第二十二話

 照山家地下、巨大空間。その名は赤仮面秘密訓練場――らしい。明らかに照山家の敷地を越え八十八家の地下、それどころか町のほとんどが含まれている。

 丸くくり抜いたむき出しの地面には壁や天井の区別がなく遠近感が掴めない。そして地下だということを忘れるほど明るい。

 摩訶不思議な光景ではあっても、実際そこにいてこうして地面にめり込んで埋もれていれば存在を否定しようがない。

(ここに移動して、変身して……いきなりかよ)

 待ちかねたとばかりに花仮面に殴られてこうなった。体が「く」に挟まって身動きができず、遠い出口の穴を寂しく見上げる他にできることがない。

「おーい大丈夫っスかー? あ、思ったより浅い」

 差し込む光を遮ってトゲ仮面がこっちを覗き込む。マスクの下で唇が楽し気に横へ伸びていて腹立たしい。

「深いよ! 落とし穴なら殺意が認められるレベルだよコレ!」

 つい反論が口をついて出る。しかしそんなことはどうだっていい。

「今すぐ外の様子見に行ってくれよ! きっとエラいことになってるぞ」

 これほどの穴が空くほどの衝撃だったのだから、相当強い地揺れが起きたはずだ。となるとリフォーム済みの照山家はともかくボロの八十八家は心配になる。帰ったら爺ちゃんが精魂込めて作った壷みたいにひしゃげているかもしれない。

「ウチが潰れてたらお前らがちゃんと建て直せよ? そうじゃなきゃ俺の部屋は犬小屋が用意されて『充分入るだろ』って家族にからかわれるんだからな!」

 そのひとボケがどんなに俺の心を抉るか、それがわからないと見えてトゲ仮面は気楽に笑った。

「地上なら大丈夫っスよ。ここは基礎空間と位相をズラして物質面での接触を断ってあるんで、星ごと壊すつもりで大暴れでもしない限り、外部へは伝わらないんス」

 ツタがスルスルと伸びてきて手首に絡み、穴から引きずり出される。その間耳に入ってきた魔法的科学についての解説は右から左へ抜けていく。

「なに言ってんだかサッパリわからない。〝中学校の理科〟の範囲でまとめて」

「えぇっと……『物体A』と『物体B』を繋ぐものがない状態で、Aに電流を流してもBには伝わらない――っていうコトっス」

 だいぶわかりやすくなった。空間として完全に独立しているということらしい。崩落の心配もない、と安心していいのだろうか。

 こんな場所が普段生活している足の下に隠されていたのかと最初驚いて、なんと「昨日作った」と聞いて更に驚いた。薔薇仮面来襲の報せを聞いて逃げたように見えたおじさんはずっとここで土木作業していたらしい。

(慌てて作ったっていうトコは心配だけど……。いくらおじさんでも自分の家の下に危険な施設を作ったりはしないか)

 天井が抜けたり事故でも起きれば娘のモミジが被害に遭いかねない。その点だけで安全については信頼できる。

 となれば次には自分の安全が気になった。

 この空間の名前が「赤仮面秘密訓練場」というところからもわかるように、おじさんには俺をホンモノのヒーローとして鍛える目論見があるらしい。ヒーロースーツを受け継いだ、言わば弟子という立場なのでなにもおかしなことはない。

(もし『弟子じゃない』って否定したらスーツの不正使用で犯罪になるなんて……逃げ場が無いだろ……)

 このままではおじさんの思惑通りにハマってしまう。掌ダンスフロアから降りたければ訓練をマジメにやらずに「ヒーローに向いていない」と印象づかせるという手段が考えられる。

(いやでも八百長をやろうにも教官がコイツらじゃなあ……)

 穴から抜け出たので立ち上がりながらトゲ仮面に目をやる。掌を合わせてユラユラとワカメ踊りをしている。行動の意味はともかく嬉しそうだ。

「それにしても感激っスよ! 伝説の赤仮面様に手ほどきができるなんて、赤系ヒーローとしてこれ以上の名誉はありえないっス!」

 ひとりはこの女、茨の薔薇仮面。勝手に「トゲ仮面」と呼んでいる。本名は中学生を装って接近してきたときに名乗った通りの朝露キラキ。赤仮面のファンらしく友好的ではあるが、そのせいもあって頻繁に態度が変わるので性格を掴みづらい。

(まあ、コイツはとりあえずいいんだよ。問題は……)

 強い存在感に気を引かれて視線を上へ向けると、そこには俺と同じ赤いマスクの全身タイツが宙に浮かんでいた。密閉された地下だというのにマフラーをバタバタと靡かせ、腕組みのポーズで見下ろされている。威圧感が尋常じゃない。

 花弁の薔薇仮面。勝手に「花仮面」と呼んでいる。本名は朝露ブンブン。こっちも赤仮面のファンとのことだが、先代への思い入れが強く当代に対しては失望が強いようだ。そのせいで風当たりが厳しい。風当たりというよりは隕石群だが。

「ああ……赤仮面を指導するなど身に余る名誉だとも。あまりのプレッシャーでどうにかなってしまいそうなほどにな。……こうなれば貴様をどうにかしてしまって、頭の中と現実のバランスを取らずにはおれぬ……」

 声は暗く震えていて、冗談の空気は毛ほども感じられない。

「ホレ見ろ! 完全に『死ぬがよい』なテンションじゃないか! さっきの生き埋めパンチだって明らかに昨日より本気だった! アイツは俺を殺す気です!」

 こんなにも懸命に訴えているのに、トゲ仮面に気にした様子はまるで生まれない。

「ウフフ――なんだかんだ言ってアイツも赤仮面のファンっスからね。『張り切るな』っていうほうがムリな話っスよ! ここは全力で応えてあげてほしいっス!」

 マスクの向こうで瞳が輝いている。〝憧れのヒーロー〟を前にして興奮しているようだ。マトモに話をできる状態にはないだけに、このままでは流されてしまう。

「ねえ、頼むから落ち着いてよ。初心者講習をやるんなら最初は『ヒーローはじめて物語』みたいなビデオ学習からにしてほしいんだけど」

「いやー、アレ使用料が高くて……エヘヘ」

 「ホントにあるのかよ」と呆れた気持ちで見つめていると、トゲ仮面は照れ笑いを消して元気よく飛び跳ね始めた。

「さあ! 予算もロクに出してもらえないようなルーキーなんてブッ飛ばせ! フレッフレッ、ふぁっいとー赤仮面♪」

 ここでまさかの声援。器用にツタでポンポンまで作ってのチアダンスだ。

「やめろぉ! これ以上アイツを刺激するな! アンタが俺に肩入れするから、余計にこじれてるんだろうが!」

 花仮面から敵視を超えて憎悪されている理由はそれに間違いない。だというのにトゲ仮面には気にすることなく浮かれている。

「そんなに不安にならなくっても、昨日押し勝ったじゃないスか? さっきのも防御できてたからあんまり深く埋まらなかったんだし、攻勢に転じれば勝てるっス!」

 スーツの露出がやたらと高いせいで動く度に「トゲ」の名前に見合わない丸い膨らみが激しく揺れている。

「なんてド迫力だ! これはモミジにもムリだな……おっと」

 おっぱいに目を奪われている場合ではなかった。頭上の気配が威圧感を増している。

「我が同胞のなんと情けない姿か。……おのれ、赤仮面! これもすべて貴様が悪い」

 怨念渦巻く恨み節が降ってきて背筋を寒気が突き抜ける。なんとか平和的に矛を収めて貰わなければ命が危ない。

「ええっと、いや違うって。今のはスケベ心よりも『どひゃあ』みたいな気持ちで見てただけだから、俺悪くない」

「黙れ! 我が同胞のおっぱいに魅了されぬ者など、この世にどこにもいるものか!」

「同胞をどういう目で見てるんだよ」

「死ぬがよい」

「わっ、とうとうハッキリ言った」

 花仮面の掌がこっちを向いた瞬間、直感が身震いを起こした。有限実行されたくなければ今すぐ動け。

(昨日と同じ押し潰しが来る! ――どうする?)

 また力づくで押し返そうとしても相手は上級者なのだから同じ手が通じるとは思えない。ここは別の道、避けるべきだ。

「川の向こう岸に向かって泳ぐイメージで……横へ抜ける!」

 早速圧し掛かってきた殺人重力の中を横へ跳び、半身は地面を擦りながらもなんとか抜け出した。

 止まらずそのまま移動を続けて距離を開く。足先が地面からほんの少し浮いた空中水平移動だ。

(よし……飛べる!)

 飛ぶだけなら昨夜の時点でもできていた。ただし力をコントロールできずにブッ飛んだに過ぎなかったあのときと違って、今は安定している。


 ~ベクトル操作で空を飛ぶ方法~


手順1 ヘソの辺りから発生させたベクトルをメインの推進力として使い、進む方向と速さを決める。

手順2 進む向きを変えたいときは手順1の《メイン》を維持し、別にベクトルを足すことで方向転換する。掌で押すイメージをして適時ベクトルを噴射すると安定しやすい。


(――みたいにやればいいんだろうけど、実際そんな余裕ないって!)

 足元へ目をやると地面に穴が空くのが見えた。通り過ぎたそばから次々と増えていく様子は、まるで見えない怪物の牙に追われているかのようで一瞬ゾッとする。

(冗談、アイツの攻撃に決まってる)

 ベクトル操作でできることを考えれば、これがなにかは想像がつく。

 地面を深く押し固めて穴を作るほど強力に研ぎ澄ませた重力の投射。いわばベクトルの矢だ。

「そもそも貴様さえ強ければこんな屈辱は味わわずに済んだのだ。赤仮面を恨ませるなど、万死に見合う罪と知れ!」

「ゴメン、今ちょっと会話する余裕がないんであとにしてもらえないかな!」

 逃げているうちに段々と穴の空く間隔が短くなり距離も近づいてきた。続けば悪化するだけのマズい状況だ。

(土煙とか水中なら攻撃の軌道が見えるようになるけど、これじゃ速過ぎて反応できるわけない! ああもう、このままじゃ追いつかれる!)

 加速して逃げたくてもこの丸い空間ではスピードが出せない。慎重に曲がりながら進まなければ平行移動しているつもりで湾曲した壁にぶつかってしまう。

(かと言って内側に切り込めば、アイツに向かっていくことになって狙い撃ちだ! そうだ、だったらいっそこうしてやる!)

 一度掌から強くベクトルを噴射して身を翻し、背中を壁に向ける。そして全力での加速。当然壁にぶつかったが、それでも構わずにベクトルを強める。

「うおおぉぉ――なんか昔こういうプラモで遊んだなあ!」

 壁に押されることで強引に軌道を修正する。これで速度を上げることに成功した。スーツのおかげで痛みもない。

 加えて姿勢も安定し視界の中心に花仮面を固定できている。狙いはうまくハマった。

「決めちゃえ赤仮面! ヒーローのパワーは《スーツの格》と《心の強さ》で決まるんス。キャリアは問題じゃないっスよ!」

 トゲ仮面の呼びかけは警戒されるのでここでは余計だが、内容は自信をつけられるものだった。

(どうせ不意打ちなんてできやしない。思いっ切りやってやる!)

 未だ追ってくるベクトルの矢の対応策はわからない。ただし、こっちも同じことができることは知っている。

 目標の上から下へ連続する無数の力をイメージして、指を全力で振り下ろし――叫ぶ。

「レッド・スコール!」

 降り注ぐベクトルの群れは花仮面を飲み込み、地面を叩いて噴煙の中に隠した。効果は確認する迄もない。

(……これじゃダメだ!)

 絶望的に手応えがなかった。確かにベクトルの雨は発生したが地面を叩いただけ。窪みひとつできていない。

 そもそも煙が立っていること自体おかしい。強烈な重力を放ったのだから、本当なら宙に散る砂の粒もまとめて地面に押し付けているはずだ。こんな風に土煙なんて起こるはずがない。

「う~ん、発想は良かったっスよ!」

 遠くから大声で、トゲ仮面が呼びかけてくる。

「でもベクトル操作は基本的に遠いほど減衰するんス! 更に自分の体から離れたところが起点だと覿面に弱くなるんで今回の場合はこの通りっスね」

 解説はありがたいがどう考えても遅い。

「そういうことは先に言っといてよね? なんかテンション上がった勢いで必殺技みたいに叫んじゃったのに余計カッコ悪い!」

「ヒーローあるある! そーゆーもんスからドンマイ。決まってればカッコよかったっスよ!」

 トゲ仮面のフォローがかえって辛い気持ちは頭の隅へ追いやって身構える。次に備えなくては羞恥心に関係なく穴へ入ることになる。

「近くて短いほど強い力が使えるんなら、一番有効なのは肉弾戦……だろ? ホラ来た! あーもうヤダ!」

 土煙を吹き飛ばして花仮面がまっすぐに突っ込んでくる。

「貴様をカッコよくなど、させるものか! 我が同胞が羨望を向ける相手は我だけでよいのだから!」

「勝手に三角関係みたいにしないでくれる?」

 とにかく回避の一手で反射的にベクトルを噴射すると体がデタラメに飛び上がった。上も下もデタラメでわからなくなる。

(うわ、なんだ……コレ)

 乱回転の最中に、奇妙な物を見た。光の帯だ。追ってくる花仮面が光を纏い、その輝きが宙に軌道を描いている。

 爺さんがコンロの火にかけておいて忘れたヤカンを思い出した。見つけたときには中身の水はとっくに蒸発して、それでも熱せられ続けた金属はバキンバキンと謎の音を立て火花を発していた。

 音や光となって漏れ出すほどに漲るエネルギー、それが迫ってくる。

「こんなのマトモに喰らったら――」

 ひとたまりもない。予感と体感はほぼ同時にやってきた。


 一度粉々に砕け、或いは完全に押し潰されたように感じたのは錯覚だった。しかし痛みは現実で、信じられないことに自分がまだ生きていることを教えている。

 痙攣する手足は勝手に外へと突っ張って伸びきり、大の字に転がっている。喉が詰まって呼吸もままならない。

(これじゃどっちみち死――?)

 体が跳ねて後頭部を打つほど強く咳き込むと視界に赤い飛沫が飛んだ。舌に触れる滑りは血の味。息はできるようになっても絶望的な気分が強まった。

「どうした、さっさと立つがいい。宇宙は貴様の都合を待ちはしない」

 こっちは吐血までしたというのに、花仮面は敵意を収める様子もなく仁王立ちで見下ろしてくる。

「こんなものが赤仮面とは……笑い話にもならんな」

 言葉を返す気力もなく黙っていると動かない体が勝手に起き上がった。手足は伸び切ったまま吊るされるように浮く、明らかなベクトル操作だ。ただし自分ではやっていない。

(……磔にされてる気分だ)

 かと思えば着地して、体を支えていられず膝に手を付くと自然足元に目が行った。血だまりができている。

 スーツを通り抜けた血がところどころ固まり赤黒い模様を描く、グロテスクな苺ジャムだ。こんなもの直視したくはない。

 かと言って首の向きを変えることさえもキツくて仕方なく瞼を閉じると、急に横手から賑やかな声が聞こえた。

「フレッ・フレッ・赤仮面! 一回避けたときの動きはテクニカルで良かったっスよ。この調子なら次はイケる!」

 トゲ仮面が何事もなかったかのように応援を続けている。この半死人を相手に、どういう神経をしているのか。

(そっか、こいつらって《宇宙ヒーロー》なんだよな……)

 血反吐を吐いて倒れる程度は気にもならない些末事。そんな風に慣れてしまうほど宇宙は荒んでいるらしい。


『宇宙の事情なんて知ったことじゃない』


 そう吐き捨てて他人事で片付けることは、どうしてもできなかった。

(だって……好きな相手が宇宙人なんだもんなあ……しょうがないよな)

 すべての行動にそれ以外の動機はなく、すべての選択にそれ以外の目的はない。

 自分の出発点を再確認したら急に力が漲ってきた。体を起こし、胸を張る。

「さあ、続きをやろう。……ただし、お前たちの全力でかかって来い」

 唐突に言ったのでトゲ仮面は呑み込めずにいるようだ。戸惑っている。

「え、全力ですか。……ホントに? いや、昨日だって別に手を抜いたわけじゃないですけどないスけど……大変なことになるっスよ?」

「構わない、やってくれ」

 俺にとってラスボスはずっとおじさんで、宇宙のスケールが相手だとわかっていたのにずっと自分の都合で生きてきた。いつかモミジと平和に暮らしたいと願って、願うばかりだった。

 ここで自分の中の甘えを叩き直す。そのためならこれ以上死にかけることも、必要な儀式と言える。少しずつ実現させる目標ではないから身の丈に合わせた努力では足りない。

「お前たちの全力を、お前たちの流儀で、来い。……なあ、『宇宙は待たない』のだろう?」

 振り返って仰ぎ見ると、トゲ仮面と違って花仮面のほうは見るからにやる気で満ち満ちている。

「こちらは元よりそのつもり、何も変わらぬわ、愚か者めが」

 その横へトゲ仮面がついと空へ浮いて並ぶ。

「久しぶりにアレをやるわよ」

「なにっ、正気か? それはさすがに……」

「口答えしない! こっちは赤仮面の《ヒーロー口調》も聞けてテンション上がってるんだから、早くなさい」

「ええい、知らんぞ!」

 よくわからないやりとりがあって、ふたりが掌を重ねて叫んだ。

「ポーリー!」

 ふたりのスーツが膨らんで光ったかと思うと、一瞬にして姿が変わっている。茨で鎧をまとったような形状だ。迫力がさっきまでとは段違いで震えが起きた。

「それじゃあリクエスト通り、全力で!」

「我らの流儀で……叩き潰してくれる!」

 これは想像以上に盛大な儀式になりそうだ。

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