第十三話
じれったい気持ちで午後の授業を過ごし、下校のチャイムが鳴ったら即通学路を駆け抜けて我が家でなく隣の照山家に飛び込んだ。昼休みからずっと緊張しっぱなしのモミジは空気を読んで自室へ。俺は書斎でおじさんを向かい合う。
「アンタ一体なにがしたいんだ?」
この時を待って悶々と過ごす間に疑問よりも怒りのほうが大きくなって、質問ではなく単に不満をぶつける物言いになってしまった。
おじさんの眉が上がる。
「藪から棒とはこのことだが……さては未来について知りたいのかい。知的生物らしい、良い質問だ。だが答えは単純さ。目的は平和、手段は正義。以上だ」
こんなときにまで芝居がかった動作で、回答もたわけている。まるではぐらかそうとしているかのようだ。
いつもなら諦めるかもしれないが、今回ばかりはそうもいかない。
「学校に変なヤツが来たんだよ。まるでヒーローみたいな全身タイツの変態が!」
「……なに?」
またおじさんの眉が動いたが、今度は芝居には見えない。形だけはよく動くこの無表情が、今初めて死んだ目に感情の色を宿したのを見た気がする。
「色は、何色だったかい」
「赤だよ。しかもアイツ名乗らな――」
おじさんも普段うるさく言っているヒーローのお約束を守らなかった。そう続けるつもりの報告は、ところが届かなかった。突然足元の床に円い穴が空いておじさんはその中に落ちていったからだ。
「えっ? ちょっと何、赤じゃダメだったんですか。何色だったらよかったんですかー! ちょっとおー!」
穴はすぐさまピシャリと閉じて普通の板張りに戻る。叩いて呼びかけても反応はない。
なんとなく、今見たのは「緊急脱出装置」だったように思えて、胸がザワつく。
もしも単純に俺がなにかマズいことを言ったのなら落ちていたのは俺のはずだ。そこを考えても、おじさんは逃げたとしか思えない。
「ちょっと待てよ、なんかヤバいならアンタにいなくなられると困るって!」
もう一度穴を開いて追いかけたいものの、スイッチの類はいつもおじさんが手をかざすと忽然と現れる。それがどういう仕組みになっているのか、今までにも「見破ってやろう」という気持ちで真剣に観察したことはあるがまったくわからなかった。見る限り、この部屋はただの書斎だ。
それでも一通り漁って、特になにも見つけられずに諦めて部屋を出る。あの様子ではおじさんが自分から戻ってくることはなさそうだ。
(これからどうすればいいんだ? 俺って割となにもできないぞ。すぐ爆死するし)
ため息を鼻から抜いて気分を変える。廊下を見渡すと、モミジが部屋の扉を浅く開いてこっちを覗き見ていた。小さく手招きしている。
「八十八くん。ちょっといいですか」
よそよそしい物言いにギクリとする。
「え、なにその呼び方。『八十八くん』なんて今まで一度も呼んだことないだろ? なんなの、寂しい! 昔は自分のこと八十八家の子だと思ってたくせに、やめろよ」
「そんな前のことはいいんですよ。いいから、少し時間いただいてもいいですか」
続く自己主張に腰が引ける。
モミジは妄想かパニックで取り乱しているときでもなければ言いたいことがあってもじっとタイミングを待つ。普段こんな風に自分から積極的に呼びかけるようなことはしない。この有無を言わせぬ強引さは美容院と試着室に入るときくらいにしか発揮されないものだが、この他人行儀は一体なんなのか。
(あ……そういや『名乗らないマン』のせいで忘れてたけど、怒らせてたんだった)
モミジが赤仮面に乗り換えようとしている、そんな風に疑った。
(そうじゃないって証明するために正体をバラして、死のうとしたんだよな。……俺がそこまで追い詰めた)
少し近づくと確認できた。いつも怯えて下がるばかりの眼尻が今は上がっている。なるほど怒っているようだ。
「どうして来ないんですか」
廊下の途中で立ち止まっていると手招きが激しくなった。「怒っているから怖い」とは本音を明かせない。
「えっと……。ハイ、行きます。おじゃまします」
気後れしながら部屋の中に入ると、テーブルにお茶とクッキーが用意されていた。
もてなしの支度が整えられている――とも受け取れるが、向かいに正座するモミジの面構えを見る限り、整っているのは修羅場のようだ。「徹底的に話し合いましょう」と目が冷淡に語っている。
(どうしよう。今すぐ謝ったほうがいいか? 俺とふたりのときにまで怒ってたら、モミジは気が休まる隙が無くなっちまう。でもヤダな。謝って自分が悪いことを認めるのはいいけど、それで嫌われたらイヤだなあ……)
心構えが定まらないまま座る。一応、いつでも頭を下げられるようにテーブルとは間隔を空けた。
「そこじゃないでしょ」
急に言われて、謝るつもりでいる心の内を見透かされたような気になった。悪ければ「さっさと頭下げるだけ下げて問題の本質はうやむやにしてしまおう」と受け取られてしまったかもしれない。この険悪さならありえる。
「いや、そうじゃなくてモミ――」
「いいから」
「ハイ」
今日のモミジは迫力が服従させる迫力が凄い。さすがあのおじさんの娘だけはある。
仕方なくテーブルに詰めて座る。
「あのなモミジ。俺は――」
「そこじゃない」
もうわけがわからない。混乱して部屋の前に下がったり、ベッドの上に乗ってみたりしてみたものの、どこでも「違う」と認められなかった。
(自分で部屋に呼んどいて、なんなんだよ! これもうなんかの罰ゲームが始まってるのか? 俺も床の穴に落ちたい)
どんどん悲しくなってきて泣きそうになっていると、ふと違和感に気が付いた。
モミジの眉が普段の位置に戻っている。それどころか、さっきの凶悪犯を見下ろす裁判官の冷ややかさは消え失せて恥ずかしそうに顔を俯かせていた。
「……そこじゃないよ」
繰り返される言葉にはもう怒気を感じない。もしかするとこれまでの態度は怒りたかったわけではなく、別の覚悟があったせいかもしれない。
落ち着いてよく見ると、最初に俺がそうしたようにモミジもテーブルと間を空けて座っている。
(もしかして……そこに座れってか? でもかなり勇気がいるぞ)
ドキドキしながらモミジの前に膝を付く。普段ならなんでもない距離感ではあるものの、さすがに今は緊迫した。
「……反対向いて」
また注文がつく。しかし今までとは少し違った。
(第一段階はクリア……って思っていいのか?)
大人しく従うと肩を掴まれて体が後ろへ倒れ、とすんと後頭部が柔らかいものに触れた。モミジの胸だ。モミジが俺にのしかかっている、というより俺が膝に乗せられている。
「えっ、なんだ急に」
返事はなく、ぎゅっと抱きしめられてますます体が密着した。おっぱいに挟まれて首が動かせない。どうしていいかわからずに体も思考も硬直する。
一方モミジの体も強張っていた。いつもの萎縮とは違う、多分俺が味わっているものと同じ種類の緊張によるものだ。どうやら怒っていたわけではないらしい。
「あのね、大切なこと伝えてなかったかもだから、ちゃんと言っておくね」
囁き声が耳元をくすぐる。
「……私、タカくんが好きだよ」
知ってた――と強がりたいところだが、昨日不安になったばかりなので勘違いではなかったことにほっとする。
幼馴染は恋愛に発展しにくいと何かで聞いたことがある。しかし幸いにして俺たちには家族と思い込めない決定的な違いがあった。幸いで、最悪な違いだ。
「私、タカくんが好き。いつか入れ代わられた地球人がみんな戻って来ても、今のタカくんにそのまま残ってほしいと思ってるよ。……地球人の〝本当のタカくん〟には悪いんだけど」
モミジは宇宙人と地球人が入れ替わったと思い込んでいるので、元に戻ったあとのことを心配しているらしい。指摘はできないが、そんな心配は要らない。
そんなことよりも、正式に気持ちを聞いたのだから、こちらも想いを返さなくてはいけない。この気持ちだけはおじさんに強いられてもモミジの妄想に曲げられてもいない真実の告白だ。
「ああ、モミジ。俺もお前のことが――」
「タカくんにとって私は『珍しいペット』くらいの感じなんだろうけど、それでもいいよ」
言葉は途中で遮られた。しかもとんでもない内容で。
「ぺぺぺぺ、ペットぉ?」
異星人の権利を主張する活動家。そうではなく、珍獣好きと思われていた。昨日はそんなモミジに欲情して、一体どういう性癖の持ち主だと想像されているのか。さすがにそれは訂正したい。
「俺はお前のことを対等な異星人だと思ってるよ! そのうえで好きだよ!」
互いに気持ちを打ち明け合う素敵な場面のはずが、余計な一言を付け加えなくてはいけないせいでロマンスなんて欠片も感じられなくて悲しい。
「ほんとぉ? いっそタカくんの財産ってことにしてもらったほうが安全な気もするんだから、ムリして
顔を見ようとしてもガッチリ捕まっているので、モミジの様子はわからない。なんとなく妄想状態と同じ混乱の最中にいる気がする。こうなったら一旦全部吐き出させてから、そのあとで話をしたほうがよさそうだ。
「ごめんねタカくん。私、変なこと言うかもしれないけど、聞いてほしいの」
そういう了承を挟まなければいけない関係にあると、それを知らされたことがなんだかショックだった。だがそれは身勝手な感想だ。俺たちの間には嘘もあるし秘密もある。
思えばモミジとはあまり真剣に向き合ってきたとは言えないかもしれない。ずっと秘密を持ち、妄想を流してきた。
一般の恋人同士でも「言葉にしなければ伝わらない」ということはあるだろうが、モミジは立場が特殊だ。生命の危険レベルで不安を感じている。
(モミジは俺を直接呼びつけたりしないとか思ってたけど、それって俺がそういうことを許さない態度でいたからじゃないか……? ハハ、まるでおじさんと同じだな)
積もりに積もったストレスが爆発した結果が、この今の状況だ。こんな可愛いキレ方をしてくれているうちにいい加減態度を改めたい。モミジが苦しんでいるのをそのままにしておきたくはない。
「……いいよ。なんでも言えよな。なんでも聞くから」
小さく「ありがと」と呟いたあとのはにかみ笑い。今きっととんでもなく可愛い表情をしているはずだが、俺にそれを直視する資格がまだないように思えてじっとしてただ耳を傾けることにした。
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