第四話

 モミジの膝では緩くなったガーゼがプラプラと揺れ、今にも剥がれ落ちそうになっている。傷を洗うときに一度外したからだろう。

「さ、ちゃんとやり直してやるから座れよ」

 腰の救急ポーチを手に取るとモミジは顔を緊張させてベッドに腰を下ろした。次いでおずおずとケガのある足を上げる。

「でもその前に……見るんでしょ?」

 目を伏せはにかんで言うのを聞き、返事をする代わりにさっとカーテンを閉め直し天井の照明を消した。別にいかがわしいことをしようというわけではない。

 暗い部屋にケガをしたモミジとふたり。密かな楽しみの始まりに「待ってました」の心境を抑えられず気持ちが逸る。

「それじゃ……」

 薄暗がりの中モミジのそばへ寄り、脚をそっと支えてそっとガーゼを剥がした。

 傷口に灯る、カーテン越しの夕日にさえ負けそうなささやかな光。ガーゼ数枚で隠れるか弱い秘密だ。

(やっぱり、キレイだな……)

 七年前から慣れも飽きもせず、ずっとこの不思議な光景に心を奪われてきた。

「うーっ……血を見るのが好きなんて、やっぱりタカくん変態っぽいよぅ」

 非難の声が降って来て目を向けるとモミジは渋い顔をしていた。ハッと我に返る。血を眺めて悦に浸るなんて反論の余地はない悪趣味だ。

「いやいいんだよ。タカくんはそういう趣味だから私のコト守ってくれてるんだから。本当に楽しそうだし」

 どんなマヌケ面をしているかわからないので顔をこすって表情筋をほぐし、救急ポーチへ手を伸ばす。

「すまん。このくらいにしとく」

 今度はキチンと消毒液から化膿止めの軟膏と、普通に治療を施していく。

 モミジは大病どころか風邪ひとつひいたことがないので病院で検査を受けるようなことはなかった。学校の健康診断は普通にパスする。薬もそのまま使える。効いているとは断言できないが。

(だから多分大丈夫だ。大丈夫なはずなんだ――っていうのは、今はいいか)

 赤ん坊の頃には病院で診察を受けているはずだが、それに関してはおじさんが何か細工している気がする。口の中に爆弾を仕込まれている地球人が俺だけならいいが。いや、俺だけでもよくはない。


「ホレできた。これでバッチリだ。ズレるからあんまり激しく動くなよ。まあそんなこと、今更注意する必要ないか」

 手当てを終えて窓を開け、風を入れて室内に満ちた消毒液の臭いを攪拌かくはんする。

 これで一段落したと思ったら、なにやらモミジが深刻に暗い顔をしていた。

「あの……。私、タカくんに謝らなくちゃいけないと思って」

 正座に座り直し伏せた頭を見て自然と悪い予感が働く。

「えっ、なんだ? まさか……また『身長が伸びた』とかか?」

 普段モミジを見上げる首が日に日に痛みを増しているので、薄々そんな気はしていた。

「……ソレも謝った方がいい?」

 顔を上げたモミジは弱り顔で頬をかく。その確認だけで証言は充分だ。かくもたやすく、悪夢は実現するのだった。

「なんだよ! これ以上差はつけないって約束したのに、酷いじゃないか!」

 あんまりなことなのにモミジは口を尖らせ悪びれない。

「だって、そんなこと言っても勝手に伸びるんだもん」

「そんなコトあるもんか。だってこっちは勝手に伸びないんですよ。1・2・3とピッタリしたまま、人生の半分以上伸びてないんだが?」

 血の涙を流す思いで訴えると、モミジも涙目で返してきた。

「宇宙人の発育について責められても私困るよ! 約束だってタカくんがムリヤリさせたんじゃん! そうじゃなくて、他に謝りたいことがあるんだからちゃんと聞いてよ!」

 身長以上に大切なことがあるのか。釈然としない気持ちはあるものの、泣かせたくはないので黙ることにする。

「学校で私、『タカくんは私を守る義務がある』みたいに言っちゃったでしょう? それを謝らなきゃと思ってたの」

「ああ、モミジがテンパってたときの話か」

 確かに言われた憶えはある。

「タカくんは好意で私を守ってくれてるんだよね。バレたら危ないのに、さっきもガマンさせたし得なんてないのに、それでも秘密にしてくれてるのに私……勝手なこと言って――本当にごめんなさい」

 また頭が下がるのを見て、キリキリと心が痛んだ。

 なぜなら俺はモミジを騙している。真実も、爆弾を埋め込まれておじさんに脅されていることも。

(やめてくれ! 俺に、こんな嘘つきに謝る義理なんてない!)

 何も知らないモミジの妄想に乗っかって、宇宙人政府に対抗するレジスタンスのフリをした、宇宙人の手先――それが俺だ。

「あのね、タカくんがヒドい目に遭うのは私イヤなの。だからもしバレたときは、私を見捨てて逃げてね? ただ、それまでは今まで通り……二度とワガママ言わないから、私を守ってくれたら、嬉しいかな」

 作り笑いに押し込め切れない不安が透けて見えた。そんな顔をされたら俺のほうが涙を我慢するハメになる。

 虚言まみれの俺がこの善良な宇宙人の想いに報いる方法はひとつしかない。

「モミジ、俺が絶対にお前を守る。全部丸く収めてやるからな!」

 つい力がこもる握り拳にモミジの手が添えられた。瞳を濡らすものがこの瞬間、嬉し涙に変わったと直感する。

「うん、信じてる。だけどムリはしないでね」

 その信頼がまた心に刺さる。良心の呵責で胃がネジれそうだ。

「うぅっ、ああ……ムリはよくないよな……」

 じっと親身な眼差しで見つめられると胃の痛みが増して思わず目を逸らす、その些細な動きがいけなかった。

 モミジの妄想スイッチが反応する。

「アッ! もしかして毒電波受信してる? 大丈夫、私に任せて! きっと宇宙人政府はそういうのやってくると思って、色々準備してあるから!」

 言うなり意気揚々と電子レンジ横からアルミホイルを持ち出してきた。

「えっと、そういうんじゃなくってですね……。聞いてる?」

 これはすぐに止めなければ辛いことになりそうな妄想だ。放っておくと今後は銀紙に包まれて外出するようになりかねない。そうなれば周囲になんと言ってごまかせばいいか、想像するだけで胃でブンブンゴマが出来てしまう。

「大丈夫、ちょっと歯が痛くなっただけ――」

 言いかけたデタラメが、事実に変わった。本当に奥歯が痛む。

 おじさんに埋め込まれた爆弾が発する振動と発熱。これは起爆の前兆だ。このままじっとしていれば俺は爆死する。

 当然そうならないために行動しなくてはならない。

「モミジ、悪い! ちょっと出かける用事ができた!」

 返事を待たず、顔を見合わせるだけに留めて部屋を飛び出した。靴を履くのももどかしい。三和土たたきで爪先を叩いている間に歯の揺れは頭蓋骨に響き舌が焼けていく。

「おジャマしました!」

 照山家を飛び出してとにかく近くの茂みへ飛び込む。多少足の長い草が生えていれば俺なら充分身を隠せる。不満だが。

 とにかく人目を逃れたことで次の段階に進める。ここからは手馴れた一連の動作として、ひと呼吸あれば足りる。

(来い――!)

 両頬を叩き強く念じると、見上げた宙に星が光る。ぐんぐん迫る光はそのまま額に激突した。しかし衝撃は感じない。

「――変身」

 というわけでくれぐれも宇宙人は存在するし、ついでに言えば改造人間も存在する。

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