1学期

Episode.1 人生の分岐点

 扉を勢いよく開けると、気持ちの良い春風と共に、暖かい春の陽気が優しく俺を出迎える。

 今日は今年度から高校生になった俺が初めて学校に登校する日。つまり、入学式だ。乳学式ではないぞ。いや、俺的には是非とも参加したい式典だが。

 そんなどうでもいいことを考えつつ、俺は父ちゃんと母ちゃんに旅立ちの挨拶を告げ、サドルに跨る。ここから学校まで自転車で行くと、三十分ほどかかる。さすがに入学式当日から遅刻する訳にはいかないので、登校完了時刻の一時間前である、七時二十分には家を出た。俺、チョー偉い。

 そろそろ通勤ラッシュになる時間なので車通りの少ない道を行くことにした。自宅から200mほど離れた場所に左の細道へ続く道があり、車通りもそっちの道の方が少ないので、左に行くことにした。安全第一だ。

 ああ、春風が気持ちいいなぁ...。


○○○


 細道の両脇には家々が連なっている。それらの家々は玄関が特に特徴的で、ドアが二つある。俺の住んでいる山形県鶴岡市は冬の風雪、よりも酷い暴風雪が度々発生するので玄関は二重扉になっていて、風除室がある。あれだ、よくスーパーの自動ドアって二つあるだろ?あれと同じと思ってもらっていいかもな。あれ?もしかして鶴岡だけ?

 それらの家々を視界に入れながら俺は自転車をひたすら漕ぐ。中学校総合体育大会以来、運動を全くと言っていいほどしていなかったので少し息遣いが荒くなっていた。てか俺、貧弱過ぎるだろ。まだ五分くらいしか漕いでないぞ。

 携帯の時計を見ると七時二十五分頃。時間はまだまだあるので少し休憩していくことにした。

 どこで休むか迷っていると、丁度自販機がたくさんある場所があったので、そこで休むことにした。喉が乾いていたので何かジュースを買おうとしてカバンを漁っていたが

 「あっ...今日財布持って来てねぇんだ...」

 無意識のうちに声が漏れていた。やべー、誰かに聞かれてたらどうしよう。目撃者がいたら俺が襲撃者になってそいつを襲いに行こっと。

 どうでもいい決意をしながら日陰になっている地面に制服のままで座った。あー、新品の制服を初日に汚してしまった。我ながら不覚...

 恐ろしいほど澄み渡った青空を見上げ、何も考えずぼーっとしながら五分を消費した。体力は微量ながら回復したので、再びサドルに跨り、地面を蹴って出発した。


 しばらく漕いでいると、道の両脇の風景が家から田んぼに変わっていた。風が吹き抜ける。向い風だったので、漕ぐのが少し辛かった。

 「運が悪いことに、これは明日筋肉痛確定だな。ふざけやがって」

 そんな愚痴をこぼしながら田んぼ道を春風に逆らいながら突っ切って行った。

 ふんがふんがと鼻を鳴らしながら自転車を漕いでいると突然

 「...フフフ」

 「ん?」

 風を切る音と共に、誰かの笑い声が聞こえたように感じた。そう錯覚した。女の声だった。もちろん、周りには人が誰一人としていなかったので空耳だと思い、特に気にすることもなく自転車を漕ぎ続けた。

 「...フフフ」


○○○


 田んぼが視界から消え、再び家々が連なっている風景に変わった。というより、戻った。

 時刻は七時四十分だった。

 「マジかよ、田んぼ道だけで十分もかかったのか。まー仕方ないよな。庄内平野を占める田んぼの面積は馬鹿にできないからな」

 事実、庄内平野を占める田んぼの面積はかなり広い。国道を少し外れれば田んぼ道と言っても過言でないくらいだ。

 流れていく風景をよそに、独り言をブツブツ言っていると視界が開けた。国道に出たのだ。車がかなり多い。

 それもそのはず、今日は公立高校全てで入学式があるのだ。鶴岡市にだって、公立高校は五つはあるはずだ。

 しばらくすると、遠くに俺が目指している建物が見えた。開校してまだ二十年ほどしか経っていない新しい学校だ。名前は、『鶴岡第一高校』。

 目的地に近づくにつれて、自分と同じ制服を着ている男子三人組を見つけた。恐らく、中学校まで仲良くやっていたグループだろう。そして、

 「俺あそこ受けるけどおまえは?」

 「おまえがそこ受けるなら俺もそこ受けるわ」

 「おなじくー」

 みたいなノリで同じ高校を受験したのだろう。そして運良くみんな合格したと。なかなかの強運の持ち主達である。

 俺だって、出来ることならそういうのをしたかった。だが、父ちゃんの仕事の関係上、鶴岡に引っ越さざるを得なかったのだ。

 ちなみに、俺の家族は転勤族で、だいたい三年に一回のペースで引っ越していた。だが、仕事の都合上、転勤先は山形、仙台、そしてここ鶴岡の三ヶ所に限定されていた。そのおかげで、友達はそれぞれにいて一から関係を築き上げる辛い作業を一回だけで済んでいた。そこはラッキーだと思っている。

 仙台で出来たイツメングループとは今もよく通話で話していて、これからもこの関係は保たれるだろうと思っている。山形は...うん、もう繋がりはほぼ無いに等しいかも...

 三人組を羨ましい目で見つめながら俺は自転車を思い切り漕いだ。

別に羨ましいと思ったからではない。断じてだ。

 五分もしないうちに学校の駐輪場に着いていた。うはー、人多いなー。さすが進学校といったところか。とりあえず教室にでも向かうとするか。

 鶴岡第一高校は偏差値こそ低いが、進学校として存在していた。なぜ偏差値が低いのに進学校なのか?それには触れないでおこう。開けてはいけない箱な気がする...おい、パンドラかよ。

 人気がある理由としては、学科が二つあり、進学の普通科。就職の総合学科。といった具合であった。その二つがあるからこそ、この高校は人気があるのだと思う。

 「っと、その前にクラス発表されてるからそっちを見ないとな」

 ボソッと言い、昇降口前に出来ている人だかりを目指す。恐らく、あそこにクラス分けの紙が貼られているのだろう。

 人ごみを掻き分け、ようやく字がはっきりと見えるところまで辿り着いた。

 「俺の名前は......あった」

 一組だった。

 ふと、誰かの視線を感じた気がしたが、周りを見てもみんなクラス分けの紙の方に視線を向けている。

 「また気のせいか。疲れてるのかな?」

 首を鳴らしながらそう結論づけた。

 果たしてどんな生徒がいるのか。心を踊らせながら校舎に向かう。

 昇降口に入るとさっきまでの騒がしい空間とは全く異なり、現実世界から切り離されたような錯覚をするほど静かだった。

 「あの紙を見て友達とキャッキャウフフしているんだろうな。クソリア充どもめ。羨ましいぜ」

 妬みながら靴を履き替え、さらに中に進む。するとそこには左右に伸びる階段があり、それらの中間に広いホールがあった。

 「...迷った時は右だな」

 そう言い、右の階段を登った。

 ちょうど登りきったところに通せんぼのように看板が置かれていた。

 『一年生教室は反対側です。』

 ...やっちまった。

 恥ずかしさのあまり、頬を赤らめながら反対側に向けて歩き出した。

 軌道修正完了、と。


○○○


 反対側にある教室がたくさんあるいわゆる『教室棟』に着いた。

 左と右に道がわかれていたのでさっきの教訓で右ではなく、左に行くことにした。もう同じミスは犯さないぞ。

 教室棟にはまだ人の気配がなく、しんとしていた。

 廊下の一番奥に『一の一』と書かれたプラカードを見つけたのでそれに向けて歩き出した。

 てくてくと歩いていくうちに、次第に人の気配が強まってきた。さらには、明かりがついているではないか。間違いなく人がいる。自然と胸が熱くなっていた。

 一の一前まで行くと、ドアに小さな窓があったのでそこから中を覗いて見た。

 「えっマジかよ、全員揃ってるじゃん。やべー俺注目の的だー」

 すこし嬉しかった。おい、俺はアイドルかよ。いや、女装する趣味なんてないのでジャニーズで結構です。

 がらっ、と勢いよく扉を 開けると教室にいた全員の視線を浴びた。瞬間、俺の思考と体がフリーズした。

 「え、なんで俺注目されただけで動けなくなってるの?」

と内心で呟いた。

 中学卒業まで、幾度と無く注目されてきたが、動けなくなるなんて一度もなかった。むしろ胸を張っていたくらいだ。まな板まな板。

 とにかく、注目されただけで緊張する俺は異常だ。原因は恐らく、知らぬ顔しか無かったからだろう。

 転校は何度もしていたが、鶴岡の学校に来るのは幼稚園以来だった。あれ?幼稚園って学校に入るのか?

 緊張感に押し潰されそうになりながら、こうまで思ってしまった。

 「こんなやつら、いなくなればいいのに」

 初めて人が恨めしいと思った時だった。

 「こいつらとは絶対に関わらない。何があってもだ」

 そう決意して震える足を何とか前に出して歩き出した。黒板に書いてある座席表を確認すると、

 「うわあ、一番前かよ......しかも教卓の目の前」

 一番注目される場所だった。鬱な気分になりながら自席に向かった。

 その後の教室内は静寂に包まれていた。気まずい。たまに、ひそひそ話が聞こえるくらいだった。恐らくその人たちは中学からの友達なのだろう。思わず俯いてしまった。

 すると突然、肩に衝撃が走った......叩かれた。

 なんだよと思い顔を上げると、

 「やあ、俺は桐島 一翔。おまえは?」

 「お、おう。え、えとお...霧島 隼人、だ...」

 これは俺としたことが、自己紹介を忘れていた。俺の名前は霧島 隼人(きりしま はやと)。ピカピカの高校一年生だ。

 「お!苗字同じじゃん!俺たち気が合うかもな!これからよろしくな!」

 苗字が同じだけで仲良くしようなとか、どこの単細胞生物?苗字同じだけで仲良くなれるなら佐藤さんとかみんな仲がいいのか?俺の知る限りではそんなことは無い。中学に目の前で殴り合いをしているのを見ていたからわかる。

 「あ、ああ...よろしく、な」

 空返事をしてとりあえず会話を終わらせようとした。頼む。これ以上話しかけないでくれ...しかし、桐島君はそんな期待を裏切るかのように話しかけてくる。

 「隼人ってどこ中出身?」

 いきなり呼び捨てかよ...。しかも下の名前...。じゃあ俺も遠慮なく一翔と呼ばせてもらおう。

 「いや...多分言ってもわかんないと思うぞ...」

 「いいからいいから!さ、早く教えて!」

 何故か知らないが急かしてくるので、仕方なく答える。

 「えーと、仙台の学校なんだけど...」

 その瞬間、周りの温度が一気に下がった感じがした。え?俺何か言っちゃいけないこと言った?

 「あいつが仙台から来たっていうやつか...」

 「あれが都会っ子...」

などという小声が聞こえてきた。悪いな、俺は地獄耳なのだよ。

 ここ鶴岡の人はどうやら都会人に対して敏感なようだ。一翔は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにさっきまでのニコニコとした表情に戻った。と同時に、教室の雰囲気も元に戻った。

 「まじか!仙台から来たのかー。ねーねー、仙台ってどんな所なのさ?」

 「まー車がうるさくて排気ガスっぽくて駅前のアーケード街に行くとゲーセンやらパチンコ屋やらの音が騒がしいかなー」

 「マイナスな印象しか持てないぞ!?」

 そもそも聞いてくる方が悪いだろ。俺は答えたくて答えたんじゃねーっつーの。

 「じゃあ、鶴岡の高校を受験した理由は?」

 「父ちゃんの仕事の関係だよ。俺の地元鶴岡だし」

 「そうかー、お父さんの仕事の関係かー...ん?最後なんて言った?」

 「いや、俺の地元は鶴岡だって」

 再び教室が静寂に包まれる。なんなの、こいつら?なんで俺が事実を話すと静かになるの?聞き耳立てすぎだろ。盗聴かって。盗聴、ダメ、ゼッタイ。

 さらっと言ったが、俺の生まれはここ鶴岡だ。

 一翔もこれにはかなり衝撃を受けたらしい。理由は知らんが。

 「へ、へー!そんだったんだ!」

 「うん」

 「じゃあ、いつか隼人んちに遊びに行くね!」

 なんでそうなるんだよ...まー、否定する意味もないし、いっか。

 「わ、わかった」

 そう言った瞬間、SHR始まりの鐘が鳴った。この後は入学式が控えているので気を引き締めなくては。てか、登校完了時間まだだろ?俺の知ってるのじゃああと二十分後だと思うのだが...

 謎に思えたので入学式の案内のプリントを取り出す。まさかの俺の予想してた時間の二十分前に登校完了だったらしい。あぶねえあぶねえ。

 独りで胸をなでおろしていると担任が入ってきた。女性でとても優しそうなイメージだ。こういう人に限って怒るとチョーこえーんだよな...

 担任から簡単な挨拶と入学式の大まかな流れを聞くと、みんな揃って廊下に並ぶ。出席番号順に並ぶので必然的に一翔と前後関係になってしまう。

 不幸なことに、苗字が『き』で始まる人は俺と一翔しかいない。そして一翔の方が五十音では俺の隼斗より前なので俺の前に並ぶことになる。

 移動中も俺の前の人との会話が止まなかった。ああ、これ入学式の時もずっと話してるパターンだ...

 そう思っていると無意識に嘆息していた。



 何事なく入学式が終わり、教室へ戻った。

 予想通り、入学式の最中も一翔と話していた。休むこともなく。あー、無駄に疲れた。

 疲れきっていたので、ホームルームに戻ると机に突っ伏して寝る体勢に入った。もちろん、それを一翔が許すはずもない。

 「おいー、何寝ようとしてんだよー。さっきの話の続きするぞー」

 マジ勘弁。

 「疲れたから寝るわー。起こすなよー」

 もう関わって欲しくないので突っ放すような態度で接するようになっていた。ごめんよ。

「ちぇー...わかったよ」

「ありがとよ」

 目を瞑った。

 はと気がつくと自己紹介が始まっていた。俺の番は次の次だった。

 「やばい、何言うか全然決めてねー!」

 心で警鐘をガンガン鳴らして思いつく言葉の限りを無理やり文章にした。

 そして俺の番。黒板の前に立ち、観衆の方に視線を向けると、再びとてつもない緊張感が襲った。

 「誰だよ、俺が緊張するように魔法かけたやつは!後で覚えとけよ!」

 心でそう呟き、一つ深呼吸した。

 「ふー、えー、霧島 隼人です。仙台の中学校から来ました。幼稚園の頃までこっちにいたので僕のことを知っている人がいるかもしれませんが、よろしくお願いします」

 しまった!自分のことを僕呼ばわりしてしまった!こういう時にちゃんと普段通りに自分のことを指す言い方でないと距離を置かれてしまう!ちなみに、俺の場合は「俺」 。

 実際、どこか侮蔑するような目で俺を見ている人が何人か見受けられた。「よし、顔覚えたから後で体育館裏な☆」みたいな事を考えながら自席に戻る。

 「そういえば、一翔のはどんな感じだったっけ?まあいいか」

 どうでもいいことを思い、首を振る。忘れろ忘れろ。

 その後、残りの人の自己紹介が終わり、先生が明日以降のことについて話して今日の学校は終わった。

 帰りのSHRを終えると俺はすぐに教室を出た。なんだかいてられない気分だった。

 廊下で、同じクラスやつを追い越す時にこんな独り言が聞こえた。

「ボッチ確定か」

 なぜか胸が痛くなった。こいつ自身に言い聞かせているのだろうが、自分にも言われているような気がした。

 早く家に帰りたくなり、さっさと自転車にまたがり、学校を後にする。まだ胸が痛む。その痛みを払いたくて俺は全力で自転車を漕ぎ続けた。

 ......スタミナ切れまでかかった時間は驚異の二分だった。


○○○


 翌日、教室に行くといくつかの塊ができていた。 恐らく、昨日の放課後にいろいろと情報交換をして親睦を深めた人たちで固まっているのだろう。昨日のその場に俺がいなければ当然、行く宛もなくなる。ボッチ、ここに誕生!

 高校生活はどうやらボッチ確定のようなのでひとり寂しく持ってきたラノベを読むことにした。なかなか面白い作品で、家で読んでいて大爆笑するレベルだ。

 「持ってくる本間違えたな...」

 読んでいると笑いがこみ上げてくる。それを必死に抑えながら読んでいた。傍から見れば、不審者と思われてしまってもおかしくない。おまわりさん、来ないでね。

 今日から早速授業が入ってきた。

 と言っても、最初の授業だから自己紹介とかして終わりなんだけどね。

 なんやかんやで今日の全ての授業が終わり、放課後になる。

 入学して二日しか経ってないが、そろそろ部活を決めなくてはいけない時期だ。とりあえず中学までやってたバスケ部を見に行こう。場所は体育館だ。

 体育館に到着し、重々しい扉を開けるとそこには地獄が展開されていた。男子バスケ部だけでコート二面プラスちょっとした面積を往復ダッシュしていたのだ。

 「よし、無所属になろう!」

 明確な意思を持ち、体育館を去った。滞在時間︰十五秒

 無所属になると決めたからには明日からの帰宅は中学校の時までとさほど変わらないだろう。嬉しい誤算だ。帰路には祖父母の家があるのでそこによってから帰るとしよう。

 夕焼けの美しい茜色の空だった。


○○○


 翌日からは同じことの繰り返しで、つまらない日々を過ごしていた。

 季節は春が過ぎ、鬱な気分になる梅雨になっていた。

 一翔はあの日以降も俺にしつこいくらい話しかけてきた。俺もそれを嫌だとは思わなくなっていたのでよしとしよう。問題は一翔以外の連中だ。完全に俺から距離をとっていて、誰一人として話しかけようとしてこなかった。まー俺が話しかけるなオーラ出してれば自然とそうなるか。自業自得だ。

 そんな具合のまま梅雨が明け、夏が来た。例年より蒸し暑い感じがした。

 この頃から変な夢を見るようになっていた。顔の見えない『何か』に真っ暗な世界に連れていかれる夢が毎日のように続いていた。

 「風邪かな?」

 一応、親にも相談した上で学校を休んだ。

 結局、変な夢を見る症状は改善されたので二日後には登校していた。

 学校に着き、駐輪場から昇降口に向かっていると少女がこちらに向かって歩いて来ていた。靴の色からして俺と同じ学年だろう。

 鶴岡第一高校では、外靴の中靴の両方で学年ごとに色分けしている。体育祭でもしたらわかりやすくてよさそうだ。

 「部室に忘れ物でもしたのかな?」

 そう思い、右側に寄る。やべー、俺ちょージェントルマン。

 だが彼女は俺の方をめがけて歩いてくる。ギリギリのところで避ようとした。その時。彼女は俺の目を見ていた。訂正、冷たい目で見られていた。なぜ?理由がわからないのだが?ほんの一瞬の出来事だったが、思ったこと、感じたことはたくさんあったが一番気になったことを口走っていた。

 「なんで、他のやつとは全く違う目で俺を見る?」

 「──」

 彼女が答える瞬間、猛烈に強い風が吹いた。彼女の言葉は風によってかき消されていた。俺は風の強さで反射的に腕で顔を覆った。

 だんだんと慣れてきたのでゆっくりと腕を顔の前からずらすと、既に彼女の姿は無かった。風はまだ止まない。

 「...フフフ」

 聞き覚えのある笑い声が果てしなく遠くから聞こえた気がする。

 早く教室に行かないと遅刻してしまうのでダッシュで階段を駆け上がった。

 ギリギリセーフで教室に駆け込み、自席に座った。

 SHRが終わると一翔が俺の席のところまで来た。

 俺は異変にすぐさま気づいた。

──表情が、いつもと違う。

 それは憎悪に満ちた表情であった。あれ?俺何かしたっけ?自覚が完全にない。なのに一翔は俺を憎たらしく思っている。表情がそう語っている。

 「よお一翔、どうした?」

珍しく俺から話しかけていた。

 「あれ、俺から話しかけるとか俺変じゃね?」

心の中で呟いた刹那、

 「おまえみたいなやつ、俺は知らねー。誰だおまえ?」

 「は?一翔何を言ってるんだよ...」

 言葉をつなごうとしたが、さらなる異変を感じてしまったのでそれ以上言葉が出なかった。

 一翔の後ろに、クラスの全員がいる。表情は一翔と同じだ。

 つまり、俺の味方は誰一人としていない。ボッチであるが故の結末だ。

 しかし、心当たりもないのにいきなりクラス全員に敵対されても困るんだが...何かしたなら俺が謝るぜ...

 俺の思っていたのが表情に出たのか、クラス全員の表情がより一層険しいものになる。殺意に満ちていた。

 「なんでみんなが怒っているのかさっぱりわからんが、俺が悪いことしたなら謝るから、ごめん」

 この発言が火に油を注いだ。一斉に拳を真っ直ぐ俺に向けて突きつけてくる。暴力反対ー!

 そんな軽いことも考えていられるのも束の間、後頭部に衝撃が走ると鳩尾、頬、顎と続く。二回目の後頭部への衝撃が俺の意識を飛ばした。

 遠のく意識の中で

 「...フフフ」

 またあの笑い声が聞こえた。


 気がつくと、保健室のベッドに横になっていた。何回か通っていたので感触だけでわかった。

 「あら、隼人君目が覚めた?こらこら、無理して起きようとしないで。まだダメージは残っているから」

 確かに、何だか体が妙に重たい気がする。

 「今日はもう動けないと思うから、お家の人読んでおいたから。家に帰ってゆっくり休んでなさい」

 優しい声だった。それだけで俺は充分満足できたので、今日のところは撤収する。

 担任の先生が俺の持ち物全てを持ってくると、

 「あまり無理しないでね」

 その一言だけを残して去っていった。そんなに無理したか俺?

 担任が去ってから五分もしないうちに親が到着したと保健室の先生に通達があったようだ。

 「今担架に乗せて運ぶから、もうひとりの先生来るまで待っててね。」

 「いや、さすがに歩くくらいならできるんで大丈夫です。」

 そう言い、俺は荷物全てを持って保健室を出た。

 昇降口を出ると、母ちゃんの車が見えたので、それに乗り込み、家を目指した。移動中、母ちゃんとは一言も交わさなかった。恐らく、俺に気を使っているのだろう。正直、その気遣いはありがたかった。家に着くまで俺は寝ていることにした。


 「......さい」

 「.....なさい」

 「起きなさい」

 しつこくリピートされ、ようやく俺は目を覚ました。場所は家のガレージだったので、もう着いたのだと確信した。

 「悪い、何だかやる気が出ないから今日はずっと寝てるわ。飯もいらないから」

 「そ、わかったわ」

 いつもの母と違う。普通ならここで「ダメです!ご飯はちゃんと食べないと、大きくならないぞっ☆」みたいな事をいう人なのに。ここでも異常が発生していた。しかし、考えているほど余裕が今の俺には無いので、自分の部屋に行き、オフトゥンに潜って眠りについた。気持ちいい。


 「...こっちに...おいで」

 「ほら、こっちの方が楽で楽しいよ...」

 「君のいる世界なんてつまらないよ...もっと楽しい人生を送ろうよ...」

 「誰だ!誰が喋ってる!」

 夢。か現実かイマイチ分からない空間でそんなやり取りを交わしていた。これがしばらく前から続いている。声は男性の老人のように聞こえた。

 「君は...君のいる世界が楽しいと思っているかね...」

 「...さっぱりだ。こんなに相手にされないのに、楽しい世界だと思えるか。」

 「そうだろう...?ならば、楽な世界で生きていきたいと思わないかね...?」

 「ああ、そんな世界があるならぜひとも行ってみたいとも。」

 「それはつまり...今、君のいる世界から君という存在が無くなるということだが...」

 「楽しい世界に行けるなら、こんな世界から俺という存在が無くなってもかまわないさ。」

 「ほほう...それでは...」

 続きを聞こうと耳を澄ませていると、

 「...いらっしゃい...フフフ...」

 聞き覚えのある声がした。女の声だ。空耳だと疑っていた声と同じ声が、今ハッキリと聞こえた。

 「は?どんな意味だ...」

 言葉を続けようとしたが、その直前に眼前がとてつもなく明るくなった。俺は堪えきれず、目を瞑り、さらには腕で隠して完全防御態勢に入った。


 しばらくして、恐る恐る腕を顔からずらし、目を開けると知らない天井が視界いっぱいに広がっていた。体の方を見るとちゃんと胴体もあるし下半身もある。しかし、部屋の様子がおかしい。

 自分の部屋が見ず知らずの部屋になっていた。

 「...ここどこ?」

 口をぽけーと開けたまま発した言葉だった。すると、

 「ようこそ、ネオ学園へ...」

 再び、あの女の声が聞こえた。

 「学園!?なんだよそれ!」

 しかし、誰一人として答える人物はいなかった。


 ──新しい波乱万丈な人生の始まりだった。

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