第二十八話

「では問おう。その力に、この力で、君がヒーローなるか否なるかの証明を」

 言葉の終わりに、すべての球体が同時に動き始めた。まっすぐに迫る直線上で重なって、ひとつ目から後ろは見えなくなる。

 同じ位置に連続で来る。受け損なって体勢を崩せば立て直す余裕はない。

(さっき上手くできたときと同じ――いや、それ以上じゃなきゃダメだ!)

 ベクトルの小手を固めながら、空いた左手に同じ形をベクトルで描く。そうして盾を備えた両手を頬の前で構える。ボクシング漫画で読んだピーカブースタイルだ。

 完全に白く渦巻く二つの力の塊は重なって黄色味を帯びた。

「これならイケるだろ!」

 激突音と閃光だけが縦続く。どうやら順調らしい、という感想は完結しなかった。

 飛んでくる球体の軌道が突然逸れた。上へ、右へ、左へ。それ以上に分裂して離れ、それでいて目標を忘れずに放物線で戻ってくる。

「こなくそっ――ああぁぁぁ!」

 すかさず盾を分離させても数が足りない。とっさに「これしかない」という確信を持って、盾の形は維持したまま、ベクトルを付け加えて球体目がけて打ち出した。

「ひとつ! ふたつ! みっつ――」

 撃墜したらすかさず次を用意する、その繰り返しの何度目か、狙いが外れた。

 身じろぎをするどころか声を上げる暇さえなく、頭上からの一撃で地に伏せる。

「僕が君に才能を認める理由は、そういうところだよ。君はいちいち驚かない。出来事の一つ一つにすぐさま対処しようとする。でも今回は追いつかなかったようだね」

 無敵のスーツを着ているのに、内臓がズタズタに裂かれたように痛んで悶える。

(ダメだ! 次が来るんだ備えなくちゃ……)

 体の自由が利かなくても心さえ働くなら、ベクトルでムリヤリ支えて立つことはできる。そもそもベクトルを操作するだけなら寝たままの姿勢でも構わない。

 そうとわかっているのに、少しも集中できなかった。ベクトルの盾は渦を巻いてもすぐに弾けて消える。

 おじさんが俺を殺すはずがないとか、これは訓練のはずだからとか、そんなことは関係がない。

 このひとに好きなように弄ばれて心まで屈服することが死ぬほど悔しい。このひとのワガママに振り回されているモミジを救うには、絶対にそれに慣れるわけにはいかない。

 なのに、どうしてもうまくできなかった。

「さあ、次はどうする。可能性を見せてくれ」

 小さな力が放たれる。地面を抉り取って吸い込みながら近づいてくるその攻撃を止める手立てを持たない。

 持たないが、心配はなかった。

「ったく……待ったぜ」

 目の前に立つ赤と緑の二つの姿。薔薇仮面のふたりが立ちはだかって球体を止めている。二人の掌に挟まれた所に浮かぶその形は天球儀でも銀河でもなく、薔薇の花だ。

 花弁の中心に捕らえられた球体が発光して消える。

(俺の防ぎかたより……ずっと高度だな)

 弾いて凌ぐ苦し紛れとは違って、完全に掌握して押し潰した。遥かに強大な圧力だからこそ可能な荒業だ。

 花弁を更生するベクトルが解け、茨となってふたりの腕を伝う。そうすると元々ドレスの趣があったスーツが更に豪奢に変わった。

「空を仰ぐばかりが花と侮るならば目を見張れ」

「花弁と茨の薔薇仮面。いざ雲上に、挑ませていただく!」

 堂々とした名乗りが終わったるやいなや、周囲の景色が一変した。そこら中を――いや、天井に至るまでこの地下空間すべての地面が茨に覆われた。そして花が咲き、散って花弁が舞う。

「目眩ましかい? 小物が使いそうな手だ」

 おじさんがエネルギー天球儀を放った。強引に切り開くつもりらしい。

 だが、そうはいかなかった。天球儀は花弁を巻き込んでいくつかの輪が消滅、デタラメな方向へ飛んで行った。花弁のひとつひとつにベクトルの力が加わっている。そしてそれは舞う動きのごとく、特定できない。

「トゲ仮面はさ、茨をベクトルで自在に操るなんて器用なことをずっとやってたんだ。ベクトルのコントロール自体は多分おじさんより上だよ」

 不安を感じない理由はそれがひとつ。他にもまだある。

「それとコイツらはコンビだ。自分の安全より相方を気にするくらいだから、力を合わせることが不得意なはずない。ホラ見ろ、寄り添うどころか絡み合ってやがる」

 薔薇仮面のふたりに注意を戻すと、前後に位置を変えトゲ仮面が花仮面を後ろから抱きしめていた。

 もちろんイチャイチャしているわけではない。昨日喰らった突撃技の、それを進化させたものを準備している段階だ。

 思えばあれはベクトルの重ねがけに近いものだったから、薔薇仮面にとって決め技足りえたのじゃないだろうか。

「さあ、いつでもいいわよ。アンタは好きに、存分にまっしぐらで構わない。どんな壁でもどこまで行ってもアタシが背中を押して、頂点へ届けてあげる」

 剣を研ぐようにふたりの集中力と力の凝縮が高まっていくのをビリビリと感じる。

 そこへおじさんの嘆息が水を差した。

「バカな。この状況でいつもの突進ができるはずがないだろう。コンビネーションは封じられているよ」

 確かに見渡す限りの花弁で、このデブリの宇宙を進もうとしても普通なら乱反射してうまくいかない。

 だがその普通がこのふたりにも通じると考えるなら、それこそ『バカな』だ。

「ふふっ、アタシがブンブンの邪魔をするがワケないでしょう?」

「一撃で決める……! チャージッッ!」

 轟音と噴煙が花びらを押し流し、花仮面が発射された。光の筋を引きながら、まっしぐらに標的へ向かっていく。花弁はその邪魔をしないどころか、むしろ加速させているようにすら見えた。

 その先でおじさんも迎撃を始める。

 おじさんを中心として何重にも発生した天球儀が外へ広がっていく。花弁に触れて弱められることも厭わず、次々に新しく現れては拡大していく。層の厚さで受け止めるつもりらしい。

 だが、その抵抗も止まった。

 天球儀に茨が絡みついていて動きを抑えている。遂には輪を動かし、大きく空間を開く。そこは花仮面の進路だ。

 なにもかも上を行った。彼らの憧れた伝説に大輪が届いた。

「いっけぇーっ! アタシのヒーローを喰らえっ!」

 トゲ仮面の絶叫が届くより早く、花仮面がおじさんを捉える――はずだった。


「まいった」

 おじさんは一言残し、変身を解くとベクトルの支えを失って落下する。

「えっ」

 意表を突かれた花仮面はそのまま通過すると花弁に触り、直進の軌道を変えられあっちこっちへ飛んだ挙句茨の海に沈んでいった。

「オイオイ、相棒が沈没したぞ。ちゃんと導いてやらないと。あーあ、アレ痛いんじゃないか?」

「えっ……? だって、『まいった』って……。は? なにソレ!」

 トゲ仮面も混乱のさなかにいる。呼びかけたのに身振り手振りを激しくしてパニックの見本を実演しているかのようなありさまだ。

「落ち着けって、言葉のまんまだよ。あのひとには意地になって勝つ理由なんてないから気軽に降参できるんだ。こっちはとことん痛めつけてミンチにしてやりたい気持ちでいっぱいなのにな」

「うーん、アタシたち別にそこまでは……」

 ドン引きしたトゲ仮面は一気に落ち着きを取り戻した。まったく狙い通りだ。

「いや、凄まじいね。これだけの処理を全部ひとりでやっていたのかい。やられたよ。さっきの突撃のを避けずにいたら僕はミンチになっていたよ」

 おじさんが近寄り声をかけてきた。テカテカの司令服の襟を整えつつ、浮かぶ技術椅子でスーッと平行移動してこっちに来る。

「この星ではお世話になった同門の先輩に勝つことを『恩返し』と呼んだりするけれど、あまりミンチにはしない」

 そう言うおじさんだって薔薇仮面をミンチにするつもりのように見えた。なのにいつも通りの真顔が腹立たしい。

「……いや、するよ。この星では恩返しとして年長者や上役をミンチにします。だからホラ、早くやっちまってくれ。ご当地の風習にのっと――うぉっと」

 トゲ仮面をそそのかそうとすると花仮面が戻って来るなり頭突きを喰らわされた。そのまま額が離れず上から威圧される。

「ならばまずは貴様を血祭りにしてくれるわ。赤仮面は薔薇仮面の上役だ。外しては礼を失するというもの」

「嘘です。地球は明るくてアットホームな星だよ。地球にようこそ」

「えっ、嘘なんスか!? ああっ、すいませんっス! アタシったらなんてことを!」

 向こうで顔面を締め上げられていたおじさんも茨から解放された。

「いやあ、僕は確かに君たちを侮っていた。まあ引退ヒーローのやっかみとでも受け止めて気持ちを納めてくれたまえ」

 何事もなかったかのような涼しい顔で立ち上がる。動じなさで言ったら俺よりこのひとのほうがよっぽどじゃないだろうか。

「死? 死んでお詫びを? でもそれってヒーローとして正しい?」

 トゲ仮面のほうは酷い状態だ。今にも茨で首を括りかねない。

 おじさんがその様子を眺めてフムと頷き、顎から手を離すとトゲ仮面の肩をポンと叩いた。

「君が俯くことは宇宙にとって大きな損失だと心したまえ。百二十二代赤仮面がそれを保証する。薔薇仮面、君たちはヒーローだ」

 その瞬間変身が解け、トゲ仮面――朝露キラキの素顔が露わになった。また違うマスクをしているのではと見間違うほど顔が紅潮している。

「は、ハイぃっ! あびがとうございます!」

 殿堂入りのスーパースターからルーキーへの労い。そういう場面なのだと思う。変身と同時に花弁の空は晴れ、茨の海は引いたというのにまた花が咲き種類を変えた涙がワっと溢れ出している。

 一方、相棒に合わせて変身が解けた花か花仮面のほうも目に涙が浮かべていた。ただしこっちは頬が強張り、思い詰めた顔つきでの涙目だ。

 思えば花弁の空はトゲ仮面の技、茨の海ももちろんトゲ仮面。花仮面のほうは進化したベクトル操作を体得できなかったんじゃないだろうか。

 結局はなにもかもをトゲ仮面が持って行った。相棒に頼り切り踊らされるかのようでは勝利の美酒も苦いはずだ。特に、男の舌には。

 直視はしないよう目の端で涙を拭う動作を感じながら、同じ味を奥歯で噛み潰した。

(この悔しさに慣れるな。多分それが必要なことだ)

 新しい宇宙人との出会い、そして新しい力の使い方。この変化はきっとなにか恐ろしい出来事の引き金になっている。

 なぜならおじさんがヒーローとの戦い方を訓練したということは、必ずその実践があるという意味を持っているからだ。


 おとなりエイリアン 前編 完


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