第七話

 赤仮面出動のあとは秘密基地に転換したおじさんの書斎で反省会、までが一連の流れ。というのが通常だが、今回は校庭で「おやすみ」「おやすみなさい」と解散になった。反省する部分のあるなしよりも粛正される恐れが大きかっただけに、変身を解いてから一旦その場にへたり込むほど安堵した。

(寝よう。今夜はなにも考えず、帰って寝よう)

 時間は深夜、家族はとっくに寝静まっている。我が八十八家は父母爺婆とフルセット揃った家族構成で常に誰かしらが家にいる都合上玄関の鍵は持たされていない。なのでこういう場合は自分の部屋の窓から出入りする。

 玄関から庭へ回り、音がしないよう慎重に窓を開けて中へ入る。寝ようとしていたところで出動になったので布団は今も敷いたままだ。

 さっさと倒れ込んで寝ようとしたら、その布団がモゾと動いた。

「タカくん……?」

 モミジだ。浴衣の裾を気にしながら俺の部屋の俺の布団からモミジが出てきた。いつものことだが、出かける前からこうだったわけではない。俺が外でヒーローをしている間に同じように窓から入ったわけだ。

 モミジにしてみれば日常からして異世界で暮らしているようなものなので、夜は特に不安でたまらなくなるらしい。小さな頃は当たり前に一緒に寝られても、大きくなるとそうはいかない。何年か前に母から「モミジちゃんもう小さな子供じゃないんだから」と叱られてからはこっそり枕を抱えて潜り込んでくるようになった。

 要するに俺の部屋の窓は出動が絡まなくても毎晩鍵が開いている。宇宙ヒーローのセキュリティはガタガタだ。

 モミジにとって俺は「反政府活動家」という設定を背負っているので、夜更けの不審な外出について何か聞かれることはない。今もああして黙って手招きしている。

(思春期の男の部屋で、しかも布団で待ってるって……ちょっとは青少年に配慮してもらいたいもんだけど……。突き離したら泣くもんなあ……)

 呼ばれるに従って隣に横たわると、モミジは俺に覆い被さってきた。別にいかがわしいことを始めようというワケではない。

 次にシャツをめくり上げ、唇で胸に触れてきたが、これでもまだいかがわしいことを始めようというワケではない。

 ムズ痒い程度の痛み。強く吸われた肌に血が滲む。それを見たモミジはようやく緊張した表情を崩して微笑んだ。

「うん……おかえり、タカくん」

 こうして血の色を見ることで俺が(モミジにとって)宇宙人であることを確かめる。それになんの意味があるかと言えば、多分モミジは俺が血の色の違う別の生き物に取って変わられることを恐れているんじゃないだろうか。元々地球人の〝八十八宗〟と入れ替わって俺がいるという設定だ。また同じことが起きるんじゃないか、そう予測して。

(今の反応だと……別に白い血が見たかったわけじゃないみたいだな……)

 いずれにしてもこの状況でマトモな考え事は長続きしない。

 シャツを戻してそのままポンと頬を乗せたモミジの顔がまた近い。暗がりで吐息に湿気を感じるような距離で、眠たげに閉じかかった瞼が普段にない色気を放っている。思春期の異性に対する配慮は一抹もない。

「汗で湿ってるね……」

 潜めた声は少し疲れを感じさせた。かなり眠そうだ。

「あ、臭うか?」

「ううん。気にならないよ。でも寝苦しいかもだから、拭いたげる」

 モミジにしたってかなり眠いはずだが、パッと身を起こすと備え置きの水差しをゆっくり傾けて持ち込みの手拭いを濡らした。次には「さあ」とばかりに濡れ手拭いを広げて見せる。これは断れなさそうだ。「自分でできる」とは言わず好意に甘えることにしてシャツを脱ぎ背中を向けた。

 肌が水気を帯びて、すぐに体温で乾く。夏が近いこの時期にはとても心地が良かった。

「ケガ、してないんだね。……よかったぁ」

 それを確かめたかったのかもしれない。直接聞いても「大丈夫」とか「平気」としか答えないと見抜かれている。そうだとしても出動の内容は明かせないので、ただ短く「ん」とだけ応えておいた。

「ハぁイ。じゃあ後ろは終わり。次、こっち向いて」

 こっちはドギマギしているというのに、モミジのほうは淡々とした素振りでを済ませていく。どういう心境でいるのかは想像がつかない。本当にわからない。

(いろいろハッキリさせるためにも、おじさんをやっつけないとだよなあ……)

 眠気に浸りながらぼんやり考えていると、とすんと背中に何かが乗った。温もりと髪の感触、そして寝息が聞こえる。モミジのほうが先に限界が来たらしい。

 そっと向きを変えて体を受け止め、布団に寝かせると弾みで瞼が開いた。

「あ、ゴメン……。寝ちゃってた?」

「そのまま眠っていいんだよ。ちょうど終わったところだったから」

「そう、おやすみ……」

 額を撫でながら言うと再び瞼を閉じまどろみへ戻っていく。腕が絡んで離してくれないのでシャツは諦めるしかなさそうだ。

 隣へ体を滑らせると肩に首を乗せてきた。むしろ枕にしたいくらいの胸に挟まった腕は折り返して小指の先を口に含みちゅうちゅうと吸われる。モミジにとってこれが一番落ち着く体勢らしい。ほぼしがみ付く形は布一枚向こうに自分以外の熱と感触をどうしようもないくらいにありありと伝える。

 もうなにもかもが柔らかい。指先に触れる舌の動きがムズムズする。毎晩こんなことをされて、ヨコシマな気持ちに駆られないと言ったら嘘になる。

 だがモミジにとってこの時間は一日張り詰めてようやく手に入れた安らぎだ。不安に怯え恐怖に震え、俺がそばにいないとうなされて飛び起きる。今見ているのはそういう寝顔だ。

(それを邪魔するなんて……できないよな)

 今夜もヨコシマな思春期は吹き飛んで、穏やかな気持ちで布団をかける。嘘じゃないと強く言える想いがあることを実感して安心しながら。

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