2-3
「あっはは……面白いね」
どうしよう。三人のうち一人を無駄遣いしてしまったような喪失感が全身を襲っている。俺は開口一番に適当にあしらうための台詞を放ってしまう。
「面白いとはなんだ」
帽子の下には金色の髪が見えている。肩までのばしたその髪を指先でくるくる触りながら、彼女は言葉を返す。
「私は後藤翠。十六歳で探偵だ。事務所にも入っている。親父のだけど、正真正銘の探偵事務所だ」
「あーはい」
「私はその後藤探偵事務所を将来継ぐために、探偵見習いをしている」
「あーはい」
「しかしある日だ、不意に思った。探偵の仕事、主に調査とか尾行とかにはパートナーが必要なのだ。残念ながら私は運動やったことないから非力だし、かといって力仕事が全くないわけではない。そういうときのために、何か頼りになるパートナーが欲しいと」
自己紹介の展開が早すぎる。
「したら、なんか赤い服の不審者が家にやって来たのだ」
不審者扱いは俺と一緒なのね。
「そして、今さっき携帯に通知が来たのだ。『パートナーさんそこにいるよー』って」
「通知?」
「なんだか知らんが、相手の人が近くに来たときに誰が相手の人だかわかるように通知が来るシステムらしい。なんかそういうアプリを入れさせられたのだ」
何その裏設定。女の子の方には彼氏候補が近づいてきたことがわかるのか。それじゃあ男は通知を受けた彼女候補を待ってればいいのか。一瞬様々な期待を持ってキョロキョロした俺の楽しみをまるっと返してほしい。ていうかなぜ男にはそのアプリを入れなかったんだろう。
「とにかく、もしかしたらお前さんを事務所の雑用兼力仕事担当として雇うかもしれんから、半日よろしくな」
絶対に雇われないようそこそこのところで好感度を下げよう。
「君は?」
と、自分語りをやめた探偵が俺に話を振ってきた。当たり障りのないように答えよう。
「桑原誠、十六歳。ただの高校生」
「ただの? 君は何か捜査に関わったとか依頼を受けたことはないのか?」
「普通ないと思うけど」
「じゃあなんで君はここにいるんだ? 君も相方の探偵を探してたんじゃないのか?」
「普通違うと思うけど」
えー、サンタさんこんなに条件緩いの? 出会い系サイトじゃなかったっけ。これじゃあまるで就活じゃん。
これが彼女になるか? いやいやいや。
「違うのか……そうかそうか、やっぱりそうなのか……まあいい。とりあえず今日はひとつ依頼を受けているのだ。ついて来い」
「えー……」
「なんだ、探偵志望じゃないのか?」
違うんだなそれが。
「浮気現場を押さえる?」
「そうだ」
俺と探偵は駅出てすぐの喫茶店に入った。休日に女子高生と二人で喫茶店なのにこのテンションの上がらなさはなんなんだろうか。
「喫茶店と言えば、みなとみらいに寝られる喫茶店があるらしいな」
「いきなり下ネタかよ」
「まさか。寝るって単語だけで下ネタって思う脳はどうかしてると思う」
うるせえなこれが男子校だよ。
「ベッド席があって、ごろごろしながらお茶が飲めるらしい。斬新なアイデアだよな」
「何でそんなん知ってんの?」
「昔しっかりとした殺人事件の調査でその辺に行ったんだが、その時にちょうど話題沸騰中でな。面白い発想だったので覚えていたんだ」
しっかりとした殺人事件ってどういうことなんだろう。しっかりとしてない殺人事件は?
戸惑う俺をよそに探偵は咳払いをひとつ入れると、口を開く。
「神奈川県在住の関根さんという女性が依頼人だ。三十代前半。結婚三年目で、最近夫の動きが怪しいそうだ」
出会い系サイトで会った相手に結婚後の倦怠期の話をするとはなんとも夢のない話である。結婚どころか付き合うところからスタートするはずだよね。なんで別れるお手伝いをしないといけないの?
「深夜帯の帰宅、頻繁に来るメールの通知、関根さんに対するつっけんどんな態度等々……確かに怪しい」
探偵はオレンジジュースを一口含む。
「で、今朝早く家を出た旦那さんを見て、明日クリスマスだしなんかあんじゃないかと思った関根さんに張り込みを依頼されたのだ」
「あのさ、探偵ってそういう浮気みたいなのも調査するの?」
「最近はその依頼が増えている。もっとも、どこまで踏み込んでいいのかわからないというのがこちら側の本音で、私も初めて依頼を受けるし緊張している」
「初めてなの?」
「そうだ。親父の付き添いでは何十件も見てきたが、一人でやるのは初めてだ。何、心配はない。こういう人のどろどろした恋愛模様などもう何回も見てきた。自信はある」
「信じていいのだろうかその自信」
「当然だ」
未経験とか言ってませんでしたっけ。
外を歩く人が増えてきた。九時を過ぎた頃というのは会社にいく人にとっても遊びにいく人にとってもちょうどいい時間帯なのだろう。ちらほら学生の姿も見えてきた。てかクリスマス前日なのに歩いてるカップルなんなの。どうせ明日も会うんじゃないのか。
「さっき関根さんからメールが届いた。今日はもう家を出たらしい。休日出勤だから私服で出てったらしい。そして対象についてだが、関根隆幸三十代、中肉中背ということまではわかっている。写真はこの二枚しかなかったらしく、しかもこっちはピンぼけで話にならない。よってヒントはこの一枚だけとなる」
三十代、中肉中背って範囲が広すぎるだろ。
眼鏡をかけて輝く笑顔で写真に写るその男性が今回探し求めている人らしい。どこにでもいる爽やかリーマンって感じだけど、見つかるのかな。
「一応、二日前に私が関根さんと会って話したときの音声を聞かせておく」
そう言うと探偵はウォークマンを取り出した。へえ、今時の探偵は音楽を聴く感じで証言を聞くのか。
差し出されたイヤホンを耳に突っ込んで、再生ボタンを押す。
『…………はい、そうなんです。昨日も帰りが一時を過ぎてて、飲んできたならわかるんですけど完全に素面だったのでちょっと気にはなりました。もしかしたら――いえ、やめましょう。とにかく、最近私への当たりもきつくて、なんだかそっけなくなっちゃって。この前なんて「会社どう?」って訊いただけで慌ててましたからね。頼んだものも買ってくれないし……オフィスラブにでも目覚めたんじゃないですか?』
うわ、関根さん大分怒ってんなこれ。かつかつ音がしてんのは机を人差し指で叩いてる音だろう。ここまで文字通りイライラしてる人なかなか見ない。
『ああ、朝早く出るとかはないです。もともと出勤の五秒前くらいに着くタイプの人ですから。うぅ寒い。新しいコート欲しいなあ…………暖房壊れてるんですか? それは大変ですね……ああ、あの人、朝が苦手なんですよ。九時集合のデートにはほぼ遅刻してきました。まあそれも何年も前の話ですけど』
イヤホンを返した。一息ついてから、完全に冷めきったコーヒーを飲む。苦いだけ。砂糖を入れた気がするけど、感じはしない。
多分、関根さんもこんな感じなんだろう。結婚したときの恋愛感情の熱は冷めきってしまった、と。
「全く、人間とは愚かなものだよ。下らない好きとか好かれるとかそういうことを日夜考えて、性欲に溺れて人間を腐らせてしまう。本来のあるべき姿とはほど遠い」
それクリスマスプレゼントに彼女要求した俺の前で言っちゃうか。あとほんとにサンタさんはなぜこいつを候補の一人に入れたんだろう。
「とにかく、手がかりを探していこう。ここにいても始まらない。まず横浜駅にいるのかもわからないんだから」
「じゃあどうやって見つけるんだよ」
「そうだな……」
探偵は右手を顎に当てて考えにふける。所作とか話し方は探偵っぽいんだよなあ。形から入るタイプか?
「関根さんからは、今日の旦那さんの服装は黒いコートにジーパン、黒い靴に黒いリュックという容姿だと伝えられているから、それをヒントに探そう。髪型も角刈りだし、そこからだな。あとエルメスのバッグを持ってる」
「高級品だな」
「ピンからキリまであるが、依頼者自身がなかなか高級品を身に付けていた。ネックレスには大きなラピスラズリがくっついていたし、それと揃えたのであろう瑠璃色のハンドバックを持っていた。大きな声では言えないが、依頼の段階で三本もらっている」
「三本って三十諭吉ーズ?」
「違う、三百諭吉ーズだ」
「三百諭吉ーズ!?」
「そうとも。それに成功報酬はそのうん倍だ。それはもう、ひとつの浮気調査ではかけない額だな」
「じゃあほんとに金持ちなんじゃねえか」
「だからそう言っている」
探偵はもう一度オレンジジュースをすする。氷をガチャガチャとかき混ぜると、もう一口飲んだ。
「はあ。しかし、そのバッグは買い物をするときにしか使わないらしいから、今日は十中八九明日のプレゼントの買い物と見ていいだろう。五分後にここを出る。そのコーヒーを飲み干してしまえ」
何気にもう三十分たった。午後の人に会えるまであと三時間半。だけど一応探偵らしいことをするならさっさと動いた方がこの人的には味がいいんだろう。なんせこれは婚活の一環とかデートではなく、ただの就職面接なのだから。
カップの底に満月のような模様でコーヒーが残った。やっぱりコーヒーは熱いうちがいいかな。
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