第二十六話

 ヒーローに志願してから大体5年。トントン拍子でデビューしてからきっちり2年。他の誰より厳しく鍛錬し、誰にも負けない戦果を上げた。これは自惚れじゃないと思う。

 発見から幾千年を過ぎて未だに正体や技術のすべてを解明できないでいる不明文明の遺産であるヒーロースーツ、それを基に開発された新造スーツは成功例が少ない。そのひとつである業赤華を託された期待に応える活躍をしてきた実績がある。

 それなのにここであんな――オモチャ同然の教練用スーツに完敗した。これまでの栄光を泥に沈めるような醜態だ。

 でも悔しさはない。

 だって相手は赤仮面。引退したとは言ってもヒーローの中のヒーローだ。彼が言うことは必ず正しい。どんな酷評でも「そうなんだ」と納得できる。妄信と呼びたければ誰でも好きにすればいい。

 ただしそれ以外にも理由はある。

 ブンブンのフルパワーでも歯が立たなかったあの球状重力流構造体、アレを簡単に弾き飛ばされるのを目の当たりにした。昨夜までロクにスーツの使い方を知らなかった彼がそんなことをやってのけたのだから、「才能」というものについて考えずにはいられない。

 それでも悔しくはなかった。

(ああ……やっぱり、赤仮面は凄いなあ……)

 憧れしか湧かない胸の熱に浮かされていると、急に目の前の新生赤仮面が振り返った。

「お前さあ……『赤仮面には勝てっこない』とか、思ってないか?」

 彼に弾かれた球状重力流構造体が天井で炸裂して暴風が吹きつける。その騒音に紛れることなく、問いかけは驚きと共に耳に刺さった。

「そんなの当たり前じゃないっスか! だってあの赤仮面っスよ?」

「『あの』ってなんだよ、誰だよ。そこにいるのはただの性悪宇宙人だぞ」

 心底ウンザリしていると伝わる唸るような低音。強豪揃いの歴代赤仮面の中でも随一の戦士に憧れないなんて、そんなバカな。

 唖然として何も言えないでいると、咳払いで正気に戻された。先代赤仮面だ。

「まあ、大げさに膨らんではいるね。美醜を問わず、注目される過去とはそうしたものさ。君もそうなってくれたらと、彼らには宝石を磨く石ころになってもらいたかったんだが、見込み違いだったよ」

「なんでだよ。俺だってアンタに見込まれた覚えはないんですけど」

「僕が見込んだわけじゃあない。君が見込ませたんだ。おざなりな教育でも真なる才能は傑出するものだ。宇宙では自ら光るものだけが強く輝く。君はそうで、彼らは違う。そう、こんな風に――」

 先代の周囲にさっきと同じ構造体が浮かんだ。そして今度は間を置かずに迫ってくる。

 それをまた、新生赤仮面が弾き飛ばした。ほんの小さな、手の甲を覆った重力流だけであっさりと。

 いや、わずかに踵が沈んだ。完全に衝撃を流せてはいない。

「いいか、お前らの不親切な教官の代わりに俺が教材になってやる。しっかり見てろよ」

 赤仮面の基礎耐久力が薔薇仮面を大きく上回るとは言っても、今のはそういう防御の仕方とは明らかに違っていた。意図的な流力操作だった。

「お前らが戦ってるのを見て覚えたことだ。お前らにも必ずできる。俺とお前らの違いがあるとすれば、〝赤仮面〟を尊敬しているかどうかくらいなんだ」

 そう語る意味が『これができるようになりたければ、その想いを捨てろ』ということを含むのなら、できるはずがない。

「尊敬……するに決まってるじゃないっスか……。122代赤仮面と言えば、瞬間最大正義力ホルダー――最高のヒーローっス。救った星の数は、それこそ星の数なんスよ」

「その言い方だと『全部の星を救った』みたくなってるぞ」

「だって……アタシたちも……救われたんス……」

 思い出すだけで汗が噴く地獄。それを終わらせてくれたのが赤仮面だった。感謝して、憧れて、いわばその想いだけでここにいる。忘れられるわけがない。

「なるほど、そうだったのか。道理で赤仮面びいきなわけだ」

 攻撃の手を止めた先代赤仮面が首を傾げ、すぐ元に戻す。

「すまないがサッパリ覚えていない。救ったひとの数は、それこそ星より多いものでね。……まあでも、そういうことなのさ。ヒーローは心をエネルギー源にしてイメージで力を行使する都合上、誰かを理想にしてしまうとそれ以上は伸びない傾向が強い。雲の上の存在と認識するに連れて実力も溝は開くわけだ。だから僕は君に尊敬されないよう、配慮して辛く当たってきたわけだが」

「嘘つけ。俺はアンタが赤仮面やってたなんて知らなかったんだから、この場合関係ないだろ。この性悪宇宙人」

「これからも辛く当たっていくわけだが」

「チクショウ、誰が尊敬なんてするもんか!」

 新旧赤仮面のやり取りは、とてもヒーローの先輩後輩の間柄とは思えない。こんな風になんて、なれるわけがない。

「いいか、こんなもん理屈がわかればできることなんだ。精神論じゃなくて、技術的な問題なんだ。……でも精神論に関してなら、言いたいことがひとつある」

 そう言って新生赤仮面の指はアタシの腕の中を差した。

「お前が『最高のヒーロー』って呼ばなきゃいけない相手はソイツだろ」

 言葉に胸を刺されたような気になった。謝る気持ちで、強く、抱き締める。

「ブンブン……。そうだね、そうだったよね」

 あの日あのとき地獄の終わり。アタシを助けてくれたのは赤仮面だけじゃあなかった。



 夜空を見上げれば満天の星――とは言っても実際に星で宇宙が満たされているなんてことはない。無限に感じられるほど広大な分だけ、中身はスカスカの空虚。「ほとんどなにもない」と言ったほうが近いくらいに貧しい。

 物がない。そういう環境では人間も資源として扱われる。アタシたちも、そこではまさしく「物」だった。

 心のエネルギーを生み出す畑の一株として、枯れ草を刈るのと同等に軽く奪われる命として。産まれた場所がそこだったのか、それとももっと小さい頃に攫われて来たのか、なにもわからないまま定めのようにそこにいた。

 他の大勢の人たちと一緒に狭い場所に閉じ込められた人間畑で感情によって生まれる心のエネルギーを収穫される。苛烈な待遇に摩耗した心は最早痛みと苦しみでしか波立つことはなく、だから痛みと苦しみだけを与えられた。

 苦痛だけが続く日と日と日と日。その地獄はヒーローの登場によって終わった。敵性種を撃退し、施設を破壊してアタシたちを自由にした。

 ただ、永く強固に閉じ込められていた人々にとって「自由」は最後の正気を失わせる大事変になった。酸素を断たれた洞窟で脱出口へ詰め寄せるようなパニックが実際に起きて、余計な死者も多く出たらしい。

 でもまだ幼くて物心ついたときからそこにいたアタシには「解放」の意味がわからなかった。自分の境遇を絶望とも知らず、希望も信じていなかった。

 かと言って理解できたとしても、救いの手に縋りつくことはできなかった。だって手足に杭を打たれていて、自力では動けなかったから。骨と癒着を起こしかけていたとあとから聞いた。

 這うこともできないアタシは周りに誰もいなくなったことでなんとなく不安になっていたところへ、天井が崩れて落ちて来た。ヒーローの戦いでダメージを受けていたのと、逃げる人々が争ったせいだった。

 それでも大して何も思わなかった。どこかで途切れるはずの人生の、その「ぷっつり」がここなんだと受け入れた。

 そのときに現れたのが、ブンブンだった。

 アタシに向かって痙攣する手を伸ばし、瓦礫に挟まれて千切れかけた足が置き去りになるのも構わずに近づいてくる、何度か目が合ったことがあるだけの男の子。「助けに来た」と聞いたあのかすれ声を今も忘れない。

 自分で見捨てたアタシのこの命はこんなにまでして惜しまれるようなものだと理解できた。こんなになっても救ってくれるくれるようなひとがいるのだと、信じられた。

 アタシにとってのヒーローは誰かと問われれば、それは。

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