2-4
喫茶店を出ると、まず右に歩いた。中央口から南口に抜けるイメージだが、なぜ南口に向かうのだろう。しかしそんな疑問を呈してみるのもなんか無駄なような気がして、俺は黙って二歩後ろからついていくことにした。こいつと知り合いだと思われたくなかったのだ。
しかし、さっきの条件に当てはまるような男なんて腐るほどいる。横浜は決して貧困にあえいだり過疎に嘆いたりしている地域ではない。そりゃ銀座とか六本木とかに比べればまだ庶民らしさが残ってるけども、高級品を身に付けている人もたくさんいる。
黒ずくめの男性というのはもう十数人見た。男なんて大抵が黒ずくめだと思うんだよなあ。コンビニから出てきたのも黒ずくめ、献血バスから降りてきたのも黒ずくめ、熱心に競馬の予想をするのも黒ずくめ。というか待ち合わせをしている人のほとんどが黒ずくめだった。うちバッグを持っているのもほとんどだが、それが高級品かどうかはわからない。俺は特に鑑定士とかでもないので。
駅前でまた右に曲がった。パチンコ屋とか飲食店が立ち並ぶ繁華街だ。
「この道は貴金属を取り扱う店が多い。クリスマスデートにはプレゼントがつきものだろう」
「そうだな」
「もし不倫相手にプレゼントをするとしたら、お前なら何を渡す?」
「は?」
「だから、お前に嫁がいて、それでもなお別に女を作ったとき、クリスマスにはその愛人に何をプレゼントするかって話」
「何その超設定」
俺結婚した上で不倫するとか言う前に彼女いない歴と年齢が一致してるものでね。でないとここにいないんですよ。あなたが特殊。
「やっぱり高級品かね……」
うーん、しかし、こう真面目に考えてる前で適当にやるってのもなんか申し訳ないな。ここはひとつ、彼女ができたときに置き換えて考えてみるか。
クリスマス、彼女、デート……まごうことなき最高のシチュエーションじゃないか。横浜と言えばみなとみらい、みなとみらいといえば、やはり観覧車。クリスマス仕様の夜景を足元に散らし、二人だけの狭い空間。
あー……リア充爆発しろ。こんなものを作るからカップルが集まってくるんだよ。そこでなんか告白でもプロポーズでもすればそのままベッドに直行待ったなしじゃねえかよくたばれ。
でも、本当にその人のことが好きなら。その人ともっと仲良くなりたかったら。その人とひとつになりたかったら。
そのとき、俺は何をプレゼントするんだろう。
「俺だったら…………」
人々がどこからともなく溢れてきて、俺の横を通り抜ける。早足。どこかへ急いでるのだろうか。
そんな中、一人で立ち止まる。
「…………ピン止め、かな」
言ってから、目を見開いた。探偵は首をかしげる。
「なぜピン止めなのだ?」
なぜ。なぜだろう。ピン止めというのに別段こだわりもなかったはずだ。彼女ができたときに渡すプレゼントなんて考えたことなかったし、つまりそれは今俺が即興でこの答えを仕立てあげたという根拠になる。
じゃあなんで、ピン止め限定なんだろう。
「腕時計とか、ネックレスとかあるだろう。金持ちの家だぞ」
「…………」
彼女の言っていることは確かに可能性が高い。女性はブランドものをもらえば喜ぶといえば語弊があるが、それでもそれで嫌な気分になる女性はいないだろう。
でも、なんか違う。俺が思ってるのと、なんか違う。
「……まあ、いっか」
探偵はすべてを呑み込もうとしてか、大袈裟に息を吸い込んでからそう呟くと、また歩き出した。
「ここだ」
十分も歩いていない。数分歩いたところに高級そうな腕時計の店があった。俺らはそこに足を踏み入れると、全身黒ずくめの男を探した。こういう表現をするとなんか犯罪者みたいだけど、今のところ法は犯していないのでまだセーフ。
広くない店舗に客は二人いた。が、どちらも服装が情報と当てはまらない。この店は空振りなようだった。
その後もいくつかの貴金属店を回るも成果なし。それぞれの店で聞き込みまで行うも、どの店も見ていないとの回答だった。見たら電話くれと電話番号も渡しているが、携帯が鳴ったためしはない。
「こりゃもうだめかもわからんね」
最初こそやる気を見せていた探偵であったが、ついに弱音を吐いた。まあ確かにここまで八方塞がりだとそうなるのもわかる。実際俺も早くこの人のターン終わんねえかなって思い始めた。現在時刻11時。まだ二時間しかたっていない。
「愛人へのプレゼントねえ……」
結婚三年目。その時、夫婦はお互いのことがまだ好きなのだろうか。マンネリ化とか言ってるけど、それは生活に対してのマンネリ化なのだろうか。それとも相手に対してのマンネリ化なのだろうか。
「そんなの分かるかよ」
何て贅沢な悩みなんだろう関根さんや。やはり世の中金か?
「あと二時間か……」
探偵は呟く。
「二時間? 何が二時間なんだ?」
「あれ、言わなかったか」
探偵は足を止めてこちらを振り返る。
「関根さん、今日は旦那さんから一時には帰るって聞いてるらしい。関根さんの家は最寄り駅も横浜だから、あと二時間で浮気の決定的な証拠を掴めないと、明日に持ち越しとなってしまう」
「そうなのか」
なら明日に持ち越しでもいいじゃないか。
「今明日に持ち越しでもいいじゃないかとか思っただろ」
こいつエスパーかよ。
「明日に持ち越しちゃダメなのか?」
「そりゃダメだ。明日は一人でやらなくてはいけない。それだと力仕事とか必要になったときにダメじゃないか」
今日そんなシーンなかったけどな。
「親父の案件では暴力団に捕まった妹を助けて欲しいというのがあったが、その時は親父があばらを五本折って帰って来た」
「俺まだ死にたくないんですが」
彼女持たずに死ねるか。
「まあ、今回はそんなことはないとは思うけど。あるとしたら浮気相手に殴られるくらいだろうが、その場合殴られるのはお前じゃなく旦那さんの方だ」
「しれっとひどいこと言うな」
「そんな瞬間何度も見てきたからな」
この回答に、俺はふと疑問を覚える。
「お前、いつから探偵の真似事してるんだ?」
何度もとか過去の案件とか結構出てきてるけど、これはどういうことなんだろう。
「真似事言うな」
探偵は一言ツッコみながら考える。
「十年にはなるかな」
「十年!?」
えっ、この人今何歳? 十六歳だよね。てことは……
「六歳の頃、初めて親父の仕事に同行したのだ。それはまだ安全というか簡単な案件で、探偵もののアニメを見てこの仕事に憧れた私がついていきたいと言ったのだ」
探偵は電柱に寄りかかる。
「私は目の前で探偵という仕事を感じた。事件への関連のあるなしに関わらず、誰にでも話しかけ、得られたほんの少しのヒントから答えにたどり着く。親父はそういう能力に長けていた。どんな難事件でも、なんでもないような人のなんでもないような発言からゴールに向かう。私はそんな姿に一瞬で憧れた。まだ小学生だかそれより前だかとかそんな頃だったからな」
絶え間なく耳に聞こえていた足音はビルの裏に隠れてしまった。裏路地のようなこの場所にはそのような喧騒は届いて来ない。道を一本挟んだだけでこの街の雰囲気の変わりようである。
「それ以来私は、こうして十年も親父と現場に赴くようになった。最初は簡単な案件しか連れていってもらえなかったが、だんだん深かったりどろどろしたものにもついて行かせてもらえるようになった。そして今日、こうして一人でこの地にいる。それはまあ――」
探偵は俺の目を貫いて話す。
「――私にとって、夢が叶ったってことで。許してくれ」
その口元は歪んでいた。微笑だった。俺に対して申し訳なさそうに、でもそんなに申し訳なさそうでもなく、少しだけ笑った。
夢が叶った。
幼少の頃からの夢が叶った。
彼女にとって、探偵とは将来の夢。それが今、実現している。
そうか、なるほどね。
じゃあ、こいつにとってのクリスマスプレゼントって、探偵として仕事を任されることだったのか。
なんだ、こいつだけもうプレゼントもらってんじゃん。
「なんか、ずるいな」
俺はその微笑に向かって言う。
「ずるいってどういうことだ」
「いや、お前だけ今日すごい得してんなって思ってさ。探偵やりたくて探偵やってるし、人雇いたくて俺に手伝いさせてるし。俺なんて今日金使ってお前に連れ回されて知らない人に声かけまくって、まるで得してない」
「確かにな」
もう一度、ふふっ、と。なんか会ったときから考えてもさらによく笑うようになった気がする。
「悪いな、彼女探しの途中に」
「えっ」
探偵の言葉に、俺は目を丸くする。
「サンタさんが家にやって来たとき、そんなような話を聞いた。どうやらあの人は私の『パートナーが欲しい』という呟きをそういう人生のパートナーが欲しいみたいな意味でとらえたらしくて、それでうちに来ちゃったとか言ってた。だからお前もこれから会うだろう二人の見知らぬ男も何の目的で私と会うのかはわかっている。まあ、それで私を引き当てたお前含めて三人には申し訳ないとは思っている」
「なんだ、知ってたのかよ」
「そうだ。だからあえて愛人に渡すプレゼントを尋ねたのだ。彼女や場合によっては結婚相手もいるようなお手伝いさんができたときにこの話をしたらどうなるかわからない。実際に浮気してたら反応に困るし、してなくても私が怒られるかもわからない。その点、お前のような独り身のやつはこういう質問をしやすいからな」
俺めちゃめちゃバカにされてるんだけど。なんだこいつ、人を選んだ上であの発言だったの? すげえ策士。
「あと、一時で終わるのは今日の探偵の仕事だけでなく私とお前が二人でいる時間もだ」
「そういえばそうだったな」
四時間刻みのスケジュールってよく考えたらきっかり半日じゃねえか。なかなか時間とるなサンタさん。
「じゃあ、この不倫の件が終わったあと、お前は何するんだよ。その新たに来る男と」
「ああ、彼らにも同行してもらいたい事件はある。が、それは親父の案件で、どうも力仕事がものを言ってそうなやつなんだ。その手伝いが主となる。だから必然的に親父とも行動を共にするから、申し訳ないな」
「いくらなんでも辛すぎるだろ」
「それは思ってる。申し訳ないなって」
探偵は「よっ」と軽く言って電柱に寄りかかるのをやめる。
「でも、この仕事に少しでも興味を持ってくれたら、いつでも採用してやる。そのつもりだ」
そこには、さっきと変わらない微笑が。それでも、どことなく含みを持ったようなその表情は、やっぱり就職試験の面接官のものだった。
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