第十話

 学校の昼休み、校舎を繋ぐ屋根のない渡り廊下。通過する誰もが歩調を緩めて脇へ視線を投げる。そこに何があるかと言えば、モミジと今朝通学路で会った電波女が話しているだけだ。ただし、目を奪うほど絵になっている。

 彼女の名前は朝露キラキ。俺自身は今朝以来話をしていないが、モミジが聞いたところによるとやはり上級生だそうだ。つまり朝露〝先輩〟ということになる。

 モミジについては今更語るまでもないが、朝露先輩もまたタイプの違う美貌の持ち主だ。そんなふたりが手すりにもたれてでほほ笑みを交わし合っているのだから、周りが注目するのもムリはない。

 しかしながら、俺が逆側からじっと観察している理由はそうした動機は違った。

(モミジがお友達とお喋りしとる……ええのう)

 ウチの家族とだってサシで正面からは応対しないあのモミジが、なんと顔を間近にして会話に夢中になっている。

 いつかすべての問題を丸く収めてモミジに穏やかで満たされた生活を送らせる。それを目標にする俺としてはまるで成果を先取りしたような気分だ。見ているだけで楽しい。

(でもこんな目立つヒトいたっけなあ……?)

 同じ学校の生徒なら顔を見かけるくらいはしているはずだが、まったく記憶にない。

(まあ、どうでもいいか。だってモミジの初めてのおトモダチだ)

 些細な疑問よりも、今はこの幸せを噛み締めていたい。

「それでそれで、他に赤仮面はどんなことをしたんです?」

「うふふ。それはね……」

 話す内容がろくでもない点は、この際目をつぶる。こうだからこそ意気投合しているのだから仕方ない。

 ふたりの電波と電波が重なって発生した磁力でぴったりくっつき合った関係だ。今朝から休み時間のたびにこの渡り廊下で話し、昼休みに至った今でも飽きずに続いている。

「罪もないひとびとを奴隷にして苦しめる悪党の組織に単身乗り込み、あっという間に壊滅させたんだから!」

 そんなことやってない。そうツッコミたい気持ちをぐっとこらえる。

(って言うかありえないだろ。町内で奴隷って。ひどい尾ひれの付き方だな……)

 今後はこれに合わせなければならないとするとかなりハードルが上がる。おじさんのテコ入れに期待するしかない。

「すごいすごい! やっぱりヒーローですね、赤仮面は」

 普段は怯えてコミュニケーションにならないモミジが恐さを忘れて会話に熱中している。ヒーローが自分を救ってくれるという期待を膨らませているのだろうか。

(うう、あんまり期待しないでくれよ……?)

 昨夜ゆうべのようなテコ入れが今後も繰り返されるとしても、モミジを救うシナリオは採用されないと思う。あるとしたらおじさんがまた転勤するときだ。

(でもあんな映像いくら撮っても仕事で評価される気がしないな。敵を豪華にして派手にぶっ壊せばいいって問題じゃないんだよ。もっと撮り方とかドラマとかキャラ立ちとかあるだろ。宇宙ではエンターテイメントが育ってないのかな?)

 小さい頃は特撮ヒーローものの番組が好きでよく観ていた。自分が改造されてからはパッタリ観なくなってしまったが。

(そうだな……。ポーズとかも、もっとあんな風に……)

 ぼんやり思い出しながら引き続きふたりの様子を眺める。

「他には? もっとすごいエピソードありますよね?」

「フフフ、欲しがるわねぇ? もちろんあるわよ」

 朝露先輩の話に前のめりで聞き入り、「赤仮面」というワードを聞くたびに小さく弾んで喜ぶ。こんなにも楽しそうなモミジは記憶にないほどだ。

 話題に上る赤仮面とは結局俺のことだが、モミジはそれを知らず「自分を救ってくれる」という共通した想いを向けている。

 離れたところで楽し気に振る舞うモミジをずっと見ていたら、胸がモヤモヤしてきた。

(モミジにとって俺は……救済装置でしかないんだよな)

 宇宙人に囲まれる状況を変えてほしいだけで、問題を解決してくれるなら別に俺でなくたっていい。赤仮面という期待の新星が現れた今そっちへ乗り換えることだって考える。

 そこに気付いてしまったら、どんなにふたりが盛り上がっていてももう寂しさしか感じられなかった。


「タカくん、どうしたの? ますますちっちゃくなってるよ」

 声をかけられ放心から覚めると、モミジが目の前にいた。屈んで顔を覗き込んでくる。

「ん……。話は終わったのか?」

 体育座りから立ち上がると、昼休み終了の予鈴が聞こえてきた。ということはまたしても赤仮面トークは時間いっぱいまで盛り上がったらしい。

「朝露先輩はもう行ったよ。……それよりタカくん、大丈夫? なんか放っとけない哀愁あいしゅうが出てたよ?」

 追及されてもそれをモミジに説明するのは辛い。

 自分の仮の姿に嫉妬した。存在意義に疑問も感じた。そんなことは口にしたところで惨めになるだけの愚痴で、モミジに聞かせたところで困らせるだけだ。もし赤仮面の正体が秘密じゃないとしても打ち明けるつもりはない。

「あ、もしかして赤仮面のこと嫌い? なんかイヤそうな顔してるよ。……そうだよね。反政府活動をしてるからってみんな同胞ってわけないもんね」

 打ち明けるつもりはなかった。なのに何も知らないモミジの態度が今は無性に心をザラつかせて、つい口が滑った。

「モミジはさ、俺なんかより赤仮面のほうがいいんだろ? 俺はこんなショボいチビで、向こうはヒーロー。そりゃそうだよな」

 こんなことを言われても否定する他に反応のしようがない。かくまわれる立場でどうしたって俺の機嫌を取らざるを得ないモミジなら、身を守ろうと命がけでおべっかを使うしかない。そんなものが聞きたいわけじゃあなかった。それこそ肯定の意味に変わってしまう。

(ああクソ、なんで言っちまったんだ。これじゃ心身ともに小さい男だと思われる)

 早速胸の内に現れた後悔を顔に出さないよう奥歯を強く噛む。

 惨めな泣き言を聞かされて、呆れたに決まっている。覚悟を決めてから顔を上げると、ところがモミジは泣いていた。ハラハラと涙がこぼれ落ちる。

「タカくん、そんな風に思ってたの? そう……わかった」

 指で涙を拭うと強く頷き、飛び上がって手すりから身を乗り出す。

「私、照山モミジは――地球人です!」

 丁度予鈴が静まったタイミングで、モミジの叫びはくっきりと響いた。

「……はぃ?」

 かなりの勢いで身を乗り出したので「バカなことをしでかすのでは」と腰を捕まえたら、予想を超えてバカなことで絶句する。

「あなたたちが入れ替わり損なった、この星に元からいる、本物の――」

「――やめろなにやってんだ!」

 我に返って、続けようとするモミジをムリヤリ引きずり下ろす。しかし遅かった。

 騒ぎを聞いた生徒たちが校舎の窓から次々顔を覗かせる。今朝の登校中に起きた朝露先輩の例と違って今度はちゃんと不審視されている。これこそが一般的な反応だ。突然の「地球人宣言」は意味不明でしかない。

 だが宇宙人に紛れ込んで暮らしているつもりのモミジにとっては、自分の正体を発表することは自殺とイコールで結べる。

「離して! こうでもしなきゃ信じてもらえないもん! 私が守ってもらいたいだけでタカくんと一緒にいるって疑ってるんでしょ? そんな風に思われるくらいなら、バレて処刑されたほうがいい!」

 体は強張って震え、瞼を固く閉じて目を開けられないほど恐怖を感じている。そのくせ語気には決死の凄みが感じられた。本気だ。

 そんな荒んだ心境は今すぐにほぐしてやりたい。しかも追い込んだのは自分だ。どうにか説得して丸く収めなければ。

「疑ってるとかじゃないって。『赤仮面のほうが頼り甲斐ある』って思うのはフツーのことだろ? だからモミジは俺なんかよりそっちを選んでいいんだ」

 自虐の正当性を訴えるというのも情けない話だが、事実なので仕方ない。

 しかしモミジは納得しなかった。小さな子供がダダをこねるように、強く首を振る。

「頼り甲斐があるとかないとかじゃなくって、タカくんはいなきゃダメなの! 本当ならココにいちゃいけない私に、『生きていていい』って言ってくれる。そういうヒトがいなかったら誰だって生きていられないんだよ。そんなの地球人とか宇宙人とか関係ないコトなのに、どうしてわかってくれないの」

 こんなにも自棄やけを起こすほど傷つけてしまった。最早手すりから落ちそうで冷や冷やする。懸命に踏ん張っていなければふたりまとめて持っていかれかねない。

 もしも落ちて血が出たらその時点で終わる。俺は爆死、町は焼け野原、そしてモミジは孤独になる。そんなことには絶対にさせない。

「とにかく降りろ! 危ないから」

「いや! わかってくれないヒトの言うことなんて聞かない!」

 ムリヤリ引きずり降ろそうとすると余計に暴れて危ない。どうすることもできずモミジの腰にしがみ付いて膠着こうちゃくした。この様子を大勢の生徒に見られてしまっているが、もうそれどころじゃあない。

(むしろ誰か来て手伝ってくれ! ――あ)

 ふと強い視線を感じて、気配の方へ首を振る。

 同じ渡り廊下、上級生校舎側の入口に女生徒がいる。腰を横へ張り出し「く」の字に立つ、朝露先輩だ。この場面で満面の笑みはどう解釈しても不気味にしか取れない。

 地球人宣言を誰に聞かせてもキョトンとするだけと言ったが、彼女だけは話が違う。彼女ならきっと真に受けるからだ。そしてモミジのように都合よく妄想を膨らませるかもしれない。

(しまった! どうごまかせばいい? 学校の昼休みにワケわかんないことを喚いて取り乱さないといけない理由……そんなの思いつくワケねーだろ! モミジじゃないんだ)

 朝露先輩と目が合って心臓を冷たくしている間、モミジへの注意がれてしまった。捕まえていた腰がするりと抜ける。

「あ――」

 手すりの上に乗り上げていたモミジの足が浮いて反り、声を上げる間もなく塀の向こうに姿が隠れた。

 モミジが落ちた。

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