まさか信じたくもなかったね。あーあ、せっかくまともな人を見つけたかなって思ってたのに……
「中山競馬場だよ!」
目的地は舞浜ではなく船橋法典でした。めでたしめでたし。
女子中学生の口から聞きたくないセリフランキング暫定第一位の目的地船橋法典宣言を受けてからというもの、俺は自分の携帯で交通ルートをめちゃくちゃ調べた。なるほど、片道で結構金かかるんですけど。これシャレになんねえぞ。
そうか、まいちゃんがさっきからぶつぶつ呟いているのはファッションとかそういうのじゃなくて馬の名前か。なるほどね。そりゃわかりませんわ。
しかしあれだな、横浜駅でもそういう人見たけど、競馬新聞で予想をたててる人は基本おっさんというかおじいさんとかじゃん。でもここにいるのは14歳の中学生なんだけども。なんだかなあ。
「あ、次で乗り換えるよ」
まいちゃんが唐突に顔をあげて伝える。この人二個前の駅から携帯から顔を上げてないけど。感覚がそう言ってたのかな。え、行き慣れてるの? それはそれで怖い。
よく見たら確かにスポーツ情報のアプリだなそれ。さっきから競馬評論家みたいのが書いた記事眺めてるけど、この人ほんとにお金賭けたことないんだよね。ないんだよね!?
えー、マジかよ。さっきまでゲーセンでいい感じだったじゃん。普通のデートっぽかったじゃん。あれなんだったの? 長い前フリだったの?
もしかしてあれか、一度に何枚もメダルを入れるのギャンブラーの血とかそういうことなのかな。一発勝負ってことなのかな。いやそれはさすがに考えすぎか。ああもう全部悪い方向に行ってしまう……
頭を今すぐ抱えたい衝動に駆られたが、一応電車内なので抑える。もうしょうがない。休日に彼女と競馬場デートだ。楽しむしかない。どんと来いだ。
「あ、降りまーす」
よっ、と声を出して席から立ち上がるまいちゃん。とりあえず乗り換えをして落ち着くしかない。乗り換えで落ち着くとか俺もついに新たな領域に入ってきたな。
朝ではない。故にもう大分電車内は空いてきている。俺はなんなくドア前に立つと、ドアの開くと共に外に出た。
「こっちかな」
まいちゃんはどんどん進んでいってしまう。すごいな、ほんとに慣れてるのかもしれない。てかこれは常連レベルだろ。
長い距離を歩いた。なんとも近未来的な作りの駅にたどり着く。
まいちゃんはずんずん進む。迷いなく進むから信頼感まで出てきてしまっている。こいつは間違えない。謎の感情だ。
「ふぅ……」
ホームに降り立つと、まいちゃんがため息をつく。初めてこの電車に乗る俺としてはもうこの中学二年生の形をしたおっさんについていくしかないわけなんだけど、ついていっていいんだよね。路線図には天王洲アイルとか東京テレポートとかいうすごい駅名が並んでるけども。これ駅なの?
それにしても、なんでこの子はこんなに若い頃からこの世界にはまったんだろう。人の趣味をバカにするつもりはないが、こういうのって中高生がはまるもんじゃなくて中高年がはまるもんだよね。なかなか珍しいもんだと思う。
「終点まで乗るよー」
マジかよ。めっちゃ遠いな中山競馬場。
電車は逆に見慣れない都会過ぎる地域を通っているはずだ。埋め立て地の上しか通ってないと思うけどこれ。おそらく高層ビルの下、都心の地下を掘り進んでいる。
規則的に聞こえる車輪と線路の噛み合う音を聞き飽き、外の景色は黒一色、中吊り広告も読みきってまだ三駅くらいしかたっていない。まずいな、これ持たないぞ。
そう思っているのはまいちゃんも同じようで、さっきから体をもじもじさせているように見える。
俺から話しかけた方がいいのかな……いや、でも何を話していいのかわからないな……でも放置するわけにもいかない……
どうしようもない感情に包まれている俺に対してまいちゃんが特別に何かしてくれるわけでもなく、規則的に窓から飛び込んでくる地下トンネルの蛍光灯の光をひとつひとつ数えるように時間を潰した。
新木場駅のひとつ手前からは地上に出た。だから唯一見つけた暇潰しの手段も地上に出れば景色を眺めることに置き換えられ、まあ若干ではあるが時の流れは速くなった。
また乗り換えるらしい。大井町新木場間というほとんど路線の端から端までの区間を乗ってもまだまだ先があるなんてところにわざわざ男をつれて行くんだから、、よほど行きたいんだろう。まあ、有馬記念といえばテレビでCMもやってるしね。その道の人には一大行事のひとつなのだろう。ネトゲのイベントみたいなもんだ。
開発途中の都市の駅って感じだ。東京テレポート、天王洲アイルと来てからのこの近未来感。SFの世界に迷いこんだような駅の雰囲気。
そんな中を、前の女の子はずんずんと歩き続ける。
ホームが変わった。ここは今度は二つの路線が入り交じるホームだが、まいちゃんは電光掲示板を見ると、えー、とだけ不満そうに呟いて俺に近寄る。
「遅れてるんだって。十分」
「マジか」
言われてから俺も見ると、今から二分ほど前に到着予定の電車が来ていない。お客様トラブルだそうだ。何やってんだよ。
「まあ間に合うからいいけどね」
まいちゃんは携帯の時計を見て言う。素早く出したものだから、俺の視線もつられてそこに向かった。そしてあることに気づく。
「そのホーム画面は?」
それは、まいちゃんの携帯に表示された、とある画像。筋骨隆々とした凛々しい姿の馬と、その上に騎乗する笑顔の青年。
「これ?」
まいちゃんは確認するように言う。
「そう。誰?」
俺はなんとなしに尋ねる。別に深い意味はなかった。まだこの下園まいという女の子に対して特別な感情を持っているわけでもないし、これが誰なのかということも別段気にしないはずだった。けど……なんか、すっきりしなかったから。
「これはね……」
下園の視線が俺と画面を二往復していった。ちらっ……ちらっ、って。両手で包み込まれた携帯を胸元に寄せて、心なしかもじもじして、顔を上げた。
えっ、まさかこれ彼氏とかじゃないよね。まさかね。午前中に出会った探偵はこれを最初から採用試験だと思ってたらしいけど、この子は違うはずだよね。彼氏候補として俺を見てるはずだよね。まさかね。まさか……え?
「これはっ……そのっ……」
えー、この人顔赤くなってますけどー。声上ずってますけどー。照れちゃってますけどー。ちょっとこれまずいやつじゃないですかー?
あーくそ、どうせ最初から変な趣味に付き合わされた身だ。どうやらこの子も彼女候補から外れそうだし、訊いてしまおうか。その辺はっきりしておきたいしね。どうせなら。
「か、彼氏さん……とか?」
「彼氏さん……は!? え!? あっ、いや、こんなに年上の人とはお付き合いしないよ! 怖いもん」
「そ、そっか! そうだね、確かにね」
騎手になるには高校生の年齢で競馬学校に入って、卒業して資格試験に合格してからじゃないといけないみたいなことを聞いたことがある。ということは、本格的にレースに出るのは大学生くらいの年齢になるのだろうか。まいちゃんから五年以上も前に生まれた人となると、中学生の彼氏としては非現実的か。落ち着けよ俺。
「これはね、お兄ちゃんなの」
スリープ状態になってしまった携帯にもう一度光をつけると、彼女はそれをこちらに向ける。
「私のお兄ちゃんは競馬の騎手になって二年目。去年デビュー戦で勝ってからこの世界では有名になりつつあるんだよ」
「すごい人なんだ」
「そうなの! 去年のフェブラリーステークスで勝って最年少G1制覇の記録を三十年ぶりくらいに塗り替えたんだよ」
「ガチのマジですごい人じゃん」
「そうだよ! 今日見に行く有馬記念も走るの。だから応援に行くんだよ!」
そういうことだったのか。なるほど、ようやく理解できた。お兄ちゃんの応援でなら中二女子が休日返上してわざわざ競馬場行く理由がわかるわ。さすがに予想とかはしないはずだ。と思うけど、こいつはよくわからないからな。もしかしたらしてるかもしれない。
「私のお兄ちゃんは、中学の頃にたまたまテレビで競馬番組を見たの。今から……五、六年前くらいだったかな。そんな頃。ほら、有名なレースだとNHKでも放送するじゃん?」
ほらとか言われても知らねーよ。
「で、そのある日のお兄ちゃんは競馬の騎手を目指すようになったの。元々スポーツが好きだったんだけど、体重が軽くてなかなか向いたスポーツがなくてね。でも、その条件を逆手に取ったのが競馬だった。競馬は体重制限が厳しいからね。高校に行かないでジョッキーの道を選んで以降、お兄ちゃんはきっとすごい努力をしたんだと思う。そうじゃなきゃ今日走る16人に選ばれてないよ。だから――」
ここで駅のアナウンス。遅れていた電車がやって来るようだ。まいちゃんもその音に気づくと、こちらを見て笑った。
「頑張ってる人が、私は好きかな」
まいちゃんの曇りなき目にそう言われて、俺はとりわけ何をするでもなく、ただホームの隅から飛び込んでくるオレンジの車両を目で追いかけているだけだった。
なるほどね。サンタさん、そういうことね。
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