第二十七話

 ほとんど意識もないのに、あのときとまったく同じことをしてくれた。それが今の相棒。自分はなんて不誠実なんだろうと反省する。

「ブンブン、聞こえてる……? アタシね。赤仮面様と戦えて嬉しかったんだ。勝てるなんて夢にも思わないし、向き合うだけで良い記念になるって思ってたよ」

 攻撃でもされたら一生の自慢。訓練生時代に張り合って、薔薇仮面に任命されたときもやっかみしかよこさなかった連中だってきっと素直に羨むに違いない。

「当代と先代の赤仮面様が揃うなんて普通ありえないことだし、今だってはしゃいで飛び跳ねたい気持ちだよ。間に挟まれたいし、全財産払ったって画像が欲しいよ」

 そんな風に浮つく心を冷やす、まったく別の感情が疼く。

「くや……しい。アタシ、悔しい……! アンタと出会って今までのこと、ひとつだって誰にもバカにされたくない。それが命の恩人だって――赤仮面様ならなおさら、アタシたちのことちゃんと『強い』って、そう思ってほしい……!」

 その願望に沿うならばなにをすべきか。恐ろしいことにあの赤仮面と戦って、そして勝たなくてはいけないらしい。

 考えるだけで手がわななく。大恩人を相手にする罪悪感という他に、その力は脅威と感じるに充分以上だと既に体験した。引退済みという事実が規格外の伝説ヒーローには当て嵌まっていない。

(そんなバカなこと……不可能に決まってる……!)

 震える手を、ぐっと強い力が掴む。

「そう言うバカを言うお前を、ずうっと、待っていた」

 ブンブンが目を覚ましている。

「赤仮面、なにするものぞ。我らでキッチリ引導を渡してやらねばならん」

 あれだけ何度も挑んで歯が立たなかった。それなのにもう一度、一緒に戦ってくれようとしている。

 こんなにもカッコいいヒーローに並び立つ自分が、一体誰に媚びる必要があるだろう。



(よし、なんとか持ち直したみたいだな)

 後ろのふたりが戦意を取り戻したようでほっと安心したのも束の間。半身から正面へ体を戻しながら腕を振って、飛んできたエネルギー竹細工を弾く。

「ムダだ! もうなにをしても効かない! なぜって、俺はもうアンタと同じスケールにいる!」

 身を守るのは手の甲に張り巡らせた力の流れ。いわば〝ベクトルの小手〟だ。

「へえ、早速マネできるようになったのかい。さすがは僕が認めた赤仮面だ」

 防がなければどうなっていたかわからないような攻撃を、平然と無防備なふたりに向かって放った。この宇宙で間違いなく最悪にクソッたれの宇宙人。こんなひとに褒められても嬉しくはならない。認めてほしいとも思わない。

 ただひとつ、後ろのふたりを侮ったことだけは撤回させたい。

「これができるようになったのはアンタのやり方をじっくり観察できたからだ。花仮面が時間を稼いでくれたからだ!」

「ボコボコにやられてね」

「それでも薔薇仮面の功績だ! それをわかれよ!」

 どんなに強く言ったところでおじさんには響かない。それがわかっているからもどかしい。白い面の向こうに無表情が透けて見えるかのようで、心の底から嫌悪する。

「しかし現実に技能を獲得したのは君で、彼らにはなんの恩恵もない」

 このひとの主張を認めるのは悔しいが、それはその通りだ。

「だったら俺が教えてやる! これは才能とか素質とかじゃなくて、理屈を知ってるかどうかの問題だ! まずは――ベクトルは複数同時に出せる!」

 右手に張ったベクトルを一度消し、手の甲を中心に外から内へ向かって集中させる。

 ベクトルの発射は手元から奥へ放つだけなら至極簡単だ。無造作にただ思うだけでそれが実現する。だが意図を加えて操るとなると、視線で空間を掴むような気合いが必要になる。それが複数なら更に、求められる集中は等倍に増す。

(精神が消耗するこの感じ、脳みそヤスリで削られてるみたいだ!)

 うしろのふたりのためにゆっくり見せたいところだが、そう余裕がない。

「次にベクトルは曲げられる!」

 放射状のベクトルを歪め、渦状に変える。

「なんだ。僕のを見たままじゃないか。それが君の自由研究というなら、ガッカリだよ」

「うるせえな! 父兄の方はお静かに! アンタの期待になんて応えたくないけど、ここからは俺の推測と実験の結果だよ。ベクトルは重ねれば重ねるほど強い、そうだろ?」

 トゲ仮面は「ヒーローのちからはスーツの格と心の強さで決まる」と言っていた。なのに感情の存在すら怪しいおじさんが練習用スーツで花仮面を圧倒するのはどう考えてもおかしい。その不自然に理由があるとするなら、ベクトルの使い方にあるように思えた。花仮面はほとんど体当たりの加速にしか使わない一方でおじさんのは見るからに複雑だったからだ。

 そこで石を飛ばして試してみた。

 全力のベクトル一本と、手抜きのベクトルを束ねた複数本。すると距離を計って比べるまでもないくらい、手抜きのほうが遥かに勢いよく遠くへ飛んだ。

 どうも単純に力を加算する以上の強化が起きるらしい。さすが魔法的科学だ。地球の理科の授業は裸足で逃げ出す。

「理屈で言えば数が多いほど、重なる部分が大きいほど強くなるはずだ。……こんな風に」

 ベクトルを増やし、湾曲はキツく。密度を上げることで強固なベクトルの小手を作り上げていくと、その形は丁度銀河に似た。

 今度もちゃんとできている。トゲ仮面の前に飛び込んだ時にはやぶれかぶれだったが、完全に身についたと言えそうだ。

(でも、これだけで手いっぱいになって一歩も動けねえ……!)

 少しでも集中が乱れたらたちまちのうちに霧散してしまうだろう。そのときはきっと集めたベクトルが一気に暴れ出して自爆する。

 自分の手にあるものが盾というより爆弾に思えてゾッとしていると、パチパチと拍手の音が聞こえてきた。

「すばらしい学習発表だね。これが授業参観なら『あれウチの子』と自慢するレベルだよ」

 おじさんは優雅な手つきで指と掌を合わせて鳴らしている。それもエネルギー竹細工に包まれたままだ。ベクトルの小手よりもずっと高度な構造を維持しながらの褒め言葉は嫌味にしか聞こえない。

 だが言い方よりもその内容に腹が立つ。

「授業参観なんて一度も来たことないくせに、親心みたいなこと語ってんじゃないよ!」

 この宇宙人は、あらゆる行事に参加しない。授業参観や地域の廃品回収はおろか、小学校の卒業式も中学の入学式にも顔を出さなかった。

「おっと、これは弱ったな。君を子ども扱いしようして、余計なことを言ってしまった」

 今日も反省の弁は聞かれない。代わりに、勿体を付けた咳ばらいがひとつ。

「フム、腹いせに僕もケチをつけようか」

 それからひと呼吸遅れて、周囲のエネルギー天球儀が変動した。乱回転して見える輪の動きが全体に収縮し、球体に形を変え頭上で一列に居並ぶ。

(あ――マズい)

 直感が危険を察知して身震いを起こす。

 いくつかに分散したとはいえ、アレにはさっきのベクトル天球儀が持っていたパワーが詰まっている。それがサッカーボールほどの大きさに収縮したと考えればかなりの密度で強さを増している。

 鳥肌が引かないうちに、そのひとつがこっちに迫った。

(迷う時間も、策もない! 俺はこれしかできないんだから!)

 指を曲げて掌を平たく、額に張り付けるようにして顔の前で手の甲を――ベクトルの小手を構える。もう薄い部分を狙い澄まそうにも厚みにいびつさはなくなった。

 ぶつかる瞬間、吸った息が食いしばる歯の間から漏れた。消し損なった衝撃が脳に届いて視界に白点が飛ぶ。月の凹凸まで見通すほど視力を強化するスーツでもこればっかりはどうしようもない。

 だが攻撃を防ぐことには成功した。跳ね上げられた球体は天井に激突して消える。

「うまくできた――と思っているのなら、志が低過ぎる」

 おじさんの声に首筋が冷えた。直列した球体はまだまだ数が残されている。

「ベクトルは曲げられる、重ねれば強くなる。その通り。確かに君の出した結論で正解だ。だが、成果は及第点に届かない」

 息をつく暇もなくまた球体が放たれる。

 もう一度集中して受けると、今度は踵が沈んだ。さっきよりも威力を殺し切れていない。

「なんだいその粗末な力場は。たかだか数センチを支配するのがやっとじゃあないか」

「数センチをバカにするなよ! その差で俺はジェットコースターに乗れたり乗れなかったりするんだ」

 本筋から離れなければ反論できない。防いでいるから対等、とはとても言えない状況だ。

「身長制限か。それも君にとって越えられない壁には違いないが、彼らにもまた制限があるのさ。才能という壁がね」

 次の球体を弾くことで手いっぱいで、今度は何も言えない。

「自力では突破できない壁を、背中を押し励まして越えさせるか? 我々は明るく楽しい活動をしているわけじゃあないんだ。手を引いて進むとしても道は苦難でしかないのさ」

 下から当たってギリギリ上へ、球体を逸らすことができた。その分仰け反ってしまったが体勢はすぐに戻せる。

(今のでいくつだ。あと何個ある? 最初の数はどうだった)

 注視するだけでも気が散ってしまいそうだ。体を動かしているわけでもないのに息が切れて膝が痺れる。余裕がない。

「力量に見合う問題にだけ取り組んでいればいいのにムリヤリ鍛えて、より困難で深刻な壁にぶつける。そんなことをする理由はなんだい?」

 今度は下へ弾いてしまって、足元に炸裂し土を舞い上げた。視界が茶色で埋まる。

「理由? そんなもん決まってる。どんな壁も突破するのがヒーローだって、信じてるからだよ!」

 直感で腰を落としたところへ真正面に来た。一層強烈にベクトルの小手を強化して、土煙を破って現れた球体がを同じ軌道で押し戻す。

 微かにも返らなかった手応えは、完璧に衝撃を打ち返したことを意味する。

 ここへ来ての会心の出来に酔いしれる。そんな状況じゃないと、晴れた土煙の向こうを見て思い知った。

「『ヒーローとは、期待され信頼される者』。その部分、とりあえず半分は正解だ」

 おじさんの頭上に整列する球体がまるで減っていない。むしろ増えている。こっちが必死になってようやく返せるような攻撃でも、おじさんにしてみれば今見えているだけが力のすべてというわけでもない。

「……もう半分は?」

「『ヒーローとは、どんな壁も突破する者』、マコトかウソか。それはこれから君が証明すればいい。そうだろう、ヒーロー?」

 それは必ず果たさなくてはならない。

 なぜなら俺はモミジに期待されている。いつか必ず救うと信じられている。そのためだけに、不正解にするわけには絶対いかない。

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